はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2014年12月10日

2014年12月10日

プラハ2日目。

朝起きたらツアー会社からメールが届いていた。18時10分に迎えに行くというのはやはり間違い。10時半に迎えに行きますとのことで、急遽バスツアーに出かけることになった。

とは言ってもホテルのお迎えはバスが来てくれたのではない。お兄さんが歩いて来て、お兄さんについて待ち合わせの場所まで歩くという流れだった。お兄さんの早足について行けない。スタスタ歩けないからバスツアーを選んだのだ。バスで迎えに来て欲しかったのだ。

待ち合わせの広場にて

バスは11時に広場にやって来た。私を含めた何人かが最後のお客だったみたいで、私達が乗るとバスは丁度満席となった。

プラハの街はこじんまりしているらしい。この約2時間のバスツアーでひと通りプラハの見所はまわれるのだそうだ。ガイドブックに載っている場所を次々に通っていく。

車窓から/プラハ駅

その後緩いくねった坂道を上ってプラハ城に到着をしたらそこから40分は自由時間ということで、フリータイムとなった。

広場でぼんやりしていると。

ザッザッザッザッ。

衛兵さんの交代式がこれから始まるようです

プラハ城の衛兵さん達の交代時間なのか、列になって歩いて敷地内に入って行くところに居合わせることが出来た。ブラスバンドの音楽の後、儀式が丁度行なわれているのを見られて嬉しかったのだ。

プラハ城は小高い丘の上に建っている。街を見下ろすとレンガ色の屋根が続いていて、だけど遠くの方には高層ビルがポツポツ見えて、あぁ、中世ではないんだなと現実に戻る。

丘から

プラハ城付近を散歩中のわんちゃん、スタンダードプードルかな?

旧市街広場でツアーは終了

バスツアーを終えて旧市街から、カレル橋を目指して歩くことにした。

ユダヤ人地区

カレル橋近くに可愛いお店

アイシングクッキーのお店でした

カレル橋のたもと

ここをくぐると橋です

ここにね〜☆白鳥がたくさんいたんだよぉ〜☆んふ☆ローラ風

iPhone のおかげで道に迷ってもすぐに修正が出来る。ヴァルタバ川沿いに歩いてカレル橋に到着して場所を確認したので行ってみたかったカフェレストランを探してしばらく歩く。

普段の私は特にグルメでもないので、不味くさえなければまぁよし、というレベルなのだがフランス、イタリアに行った際はフラッと入った店が、共に信じられないほど高くて不味かったので、今回はガイドブックとトリップアドバイザーの評価を参考にすることにしたのだ。

いつも満席と言われているカフェスラヴィア。ココを目指してチビチビ歩いては休憩し、またチビチビ歩いては休憩し。お目当てのそのお店を見つけたら丁度窓際の席が空いていたので、ラッキーだった。

カフェスラヴィア。窓側の席が空いていました

ポテトのグラタン風、とても美味しかったです

そこでキウイジュースと素揚げした野菜が周りに添えられたポテトグラタン風の物を注文。するとそれがとっても美味しかった。出来ればケーキまで食べたかったがお腹が一杯になってしまったのでモカを頂いて日が暮れていく景色をボーっとしながら眺めて過ごした。

日がすっかり暮れた5時、店を出たらカレル橋を渡ってみた。橋の欄干にはそれぞれ15体ずつ、合計30体の彫刻がある。途中で引き返してトラムに乗ろうと思ったが、あまりに景色が綺麗なので向こう側に渡ってトラムに乗ることにしたのだった。

再び橋のたもと

橋の上から

渡り切ろうとするところ

渡り切ったところで急にお腹が痛くなってカフェに入る

カフェの前で国際キャッシュカードでお金を下ろそうとして失敗。持ち金わずか。

行きの飛行機の座席の前ポケットに忘れて来た地図やトラム路線図がないのは痛いのだ。iPhoneのページを行き来しながら多分これだろうという番号のトラムに乗ったのだが…。

どうも間違えてしまったらしい。

どんどん帰りの方向から離れて行っているなぁと確信してからは取り敢えず降りてみたのだが…。

ここから何に乗っていいのか、ますますわからなくなってきた。

周りに店も何もない暗い通り。これってちょっとした山道ではないの。

寒いし暗いし…。

とにかくアレに乗ろう。

次にやって来たトラムに乗ることにした。iPhoneの「現在地」がちょっとずつ動いて行く。アナウンスがチェコ語のみなのでまたこれがよくわからず、もたもたしているうちに「現在地」は宿泊しているホテルからどんどん遠ざかって行ったのだった。

誰か。

ヘルプミー。

さっき停留所で一緒にこのトラムに乗り込んだ若い女性に思い切って地図を指差しながら「ここに行きたいんですが」と尋ねてみた。

女性はとても綺麗で、だがどちらかと言うとクールな印象、しまった。尋ねる相手を間違えてしまったかと一瞬後悔をする。彼女は返事をしてくれたがこれがまた流暢なチェコ語で全くさっぱりわからなかった。

あー。

えー。

うーん。

アイ。

チェコ語がわからないと顔で伝えるしかなくなっていると、近くに座っていた年配の女性が彼女に話しかけてしばらく会話をしたあとで、今度は多分なのだが英語で「いいわ、あなたをパラディウムまで案内するわ」と言ってくれたのだった。

えええ〜〜〜っ。うっそぉ〜〜〜ん。

私の英訳は正しいのかしら。

どうなの。

連れて行ってもらえるの?私。

それとも乗り継ぎの空港で航空会社のクルーについて行ったような、あんな間違いをまたするのでしょうか。

iPhone地図でそこから急に猛勉強をする。

今いる居場所はここらへん。

で、次を曲がらなければこっちに行くのか。

てことは、ここがなんとかっていう停留所で、ここには地下鉄の駅がある!

ビンゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

バスの中には英語表記は一つもなかった。

アナウンスも英語でのアナウンスはない。

でも、私、帰れそう!

そして彼女は私に合図をくれて終点で一緒にトラムを降りた。で、多分「ここからサブウェイに乗るの」という説明してくれて、そしてチケットの刻印の仕方を教えてくれて、一緒に地下鉄のホームに立っていてくれたのだった。

チケットの刻印の仕方、そうか。こっち側を差し込むんだったのか。

バスの時には間違えていたこともわかる。

ホームに並んで立って電車を待つ頃には不思議と親しみがわいていた。

「ねぇ、あなたはどこから来たの? 」

「日本からなんですよ。」

彼女の方もそんな風に居てくれた感じがした。

「この国は気に入った? 」

「ええ、とても!景色が綺麗!」

いや、本当は貴女のような親切な人で出会えたことが何よりプラハの旅を特別にしてくれたんですと本当は言いたかった。言葉なんて話せなくてもいいと思って旅に来たが、やっぱり言葉は大事だとしみじみ思った。クールビューティーの彼女はいつの間によく笑う可愛い女の子になっていた。

彼女は恐らくこっちに来てまだ2ヶ月。私のヒアリングが正しければどこかから引っ越して来たばかりということだった。

ポツポツと会話をしながら、まるで友達のようにそこに一緒に居た感じがした。

地下鉄は可愛くて清潔でした

地下鉄で3駅。もう私もわかる。彼女は丁度同じ場所に行くから案内をしてくれたんだろうか。本当はそうでなかったかもしれない。だけどそのレベルの話が自分には出来ない。とにかく優しい気持ちをもらって、それでなんとか駅に着く前にとアプリでダウンロードしたチェコ語でありがとうを意味するDikyを指差して見せたら、また笑ってくれた。

駅を出て、「ありがとう、もうここまで来たらわかりました!」と伝えると「じゃあ、私はこの店に行くからここでね!」とそこで別れることになった。さっき、カレル橋の近くで買ったラベンダーのサシェを別れ際に渡したら最後にまたとてもキュートな笑顔で受け取ってくれた。

やっぱり私は「優しい人」が大好きだ。

優しい心をもらうと、自分の中にあった石ころみたいなものが溶けて行く。自分では気づけなかった石ころみたいに硬くなっていたものが消えて行くのだ。

国を越えて優しさは共通するんだなぁ。

とっても素敵な出会いだった。

プラハは今日でお別れ。

輸血の兼ね合いで、ヨーロッパ旅行にしては駆け足の旅だが、訪ねてよかった。

たった2日しか滞在出来なかったが、心に残る大好きな街になった。


投稿日:2014年12月09日

2014年12月09日

まずは無事にドバイに到着。

<着陸寸前のドバイの景色です>

<空港内>

今回は事前に航空会社に病歴などを伝えて、広い空港内は車いすやカートに乗せてもらって移動出来るサービスを申し込んでおいたら、入国審査も移動も係の人がスムーズに最短コースでいろんな手続きをしてくれて、迷うことなく次の飛行機に乗れるゲートまで連れて行ってもらえるみたいだ。

<女性はブルカ姿、でも脱いでいる女性を見たらものすごく綺麗でした>

次の搭乗時間まで、ここで待つらしい。

ふぅ〜〜〜っ、これは助かるなぁ。

ホッとしていたら、さっき乗った便にパスポートのコピーや病歴や薬などを書いたエマージェンシーメモのコピー、海外パケット用のiPhoneの手続きのプリントアウトしたもの、プラハの地図など情報系のもの、それから帰りのフライトのインターネットチケットを入れたファイルを座席のポケットに忘れて来たのに気がついた。

早すぎる早速の凡ミス。

出発前にチェコ語もカタカナ発音で書いた紙もあったのに・・。

いや、今ならまだ飛行機から降りて間もないんだからきっとなんとかなります。

そこで航空会社のカウンターに行って、まずこの状況を伝えなくては。

制服の日本人っぽい人にまず話しかけてみる。

「ジャパニーズ?」

「ノー」

「アイ、アイ、アイ、フォーゲット。えっと、さっき乗ってきた、アイ フロム ナリタ トゥ ヒア。エアプレイン。マイシート?!のフロントポケット」

えっとえっと。 紙。大事なことがいろいろ書いてある紙。ファイルに入った… 。忘れ物はフォーゲットでは伝わらないと思うが取り敢えず身振り手振りで伝えてみる。

「オーケー、心配しなくても大丈夫よ」と言って歩いて行くので、あとをついていけばいいのかと思ってついて行ったら。

「ここからは来ないでね」

と、言われたので待つことになる。

そこは事務室か何かで、前の飛行機に連絡をとってくれていると思ったら彼女は事務室から出て来て、「心配しなくても、ここで待っていればいいわ」と言って去って行ったのだった。

しばらく待っていたのだが、一向に変化がなく・・。

事務所を見に行ったら、そこはただのトイレだった。

伝わっていなかったんだわ。

めげずにカウンターに行って、同じことを訴えるのだが英語が下手過ぎて2人にスルーされ、2人から私の相手を押し付けられた3人目の女性はなんとか頑張ってくれたのだが、途中で勤務時間が終わったようで「お役に立てなくてごめんなさい」と言って去って行った。

紙、書類、えーーっと何て言えばいいんだっけ。

すると年配のクルーがやってきて、「ドキュメントを前の飛行機に忘れてきたのね?」とようやく気づいてくれて連絡を取ってくれたのだった。

「じゃぁ、あちらに座って待っていてね」

いいお知らせかとしばらく待っていたら、その年配のクルーも次の早番の人との交代時間がやってきて、爽やかに去って行ったのだった。

さっき一瞬ナッシングと言ったあれが回答だったってことか。

うそやーん。

見に行ったらあるって。

どうしよう。

データローミングの仕方もわからない。プラハの情報は全部ファイルの中。帰り、私は何時何分の飛行機に乗って帰るの?iPhoneがあれば大丈夫だと思っていたが、そうではなかった。

これでiPhoneを無くしたらもう終わりじゃないの。

iPhone はかっばらいに盗られるらしい。

絶対に盗られてはいけない。

飛び蹴りしてでも奪い返さないと。

腹を決めるしかないので、ここで絶対にこれ以上の凡ミスはしないぞと心に誓った。そうだ。なんとかなるのだ。根性で乗り切ろう。頑張れ、エイエイオー!

ドバイではプラハはプラークという発音のようだ。

プラハと言っても全然通じなかった。

さよならドバイ。

私のドキュメントは誰かの日本語の勉強に役立ってもらえますように。

ドバイを発って約7時間。

<飛行機の中のフライトナウ情報。今、自分がどこにいるのかわからなかった>

プラハに無事到着。

移動をお手伝いしてもらった職員さんにお礼を言って、さぁプラハの中心部に行くぞ!

成田やドバイは大きな空港だが、プラハルズィニエ国際空港はこじんまりした空港でJR京都駅の八条口の辺りをもう少し小さくした感じだ。凍えるくらい寒いかと思っていたら東京とあまり変わらない気がする。曇り空のイメージだったが晴れていてちょっと意外だった。

<プラハルズィニエ国際空港、京都駅八条口に少し似ている>

ここでまた暗雲が立ちこめる。

スーツケースがスムーズに動かないなぁと思って見てみたら、車輪の1つが本体のスーツケース側の所からパキっと割れているではないか。こういう破損関係のことは、空港の外に出てしまったら航空会社へのクレームは受け付けられないらしい。

ふんがー!

ふんが、ふんがー!

そんなこともなんとかなる。なんとかする。んがーーー!

まだ完全に割れ切ってはいないのが救い。残りの3つの車輪になるべく頼りながらとりあえず行くことにした。

空港からはエアポートエクスプレスで市内へ移動。

こちらは今の季節は日没が4時なので、ホテルに着いたのが2時ぐらいだったが既に夕方の日差しに変わっていた。

<ホテル近くのパラディウムショッピングセンター>

はぁ~っ。

着いた~。

よかった~。

初っ端から大事な紙類を忘れたり、スーツケースの破損でひるんだが、携帯とお財布とパスポートをなくさなければ何とかなるだろう。いや、なんとかしなくては。

というか、一つ一つ冷静に片付けていけばいいのである。

<ホテルの外観>

<部屋>

<広くてどこかのお家のようでした>

まずは明日の午前中に参加予定のバスツアーの確認をして…と。

出発ギリギリ前に予約をしたバスツアー。なので、予約が確定しているかはメールを確認しないといけないのだが…。

予約確定のメールが届いていたものの、よく見ると送られたメールをプリントアウトしないとチケットとして有効にならないということが書いてある。

えーっ!

TSUTAYAみたいに、携帯に届いたメールみたいなもんを見せるだけじゃだめなの?

それに出発時間が怪しい。

18時10分にお迎えって書いてあるが、私が申し込んだバスツアーは11時と13時しかないはずなのだ。

前回サンフランシスコに行った時に「夜景を見に行くバスツアー」に参加しようとホテルのフロントに頼んで、時間通りに行ったら最終のツアーが出た後だった。フロントの人にしてみれば「ごめん!時間間違えとったわ~」で終わりかもしれんが、私にとって現地最終日。どないしてくれるねん!とっても悲しかったのである。

二度と同じことには遭わないぞ。

現地の催行会社にホテルの部屋から電話をしてみる。

日本と若干通信音が違うので、何度かけても話し中なのか繋がっているけれど人が出ないのかわからない。ホテルの人に相談をして何とかプリントアウトの件は解決したが出発時間のことは謎のまま。

わからない。

どうしようか。

日本語でメールを送れる場所があったので、出発時間の確認メールを送り、もうあとはなるようにしかならないのでもう考えるのはやめることにしたのだった。

部屋にこもっていてもしょうがない。

ちょこっと旧市街に出掛けてみようか。

<ホテル近くの出店>

<ホテル近くのクリスマスマーケット>

石畳みの道に古い建物。5時半で既に真っ暗。日本の夜10時くらいの夜の景色だ。日が沈むと一気に寒くなって、写真を撮る為に一瞬手袋を脱いだだけで、ものすごく冷たい。

<路地がすごく妖しくて素敵でした>

が、景色は写真を撮りたくなるような絵が多く、まるで映画で観た中世ヨーロッパの世界で、路地に入るとどこかから魔女が出てきそうな妖しい感じもする。

やって来たのは旧市街広場。クリスマスマーケットが開かれていて、ホットワインやケバブ、クリスマスリースや防寒グッズなどいろんなお店が出ている中、ヤギやロバに餌を上げられる露店に吸い寄せられて行った。20コルナでガチャガチャに入った餌が出てくる。

近くにいたロバくんはそれが餌だと知っているので、待ちきれずにフンガフンガ言って顔を伸ばしてきた。

ロバくんとさよならをして少し歩くと、今度は二頭の馬で引く観光用の馬車乗り場を見つけた。京都や浅草では人力車が観光用に出ているので、それのプラハ版ということなのだが、馬車を引く男性がこれまた中世の頃の黒い帽子に黒マントを身につけているので、すごく雰囲気がある。外国人観光客が祇園で舞妓さんを見たら感動するであろう同じ感動をしたのだ。

石畳みを馬車が行く。

ライトアップされた古い街並みが、より一層映える。

あら〜〜っ。

来てほんと、よかったわ!

プラハ、初日の夜。

歴史的な建物を前にすれば、今日起きた失敗や災難もどうでもよく思えてきたのだった。


投稿日:2014年12月08日

2014年12月08日

今日は朝から採血をして、4つの科の受診を受けた後、午後からの輸血を受けたら夜の便で成田からドバイ経由でプラハに向かうのだ。

昨日と今朝はほんの少し、本当に旅に行けるのかしら?と、自信がなくなってきていたが、直前になってやっぱりやめる!と言ったって別に困る人もいない。取り敢えず空港までは行く準備で出掛ければいいじゃないか。

いつものように病院は人で溢れていた。4つの科を受けて輸血となると、病院を出るのが5時から6時半ぐらいになるので、成田のチェックインにまず間に合わせないといけない。

最初の科と次の科では大幅に診察時間が遅れたので、ちょっと焦ったが、輸血は2時前に始まり、5時に無事終了したので、成田空港には余裕を持って到着出来た。


<第2ターミナルです>

今回の飛行機はエミレーツ航空。エミレーツ航空は第2ターミナルが発着らしい。夜だからか人が少ない。夜中までお店は開いているのかなと思っていたが9時ぐらいには閉まるようで、ちょっと意外だった。


<搭乗口へ向かう通路、綺麗でした>

出国手続きを終えて搭乗ゲートから飛行機に乗り込んで、さあ出発。22時にまずはドバイに向けて成田を飛び立った。

エミレーツ航空はアラブ首長国連邦の航空会社。なのでドバイ経由になったのだが、機内では英語とアラビア語がバーンと出ている。

アラビア語はどの部分もさっぱりちんぷんかんぷんだ。

今回行くチェコもドイツも結局私は言葉を知らない。英語も中学生レベル。でも今のところしゃべれなくても何とかなってきたので、またなんとかなった記録を伸ばせたらいいなと思っている。

あとはiPhoneがあるというのが心強い。

というか、iPhoneがなくなったら多分途方に暮れてキョロキョロするだけの妙な日本人になってしまう。

よく日本で、外国人が「アリガトゴザイマス」と言っているところを見るが、その時の私は「わ、この人日本語でありがとうって言えはったわ!」と思って、それでおしまいになってしまう。で、どこの国の人なのか知らない人に何語かわからない言葉で何か言われたあとにニコッとされたら、その時の方が本来のありがとうに近いやり取りを交わした気分になれる、という不思議な感覚がある。

めっちゃ助かった時は現地の言葉でなく、手をあわせてどうもありがとうございます!と思わず日本語が出ていたが、ありがとうは伝わってきた気がするので、今回も思わず日本語になる部分はそれでよしとしよう。

ドバイは日本時間より5時間遅れ。

プラハは日本時間より8時間遅れ。

斜め前の男性は4席に1人座っていて伸び伸びゴロ寝したりしているが、私の列は3席とも人が座っている。190センチぐらいの男性が二人。窮屈そうでちょっと可哀想だがあとちょっとでドバイに着く5時。日本は翌日の9時になる頃。

心細いわとちょっぴり自信をなくしていたが、結局出発したのだから、あとは目一杯楽しんで来たいのだ。


投稿日:2014年12月01日

2014年12月01日

輸血日。

前回の輸血で、ヘモグロビンの数値が今一つ上がらなかったので、値は8.3。今日も血小板と赤血球の二つの輸血となった。

「じゃぁ、また来週月曜日に来て下さい」

「はい」

来週の月曜日は4つの科の受診と輸血がある病院デーなのだが、夜の便で成田からヨーロッパに出発するのだ。

もちろん先生には内緒。秋に関西にしばらく行くので輸血日を調整して下さいとお願いをしたら、先生はとても怒っておられた。「あなたは危険な状態にあるんですよ!家で養生していないといけないというのに」と言われたが、家で養生したからと言ってよくなるわけじゃない。それで余計に行きたい気持ちがわき上がったら出掛けようと考えるようになった。

輸血を終えて次の輸血までの一週間。

どうしよう。

大丈夫かなぁ。

ちゃんと無事に帰って来なくちゃなぁ。

うーん。

でもなぁ。

・・・。

よ〜し、行っちゃえ!

数日間考えたが先月の半ばに航空券を購入していたのだった。

いつか行ってみたいなぁと思っていたヨーロッパのクリスマスマーケット。1週間しかないのでチェコのプラハとドイツのドレスデンの2カ所に絞って予定を立てた。

プラハは訪ねた友人達が「すごくよかった」と口を揃えて言っていた。ドレスデンはプラハから列車で2時間、最古のクリスマスマーケットと言われている場所なのだそうだ。

あと一週間。

輸血のおかげで旅さえ出来る幸せだ。


投稿日:2014年11月29日

2014年11月29日

今日は緩和ケアの初診日。

先月末に呼吸器外科の診察を受けた時に、先生から「もう治療はこれ以上は出来ない」ということ、「腫瘍は1ヶ月で大きくなるかもしれないし、先のことはわからない」ということなどを説明され、今から緩和ケアの方にかかって準備を始めるのがいいと言われたのだった。

準備って何のですか。

「肺炎の痕」という見立ては後に胸腺腫だったことがわかり、「これは気になるようだったらちょこっと麻酔してすぐ取れますよ」と言っていた別の腫瘤についても、2ヶ月後には触れる事もなく、もう治療出来ることはなくなったのでと緩和ケアに丸投げされた私としてはずっと腑に落ちないままでいた。

もう病院に行くのはいやだなぁ。

いろいろな不信感で心が何度もつぶれた。

緩和ケアに行ったら今度は何を言われるんだろう。

行くの、やっぱりいやだなぁ。

今朝もドタキャンしようかさんざん迷ったが、真面目な性格のせいかやっぱり行くことにしたのだった。

名前を呼ばれて診察室に入ると先生と看護師さんが座っていた。

どういう経緯でこちらに来る事になりましたか?と、尋ねられたので今年の入院とその後のだいたいの流れを話して、「出来る治療がなくなったということで、こちらを勧められて、それで来ました」と答えた。

すると意外にも「たくさんの科にかかっておられるようですが。科と科の連携は取れていなかったりしませんでしたか?」と先生は言うのだった。

まさに、その通り。

カルテがあっても他の科のことは見ないし、「うちの科」のカルテだけで診察をすることにいろいろな弊害は起き、危険さえ感じたほどだった。

初めてそんなことを理解してもらえたことにまず驚いた。

そして話をしていくうちに、私の感じていた「何か違う・・」という不信感に初めて共感してもらえたと感じたのだった。

一つの科では治療方法がなくなっても、そこが終わりではないということ。

ここから先が実は長い。なるべく共存して元気に過ごせる方法を探す方に目を向けるのが大事だということ。

西洋医学だけが全てではなく、漢方や鍼灸など代替療法も効果を上げているということ。

そして科と科が別々に自分の科のことだけを見て診察をするのはよくないということ。

だから、ここからをまたスタートとして頑張って行きましょう。

これらを先生の口からハッキリ聞いて、正直言って驚いた。

先生は元は外科の先生だったのだそうだ。いろんな科が別々に診察されているところを一つにまとめて全体で見て行こうと言ってもらって、あぁ、私はようやく探していた先生に出会えたのかもしれないなぁと思えたのだった。

最初の入院でお世話になった角田先生。先生が大学病院をやめられてからは、ずっとずっと心細かった。いろんなことがあった。病気になったら一番の鍵はどんな先生に巡り会えるかしかないと思う。患者は病気が治ることはそれは一番の望みだけれど、だけど「この先生に診てもらえてよかった」と思えることが一番の望みと同じ位重要な出来事になるのだ。

「はっきり言って厳しいですね」

「どんどん悪くなっています」

パソコンのカルテを見ながら説明をされてきた。何か悪いことをして判決文を聞くような気分だった。もう少し言葉を選んで欲しいと毅然と言える元気もなく、「はい」と答えるしかなかった。

崖っぷちに立っている人間を、もう後ろから押さないで欲しい。

こんなでも私は毎日が幸せなのだ。

崖っぷちからだって青空が綺麗に見える。

崖っぷちに立てばみんなそこからダイブするわけじゃない。

そういうことを、今私は大事にしたい。

素晴らしい景色はいくつだって見る事が出来るのだ。


投稿日:2014年11月26日

2014年11月26日

12月から8回オンエアとなるテレビ神奈川の番組「イイコト!」の中の新コーナー「JINと犬とメロディと」の収録で自由が丘の「龍坊」に行った。

「JINと犬とメロディと」は、オルケスタ・デ・ラルスや最近だとジョジョの主題歌が新しい橋本仁くんがメインパーソナリティの「わんこ」と「音楽」がテーマのコーナー。私はナレーションと音楽と、たまに仁ちゃんの歌のバックでピアノを弾くので、今日はそのライブ演奏部分の収録となる。

「ダンボちゃん、一緒に頑張ろう!エイエイオー!」

ダンボはライブの時にスタジオ犬として収録に参加するのだ。

ダンボちゃん、大丈夫?初めての場所でも?

向こうに行けば、仁ちゃん家のわんちゃんの「こいさん」が居るからきっとビビるだろう。

それに音楽にも全く興味がないよね。

ずっとブルブル震えているだけで出演なんて出来ないかもしれないが。

まぁ、なんでもやってみようよ!

と、いうことで。

車に乗せて出発!

をしたのだった。

日中、車に乗せられ連れて行かれるのは大抵が病院なので早速ダンボは震えていた。暗い顔になりうなだれていたが、高速に乗ると「行き先は病院ではなく、どこかに行くだけなんだ」とわかったらしく、案外すんなり車中でくつろいでくれた。

自由が丘に到着。

店内に入るとしばらくブルブル震えていたが、大好きな「ボーロ」のおやつを一個あげたら予想外にもすぐにリラックスモードに変わってくれた。

やるじゃん。ダンボ!

ウロウロウロウロ。

おやつがないか、パトロールを始め、すっかりいつものダンボになった。

いつもの調子が全くでなくなってしまったのは私の方である。

ダンボを膝に乗せて演奏をするというスタイルで「じゃ、本番撮ります。5秒前、4、3、2、1」とキューが出るのだが、ダンボが膝からズリ落ちそうになったり、はたまたおやつを探して飛び降りたり、鍵盤の上に上がってきたりと今度はリラックスしすぎてジっとしてくれなくなってしまった。

ダンボと格闘している数テイクのうちにオーケーが出たのだが、私としては演奏が信じられないぐらい集中力を欠いた下手くそになってしまった。

ショック!

うそぉおおお〜〜っ。

どのテイクが使われるのでしょうか。

犬が安定して座れるように膝をピチっと閉めて、なおかつ直角に角度を保つ姿勢でなんかピアノを弾いたことがない。あまりの下手さにガックリきて、残り2曲ぐらいは犬には膝から降りてもらった。「こいさん」と2匹、おやつがどこかに落ちていないか競うように探している中、演奏をするのも結構笑えた。笑えたがやはりいつもより集中力に欠けていたことにガックリした。

番組は毎回テーマが違うのだが、犬猫の殺処分を減らすことがテーマの回もある。私も細々ながらもいくつかの保護団体へ物資や寄付を送らせてもらいながら、殺処分ゼロを目指す一人であるので、今まで幸せをたくさんくれた動物達への感謝を少しでも形にしていければと思っている。

ダンボちゃんもよく頑張った。

帰りはスヤスヤ。

「JINと犬とメロディと」

12月10日(水)からスタート予定。9時〜9時半の番組のどこかでのコーナーになるみたいだ。

8回でなくこの先に続いていくものにしていきたい。


投稿日:2014年11月21日

2014年11月21日

イチョウが色づく頃となってきた。

のだが、道に落ちているギンナンのニオイが臭いという苦情が出ているのだそうだ。

確かに臭いと言われれば臭いのだが・・・。

私には「ちょっと臭いけれど、そこが好き」といったニオイものがある。ダンボの足の裏のニオイもそう。ダンボの足の裏は、新幹線の隣りの座席に座った男性が靴を脱いだ時とおんなじ足の臭いニオイがするのだが、私は「いやーん!ダンボちゃん、足くさいよ!」と言いながら足の肉球を鼻のすぐそばに持ってきては「ダンボちゃ〜ん、くさい!」と何度も足の臭いニオイを嬉しそうに嗅いでいる。フェレットなんてもっと強烈なワキガのニオイがするというのに、「くさぁ〜〜〜い!」と言いながら何故か私はずっと笑っていた。ちっとも不快じゃぁなかった。ただの一度も嫌だと思ったことはなかった。

ギンナンのニオイも私にとっては「あのちょっと臭いところ」がお気に入り。

道によっては既にあの臭いニオイがし始めているが、「おぉぉおおっ。キターっ!ギンナンのニオイ!」と心の中でガッツポーズさえしているぐらいなのだ。

そうかぁ。ダメな人にとっては悪臭でしかないとは。

私にとっての悪臭は、例えば。

バンドの練習などで休憩終わりに何故かハンバーグのニオイがしてきたりして。

「誰っ!今ハンバーグゲップをしたのはっ!」

すると誰かしらが「ごめん!」と、名乗りでていた。

ハンバーグゲップは悪臭。

そして新幹線で靴を脱ぐ男性も有罪なのである。


投稿日:2014年11月19日

2014年11月19日

輸血日。

昨日福岡から帰ってきて、身体が相当グッタリしているのでさぞかし血液検査の数値が悪くなっているかと思えば、そうでもなかった。むしろヘモグロビン値は9台を維持していて「今日は十分な数値があるので赤血球の方は輸血をやめましょう」ということで血小板輸血だけになった。

この疲れは病気ではなく単に身体がお年寄りモードになり、疲れが取れない状態にあるということなのか。

昨日と今日は寝ても寝ても寝足りない。

冬眠に入ってしまいそうなのだ。


投稿日:2014年11月17日

2014年11月17日

今朝は早起きをして7時40分羽田発の便で福岡へ。先月かめありリリオホールでやった神田蘭さんの福岡公演で福岡市立市民センターホールへ行く。

建物は古いが立地がよく、だが一番気になるのは「ピアノ」だ。まず試しに弾いてみた感じで音もそうだが、鍵盤の重たさや浅い深いなどの加減があって、相性のいいピアノだったらいいなということを考えるのだが、今日のピアノはフルコンだけれど鍵盤がとても軽くて音もよかった。きっと長くここにいるピアノだと思うが気難しい顔をせず「ようこそ」と優しく迎えてくれたようで、それだけでとても心強くなれる。今日はよろしくお願いします。ピアノさん。

昨日の写真展とのコラボとは違って、今日は講談とのコラボ。講談と言っても新しいアプローチなので一人芝居とのコラボと言った方が近いのではないだろうか。照明の打ち合わせをしたり立ち位置の確認を通しでしたり、準備も違うのでこれまた別の物作りの過程を見ることが出来て面白い。


通しリハーサルが終わったら少し時間があったので近くを探検しに行く。

大通りに出たが特に観光地らしい場所ではなかったので結局中古CDショップに入って数枚買い物をしてホールにまた戻る。

本番が始まればあっという間に時間が流れて行く。

ライブなのでたまにきっかけのセリフが台本通りでない時もあるので、気が抜けない。のだが、気を張っているうちに無になってしまい、きっかけを逃すということも稽古ではやってしまったいたので、そういうことがないように。

公演終了後は旅らしく、地元の美味しいお店での打ち上げがあった。

友人はツアーに出ているミュージシャンが多いので、打ち上げは朝までコースだったりすることもめずらしくないが、私にとってはこの2日間が精一杯の体力限界コースだなぁとしみじみ思った。何事も体力が必要かぁ。

だがなにはともあれ、この2日間、無事にやれてよかった。

ツアー、いいな。

もっと体力をつけなくちゃ、だなぁ。


投稿日:2014年11月16日

2014年11月16日

フォトグラファーの山本 ”Linda” 祐子 写真展、LIVE STAGE #1最終日。いつもお世話になっているリンダちゃんの個展でライブをさせてもらうので、横浜中華街にあるソコソコというお店を目指す。横浜は近くて遠い街。あんまり行ったことがないのでお出かけ気分での移動だったが、ギャラリーは中華街のど真ん中にありながら路地をちょこっと入った所になって隠れ家のようなお店だった。

今回飾られているのは、長年リンダちゃんが撮りためてきた手をつないだ二人の写真、そしてライブでのミュージシャン写真で、手をつなぐ二人の後ろ姿の写真というものが私も以前から好きだったので興味があった。

ミュージシャンの写真達は、全て本番中のショットだったのでどれもエネルギーを前に出している強い瞬間、手をつなぐ写真はそういう強いエネルギーではなく、穏やかな空気。単色でもただ単に淡い色でもなく「どちらかというと青っぽい」「深いオレンジっぽい」と行ったいくつもの色が混じって深めの色に見えて、それがなんだかよかった。

美穂ちゃんとの二人ライブは久しぶり。数年前の京都アルファステーションでのイベント以来になるが、私は彼女の歌を大学生の頃に聴いて以来その才能にいつも敬服し続けているボーカリストだ。

写真展と音楽ライブとのコラボ。こんな風に物作りのちょこっとだけジャンルが違うものともののカップリングが大好き。またそれぞれが年単位で作品をためて、そしてまたコラボが出来たらいいなぁ。

好きなことを続けて行くことは素晴らしいことだと思う。

ただ、好きなことを自分のペースで続ける。

そのことについてあんまり哲学的に考えたり、深く考えたりせずに「やっぱりこれが好き」ということに素直に乗っかる。

なんだかこれでいいんだかわからないまま漂いながらも、手放さずにいることが一番大事なんじゃないかなぁと思う。

私も手放さずに行こう。音楽を。

そう思った夜だった。