はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2013年05月04日

2013年05月04日

今日の朝食は近くのカフェで過ごせたらいいなと思ってブラっと近くを歩いてみた。

何軒かチェックして美味しそうなヨーグルトを置いている店に入ってみる。椅子はあるのだが、前のお客さんがテイクアウトで買っていたのでつられて私もテイクアウトで店を出ていた。


今日は思わぬユニオンスクエアの芝生の上での朝食となった。

行き当たりばったり。一人旅だから適当でもいいのだ。

軽く食べたらホテルに帰って寝るつもりだったが、思ったより体調がスッキリしているので、このままBartに乗ってオークランド方面に行くことにした。

駅に着いて電車のカードをチャージしようとしていると、10代と思われる女の子に話しかけられる。どうもお金を頂戴と言っているみたいで、そうでなければ チケットの買い方を教えてお金をもらおうとしているのだろう。去年の旅で知ったが、駅にはそういう人が居て小銭を稼いでいる。元気そうに見える人がそういう風に時間を使っているのを見ると残念になるのだが、結局チャージの仕方がわ からなくて彼女にチャージを頼み、要求された2ドルを渡した。中学生ぐらいだが爪の先が黒く汚れていた。貧乏なのかと考えたが、やっぱり貧乏だからここに居るという感じはしない。学校には行かなくていいのかなぁ。リュックを背負っていて家出しているようにも見えた。

旅先での楽しみは町のスーパーマーケットに行くことや、市内の交通機関に乗ったりすることだ。取り敢えず最初に来たBart に乗ってみる。 bay fairという駅で人が割りと降りたので私も降りてみる。電車から見える景色は広大で車がないと生活は大変そうなところだ。駅の外に出るのはやめてそのままリッチモンド行きの電車に乗り換えてdowntown berkeleyに向かうことにした。

Downtown berkeleyはバークレー大学のある町。駅を出るとサンフランシスコの賑わいとは違って郊外ののどかな町のイメージだった。ただ道は日本の郊外の街より広い。

バスが出ていたが早速くたびれてしまったので特に何をするでもなく駅前でしばらくぼんやりしてまたホテルに帰ったのだった。

ホテルに帰って夕方まで寝たらまた元気が出てきた。なので、今日はこのあと夜景ツアーに行けたらいいなとフロントに「今日夜景ツアーに参加出来るものはあ りますか」と尋ねてみる。するとユニオンスクエア前から7時30分発のbig busツアーがあると教えてもらえた。ラッキー。夜景ツアーには行ってみ たかったのだ。

ホテルを出て少し時間を潰しながらゆっくりユニオンスクエアに向かう。

やっぱりネイティブの英語にはちっともついて行けない。フロントの男性の説明に把握出来ているか自信がなかったのでイラストや文字や数字を書いていちいち確認をする。

7:30pm

・・・に、ココに行けばいいんですね!?文字に書いて指さしをして最終確認をしてようやく安心した。

少し早めに行ってバスを待つことにしよう。

ユニオンスクエアに向かって歩いていると、確かにフロントの男性が教えてくれた茶色の二階建てバスが通って行くのが見えた。

よし、あの色のバス。オーケー。

一本前のバスが今行ったということね。

そして時刻は7時20分になり、

30分。

・・・を過ぎて・・・・

そして、50分を過ぎた。

ちょっと遅いんではないのかしら?

不安になってきてネットで調べたら、私が乗る予定のバスはフィッシャーマンズワーフを7時発と書いてあった。しかもその一本だけが夜景ツアーのバスであることがわかったのだった。

ということは・・・。

15分頃に目の前を通って行ったあのバスがそうだったってことなんじゃないの。

ずっと待っていたのに・・・。

あんなに確認したのに・・・・。

寒くて疲れて悲しくなってこのまま帰ろうとしたら・・・・、

ビッグバスの姿がようやく見えた。

やったー。私はずっとあなたを待ってイタノデスー!

手を上げてバスに乗り込むと運転手さんが「こにバスは終わりだよ。夜景バスツアーはフィッシャーマンズワーフを7時に出たのが最終だよ」と教えてくれた。

がっかり。

日が暮れるとサンフランシスコは急に寒くなる。

さぞかし私は暗い顔をしていたのだろう。

「貴女のホテルはどこですか?」

運転手さん、ガッカリしている私を見て、なんとバスでホテルまで乗って行きなさいと特別にその2階建てバスでホテルまで送ってくれたのだった。

これはラッキー。なんてラッキー。「サンキュー!」こんなとき にこそチップだわとチップを弾んで10ドル渡そうとしたが最後まで受け取ってはくれなかった。とってもジェントルマンな運転手さんだった。

「Thank you!bye!」

運転手さんを見送ると・・・・

市内バスが目の前に止まった。

習性なのか、ドアが開くと吸い込まれるようにまたフラっと乗ってしまった。

このバスはどこへ行くのか知らないが、真っ直ぐ帰るのは惜しいので市内バスでもう一周だけしようか。

バスの中では運転手さんと乗客が会話をしていた。英語じゃないなぁ。ラテン語ってこんな響きだったかなぁ。

だんだん乗客が減って折り返し地点まで来ると会話をしている乗客のおじさんと運転手さんとの3人になった。

「ドコヘイキタイノ?」 

結構こう尋ねられているが、行きたい場所を決めていないので、答えにいつも困ってしまう。

乗客のおじさんにホンコン?と聞かれた。

「No,japan!」と答える。

すると。

「ワシはキューバだよ。この運転手さんはエクアドル。」

エクアドルの運転手さんが日本語で「サヨナラ」と口にした。

キューバとエクアドルの人には多分生まれて初めて出会って会話をした。

サンフランシスコでの滞在は今日で終わり。観光地をいくつかこぼしてしまったが、今度また来られた時に訪ねられればいい。

何事も大きく困ったこともなく、いい数日間が過ごせたことに感謝。


投稿日:2013年05月03日

2013年05月03日

朝は夕べルームサービスで頼んでおいたホテルの朝食を食べる。

ホテルの朝はさすがに日本のホテルの朝食みたいに繊細なのかなと思っていたが、ものすごく量が多くて大雑把なブレックファーストが運ばれて来てビックリし たのだ。これで一人前…?また私は夜に残った半分を食べることになる。野菜サラダがあるのかなと思ったがポテトが沢山乗ったお皿だった。ウエルダンでとお 願いしたものの、ベーコンと卵はカチカチの域まで焼いてあった。ミディアムで十分だったのだ。

朝ごはんを食べてちょこっと横になったら、今日はフィッシャーマンズワーフに向かう。ホテル近辺は海の感じが全然しないのだけど、本当に海があるのかしら。

パウエル駅前で路面電車に乗る。乗客の会話を聞いていると、このままどうやらこの電車でフィッシャーマンズワーフまで連れて行ってもらえるらしい。しばらく街を走っていたがつきあたりまで来たら一気に海沿いの道に景色は変わった。こんなに急に景色ってが変わるのかぁ。潮の香りもしなかったのに3分程の間に全く想像も出来なかった景色に変わったことに感動した。

今日は天気がいい。

日差しと風の温度が、私の好きな”ゴールデンウィークのお天気に恵まれた日”と同じだ。

サンフランシスコに来てからはすれ違う人の大半が観光客だ。なので、仕事もせず自分だけがブラブラしているという罪悪感が今回は全くない。それに買い食いしている大人たちの多いこと。あっちもこっちも何かしら食べ物を持ってはぶらぶらしている。

フィッシャーマンズワーフに到着。

何か食べられるとよかったが、朝ごはんが胃にもたれて食欲がわかない。

食べ物を与えないでとい看板の近くでウミネコ達が観光客があげたパンを奪い合っている。そのうちに湘南のトンビや日光の猿みたいに人間を襲ってくるのではないかとちょっと心配になる。

観光船乗り場があったので、湾内を一周する船に乗ることにした。

私が乗った回は丁度団体さんなのか中国人観光客が多かった。日本語チャンネルを選んでガイドを聞く。ゴールデンゲートブリッジやアルカトラズ島のことやサンフ ランシスコの歴史に少し触れることが出来て、言葉が加わると景色がより一層深く刻まれるものだなぁと思った。壮大な景色はいつも写真に収めきることが出来ないが、私も周りの人達もずっと写真を撮りまくっていた。


約1時間のクルーズを終えると、ピア39という観光客の為の店が集まったエリアに行く。

お土産物屋さんが沢山あるのだが、日本で言う地名を書いたキーホルダーやTシャツ、灰皿などが置いてある。うーん。せっかくだけど、いくら記念にとはいえ ここで買いものをするのはやめておこうか。

奥にはメリーゴーランドが回っていた。メリーゴーランドって思ったよりいろんな場所にあるんだなぁ。

裏手に回ると沢山の野生のアザラシ達が日光浴をしていた。海の上に板が浮かべられていて、そこにアザラシが上がって休憩をしている姿が見えるのだ。大きな声で鳴いているのもいる。すっかり熟睡中の個体もいる。

「オオッオオッ!」

鳴いている方を見るとどうもそのアザラシ、文句を言っている様子。立ち上がって目の前のアザラシにケンカを仕掛けてい た。少し離れた場所では水中から上がって来ようとするアザラシを「お前、こっちに来るな!」と突き落としたりしている。神経質なのもいるんだなぁ。いいじゃない。そんなに気にしなくたって・・・。器の小さいアザラシくんは、気に入らないことに対して「オオッオオッ!」と叫び声を上げていばっていたので結構笑えた。

帰りはバスで帰ってきた。パスを持っているのでとにかくやって来たバスに乗って、あとは乗り継いでなんとかホテルに帰れたらいいからだ。通りの名前も路線 図も今ひとつ把握出来ないが碁盤の目に街が作られているので京都の方向感覚を当てはめたらだいたいの位置がわかるので便利だ。

サンフランシスコの今の日暮れ時は夜の8時ぐらい。

夕飯は朝食の残りを食べた。

カチカチのベーコンはベーコン同士がひっついていてもはや剥がせない。

美味しい物が食べたいなぁ。
 
 
 


投稿日:2013年05月02日

2013年05月02日

今回の旅は、体調が心配なので無理をしないように、眠たくなったらまず睡眠を取る。無理やり現地時間に身体を合せない。目が覚めたら起きて、眠くなったら寝る。3時間起きて3時間寝るパターンで一日に何度も寝ている。 

遅い朝ごはんは駅前の大きなショッピングモールの地下に買い出しに行く。

ショッピングモール内のケーキ屋さん。すごく甘そうです。

スーパーマーケットが大好きなので、お目当てのスーパーに向かうと途中でボードゲームなどちょっとしたお洒落なゲームを売っている店を見つけたので入ると店員さんに声を掛けられた。

「このゲーム、教えましょうか?」と言っているらしい。会話能力がないのでこれはちょっと難しいぞと思ったのだが、もう流れはレクチャータイムに入っていた。

最初にめくって前に出された2 枚のカードに絵がそれぞれ5つぐらい書いてある。幼稚園の受験の時に受けたのに似ていてサボテンだけが共通したイラストだった。

が、その先の店員さんの英語がわからないのだ。

ビッグと言っていて、サボテンの大きさが違うということを言っているのかしら。

うーん、うーん、うーん。

あれ。私はナゾナゾやゲームやクイズなんて大嫌いだったはずじゃないのか。

目の前の東洋人が英語が苦手だと察知した店員さんは、「OK!」と言ったあとに機転をきかせて言葉使いをもっと優しくしてくれたのだが、もう私の方がやる気がなくなっていた。

「sorry,thank you.sorry…」

ごめんなさい。

日本語でもナゾナゾは答えられないんです。

店員さんは私に説明が出来なかったこと自体にガッカリしたみたいで、頭を抱えていたので申し訳ないことをしてしまった。こんなに真面目に接してくれるだな んて思いもしなかった。だって、こっちに来てから度々英語が理解出来ずに困ることはあったが、親切に付き合ってくれる人は居なかったし、途中でイラっ とされて急に話がまとまったり了解してもらったりで適当にあしらわれていたからだ。

ごめんね、店員さん。あなたはおもてなしの心がある人だったわ。ありがとう。

ホテルに戻って朝ごはんを食べたら今日は市内交通のパスを使って、出掛けてみよう。食べたら早速また昼寝をして、起きたら出掛けることにした。

行き先を特に決めずに来た乗り物に乗る。まず最初に乗ったのがミュニメトロと呼ばれている路面電車。可愛いレトロな風貌で各国から集められたものなのだそうだ。そういえば色や形も統一されていない。去年訪れたミラノを走っていた路面電車も サンフランシスコに来ているらしいので、乗れたらいいなぁ。

適当に降りて次はミュニバスというバスに乗る。こちらに来てから、日本では ほとんど見掛けないぐらいのすごく太った女性をよく見掛ける。移動するのもしんどそうなのに、手には甘いシェイクを持っていたり座るとクッキーを鞄から出 して食べていたりする。うーん、どうなんだろう。

乗ったバスは中華街を走るバスだったようで、思ったより長く中華街の中を走っていた。旅行者が多いのと暮らしている人種もさまざまなので、日本人でも全く浮かない。ネイティブだと思われて話し掛けられてあたふたするぐらい溶け込んでいるみたいだ。

信号待ちで「生猛泳海鮮」という看板があった。

めっちゃ元気に泳いでいる海鮮。

”めっちゃ美味しそう!”

と、人は言うのだろうが

私の場合想像力が変な方向へ行ってしまい、食べ物でなくどう猛な魚に思えてきてしまうのだ。

その下には「生猛家禽項鶏」とある。

”めっちゃ美味しそう!”

とは思えず・・・。

ものすごくグロテスクな鶏に追いかけられるという図が頭に浮かんで、更に食欲がなくなってきてしまった。

いきなりそんな想像が出来るだなんて・・・。中国語の方がまだ理解が出来るんだなぁと、半年ぐらい英単語を頑張って勉強した身としてはちょっと複雑だった。

バスを乗り継いで最終的にはケーブルカー乗り場に着いたのでケーブルカーで戻って来ることにした。少し前にテレビで終着駅に着いたらケーブルカーは人力で 向きを変えることを紹介していたが、間近でそれを見ることが出来た。肩で係の男性がうんしょとサンドバッグみたいなものを押すと回転式の床が回って向き が反対向きに変わる。バスやメトロと違って乗客はみんな旅行者だ。

ホテルに戻る前に近くのバーガーショップでシェイクを注文した。

ホイップクリームは入れるの?という言葉はわかったぞ。やった。

しかし受け取ったシェイクはイチゴ味ではなかった。

これ?何味?

最後まで飲んだ頃になってようやく、多分クッキークリーム系の味だとわかった。

「ストロベリー」は通じなかった。

だが、だからといってなぜそれがクッキークリームに聞こえるのか。

ようわからんのである。

部屋に帰ったら昼間食べきれなかったいなり寿司を食べた。

物価は高めの印象。いなり寿司3 個で400 円強。

味は美味しかったのでマルとしよう。


投稿日:2013年05月01日

2013年05月01日

夕方、成田発の飛行機でサンフランシスコへ向かう。

今日は一日が長いのだ。飛行機が離陸する頃に成田は日が暮れて暗くなりかけていたというのに、今から9時間半も飛行機に乗って向こうに着いたら日付は今日の朝に戻っている。

一日が得した気分。そして逆に帰りは一日がいつの間にか過ぎているという浦島太郎にもなるのである。

隣りの席にはママと飛行機に乗っている男の子が座っている。

チビくんはさっきから私のことを恨んでいる。

だって、大好きな飛行機にせっかく乗ったのに、私の席が窓側だったからだ。

「ウゥーンッ!」

「ムゥ・・」

外が見たかったんだよね。

でも気づいた時はもう席をかわってあげられる状況じゃなくなっていたんです。

コワイです。

そんなに睨んできて・・・。

チビくんのママはフレンドリーで、機内サービスのジュースを手渡しをしてくれたりする。アメリカに帰るのかなぁ。日本に旅行に来ていたのかな?チビくんは相変わらず心を開いてはくれないが、ママには英語で何度か話しかけられた。

飛行機に乗っている時間はとても窮屈な時間だ。

家に居る時にだってず〜っと椅子に座っているのに、飛行機での移動の椅子の上となるとなんでこんなにも違うんだろう。普段枕が変わってもなんなく寝られる性質なのだが、飛行機内ではどうも眠る事が出来ない。うつらうつらするのが限界で、身体も頭も疲れてしまうのだが、隣りのチビくんも同じ様子。こんなに小さいのに、やっぱり飛行機の座席はキツいらしい。ママの方にもたれかかったり、向きを変えてみたりといろいろ工夫していたが、すっぽり収まるいい形は見つからなかったようで、苦戦していた。

が、そこはやっぱり子供。

眠たさの方がいよいよ勝って来た頃には私に頭をあずけ、またあるときは私の膝に両足を乗せる程無防備になっていた。

こうして長い飛行機での時間を過ごし・・・。


サンフランシスコ空港に到着。

最初に入国審査を受けるのだが、機内で渡された入国審査用の記入用紙に書く為のボールペンがなくてまず困った。

ボールペンって必要なのね。

前は持っていたんだったっけ。

前に並んでいた日本人の親子に頼んでボールペンを貸してもらったが、周りを見渡してもボールペンを持っていないことで困っている人は私以外はいなかった。持ち物を軽くしようとしたらこうして困ることが起こるので、普段私の鞄の中にはあれやこれや入っているのだが・・・。

サンフランシスコ空港からはBartという電車に乗ってホテルのあるパウエル駅まで自力で移動をする。

ゴールデンウィークということもあってか日本人が多い。しかも私のように旅慣れていない人が割と居るようで、あちらこちらで日本語が聞こえてくるので、ちょびっとホっとする。何かあった時はおたがいタスケアイマショウ!

サンフランシスコ空港からBartに乗ると、早速景色が広い感じがした。

それから少し埃っぽい。

たまたまアスファルトがあまり敷かれていないエリアに目をやったせいかもしれない。

それにとっても眠い。

午前中の清々しい時間帯にもかかわらず、久しぶりに次の日の昼までレコーディングをしていた頃のあの疲労感がドっと押し寄せてきた。はやく、はやく、ホテルのベッドで眠りたいデス。

そうして。

Bartに揺られて約30分、無事ホテルにチェックイン。

とっても疲れていたので、顔も洗わず飲み物を近くに買いに行ったあとすぐにベッドで横になる。

<コンコン、コンコン>

ガチャ。

ドアが外から開けられたがチェーンを掛けていたので、誰かは知らないが帰って行った。

ベッドメイクの人が部屋を掃除をする間違えたんだろう。

しばらくすると、また

<コンコン、コンコン>

と、ノックをしてドアを開けようとする人がいる。

チェーンが掛かっていたのでこの時も人は入っては来なかったが、一体誰だろう?と思ってドアを開けに出たら・・・・。

そこには屈強そうな大柄な黒人男性が立っていたのだった。

ポリスなのか何かの制服を着用し、手には武器。

武器を見せながら、何かを話しながら部屋の扉の前に立ちふさがってしまったのだった。

何が起こっているのかはわからなかったが、武器を持った大きな男性に目の前まで来られたらもう私にはどうすることも出来ないだろう。一瞬のうちに”何かが起こっても、もう逃げることは出来ないんだ”とあきらめ気分に覆われたのだった。

英語で武器を持ったポリスマンみたいな人が何かを言っている。

よくわからないんです。その早口の英語が・・・。

でかい男性は、武器を見せ部屋の鍵を指さすのだった。

<ヘヤノ、カギノ、シュウリニキマシター>

へっ!?

武器に見えたそれはドライバーだった。

へっ!?鍵を直しに?ですか?

そんなことは聞いていなかったので、びっくりしつつも一瞬「これまでか・・・」と思っただけに、ホっとした。

男性はしばらくの間、部屋の鍵の修理をしてそうしてまた出て行ったのだった。

この部屋はその後も、ノックをしては部屋を開けようとする人が居たが、もう眠い方が勝っていたのでそのまま気づけば夜まで眠っていた。

夕飯はホテル近くのファストフードピザ。何かお腹に入れるだけでいいやと思ってあてにしていなかったらとても美味しかった。街は観光地の色が強くて夜も観光客で賑わっている。


スーパーが近くにあれば行ってみたいな。

でも深追いせずに今日はまた寝よう。

明日はバスに乗ったりケーブルカーに乗ったりしてみたい。