はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2007年03月29日

2007年03月29日

今日は種さんと下北で待ち合わせをして、ご飯を食べに行った。
種さんとは、メールやライブを見せてもらったりというお付き合いをさせていただいているが、ゆっくり二人で会うのは初めてなのだ。
一軒目、まさかの休み。年中無休ということをしっかり調べておいて下さった種さんだったが、ご自身曰く「行ったお店が何らかの理由で入れないケースが、何故か頻繁にある」のだそうだ。あははと笑っていたが、前に5軒入れなかったということを聞いて、ちょっとビビったのだ。
二軒目、和食の店はやっていた。ランチを食べつつ、そこでは一番最近のレコーディングの話や音楽の話をする。種さんは果敢に物作りにトライをし続けている人なので、そこの部分でも大変尊敬をしている。ホームレコーディングもとても早い時期に始められていたし、当時の作品の中ジャケットの写真なんかはよく「何が写っているのか」と、ジィ〜っと見ていたのだ。
もう一軒、そのあとで一緒にお茶をした。
「オリーブの小さいこれぐらいのを最近見つけたんですよ!」
「そうなの?」
「やっぱり小さいヤツを大きく育てたいんですよね。」
「わかるわかる」
「長年探してて・・。でも隣りにデッカイのが売ってて」
「じゃ、それ挿し木だわ」
「やっぱ、そうですかー290円、安いと思ったんですけど」
「ホントはタダなのにね」
種さんとは突っ込んだガーデニング話が出来る。こんな会話が出来る人は同業者ではあまり居ない。遠慮なく園芸の喜びが語れるのは嬉しいのだ。今日はトウモロコシや枝豆栽培についての知識を教えてもらった。
12時に待ち合わせをして、気付けば5時半になっていた。子供が居ない私は春休みのお留守番の子供のキモチにまで、頭が回っていなかった。
いつもは練習のためだけに来る下北の街。一人で来るから笑いながら歩くなんてことはない。
若者達に紛れて駅までの道を並んで歩けば、ステージで見るより、うんと華奢で小柄な種さんだった。


投稿日:2007年03月28日

2007年03月28日

携帯に電話を掛けて留守電だった時。
イコール、自分の弱点が露呈する時なのだ。
融通がきかない、切り替えが遅い。ここは自分でも直したいと思っているところなのだが、携帯の留守電と向き合った時に、この弱点をバーンと目の前に叩きつけられる感じがするのであった。
「20秒以内に・・・」の応答メッセージが流れて来ると、とてもあせる。
急に試験をされているみたいな気分になり、慌ててモードをかえて頑張るが追い付かず失格、再度20秒試験を受けに行くということが多い。
「3分以内に・・・」という応答メッセージの場合、軽いご挨拶をしているうちに本題に行くのが遅れ、またまさかの途中切れとなる。
20秒以内に収めることだけに頭が行ってしまう時もある。ただの早口言葉で「えっと、また電話します!」だけ入れてガチャンと切り、”セーフ”と胸をなでおろすが、その20秒を有効に使ったかと言えば使えていない。
だいたい電話は苦手なのだ。高校生の頃、毎日学校でさんざんしゃべった友だちと、家に帰って来て更になんであんなにしゃべることが出来たのかが思い出せない。
携帯の電波が体に悪いということが一時よく問題にされていたが、最近聞かなくなった。あれはどうなったんだろう。
留守電は私の体には悪い。
電話をして留守だった時、私の血圧はちょっと高くなっている。メッセージを入れても入れなかったとしても、電話を切ったあとはぜいぜいと息が上がっているのである。


投稿日:2007年03月27日

2007年03月27日

ドラリオン日本公演に行った。
シルク・ド・ソレイユを観たのはアレグリアが最初、もう10年以上前のことになるのではないだろうか。
シルク・ド・ソレイユの名前を知ったのは、サルティンバンコ公演の時だ。当時テレビCMでさかんにやっていたが、それまで聞いたことのなかった長いカタカナの単語が、急にテレビでバンバン流れ、それに加えて「サルティンバンコ」という言葉も意味がわからない。当時の私には”ただ奇をてらったタイトル”としか映らず、派手な仮装をしている人達が出ている奇妙なショウなんだなという感じしかなかったのだった。
ものすごく大仕掛けなショウなのだが、観終わったらショウ自体に感動をするだけでなく、「人間の力ってすごい!」と思うのと同時に、自分にも出来ることがまだたくさんきっとあるんだという明るい気持ちをもらうのだ。
春休みなので、今日は子供達が多かった。演目の中には今日も軟体動物のようなグニャグニャに体の柔らかい少女の芸があって、私はその素晴らしい芸に感動をしつつも、「あんなことをして腸が捻れたりしないのかしら」「骨の仕組みはどうなっているのか」という方向に頭が行っていたが、子供達は純粋に感動のあとに憧れるんだろう。
”あのお姉ちゃんみたいになりたい!”
横に座るお母さんさえ知らない決心をした子供と、私は今日一緒にこの空気を吸ったのかもしれない。
大人達だって、過去のいろいろな場面で「決心」をした景色をそれぞれが持っている。
それは人生における永遠の景色だ。
もういくら憧れても、自分は軟体動物にはなれない。
でも私も夢がいっぱい広がってワクワクしたよ。
叶えられるように、頑張りたいね。
最近はジャンル問わずいろいろな作品が観たいと思う。あまり感動しなかったものについては、何が理由だったのかと考えるし、いろいろ観ればそこがまた面白くなってくる。
シルク・ド・ソレイユは幾つになっても夢を与えてくれる、尊敬する集団だ。


投稿日:2007年03月26日

2007年03月26日

今日も譜面を書いている。
私は講師の試験でも、筆記で落ちた。受かった時も、点数は確かギリギリだったので、当てずっぽうで書いた答えが運良く正解だったという感じだったのだ。これは運転免許の試験をやはりまぐれで受かった時と同じで、今マニュアル車が運転出来ないのと同様、人に渡す譜面書きはかなり緊張をしている。
だが、自分のことは棚に上げるとして、ものすごく上手いミュージシャンの譜面を見たら、私でも「あれっ?」と思うことがあったりするのだ。
これって何て書いてあるんだろう・・・。ミミズ文字のような音符が書いてあったり、「本当にこのまま演奏していいの?」と、不安になる位コードネームがアバウトなものがあったり、構成が無茶苦茶なものもある。
あのひとが・・・・。
しかし、ガッカリするというよりも、アンバランスな一面を知った親近感が沸く。譜面の書き直しは困るが、どこか自分の中にあった緊張感が、少しほどけてくれるのだ。
また、その人その人のクセみたいなものもあって、何度かやり取りをした人だと、その人の譜面はレイアウトが似ていてパっと見ればわかるようにもなってくる。私も何度か人に「みきちゃんの譜面だとすぐわかる」と言われたことがあるので、何か他人に映る私の譜面グセというのがあるのだろう。
一つだけ統一しているのは、「イントロ」や「A」「サビ」など、ムードが変わる個所は左端に来るようにはしている。イントロが7小節の場合なら、一段目を4小節にして2段目を3小節、4小節目はバツをつけて空けておいて、次の段の頭から「A」を書き出す。そうした方が自分が間違える確率が少し低くなるので、そうしている。
9小節の時は一段目が4小節、で二段目が5小節。
4等分が一番座りがいいので、5等分になるとこれがまた不器用が出ていびつな5等分になるのだ。
あら、また失敗した。
修正液チームは、相変わらずマイペース。いい調子で出てくれる時もあるが、「今はなんだかヤル気にならないの」と、突然謎の休憩を勝手にしたりしている。
毎日書いている割には腕が上がらず。
修正液要らずの達人には、ほど遠いのであった。


投稿日:2007年03月25日

2007年03月25日

雨。
3月の雨は冷たい雨。
止まないかな。
カーテンを時折り開けて外を眺める。
いいよ。
今日は一日降っていても。
灰色が家の周りを包んでいる。
桜がもうすぐ咲くから。
どうぞ今のうちに降っておいてよ。
コーヒーの湯気があたたかくのぼっては消える。
灰色は時間をゆっくり進ませる。
部屋の中で、ヒーターの音と、ペンのカリカリ言う音が広がっていた静か過ぎるぐらいの日曜日だった。


投稿日:2007年03月24日

2007年03月24日

今日は舞浜の某ホテルでの結婚式に出席した。
結婚式に出席をするのは、何回目になるだろう。ブライダルのエレクトーン演奏の仕事をしていた頃もあったので、その場に参加をしたことも含めたら結構な回数になるのではないだろうか。
むかーしむかしは私も、新婦のウエディング姿を見て”そのうちにあそこに座るんだわ”と、自分が新婦の席に座っている所を思い浮かべたりしたものだ。”袖ん所はパフスリーブが可愛い”だとか、”裾はフワッと広がってるのもいいけれど、ストンとシンプルなのも迷うところ”などと、一生に一度のウエディングドレスなのだから・・・と、欲張りな心ではちきれそうだったのだ。
それが・・・。
ある頃からもうウエディングドレスを着ている自分が想像出来なくなった。もう今私があれを着れば結婚式でなく仮装大会だなと冷静に考えるようになり、あんなに欲張って頭の中でドレスのデザインにシビアになっていた自分は、今やすっかり消えてしまったのである。
いろいろと条件が複雑になり、頭でっかちになり過ぎて現在に至っているのだが、あとよく考えてみたら私は自分の新婦姿を想像したことは何度もあったのだが、隣りに座る新郎について想像したことがなかった。
それでも花嫁のブーケを取りに行っている。
そして今日も取れなかった。
だが何故だか知らないが、結婚式の時の余興のゲームはいつも強い。福引きでは当たったことがないのに、ジャンケンゲームで最後まで勝ち残ったり、賞品を当てては壇上に立って目立っているのだ。
結婚式。
花嫁姿の新婦さんを、叔母のような眼差しで眺めるようになっている。そして今日も早押しゲームで4等になり、掃除機をもらって帰った。
やった。嫁入り道具がいっこ増えたのだ。
これでいいのか。と思いながら、家で掃除機を幸せな気分で組み立てている私なのであった。


投稿日:2007年03月23日

2007年03月23日

今来てもらっているヘルパーさんはとても料理が上手なのだ。同じ冷蔵庫の中にあるものでも、Yさんと私とでは冷蔵庫の中の物の見方が違う。「思いつく」レベルが違うのだ。出来上がった物を見ると、それがあきらかにわかる。
Yさんは現在の福祉関係の仕事に就く前は、新宿で昼はランチの店で洋食を、そして夜は小料理屋のママとして和食を作っていて、料理は小学生の頃に既に好きでお弁当も自分で作っていたのだそうだ。
「美味しいですね・・・」
味だけじゃなく、後味にあったかいものが残る。辞められた店にも多分常連のお客さんがいたことだろう。
私は食に関して「美味しい」と思うことはあっても、また食べたいなという欲はあまり沸かない方だ。それがYさんの作ってくれる食事は、また食べたくなる気持ちにさせる。もう一回食べたくなる料理なのだ。
捨てるのを忘れて残っていたシワシワの白菜が、パスタの材料となって料理となって生き返る。他にも中にあるのに見えていない調味料や食材が意外にあることを、Yさんが作ってくれる料理を目にして、あらためて思い出したりする。
女性の多くは、自分の家の冷蔵庫の中を見られるのを厭がる。私もやはり冷蔵庫の中は、他人に見られるのはとても恥ずかしい。だが、普段密閉された秘密の箱は思い切って料理上手な人に預けてしまう日があってもいいかもしれない。
冷蔵庫の中に、新鮮な風が吹いて行く。
ピチっと閉めることが大事だと思ってきたが、冷蔵庫も、風通しのいい方がいいのだ。
他の物も、風が通った後の景色が好き。
思っているよりも多くの宝物が入っていることに、私のように気づく人がきっと他にも居るだろう。


投稿日:2007年03月22日

2007年03月22日

この所、毎日西川さんのライブ用の譜面を書いている。
いつ終わるんだろう。思ったより時間がかかっているので、ちょびっとあせっているのだ。
ここは2分音符。
今のは符点2分。
これって高い「ド」でよかったっけ。
音を聴きながら譜面に音符を書いて行くのだが、途中で「ダラリラリリララン!」と、大阪弁の巻き舌みたいなフレーズが出て来たりすると、「あーー!」と叫びたくなるのだ。
「ダラリラリリラララン!」
って・・・。今のは何拍分になるんだろう。
いち、に、さん、し。
1拍目が休みで・・・。
次が「ダラリラ」。
で、その次が「リリララ」
「ラン」。
最後の「ラン」は4分音符なのか。
8分音符で8分休符にするのか。
むむむむ・・・・わからん。
わからんけど、8分音符で8分休符っぽい。
そうしておこう!
今のはEm。
で、Amか・・。
いや、Am7か。
・・・・・これってどっち。
Amにしておこう!
「ダラランドロロンドンコドコン!」
えーっ、またーーーー?!
「ラリリリリリララリン」
えっと・・・。32分音符の6連符に16分が4つ。
って・・・。合ってるのかな。これで。
自信ガ、アリマセン。
あと何曲残っていたっけ・・・。
家庭教師が欲しい。譜面を書きながら、私は勉強の出来ない子供の気分を何度も味わっている。
そんな私が今一番ストレスに感じていること、それは修正液チームと私があまりいいタッグを組めていないということだ。ただいま修正テープと修正ペンを使っているのだが、このどちら共が私には呑気な気がしてならないのだ。テープは持久力がなく、疲れて来ると3割ぐらいの確率でビーっと引っ張っても動かなくなる。
「あれ、どうしたの。今まで使えていたのに」
裏返して調べてみたり、下敷きを厚めにしたりとあれこれやってみるが、変化なし。ビーっ、ビーっ、と何度もビロンビロンやっているとまた何かのきっかけで動き出す。
「あーーー」
今度は一気に消さなくていい方まで、ビローン。
安定した使い勝手を求めて極細ペンタイプにしたら、今度は出が悪い時があって、同じ場所でグリグリやっているうちに紙がよれてくる。
テープくんは休憩を自分で決め、ペンさんは寝起きが悪い。あまり一生懸命な感じがしないので困っているのだ。
ビローン、ビリッ。
ビローン、ビリッ。
譜面書きは算数や工作、苦手なジャンルが入って来るので、あまり好きじゃない科目なのである。


投稿日:2007年03月21日

2007年03月21日

今日はミュージカルを観に行った。
少し前に友人と待ち合わせをして、お茶を飲んでいた時のこと。
「みきちゃんだったら、どうしたかなと思うことがあって・・・」
「何、何、何ですかぁ〜」
「パスモって知ってる?」
東京ではパスモカードといって、それで電車や地下鉄、バスも乗れるカードがつい先日発売をされて、都内の至るところで盛んに宣伝をしているのだ。
彼女はそれを買ったが、たまたままだパスモが使えないタイプのバスに乗ったのだった。だが、日本語がわからない外国人扱いをされた挙げ句、何の説明もないどころかひどく横柄な態度で”そんなものは使えない”の一点張りで、質問にも答えてもらえなかったらしい。
「あれだけ宣伝しているから買ったのに・・・」
そりゃそうだ。あれだけ宣伝しているんだから、使えない車両に乗る運転手さんは、やはり面倒でも「いやぁ、この車両はちょっとまだご利用いただけないんですよ。すみませんね〜」位は答えたっていいんじゃないのか。そういう所で”そんなことは、わしゃ知らん!”と不貞腐れるのは、いかにも自分の父しげおっちっぽい。
「私なら、車両の中にある運転手さんのネームプレートをまず読みますね!」「そして、本人に宣言した後バス会社に電話しますね!」
あははと二人で笑っていたが・・・。
その後に、今日は自分に不幸が襲いかかってきたのであった。
それは劇場の公演の途中休憩でことだった。今のうちにトイレに行こうと矢印に沿って進むと・・・。ガッカリ。トイレは階段を下りた所。近くにエスカレーターなし。どうしよう・・・・と一瞬立ち止まったが、今日は「ここまで来たんだから行こう」と思い、階段を下りて行ったのだった。
街やデパート、自分は障害者用のトイレを使う割合が高い。場所によっては汚れていて困ったなと思うこともあるが、それでも私にはこちらの方が助かることが多いのだ。
今日もそちらがあるのを知って入ろうとしたら・・・。
「今、階段を一人で下りて来られましたよね。だったら普通のトイレを使って下さい」
会場整理の女性に指示された。
足を指さされて、ちょっとカチンときた。
もう一度指をさされた。
「今一人で下りて来られましたよね。下りられるのを見ていました。階段を下りられたのなら普通のトイレを使って下さい。」
トイレは空いていた。
これは彼女の判断なのか劇場の判断なのか。
ようわからん。階段を一人で下りられたら障害者用のトイレを使っちゃいけないだなんて。初めて言われた。
杖や足に指、さすな。
<どうします?>
<今は言う時でしょう>
<えぇ!?マジですか>
<さぁ、頑張って言ってごらん!>
はふ〜〜っ。
<了解、行きましょう!>
無敵モードになる時、私はその直前でいつもためらうのだ。基本は丸腰。ヤフーオークションではどんなに失礼な出品者に出会っても、「大変よい」評価をつけ、ケンカだって一度もしたことがないのだ。
言うのは疲れる。
障害者トイレが設置されている場所であるなら、認識不足というかちょっと勉強不足。障害者トイレについて、利用者をあなたもしくは劇場がこういう基準で判断する行為は間違っていると、今日は「間違っている」という強い言葉をあえて口にした。
茹でダコみたいになって怒りをあらわにしたのは久しぶりだ。
無敵の私は彼女の前で大魔人となり、そうして階段を上がったらおしっこを漏らしそうな顔で、友人の姿を心細くなって探したのであった。
<本当は言いたくなんかなかったもん。ぷん!>
私の中のいじけた子供が飛び跳ねる。
しゃーないやんか。
もう一人の自分が肩を叩く。
言ってスッキリしたことなんて、一度もない。
怒りんぼだが、怒るのは本当はあまり好きじゃないのである。


投稿日:2007年03月20日

2007年03月20日

朝起きてパソコンを開くと、母の日&父の日ギフト承りますというメールが届いていた。
え!
寝起きのまだ頭が回っていない時にこういう文章を目にすると、”今日って何月のどれぐらいの時期なのか”と時を見失う。
ギョっとしてカレンダーを見る。
「何月」
3月。
「・・・の、いつ」
20日。
・・・・・・・。
”よかった。”
そこでようやく一人部屋でホっと肩を撫でおろす。驚かさないでよ。まだ春休みに入ったばかりだというのに。
こういう類のメールは、ビックリ箱メールと呼ぼう。季節フライング気味の単語が含まれているとNG。そうやって振り分ける機能が出たら早速私は使うのだ。
先日はもう鯉のぼりが売っていた。そこでも足が止まったが、「鯉のぼりかぁ」と、目を細めるのではない。やはり、「今、一体何月何日ごろだったっけ」と一瞬考えるのである。ちょっとうんざり。自分もせっかちだが、私のせっかちは今日の中でのせっかちであって、季節は常に今をもっと楽しみたい。
今年もこうして鯉のぼりの頃には、お中元フェアのお知らせにギョっとして、セミがミンミン鳴いている中で「秋の新作」のブーツをショーウィンドーで見て、9月になればカボチャのお化けに囲まれそのまま「おせちの予約承り中」で終わるのだ。
こんなもんでしょう、でいいのか。
気にしない、だけで本当にいいのか。
微妙に時間軸を狂わされて、そのちょっとずつが長年溜まっていき、それでそのうちみんな病気になったりはしないのか。
バス通りのクリスマスイルミネーションの家は、まだチカチカとサンタさんが輝いている。
「もうウチは、関係ないし」
一年を捨てた感じが、妙に凛として見えて来たのであった。