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投稿日:2014年06月20日

2014年06月20日

10時。度々お世話になっているA棟15階の血液内科からB棟9階の呼吸器外科にお引越しをする。

左手にERがあってちょっと緊張感がある。私は962号室。二人部屋に入ることになった。

担当の看護師さんに簡単なこれまでの経緯を訊かれる。一通り話したあとに何か不安や聞きたいことはないですかと尋ねられたので、科をまたいだ連絡系統があまりよくないので、それが治療に影響が出ないようお願いしたいんですと訴えたら汲み取ってもらえたようで、ちょっとホッとした。

はぁーあ。

荷物を片付けてお引越し終了。

同じ病院なのに景色が違うなぁ。

ようやく落ち着いてボーっとしていると、「こんにちは」と先生がやって来た。

「前も会いましたね」

咄嗟に思い出せないが、前回の手術でお世話になったのかもしれない。

「また、お世話になります」

と、答えた。

「今回、手術を受けられるんですよね」と切り出されて、唐突な感じはしたが、薬の説明や体調のことを聞かれたので、あぁやっぱり私は手術を受けにこの病棟に来たんだなと理解をした。

「じゃ、また」

薬の説明をしたら先生はあっさり去って行ったが、よく考えたらもっと詳しい説明が聞きたかった。だって私は今回手術は無理ということで放射線治療を受けることになっていたのに、どうしてそれが手術適応になったのか。手術といってもどれぐらいの範囲、手術することになるの、とか。

うーむ。

聞きそびれてしまった。

と、思っていたらさっきの看護師さんがやって来た。

「今のはどこの科の先生なんですか?」

と、看護師さん。

「え?呼吸器外科の先生じゃないんですか?」

「違いますよー」

「えー!」

「どこの科の先生なんでしょうね」

「いや、今、手術ですよねって来られたから。あぁ、私は手術を受けることになったんだ、って、その説明かと…」

「呼吸器外科の先生じゃないです」

「えーっ‼」

これには看護師さんもあきれていた。

やって来たのは内分泌科の先生で、またしても科をまたいだフライングとなった。

私は、

だから、

手術ってもう決まっているんじゃないでしょうか?

早くちゃんとした説明が受けたい。

受けたい。

受けないともう心が持たない。

6時になってようやく昨日訪ねてくれた先生が顔を見せた。

「手術はしなくて済みそうです。放射線治療になると思います」

「え?」

一体どういうことなんだろう。

手術しなくて、“済みそう”というそのニュアンスがよくわからない。

ほんと、どういうこと?

詳しく聞こうとしたら、主治医の先生が今学会でお留守で月曜日に来られるので、その時に説明をしてもらう形でもいいですかと言われて先生は立ち去ろうとするのだった。

ちょっと待って。

待ってください。

急に涙が溢れて来た。

今治療方針がわかっているのなら教えてください。

そう食い下がった。

だって、最初は手術が出来ない。出来ない場所にあるということと、今あるものを取ったとしても播種で広がっているから手術で取りきれる状態じゃないと言われて、放射線治療になったのだ。

放射線治療は根治にならない。そう知って嘆きながらも気持ちの落とし所を探っていたのに。

今度はこの数日間、いろんな先生がやって来ては“手術ですよね”と言って行く。

心の準備もなく手術と言われたらショックだったが、もう一度冷静に受け止め直して、手術を受けられるというのは何か希望に繋がるんじゃないかと仕切り直しをしては、「いや、ちゃんとした説明はまたあらためて」とまたフラットな状態に戻されながら今まで過ごしていたのだ。

内分泌科の先生は、「胸腺腫を取ることで、血液の病気もよくなるかもしれませんし」と言っていた。

白衣を着て、私の担当の先生だと名乗る人の言葉をどれほど真面目に聞いてきたと思っているのか。

今わかっているのなら教えてください。もう、月曜日までこんな状態ではいられません。

そう訴えてようやく、説明をしてもらえたのだった。

胸腺腫の治療は最初の診察時と変わらず放射線治療であるということ。胸腺腫を手術するということでなく、手術を検討していたのは心臓の周りにある腫瘍の中が水だとしたら、その水を抜く作業のことで、そもそも腫瘍を切ることは選択肢にはなかったのだそうだ。

ようやく聞くことが出来た。

そっか。

手術じゃあなかったのか。

運命が大きく変わろうとしていたわけじゃなく、ただの連携ミスに翻弄されただけだったんだ。

みんな悪気はなかったとは思う。

でも私にとっては、こんな悪い冗談みたいなことをされたのだから、せめて心を込めてごめんねの一言ぐらいもらいたかった。

とっても疲れた。

哀しくもあった。

だが、もうこれでどんな先生が勘違いをして私に話しかけても、次からはそれは違いますよと答えられる。仕事のミスに翻弄されるのはまっぴらだ。

自分の治療をようやく知れた。

この間の、最初の診察の時に、あと10年、生きたいんですけれどと言ってそれは無理ですと即答されたことも、また現実のこととなった。

いつまで行けるかわからない。

行けるところまで。

みんな誰しもに終わりはやって来て、自分がそれを自分に感じながら、だけど今日の幸せをちゃんとかみしめられるようになれたら、それが一番いい。

それを目指せたら一番いい。