押し入れの中の整理をしていたら、母からの手紙を見つけた。
消印は平成7年。宛先が中野区野方の住所になっているので、中野に住んで居た頃に受け取った手紙になる。
何て書いてあるのだろう。
今から15年も前の手紙だなんて。
タイムカプセルを掘り起こしたかのようなワクワクする気分で中の手紙を出してみた。
すると。
そこには、父が体調を崩して入院したこと、それに伴う今後の母自身の生活の不安から話はだんだん私への怒りに変わって行ったのであった。
「一体いつまで浮き草のような暮らしをするつもりなのですか」
書きながらますます怒りが湧いてきたのだろう。
「結婚もしないで、いつまで気ままな生活を続けるつもりなのですか」
「音楽は今更もうやめられないでしょうが、それにしてももういい年なのだから人生設計をもう少し真面目に考えて下さい」
そして最後の締めくくりが「私たちのことはあてにしないように」という文章だった。
二枚に渡る便せんの中にはよくあるような故郷の母親からの「身体だけは大事にしなさい」といった文章は一行も見られず、私の生活についての怒りを延々と綴ったものであった。
母は父が体調を悪くして不安になって、その不安の勢いでこのような手紙を送りつけてきたのだと思うが、いかにも母らしいなと思ったのだ。
だいたい最初にピアノを習わせたのは誰なのだ。ピアノ教室に通わせてそれで、いつどうなっていれば母は満足だったのか。やめずに続けたことを彼女はちっとも見てはいないのである。
「あてにしないように。」で終わった手紙を読み終えると、母の中ではかなりの寄生虫娘扱いだがいつ私がお金をたかったというのだ。全くこんな手紙をもらって捨てずに置いておいたということの方が驚く。
偶然見つけた母からの手紙はこの一通だけだった。
よかったと思った。
あまり愛情あふれる手紙だったら、私はしばらく泣けてきて何も出来なかったかもしれない。
「すごい手紙やん、おかあさん」
笑って手紙を仕舞えたことが私にとっては幸いだった。
もうすぐ平成22年も終わる。
15年経っても私はまだ浮き草のような生活をしていて、気ままな独身生活を送っている。それに当時はなかった病気も抱えて更に母からすればとんでもないダメ人生に見えるかもしれない。
でもねお母さん。
私はお母さんよりも明るい方を向いて毎日を送っていると思う。お母さんよりも日常の中に幸せをたくさん見つけられる自信がある。
母には申し訳ないが、母は私の反面教師だ。
とにかく悲観しぃの母だった。
私は悲観する考え方から幸せを探すのでなく、余計な感情を加えず、もっと、なるべくシンプルに幸せを見つける人生を送りたい。
自分が浮き草だって何者だっていい。
平成7年、あの手紙を読んだ私はきっと自分を不甲斐ないと責めた。
だが今はあの時出せなかった答えが言える。
幸せは決して状況が作るものではないと。
「拝啓、美智子さま」
目を閉じて母に返事を送ろう。
「心配しないで下さい。
私は今幸せに毎日を送っています。」