はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2015年03月16日

2015年03月16日

外来日。

一昨日ぐらいから寒気がしたり、頭痛がしたり、ちょっと体調が悪いなぁと思って出た血液検査の結果。白血球数が1.3まで下がっていた。血小板数が減りが早くなってので前回から1.5倍の輸血をしてもらったが、こちらも0.6。血液の赤ちゃんを作る網赤血球数は0.5。白血球は2台をずっと保っていたのでどうして下がったのか。またどこかが悪くなったのかなぁと考える。

筋無力症についてはそれに対して今は寛解状態、10数年前何をやってもダメだったのが不思議に悪さをしなくなった。

1つはよくなったんだから、感謝しなくちゃね。

それにしても、血液検査の数値はかなり悪い。

だって輸血を受けなくてそのまま家に居るだけで一週間で死んでしまう数値だからだ。それが輸血を受けることによって「元気そうに見える」までになる。実際にしんどくない日はしんどくないし、輸血後2日目ぐらいには息切れもしない。

このままなんとか繋げたらいいなと思っていたけれど。

そうは簡単に行かないものなんだなぁ。

だけど筋無力症を診てもらっている神経内科の先生は言っていた。自己免疫疾患は年を取る事でだんだん病気の方が収まってくるケースが割とあるんですよ。あとはお薬が日々めまぐるしく進化しているので、繋ぎながら待ちましょう。と。私はこの先生は割と好きで移動で昨年の4月に担当になってからのおつきあいだが、飄々として、だけど言葉遣いが「負」でない。だから病気のことで気分が沈む時にこの会話を思い出してまた気分を立て直すことが何度かあった。

輸血を終えるともう5時半。

また私は命の続きをもらい、そして家に帰るのだ。


投稿日:2015年03月10日

2015年03月10日

以前から結構気になっている店がある。

タイミングがなくてなかなか入ることが出来ないでいるのだが。

それは「小諸そば」というチェーン店のおそば屋さんだ。

東京都の中心部のいくつかの区にしか店舗はないのだが、中心部にやく100軒のお店があるので、近辺を通るとよく店舗を目にする。

そして、都内には他にも大手チェーン店があるのだが、私の周りでは「小諸そば」の人気が断然高い。

だが、気になったきっかけになったのは私の場合、「そこ」ではなく、看板に書いてある「小諸そば」の文字がどうしても自分には「小諸そば」に見えずにいつしか遠目にそう読める「小諸詣で」という風に頭に焼き付いてしまったということなのだ。

小諸までは読めるのだが、次の文字が「誓で」にも見える。「誓ぢ」か。「鷲で」なのか。うぅうう〜〜む。やっぱりどんなに頑張っても「そば」とは読めないってところがずっと気になっている。

もうちょっとそのことが話題に上がってもよさそうなのだが、残念ながら「あそこが一番うまい」ということだけが耳に入って来る。

看板が気になって、ずーっと気になって・・・。

そんなに美味しいのなら一回行ってみようかと思ってから随分になる。

行ったところで私の気になるところは解消出来ないと思うのだが。

東京に仕事に来る人には是非、「小諸詣で」が美味しいらしいので一度食べに行ってもらいたい。そしてあの看板がどう読めるのかについて、是非意見を伺ってみたいのである。


投稿日:2015年03月07日

2015年03月07日

春が来た。

気がする。

私の部屋の中に。

セントポーリアの花が咲いたからだ。

これ、ただのセントポーリアではなく、私にとってお守りのセントポーリアなのだ。

今から10年以上前、お世話になっているご婦人から挿し葉で増やしたというセントポーリアの芽が出たばかりの赤ちゃん苗を二ついただいた。前の前の家に居た頃の2004年ぐらいのことだ。

「咲くまでにとっても時間がかかるんだけど、咲いたら愛着がわいてね」

そう言っていただいた。どれぐらいで花が咲くのか尋ねたら半年じゃぁまだ無理、8ヶ月ぐらいかしらねぇということで、そんなに長くかかるのかぁと咲くイメージがその時はつかなかった。

外ではなく家の中のいい場所で。だったらやっぱり南側のレースカーテンの側がいいに違いない。窓辺に置いて”そのとき”を待つことにしたのだった。

半年が過ぎ、8ヶ月が過ぎ、葉っぱは立派にたくさん伸びてくれたんだけどな。

花が咲かない。

そして1年が過ぎ・・・新しい家に引っ越す時も花は一度も咲かなかった。

咲かなくても、枯れなかっただけでなんだか愛着がわいていたので、引っ越し先に葉っぱだけのその二鉢も持って行くことにした。

新しい家は窓が多い家だった。が一階で住宅が密集していたので、すごく日当りがいいというわけでなく、一つはキッチンの東の出窓に、もう一つはキッチンの北側に暫定的に置いてみたのだった。

それから2ヶ月経った7月のある日。

東の出窓に置いたセントポーリアがついに花をつけたのを見つけたのだった。苗を頂いてから2年が過ぎていた。もう咲かなくていいや。枯れずにいてくれたら。そう思っていたが、そうして接してきた葉っぱの鉢植えが「ピンクの花だったのかぁ」と答えを見せてくれたことにものすごく興奮した。すごく嬉しかった。北側に置いていた鉢も花をつけた鉢の横に置いたら、その少しあとに花を咲かせてくれ、最初の鉢はその後1年間ずっと花を絶やさず常にたくさん咲かせてくれたのだった。

それから花は休眠をしたり、また花を咲かせてくれたりして、花が咲いている時の私の体調は同じようによかったりと体調が花の咲き具合に同調している気がするようになってからは「お守り」のような存在になっていったのだった。

そうだ、このお守りの花の葉っぱを挿し葉にして、私も誰かにあげよう。

何人かに声をかけて、事務所のY氏が欲しい!と興味を示してくれたので、私がもらった時のように挿し葉から芽が出るのを待って、同じように「咲くまでが長いんだけど、咲いたらすごく愛着がわくから」と渡したのだった。だいたい挿し葉をしてから芽が出るまでに3ヶ月かかる。とても気を長くしないとこの花とはつき合ってはいられない。

Y氏の家でも咲くまでにかなり時間がかかったようだったが、咲いたら写真に撮って送ってくれた。とても嬉しかった。

それから季節問わず、我が家のセントポーリアもよく咲いてくれた。洗い物をしながら視線をちょこっと上に上げると花が咲いていてくれる。「頑張れ頑張れ」と応援してくれているようで、いつも嬉しくなった。なんだか心強くなれた。

ところがある日、一鉢が枯れてしまった。どうも病気になったようで数日の間にだめになってしまったので、一鉢だけが残ることとなった。頻繁に咲いてくれる方もメインの鉢が残ってくれたのが救いだった。

だが2013年にもう一つの鉢も急に枯れてしまったのだ。水をやり過ぎてしまったのか、病気になってしまったのかはわからない。

私のお守りはなくなってしまった。

それに同調するかのように、私の病気も深刻な方へ進んでいった。

昨年の春、Y氏が挿し葉から育てた赤ちゃん苗をくれた。

唯一、私のお守りの生き残りがY氏宅にあったとは。

今は東側の窓がなく、咲かない時期を長く作った南側の窓辺しかないが。

咲いてくれたらいいな。私のお守り。

10ヶ月ぐらいかかったのかな。

咲くとはあまり期待せずにつき合ってきたから。

でも一週間ぐらい前に蕾みを葉っぱの奥で見つけてから、ず〜〜っと楽しみに待っていたんだよ。

お帰りなさい。私のお守りさん。

またお守りさんが帰ってきてくれたから、きっと元気になれる。

春が来た。

私の部屋に。

セントポーリアはそんな花。

少し地味だけど、私にとって愛着のある花だ。


投稿日:2015年03月06日

2015年03月06日

あっという間に3月になってしまった。

ダンボも私も一つ年を取った。身体はお互い万全!とは言えないが、お日様に当たって一緒にほっこりしたり、遊んだり、なんだかんだ言って穏やかな日常を送れているのだと思う。それに少しずつ春の気配も感じるようになってきた。

現状としては、いただいた年賀状の返事をまだ少しずつ書いている次第で、facebookにいただいたバースデーメッセージにも全然お礼を送れていない状態だ。たくさ〜〜んメッセージをいただいたので、まだ時間がかかるだろう。が、こんな時ぐらいしかいつもfacebookで繋がっている人とマンツーマンのやり取りはなかなかないので、時間がかかっても顔を思い出しながら返事を書いていこう。

その中に「ブログによく出て来たお父さんはその後お元気ですか」という文章があった。

ワシの話が大好きなかなり変わったしげおっちは、今は施設で過ごしている。一昨年の夏の心臓破裂から緊急手術、それから一週間後にまたしても心臓破裂を起こし緊急手術をして、私達娘2人はいよいよ「覚悟」をしていたがその後施設に入って、今年の1月に面会に行ったらお世話になっている職員さんから「お父さんね、血液検査を先日もしたんですけど、悪いとこいっこもないそうです。お元気にしてはりますよ」と説明を受けた。87歳、手術の頃からボケ出したしげおっちだがすごい生命力だ。

「この方は誰ですか」

職員さんに尋ねられて、ニコっとしながら「あぁね、この人はワシの妹ですねん」と言うとった。昨年の秋に訪ねた時は、「あんたが誰かワシにはわからんし、娘やと言われてもそんなことあんたが勝手にいうとるだけやろ!」と言っていた。全くの他人から身内になったので、この日はご機嫌だったっけ。

おかしいな。

昔、ワシはもう上手く歩けへんねん。と言って片足をひきずる歩き方をしていた。それは私は東京に帰る日の少し前ぐらいになると確かにびっこをひいていたが、台所に何か物を取りに行く時は普通にスタスタと歩いていたよなぁ。

施設に入って以降、びっこをひいていない。

スタスタと早歩きをしているこの爺さんは本物の父なのか。

部屋に入るとテーブルの上に、箱に入った「涼宮ハルヒ」のフィギュアとその横にもちっこいフィギュアが飾ってあった。

何も尋ねていないにもかかわらず、「こ、これはな。ワシが買うたんちゃうねん。預かってって言われて、ほんで預かっているだけや」としきりに弁解をしていた。

これ以上触れると、性格的に逆切れをするのでその話題が終わるようにしたのだが、どういういきさつでこれが飾ってあるのかは最後まで想像がつかなかった。

みんな、なんだかんだ言いながらもこうして笑って生きている。

もうすぐ春。

生命力に溢れた春。

たくさんのエネルギーをもらって春を喜びたいのだ。


投稿日:2015年02月18日

2015年02月18日

1月23日のB#ライブにお越しくださったみなさまへお願いです。

現在制作中のDVDの中に、「当日、会場で皆さんが撮った写真」を散りばめたいと思い、携帯やデジカメなどで撮影された、開演前・休憩中・終演後の記念撮影的なものをお持ちの方、(関係者の方々は打ち上げの写真を!)是非下記までメールでお送りください。(締め切りは2月末)

info@b-sharp.main.jp

写真はDVDに収録されることをご了承下さい!

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ブログが少し滞りがちですが、元気に過ごしています。
またブログの方もアップしていきます!


投稿日:2015年01月26日

2015年01月26日

B#の同窓会ライブを終えて、無事昨日の夜中に東京の自宅に戻って参りました。

台風で延期になり、23日もまさか大雪にならないよね?とかなり疑い深くなりながら、直前には「そういえばインフルエンザっていう敵もあったわ!」など、ドキドキものだったのですが、無事にメンバー揃ってリハーサルを過ごし、23日本番を迎えることが出来ました。

会場に足を運んで下さったみなさま、あたたかく迎えて下さって本当にありがとうございました。

今まで過ごしてきた時間のどこかのタイミングで私達は出会い、そしてライブで再会が出来たこと、足を運んで下さったみなさんが居なければ出来なかったライブでした。とても幸せで元気をもらった私達でしたが、みなさんからもらった分、ちゃんと何かを返せたかなぁ?興奮から冷めるとそんなことを考えたりしています。

振り返れば去年の1月に「ハチタイ」というイベントに「B#、出てみない?」とピックワンアーティストの宮崎千秋さんからお話を頂いて、まさかのみんなが集まって数曲を演奏出来たことから、メンバー同士「数曲じゃなくてワンマンでライブ、しようよ」という話になって今回のワンマンライブに向けての準備は始動しました。

「ワンマンライブだなんて、そんな無謀なこと、実現するのかしら」なんて弱腰な私にメンバーは「大丈夫!なんとかなるって!」と笑顔で言うんですよ。

「え〜っ、そんな、大丈夫なのぉ?」と、相変わらずへっぴり腰でグズグズしていた私だったのですが、おかげさまでたくさんの方々がB#のワンマンライブを心待ちにして順延になってもなお集まって下さいました。

久しぶりに集まったメンバーはやっぱり「いい奴」達でした。

言葉が足りないかな?距離が近過ぎて^^

みんな元気でいる限り、また集まってB#祭りは続けて行きたいなぁ。

またこれからも未完成な大人の集まりを応援していただけたら嬉しいです。

なんだかよくわからないけれど、明日もやっていけそうな気がする。そんな元気の素を目指して行きたいと思っています。

心より、どうもありがとうございました!


投稿日:2015年01月22日

2015年01月22日

今日はB#メンバー揃ってのリハーサル。

当時のディレクター、渡辺恭子さんからみんなに・・・とギターのムコちゃん宛に数日前に「何か」を送ってもらった。

「みんなで一緒にいる時に開けてね」

というメッセージ。

なんだろう!と届くまで、考えていたのだが、今日ムコちゃんが持ってきてくれたその贈り物はセブンイレブンの「生理用品」などを買った時にくれる紙袋に入っていた。

えぇ〜〜っ。これ、なんだろう。

「アクセサリー」とだけ書いてある。

ますます想像がつかなくなった。

「開けてみるね〜〜〜」

開けるともう一つ紙袋が入っていて、中には「おいけちゃんへ」「みきちゃんへ」とメンバー一人ずつに宛てたブレスレットと手紙が入っていた。お手紙をおいけちゃんが読んでくれた。長い時間が経ったんだなぁということや、スタッフの方々に可愛がってもらったなぁということ、いろんなことが頭に浮かんだ。

ライブ、明日かぁ。

楽しみに待っていてくれる人達が居てくれることも。

体調がこの1ヶ月よくなかった。数日置きに9度台の熱が出て、食欲もなくなって体重は3キロ落ちていた。月曜日の輸血中には熱が出て輸血は一時中止。その後血小板は輸血が出来たのだけれども赤血球は見送りになってしまった。「なんとかなる!」より「どうしよう」が心を占めていたけれど、リハーサルでみんなに会えたらいろんなことが「大丈夫」に変わっていた。

明日の天気は予報では雨。

でも明日のライブは晴れ晴れと。

台風で延期を決めた10月から3ヶ月。

同窓会だよ。

同窓会なんだよ。

私達、何も怖いものがなかった。

そんな時があった。

あの頃みたいに晴れ晴れと行こう。


投稿日:2015年01月01日

2015年01月01日

あけましておめでとうございます。

いつもあたたかい応援をありがとうございます。お正月は少しはゆっくり出来そうですか?普段の疲れを癒して充電してくださいね。

おかげさまで私も無事に新年を迎えることが出来ました。

旅の日記を書き進めたかったのですが・・・・。

12月半ば頃から体調を崩してしまい、そのまま年を越してしまいましたが、日記もまた少しずつ進めて行きますので、遡ってご覧くださいね。

2015年が健やかで穏やかな毎日でありますように!

今年もどうぞよろしくお願い致します。

iTunes storeにて配信中
Music,lyrics,arrangement,programming cho.& all keybords by 吉川みき
立川智也 bass
滝山清貴 drum programming
石井完治 acoustic guitar
辰巳光英 fluegelhorn


投稿日:2014年12月13日

2014年12月13日

今日は日本に帰る日。帰ると言っても実際に到着するのは明日の夕方なので、長~い帰路になりそうなのだ。

飛行機に乗るまで、ここが大事なのでこぼさず行こう!余裕を持って!と、いうことで少し早めにチェックアウトをしてまずは駅まで向かった。

ここまでは大きなトラブルもなくて本当にラッキーだった。まずはドレスデン駅に着いて列車のチケットを買う。チケットを渡された時に、「ここを出て左に行って、左に曲がった所にホームがあるわ」と、今までの旅行で一番親切にホームの場所まで教えてくれたではないか。

2日間しか居なかったが、印象としてドイツ人は日本人の「親切」と似た印象があり、更にそれで似ていると思った。

列車のチケットは乗るつもりだった列車より1時間遅れのものだった。

時間的には乗れたのだが、席がないとかそういう理由だった様子。そしてホームは教えてもらった場所にあったのだが、ホームに上がるエスカレーターがなく、エレベーターはなんと全く別の場所にあったので、ホームにたどり着くまで結局20分ほどかかった。うーん、ヒヤヒヤしてきた。結果1時間遅れの列車でよかったのだ。

旅はこういうことが起きる。

しかし。

ここから先はもう時間のロスは一切出来なくなった。

だってドレスデンで私の乗る予定の列車は11時06分発、そしてプラハ中央駅に着くのは13時27分。プラハ中央駅から30分に1本出ている空港バスは空港までの所要時間が確か30~40分ぐらい。飛行機の搭乗は15時05分から30分まで。

都内の電車移動なら多分大丈夫だが、場所が変わるとわけが違ってくる。

列車に乗ったら景色を楽しむ余裕もすっかりなくなり、プラハ中央駅の空港バス乗り場がどこなのか、チケットの支払い方法の選択肢は何があるのか、あとは空港への正確な所要時間、空港に到着したらどのターミナルに行くのかをiPhoneで調べる時間になってしまったのだった。

もしも飛行機に乗りそびれたら…。

新たに買う飛行機のチケットがまず莫大な出費となる。そして帰国日がズレ、黙って海外に来たことが病院にバレる。いや、それだけでなく血小板が危険レベルに突入してしまうので、チェコの病院を探して急遽輸血を受けることになる。これがまた莫大な出費となり、出費がえらいことになり、そして日本に帰ったら病院ではひんしゅく者としてもう勝手にしたら?ということになるのである。

プラハ中央駅が飛行場に一番近いの?

地図で鉄道と飛行場の関係を確認する。

よしよし。プラハ中央駅で、いいみたい。

間違わないぞ!

と、心の中で叫びながら、プラハ中央駅の一つ手前のプラハなんとか駅で間違えて降りそうになる。一緒に6人掛けの個室で相席だったバックパッカーの女の子が察知をして「ここは、プラハ中央駅じゃないわ」と教えてくれたから助かったものの、危うかったのだ。ううう~。もういっこもミスしたらアカンよ、ほんま。私、頑張りや!

なんとかプラハ中央駅までは来ることが出来た。

次は空港シャトルバス乗り場を目指せ!

列車に乗っている間ずっとプラハ中央駅から空港までの行き方を検索して、だいたい理解したと思う。その勘に従って行ってみたのだが…。

ここ?

ここでいいの?

やや寂れたエリアにバス停がいくつかあるのだが、空港に行くシャトルバス乗り場ですよ!!という分かりやすい案内がない。空港行きと書かれたバス停には空港行きでないバスが停まっていて…。

近くでバス待ちをしている人が居たので聞いてみたら、この空港行きでないバスが出発したら空港行きシャトルバスが来るということだった。いや、それは多分の話。私の英語能力はかなり低レベルになっていて、発する方だけでなく聞き取り能力があかんことになっているため、絶対にここが空港行きシャトルバスの乗り場とは言えない。

13時50分発、空港行き。

所要時間は30~40分。ということは、空港に到着するのがだいたい2時半。うお~~~っ!崖っぷちになってきた。ここでいいのね⁈ここで待っていたら空港に行けるのよね⁈

ところで。

チケット売り場はどこ?

そうなのだ。バス停がいくつかあるのだが、キョロキョロ見回してもチケットを売っている場所が見当たらない。

チケット売り場はどこ。

近くにいた人に聞いたら、二階下のフロアのドレスデンに行くときに鉄道チケットを購入したみどりの窓口みたいな所で購入することを知った。

ダッシュで行かないと、もう間に合わないわ。

チケット、エアポートバス、チケット、ナウ、アイゴートゥ、プリーズ、ハリー、 オ〜!

蒼ざめた顔で精一杯のダッシュでチケットを買い戻ってきたが、体力的にはとってもキツかった。このバスに乗らないとという一心でバス停に間に合うように帰って来たら、少しあとに空港行きシャトルバスがやってきて、無事にバスに乗ることが出来たのだった。

はぁ~っ。これでもう大丈夫だわ。

ホッとしたのだが。

さて、私の降りるところはターミナル1?それともターミナル2?これを間違えたら惜しいところで一発アウトとなってしまう。なんてこと⁈帰り道の余韻など一切なく、スマホでまた検索をすることになったのだった。

そして、ようやく空港に到着。

た、た、助かった~。セーフ!

空港でチェックインが出来たらもう今度こそ大丈夫。今回車椅子サービスをお願いしてあるので、その先にある搭乗口までの手続きや道のりは空港スタッフについてもらえ、間違うことなく飛行機に乗れる。

旅の終わりはこれぐらい慌ただしい方が、感傷に浸ることなく逆に「やったー!」感があってハッピーに帰路につけるのかもしれない。いや、セーフだったからそんなことが言えるのだ。やっぱりこんな崖っぷちなことはしてはいけないと思う。

そして、定刻に飛行機はプラハ空港からドバイへ向けて出発した。

来られて本当によかった。

日本に帰るまであと1日。

元気に帰れたらこんなに素晴らしい旅はない。

飛行機恐怖症で海外旅行なんてとてもじゃないが出来なかった私が、数年前の手術を機に、自分の乗った飛行機が落ちるわけがないという考えに変わった。そして今は自分の身体はきっと元気に成田に帰れるんだと疑うこともなく、そう信じきっているのだった。


投稿日:2014年12月12日

2014年12月12日

ドレスデン2日目。朝起きたらどんよりとした曇り空だった。それでも雨が降るのと降らないのとでは随分違う。昨日はザックリトラムで街を回ったので、今日は歴史地区の旧市街から行ってみよう。

昨日、トラムの乗り方を覚えたので今日は大丈夫。と、思って停留所まで来たらトラムマップをホテルの部屋に忘れてきたことに気がついた。

あれがないと、何番のバスがどこに行くのかなど、さっぱりわからなくなるではないか。

いや、次の駅が大きい駅で案内所もあったはず。一日券を買って早速次の停留所でトラムマップをもらおう。

と、やってきたトラムに乗ったら今度は小銭がなく、一日券が買えなかった。そうだった。さっきホテルの部屋にキーを忘れてしまい、お掃除をしていた女性に部屋を開けてもらってキーを取れた時にチップを渡したことで、用意していたトラム用の小銭がなくなったんだった。

んもう!

何やってんの。私は!

結局モタモタしているうちに次の停留所に着き、降りることにしたが、私は無賃乗車で一駅トラムを乗ってしまったことになる。すぐにトラムの一日券を購入したが、タダ乗りをしたことには違いない。

はふ~っ。

ヒヤヒヤドキドキするようなことは嫌いだ。でも、普段からこういうことばかり。なんぼ注意しても直らないので、脳の「忘れ物をしない」を司るところが多分小さいのだと思うようになった。毎日毎日、とっても気をつけているのに毎日毎日こんなにこぼしてばかりはさすがにおかしい。

昨日は行けなかった旧市街に向かう。ドレスデンは今大規模な工事を街中で進めているらしく、何箇所か広い更地に大きなクレーンが入って作業をしていて、工事が終わったらどうなるのかがちょっと気になった。

2頭が引く馬車が走っていました

馬車を後ろから見た図

旧市街の一画、聖母教会は第二次大戦で焼失してしまったが、1990年代から約10年間をかけて再建がされた教会で、中は撮影は禁止で撮れなかったが薄い水色と金と白で彫刻も美しい素晴らしい建物だった。そこで私は30分近くぼーっと座って過ごした。

聖母教会。中がものすごく美しかったです。

「あら!いやだ!私達を撮っているの?」と明るく近寄ってきた女性達をパチリ

教会を出たら、有名なドレスデン要塞を訪ねる。ここは攻撃から守る為の砦だったので、窓もなく土臭い暗い場所だった。

ドレスデン要塞の中です

旧市街にもクリスマスマーケットが開かれていました

全長100mの壁画「君主の行列」

その後はエルベ川を横目で見ながら歴史地区を散策して、トラムで新市街へ向かう。

旧市街は古い建物が集まっていて、新市街は青山や表参道のようなおしゃれな路面店があるようなところ、だが今の時期は日本でもクリスマスムードで華やかでこの街もヨーロッパのクリスマスはこんな感じ!というマーケットがあちこちで開かれていた。

お洒落なカフェ

コインランドリー

おもちゃ屋さん

画材屋さん

何のお店?

海外旅ではびっくりする程まずいレストランに度々入ってしまったので、今度はトリップアドバイザーとガイドブックのオススメの場所に行こうと、今回はレストランは飛び込みで入るのをやめにした。

夜は旧市街の外れにあるRestaurant brennNessel という野菜中心のレストランでポテトグラタンを食べたらとっても美味しかった。ちゃんと口コミを見て言ったら美味しいものが食べられるのだと今回学んだのだ。

レストラン。外観は地味な感じなのですが満席でした

最後にもう一度一番クリスマスマーケットが華やかだった場所に立ち寄って、ホテルに帰った。

大人達が楽しんだホットワインは飲まなかったけれど、ホットりんごジュースで充分雰囲気も味わえた。陶器のマグカップは飲み終えたあと、返せばカップ代金が返ってくる仕組みだった。

観光を楽しめたのは4日間。ヨーロッパに旅しに来るには短かかったが、やっぱり来れてよかった。

明日は帰る日。

ちょっと緊張してきた。

まずは失敗せずに飛行機に乗ろう。エイエイオー!