はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2014年10月09日

2014年10月09日

朝、病院に行って採血を受ける。

診察までの待ち時間に神田明神にお参りに行く。

この旅が無事に笑顔で終えられますように。

輸血を受けたら今日から大阪に向かうのだ。明日から南港のスタジオで丸3日間、リハーサルがあって翌日がB#ライブのいよいよ本番日。

少し前の診察で、関西にしばらく行くので輸血日を調整して欲しいと頼んだら、血小板の数が危険レベルにあるんですよ!と、叱られてしまった。本来は家で安静にしていないといけないのに関西まで行くだなんてと言われて、とてもじゃないがライブなんですとは言える状況ではなかった。

でも。

きっと大丈夫。

夏に何度も何度も考えて決めたことだ。

みんなに再会出来る機会はきっと今に違いない。多分、なのだけれど、見えない何かが導いてくれている気がするのだ。だから、その流れに自然に身を任せているような感じがする。

だから絶対に大丈夫。

血小板と赤血球の輸血が終わって、東京からのB#移動組も夕方に出発をした。

同窓会ライブは大事な忘れ物を取りに行く旅なのかもしれない。

たくさんの再会が待っている旅。

力を抜いて進め。


投稿日:2014年10月06日

2014年10月06日

かめありリリアホールにて神田蘭さんの公演「劇談・かつしか哀情物語」本番日。

会場入りの時は丁度台風が近くにやってきていて、東京はひどい雨風だった。今朝静岡から来るスタッフの方も結局前日に東京に来る事になり、お客さんも来られないという方がいらっしゃるとのことで、楽屋の窓も激しい雨が叩くように降っている。

楽器を入れたら簡単な音出しチェックをして、その後はまた照明のチェックタイム。リハーサル前の職人さん達の準備タイムの空気も好きだ。

リハーサルが始まって、少し経った頃に台風の影響で急遽今日のゲストのケーシー高峰さんが来られないということがわかって、急な対応が大変そうだ。ピンチヒッターでおぼん・こぼんさんが出演可能ということで一同みんなホっとする。

今日は「クマモン」がサプライズで出演してくれるそうで、稽古でも台本がちょこちょこ変更したが、ケーシー高峰さんの出演キャンセルでギリギリまで台本が変わる。

私が神田さんだったらきっとパニックになるだろうなぁ。

しっかり自分のパートを務めたいとより一層思った。

リハーサルが終わって楽屋に帰ると、台風も過ぎて窓の外には富士山が遠くに綺麗に見えていた。さっきまであんなにひどい雨風だったのが嘘みたいだ。

本番、最初の私からの音出しは暗転の中から。

音楽もののライブでは、私の場合手元が全く見えないほどの明かりゼロ状態はなかったので、さすがに真っ暗の中での音出しはとっても緊張をする。

でもなぁ。

やっぱり私の一番得意なこと、自分なりの物差しがはっきりあること、役割を一番理解出来ることは音楽という切り口なのだなぁ。とも思う。

出番前はいつもやっぱり緊張するけれど。

後方でしっかりやるからね。

一音、弾き出したらあとは波に乗るように押し出されて行く。

こういう場所が好きなのだなぁ。

一期一会の気持ちで演奏をしたい。

与えてもらった機会に力まず自分の全てを送り出したい。


投稿日:2014年09月27日

2014年09月27日

携帯、今日は忘れちゃだめだよ。

と、自分の心ん中に再確認をして出掛ける準備をほぼ終えた。

その時に。

はめていると思っていた腕時計がないことに気づいたのだった。

「またかいな!?」

昨日、れいちゃんに「一分後に携帯に電話、お願い!」と頼んで確かに腕時計を見ながら私は駐車場に出掛けたのだ。その前にお風呂に入っていたので、私はお風呂から出て腕時計をした。ということは、腕時計を意識して外したのでなければ腕時計は私の腕にひっついているはずなのだ。

無意識に外したのかしら。

ありそうなところをさんざん探したがない。

寝ている時に外れたか。

ベッドのあたりも探してなし。

んもう!二日続けて「ないないないない」って何をしているの、私。

携帯と腕時計とだったらダメージとしては腕時計の方がまだマシなのかもしれない。今度こそ家のどこかにあるんだから今日はあきらめて出掛けましょう。

と、今日はいさぎよくあきらめて出掛けることにしたのだった。

家を出て駐車場に向かい・・・。

すると。

昨日携帯を見つけた助手席側の車のドアの外のアスファルトのところに何か光るものがあるではないか。

ファットイ〜ズザーット?

ないないないないと探していた腕時計だった。

座席の下をガサガサやって携帯を見つけて喜んだと同時に腕時計を落としていたと思われる。

腕時計を見つけて大ラッキー!

一気にすべての悩みが消えるってやっぱり素晴らしい。

それにしても。落とし物が本当に多い日々なのである。


投稿日:2014年09月26日

2014年09月26日

家に帰って鞄を開けたら携帯が入っていなかった。

車の中に落としてきたんだわ。

駐車場まで歩いて1分程度。面倒臭いなぁと思いながらダンボを連れて車まで行く。

大抵は座席の下に落ちているのだ。

運転席か、助手席か。

だが今日は探してもなかった。後部座席の足元もかなり手をガサガサしたが見つからない。

「ということは、やっぱり鞄の中かぁ」

と、家に戻る。

家の中に入ってもう一度鞄の中を探してみる。

ない。

無意識に出して充電したのかしら?

ない。

無意識に机の辺りに置いたのかしら。

ない。

「やっぱり車ん中だわ」

そこでもう一度ダンボを連れて駐車場に向かったのだった。

<何しに行くんだよぉお〜>

と、ダンボはやや反抗的にイヤイヤついて来る。

ダンボを助手席に乗せて本格的に探すことにした。車のドアポケットに入り込んでいないかしら。後部座席の機材に紛れていないかしら。譜面を入れたバッグに入っているんじゃないかしら。いや、座席の下をもう一度くまなく探すのが一番だわ。

這いつくばって探す私を冷ややかに見下ろしている犬。

ちょっとね。携帯をね。探していてね。

しばらく粘ったがなし。

そうだ。家に帰って鞄から本棚に置いた譜面のクリアファイルに紛れて入ったんだわ。あの中を見ていなかった。

だが、ダンボと家に帰りながらなんだか侘しくなってきた。だって先月までは家にIP電話を引いていたのだ。でもあまりに使うことがないからといって解約したのだが、そういえば携帯をなくした時に家の電話から掛けて携帯を探していたんだった。

もう、それさえ出来ないというのね。

家に帰ってまたもう一度探したが、それでも携帯は見つからなかった。

急に悲しくなってきた。

携帯がないだけで急にひとりぼっちの感じがしてきた。

どこにあるの。私の携帯。

シ〜〜〜ン。

静まり返った部屋で。私はすごく不幸な気分でいっぱいになったのだった。

しかし。

いつまでも体育座りをしていじけていたって誰もこの状況を打破出来ないのである。ずっと無人島にいるわけにいかんのである。

そうだ。facebook!

キーボードの牧野麗ちゃんが立ち上げてくれたB#メンバーのグループメールに、携帯をなくしたので誰か私に電話をかけて〜〜!と書く。お〜〜い。誰か〜〜〜。見ておくれ〜〜〜〜。

すると。

麗ちゃん登場!返事をくれた。

早速家にあるかどうか。電話を掛けてもらう。

し〜〜〜〜〜ん。

家にはない!

「ごめん、今から一分後にまた電話してもらえる?駐車場に行くから」と、頼んだら今度は家の鍵がないことに気づいた。

かぎ、かぎ、かぎ、かぎ。

どこ?

と慌てていたら机の上にあったお菓子の袋がやぶれて床に散乱する。

んもう!こんな時に!

鍵はしばらく探して見つかった。

「ごめん、今から一分後によろしく!!」

と、頼んで駐車場に行って車の中で座っていると・・・。

<ブー、ブー、ブー>

携帯の音がする!!

さんざん探したはずの助手席の座席の下にちょっと変わった角度で携帯が引っかかっていたのだった。

麗ちゃんと電話で話す。

電話で人と話せるのがこんなに素晴らしいことだったとは!

帰り道、ものすごくハッピーな気分になった。

こんなに幸せな気分が得られるのもめずらしい。

ええのんだろうか。ほんまに、こんなんで。

さっき、めっちゃ私は女々しかった。

ほとんど泣きそうになっておった。

あかんやろ。

私達は携帯に支配されている日々を送っている。

携帯がないと不幸な気分になるほど依存しているのである。


投稿日:2014年09月25日

2014年09月25日

神田蘭さんの公演の稽古まで少し空き時間が出来たので、東京駅近辺で気になっていたエリアに行ってみることにした。

去年引っ越すまでは東京は山手線のだいたい西エリアがだいたい出掛けるエリアだったのだが、今の家に来てからはそれまで行くことがほとんどなかった東エリアが今度は近くなった。これを機会に今まで足を伸ばしたことがなかったエリアに行ってみたいなと思っていて、「日本に旅行に来ている」気分で街巡りを楽しんでいるのだが、これから探検したいのが丸の内、有楽町、銀座エリアなのだ。

今日は丸の内ブリックスクエアに行ってみた。

中庭にはオープンテラスのカジュアルイタリアンのお店があったりちょっとした庭園になっていてベンチなども置かれていて素敵な空間だ。

気になったお店がECHIREというお店で中に入るとクロワッサンや焼き菓子、ケーキが売っていた。とても気になったのは最近食べている「カルピスバター」よりちょっと値段が高い「エシレバター」。と言っても、ユニクロでカーディガンを買う値段より安いので買ってみようと思ったら・・・。家に帰るまでの時間がちょっとありすぎて保冷剤をつけてもらっても溶けてしまうということだったので今日はあきらめた。

それにしてもクッキーが結構ないいお値段だった。

可愛いお店。

また今度来よう。

三菱一号館美術館は今日は休館。来月17日からミレー展があることはチラシにあったが、それまでずっと休みなのかしら?よくわからない。

建物が素敵だったので中に入ってみたいなぁと併設されている「cafe1894」に入ってみた。クラシカルな雰囲気。とっても天井が高い。

私の席の横には家具があったのでそこについている引き出しを開けてみたかった。大人なので我慢したが素敵な引き出し、開けたくなるような引き出しだったのだ。

だいたい私は昔から神戸や横浜にあるような外観がレンガの建物であったり、自由が丘のお洒落なテラスレストランみたいに中庭があったり、異人館エリアにあるようなクラシカルな場所に弱いのである。嬉々として吸い込まれて行くのである。三拍子揃った「好きなテイスト」にコバエのようにプ〜〜ンと飛んで行ってしまうのである。

楽しい探検。

東京の東エリアは古い立派な建物がめちゃ新しいビルと共存している。

日本に旅行に来ているみたい。

今度はどこに行こうかな。

探検は続くのだ。


投稿日:2014年09月24日

2014年09月24日

今月は来月にある神田蘭さんの公演の曲作りと直し、そしてその一週間後に京都であるB#ライブの準備で作る作業が多かったが、ようやく作る作業ももうすぐ落ち着きそうなのでホっとしているのだ。

久しぶりのバンドでのライブは一人でやるライブと違って、メンバーの顔が見えた状態で”あんなことがしたいな”とか”コーラスはここは誰と誰に頼もうか”ということを考えたりするのが、とても新鮮だ。

一月に久しぶりにB#メンバー揃ってのライブをして、秋にはワンマンでライブとしようと盛り上がってから随分時間があると思っていたけれど、9月に入ってからその時間がより一層早まったみたいだ。

当時と違うなぁと一番思うことは、関西と東京にメンバーが離れた状態でいてもfacebookのグループをキーボードのれいちゃんが作ってくれたおかげで、打ち合わせや譜面など細かいやり取りを密に出来るということだ。思った以上に毎日細かい打ち合わせが出来ている。「あ!」と思い出したことをマメに伝えることが出来る。昔は夜中に電話・・・だなんてなかったことなので、メンバー同士離れて暮らしていても打ち合わせは出来ることがわかった。

リハーサルもライブ前に三日間終日あるので、来月は一週間近く実家で過ごすことになりそうだ。

今は父親も施設で暮らしているので空き家になった実家。

庭のきんもくせいがもしかしたら丁度いい匂いのする頃かもしれない。

今日は新曲のデモと譜面をみんなに送った。

とっても簡単なデモ。

でもみんなの音が入ってくるときっとこのデモがいい曲に変わると思っている。

リハーサルが楽しみなのだ。


投稿日:2014年09月23日

2014年09月23日

外来日。

採血を終えて、診察までの空き時間に神田明神にお参りに行く。秋になって神馬のあかりちゃんもまた戻ってきたのでのどかな境内だ。

お参りを終えてから血液内科の診察を受ける。

数値的には今日も「赤血球」と「血小板」の2種類の輸血を受けることになったのだが、先生から”新しい薬を使ってみませんか”という提案をもらったのだ。

それは「血小板」の数値を上げる薬。

私の病態がこの薬が使える病気に一致するという考え方もあり、それで前は見送ってきたのを今回試してみる価値があるということで、思わぬ扉が開いたのだった。

血小板はこのところ毎週10000以下で、輸血を受けても一週間後には6000〜7000というギリギリの数値だった。血小板輸血は自己抗体が出来るともう輸血を受け付けなくなる。そうなったらもう手だてがないのだなぁと、あまりそのことは考えずに「今日」を過ごしていた私にとって希望の光。薬でもし血小板が上がってくれればもう一つの赤血球輸血はしなくてはならなくても、例えば前みたいに10日間の旅行にも行けるのだ。

免疫抑制のATG療法も骨髄移植も、胸腺腫があるからもう出来ないと言われてあきらめていた。あとは何か私の身体に奇跡が起きるしか方法はなかったというのに・・・。

新しく始まる薬でまた希望を持って行こう。

献血でいただいている命をつないで行こう。


投稿日:2014年09月01日

2014年09月01日

外来日。

赤血球と血小板の輸血を終えてから、神田蘭さんレビュー講談の初日打ち合わせ。

稽古は日本橋エリアになるので、今月は日本橋でお気に入りの場所を見つけたいなと思って打ち合わせまで時間があったので、先日アートアクアリウムを観に行ったコレド室町でちょっと寄り道をする。

お盆明けに来たときはすごい人出だったが、今日は空いていた。

前回、来て「お、いいな!」と思ったのが地下にあるパン屋さん「GONTRAN CHERRIER」と製菓と製パン材料の店「富澤商店」。この二店にまず行く。ゴントランシェリエは、バゲットを買ったらすんごく美味しかった。今日はイートインでチーズのパンとバタークリームのパンを食べてみたらこれがまた美味しかった。

そして「富澤商店」。ここは製菓、製パンの材料、粉ものの種類がとても豊富。調味料や豆やきびなど、やはり粉系が充実していて、パンを家で焼く人やお菓子作りが好きな人が来たらなかなか店を出られないのではないだろうか。粉を眺めているだけで私もパンが作りたくなったのだ。

また来よう。

楽しいなぁ。

稽古の度にちょっと早く来て日本橋を楽しもう!

打ち合わせが終わると、今日は10月の初旬ぐらいの空気を感じた。

素足が寒いだなんて感覚、そう言えばこんな感じだったな。

タイツを履く季節の気温だ。

今日から9月。

そうか、もう9月なんだ。

すこしずつ、こんな空気が当たり前になっていく。


投稿日:2014年08月30日

2014年08月30日

昨日、原付に乗って近所に買い物に出ようと思ったら掛けておいたはずの場所に原付の鍵が掛かっていないことに気がついた。

丁度その下にゴミ入れがあって、ゴミを出し終わっていて、いくら周辺を探しても出て来なかった。

「ダンボ、鍵知らない?」

あとはダンボが落ちている鍵を拾ってどこかに持って行ったかぐらいしか思い当たることはなく、ゴミと一緒になって行ってしまったんだわ・・・。と、早々にあきらめて、ならば鍵は早く作る方がいいと鍵屋さんに来てもらって新しい鍵を作ってもらったのだった。

お昼の12時に電話をして、家に鍵屋さんが来てくれたのは2時前。

15分ぐらい作業をしてもらっただろうか。

合鍵も作ってもらって総額8300円。

相場が12000円ぐらいだったのでとっても安く頼めてよかったのだ。

そして今朝。

車に乗ろうと運転席のドアを開けると。

足元に原付の鍵が落ちているのを発見。

「あっ!あぁああ〜〜〜っっ!」

どうして運転席の足元に原付のキーが落ちていたのかわからない。車とは別のキーホルダーにしているので、だいたい車に乗る時に原付のキーを持って出る必要がないのだ。

昨日、原付のキーをなくしたと思った時、同じ「あきらめる」にしても、原付で出掛けることをあきらめて車で出掛けていたら原付のキーを発見出来たというのに。まさか車の中にあるとは思ってもいなかった。

急に8300円がものすごく浪費した感覚になってきた。

うー。

「ゴミと一緒に出したんだわ」

というケースも私らしい。

そして

「と、思ってあきらめて新しい鍵を作ったらその直後に思わぬ場所で見つかる」

というケースも私らしく。

なんでこうなるかなぁ。

”勉強代”?

「累積した勉強代って、一体いくらになってるねん!」と突っ込みを入れたい。

どっちにしても日常的に「ない!」「ない!」と言って、何かしらの物を探すことがよくある私なのであった。


投稿日:2014年08月28日

2014年08月28日

友人の臼井かつみちゃんと山田直子ちゃんのセッションに遊びに行った。

久しぶりの友人、先輩にも会えて急遽セッションをする。

前にイタリアのフィレンツェのレストランでおじいさんがピアノを弾いていて、それらの曲を聴きながら「あぁ、音楽は国境を越えるって言うけれど、それが今日はよくわかるなぁ」と思ったが、音楽は国境も、そして時間も越える。

久しぶりに会っても、一緒に音を出すとその一曲の時間で何かが埋まる。

”言葉”がちゃんとないと伝わらない、ということも日々の中ではあり。

また”言葉”がなくても、それを必要としないということもあり。

最近、ある人に「とにかく”感じる力”をもっともっと養って」と言われた。

感じることで埋まるという感覚、いいなと思う。

だがそうなるには、自分自身が負のアンテナじゃなく、力んでいない状態のアンテナを張れていないと無理だ。

そうしたら”埋まる”のだと思う。

自分を澄ませることが感じる力を養うということなのかな、などと考えたりした夜。