投稿日:2009年08月02日

2009年08月02日

「あっ」
近くのバス停から「すぎまる」バスに乗った時に、私はそんな顔をした。
うー。
今日はハズレ。
だって、運転手さんが「板東さん」だからだ。
「板東さん」は、本当の名前は板東さんではないのだが、板東英二にソックリなので、私は心の中で板東さんと呼んでいるのだ。何度かこの人のバスに乗ったが、板東さんはとても変わっている。いや、面倒臭い人なので、今では板東さんのバスは「はずれ」だと思うようになったのだった。
「ああっ、もうっ」と、運転中に度々声を上げ、車内がシンと静かになったこともある。対向車にだけでなく、すれ違う、同じ「すぎまる」バスに対しても「これじゃぁ、通れないよ」と、放棄してバスを止めてしまったり。一度は突然「今何か、当たった!」と叫んでバスを止めたこともあった。
この人のバスに乗ると、ヒヤヒヤするのだ。
”これじゃぁ、運転出来ないよ”と拗ねるのを、車内で”そんなこと言わずに頑張って下さいよ”と、心の中で応援せねばならない。
なぜなら、バスをしょっちゅう止めるので、所要時間からどんどん遅れてしまうからなのだ。
この拗ね具合いが、非常に父と似ているので、私にとっては重いのであった。
板東さんのバスに乗ると私はお祈りをする。
<板東さんが拗ねませんように>
普通の時間に駅に着きたい。
そこにまた、向こうからやって来る「すぎまる」バスを発見。
この道は確かに狭いので、コミュニティバスの行き交いはちょこっと譲り合わないといけない。板東さんはその辺りがイジワルで、あんまり人に譲る精神がない。
が、
今日は対向車の「すぎまる」のバスの運転手さんが、板東さんの仲のいい友達だった様子。あっちのバスの運転手さんが「ようっ」といった風に笑って挨拶をしていた。そして2台のバスは軽快にすれ違ったのだった。
ほっとした。
ありがとう、お友達。
というか、
やればできるやん!
板東さんのバスに乗ると、行き道早々に疲れる。
ここの道路の渋滞は板東さんの匙加減ひとつに掛かっている。
今日は板東さんの機嫌もよく、鎌倉街道はスムーズな車の流れとなった。


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