投稿日:2007年02月25日

2007年02月25日

ただいま。
一日、家を空けていたせいか、めずらしく、いつもは熟睡中のイタチのゴン太が起きてきてくれた。
あらあら、お迎えしてくれるのかい。
いいこだね。嬉しいよ。
というか、
起きれるんじゃん。
奥のドアを開けると、やはり。
犬の糞だらけであった。
ダンボは一日に多い時で、6回もウンチをする。一日一回の決められた量のエサしかあげていないのに、どうしてこんなにお通じがいいのかと思うが、今日も帰ったらトイレ付近に5箇所に糞がしてあって、まずそれを片付ける。
ごめんよ、する場所がもうなかったのか。
ダンボも寂しかったんだろう。よく、帰っても暖房をつけるまで知らんぷりをして布団の中から出て来ないことがあるが、今日はダンボも歓迎してくれた。私はいつも2匹を可愛がっているつもりだが、動物には無視をされる傾向にあるのだ。
2匹共が「おかえり」とやって来てくれた。
今日はダンボの誕生日。
ダンボは4歳になった。
「ダンボちゃん、おたんじょうびおめでとう」
ゴンちゃんにも話してみた。
「今日はダンボのおたんじょうびなんだよ」
2匹共、反応なし。
どうでもいいよね。
CD棚には亡くなったチビ太のお骨。
3匹と暮らすことで、”無防備な心”でいられる時間をたくさんもらった。
心を開け放つと、嬉しいとか悲しいとか寂しいとかが、ものすごく直に肌に来る。
人間の大人同士が、なかなか無防備な関係になれないのは、「悲しい」や「寂しい」がどれだけ悲しいことか、どれだけ寂しいことかを知っているから、だから何かあってもあまり悲しくならないように、あまり寂しくならないようにと、自分に”ガワ”を着せて行ってしまうからなんだろう。
どっちがいいのかな。
嬉しいをたくさん感じられるのと。
悲しいや寂しいを少なくするのと。
ダンボちゃん、おめでとう。
いや、「いつもありがとう」の方がわかりやすいかな。”ありがとう”は、オヤツがもらえる言葉だと、ダンボは思っている。
狭い一角にイタチと犬と私が集まって。
嬉しい時は、とびきり嬉しい。
動物との暮らしは、それを教えてくれた。


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