はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2007年01月07日

2007年01月07日

今日は七草がゆを食べる日なのだそうだ。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケリザ、スズナ、スズシロ。無病息災を願う他は、新年のごちそうで弱った胃を癒す為でもあるらしいが、私が新年に一番食べたものはビオフェルミンであった。
お粥は私はあまり食べない。
病院生活を思い出すからだ。
私達は普段、何てことも考えずにご飯を食べているが、飲み込む力がある程度ないと、ご飯というのは飲み込むことが出来ないのである。
白飯を食べることは2年間の病院生活では、私の夢だった。最初は点滴のみ、私の口に入っているものは呼吸器の先で、口の所には呼吸器がはずれないようにテープでしっかし固定がされていたのだった。
数週間後、呼吸器が取れてご飯を食べようとしたが、口の中に入れた食べ物が喉の奥に移動させられなかった。
どれだけ頑張っても食べ物が飲みこめない。
涙が出てきて、こんなことがあるんだなぁと思い、1時間半ぐらい経ってからもうご飯をあきらめて終わりにした。この出来ないことが嚥下障害と呼ばれていることだ。
自分のご飯は鼻からチューブで入る液体のものだった。
味はなく、勝手に鼻から胃に入るので何の感覚もない。看護士さんが「ご飯ですよ」と掛けてくれる言葉が唯一、「これはご飯なのだ」というご飯気分をくれたのだ。
そんな時期がまた長く続き、やっと病気が良くなってきた頃に、きざみ食に昇格をする。きざみ食というのは、なんでもドロドロになっているもので、ほうれんそうなら緑のドロドロ、オレンジ色だと何の食べ物なのかわからない。
何の食べ物かわからずに口に入れる。
何だろう。
うーーむ。
「ま、いっか」
わからないまま終わったおかずは多々あった。
お粥は3分粥、7分粥、5分粥など粥の状態に段階があって、どっちがどっちだったか忘れたが、これも昇進のように少しずつかたい米に変わって行った時は幸せであった。
なのに。
また白飯に行ったかと思えば病気が悪くなって鼻からご飯からやり直しになったりするのだ。
白い飯、カムバーック。
家ではお粥は食べない。
なんで今更。
なんでわざわざ。
私には美食や健康食ではなく、病人食の印象があまりに強い。
春の七草がゆ。
私は”食べない”ことで無病息災を願う。
戦争を体験した世代が言う、「白いご飯ってのはね、有り難いんだよ」とは別の有り難さを私は白飯に感じている。
一年通して、今年も白飯を食べたいのである。


投稿日:2007年01月06日

2007年01月06日

雨。
”冬なのに雪にならなかった。”
と、いう理由で
一月の雨は冷たい感じがしない。
窓を開けて見上げると
濁った灰色の空から透明の線が降って来る。
今日は洗濯をしようと思ったのにな。
雨の日は予定がかわる。
窓を閉めると雨に囲われて、隣家の音が遮断される。
透明のプチプチに包まれたような部屋になる。
雨の日を部屋で過ごすのは嫌いじゃない。
部屋の中、
日が差し込んで来る晴れの日の暖かさと、また別の暖かさがするからだ。
独りが苦手という人も居るけれど、
確かに寂しい時もあるけれど、
今日は天秤が水平に保たれている。
雨の日も、悪くない。
プチプチに包まれたこの部屋。


投稿日:2007年01月05日

2007年01月05日

久しぶりに遊園地に行った。
山口晶くんが今月からネットラジオを始める。毎回ゲストを迎えるのだそうだが、ゲストと観覧車を一周するということがゲストトークになるとのことで、今日はその観覧車に乗りに行ったのだった。
遊園地ってどれぐらいぶりになるんだろう。
行けば最初に園内を走ってジェットコースターに乗りに行き、帰りにももう一度ジェットコースターに乗っていたのだ。
急流すべりに乗るなら水はかかった方がよい。レールが錆びていてそちらの方が怖い乗り物もあったが、お化け屋敷も、それから例え酔ったとしてもクルクル回るような乗り物にも乗りに行ったのだ。
そんな私が、屁たれになったのが観覧車であった。
あれはロマンチックな乗り物なのか。
私は一度もそういった思い出はなかった。
高い所が昔からダメなのだ。
「本当に乗るの?」と直前になって聞いたが、晶くんは既に私の恐怖心を和らげることよりも、録音マイクのレベルの方が大事なようで、全く人の話を聞いていない。それどころか「マイ観覧車へようこそ!」と、明るいトークを一人始めたのであった。
観覧車というのは、友達以上恋人未満の二人が付き合うきっかけになる場所でもあるらしい。既に恋人同士の二人の場合は二人きりになれる愛の場所でもあるようだ。
そんな思い出は本当に私は一つもない。観覧車に乗った回数は結構あるが、手をつないだことも告白をされたことも、キスをされたことも一度もない。
ただ、毎回一緒に乗った人は笑っていた。助けてと言っても、いいアイデアをくれた人は一人も居なかった。人の話を聞かずに相手は笑いが止まらないといった様子で全く会話は成立しなかったのであった。
ただ苦手なことに対する恐怖心が我慢を越えて表面に出てしまっただけだ。
自分はめずらしい動物ではない。
今日の晶くんとY氏も、同じであった。
笑わないでくれ。
笑うと観覧車が落ちるから。
高い所は苦手。
おしりと足の裏がこそばゆくなってくる。
「今日のトーク、使うの?」
録音したものを聞いてガックリした。
自分が恐怖に怯える和田アキコに思えてきた。
空中で「あはは」と余裕で笑える人の方が、めずらしい生き物だと私は思うのである。


投稿日:2007年01月04日

2007年01月04日

大家さんからの手紙が届いていた。
ここは、この館二軒分の水道料金を、大家さんがまず一括で支払って、大家さんが小メーターの数字から水道料金を割り出して、それで個別に手紙でいくらになりましたというお知らせが来るというちょっと変なしくみになっている。
封を切ると、
・・・・。
水道料金の件に加え、1月の15日に2階に新しい住人がお引越しをして来るということが書いてあった。
年末に急遽決まったとのことだった。
しまった。
住人が決まったのか。
あぁ・・・。
きっとあの日のあれだったのだ。
部屋の内見に来る人達は今まで、ドスドスと歩いてうるさかった。まだ自分の家でもなく部屋を見るだけの時の心持ちは、自分もそうだったが近隣への迷惑を考えるアタマがない。
「わぁ!広いですね〜」と小走りで移動してみたり、人によっては壁をコンコンと叩いて、防音の具合を調べたりと自分のことしか考えないのである。
ドスドスされると、ダンボと私とで”実際の住環境”を知らせる為と、あと出来ればここを気に入らないようにという願いを込めて、ワンワン攻撃やドスドス攻撃を仕掛けていたのだった。
「セーフ!」
「やったね!」
だいたい月の終わりに引っ越しがあるのかなと思っていたので、月の終わりになって誰も来ない様子にホっとしていたのだ。
でも一日だけ、とても静かな内見者が居た。
それでも様子がわかるこの館なのだが、年末のある日の午前、いつもの内見者達のようなドスドス歩く部屋鳴りではなく、人気はあるのだが静かな来客があったことを覚えている。
ビー玉が上を転がるような音がした。
<上に人が居るのかな。>
山口県に住む大家さんの親戚が来たのかもしれない。
ダンボと私はこの日は攻撃をしなかった。
いつものように静かに部屋で過ごしていたのだった。
あれだ。
”ここ、とっても静かね”
”気に入ったわ”
静かじゃない。犬は吠えるし私も吠える。深夜に出掛けることもあるし、もっと深夜に帰って来ることもある。
明け方、ゴミを出そうとするとダンボは必ず私にタックルを仕掛け、ついでに吠える。
日中、私はどこかの電話窓口の人を捕まえて、「おたく、会社の窓口なんでしょ。」と対応の悪さに吠える。
15日ってもうすぐじゃないか。
風邪を引いたら、介抱を頼もうか。いやいや、二階の暮らしが丸わかりなのが気持ちが悪い。
静寂はあと10日。
大家さんは手紙の中で喜んでいた。
<そうですか・・・>
私は手紙を読んでガッカリしたのであった。


投稿日:2007年01月03日

2007年01月03日

目覚めたら昨日より具合が悪かった。
誰か。
来て。
シ〜ン。
悲しかった。
正月三が日、私は福袋を買いに行き、ユザワヤに行って時間気にせず好きなだけ遊んでいようと思っていたのだ。
一人暮らしの正月は・・・、
家族サービスも、姑に気を使うことも、お年玉貧乏になることもない。そこに醍醐味がある。近所のチビッコには、寂しく孤独な一人の正月だと思われているかもしれないが、ユザワヤがあればちっとも寂しくない。むしろこの3日間でどれだけユザワヤに心おきなく通えるのかが私のテーマだったのだ。
だがしんどい。
しんどいと一気に一人暮らしは不幸気分を味わうことになる。
誰からも電話もなし。
断線でもしているのかと思ったが、自宅電話はツーツーと言っていた。今日、もしもいつもかかってくる「ツーショットダイヤルですか?」の間違い電話が掛かってきたら、間違いなく知らん人でも家に呼んでいたのだ。
ポカリスエット、買ってきて下さい。
シ〜ン。
食欲、ゼロ。
お茶が胃に滲みる。
<餌、ちょうだいよ。>
ダンボの餌が切れていた。
夜になってひどく抗議を受けることになり、結局餌を買いに出ることとなったのだった。
お正月さん、さようなら。
ところで、何個食べたかしら。
2007年、ビオフェルミンが主食の正月となったのであった。


投稿日:2007年01月02日

2007年01月02日

今日は去年からずーっと楽しみにしていた、Mちゃんの家での新年チーズフォンデュ会の日。
普段、私は一人で「食べるだけ」の食事をしている。もともと食事をゆっくり頂くという習慣はないので、食べるのはとても早いのだ。だからこうして、ホームパーティ形式のご飯会は、私の心を豊かにしてくれる時間にもなるのだ。
なのに何故、腹イタ。
昨日の「しんどい」はお腹が痛いのだということが、だんだんハッキリしてきた。
食欲がなく、ビオフェルミンばかり食べているのだ。
夕方までに治してみせよう。
ビオフェルミンの量を増やしてみたのだ。
Mちゃんの家は江東区にあって、私の家は都心より西エリアなのに対して、東エリア。お台場や築地も近く、高層マンションがどんどん建っている辺りで、かと言えば門前仲町といった江戸も感じられる地域で、自分の住んでいる街とは違う匂いのする街に足を伸ばすのも、冒険っぽい。
治れ。
胃は子供の頃から弱かったが、腸はそれほどでもなかった。なので夕方にはよくなっていることを期待したが、お腹イタは結局良くならなかった。
チーズフォンデュの会。
テーブルの上には小皿に綺麗なお箸、紙ナプキンにお正月を思わせる絵柄メモが添えてあった。
昨日のわびしい元旦と違う!
<お正月っていいな>
なのに。
腹イタは治らず、ここでもビオフェルミンを飲み、胃薬まで出動させたが、吐き気が襲ってきたので、結局デザートタイムを前に帰ることにしたのだった。
たくさん食べるつもりだった。
人を家に招いてご飯を出すなんて、その日の朝からだけでなくその前の日も、その前の日にも準備にあれこれ時間と手間を費やしているに違いなく、だから私は家でそんな風に誰かを招いたことは一回もないのだ。
Mちゃんに会えたのは3年ぶりぐらいだ。
家に着いたらトイレばかりを借りていた。
それでも会えてよかった。
いくつか口にした手料理はどれも美味しかった。朝からパンを焼いたり、ミートローフの火加減を見たり・・・。家に着いた時は、もう真っ暗な夜だったこのダイニングだったが、昼間のこの部屋が何故かしら頭に浮かんだ。
キッチンを行ったり来たりせわしなく動き回るMちゃんの姿が見えた。
ベランダにはキャンドルがいくつも灯されていて、あたたかいおもてなしを感じる「お家」の食卓だった。


投稿日:2007年01月01日

2007年01月01日

目が覚めたらさぶかった。
誰かヒーターをつけておくれ。
シ〜ン。
風邪っぽい。
なんかさぶい。
なんかしんどい。
視界に入る上布団と敷き布団には、カバーなし。ダンボが去年ゲロを吐いて、はずしたまではよかったが、新しいカバーをつけていなかった。
おーい。
誰か。
来て。
シ〜ン。
右向きに横になったまま、部屋が散らかっているのをしばらく眺めていたら、たいそうわびしくなったのだった。
初夢は何だったっけ。
思い出せない。
おはようさん。
あけましておめでとう。
ダンボとゴン太に挨拶をした。
溜まった洗濯物を干して・・・・。正月3日は、好きなことをして遊ぶ!と楽しみにしていたので、根性で「ユザワヤ」に行って・・・。
しんどくなったので、帰ってきた。
食欲が出ない。
今日はもう寝よう。
お〜い。
お茶、ください。
シ〜ン。
風邪+一人暮らし=無人島。
さぶい。
ちょっとわびしくないか。
新年スゴロク、私は最初のマスで、「風邪を引く」に止まる確率が非常に高いのだ。お正月が風邪だったのは、もうこれで4回目ぐらいになる。
私は一回休み。
だが時計は回る。
2007年は始まったのだ。