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投稿日:2007年01月21日

2007年01月21日

種ともこさんのライブに行った。
種さんは去年がデビュー20周年、新曲も交えながらも去年出したセルフカバーアルバムからの曲がライブの中心となってのライブだ。
会場は、私も含め引き算の暗算大会だ。
種さんがステージの上で、「次は20年前に書いた曲を、じゃやります」とMCを締めくくると、曲が始まるまでに「今の年齢ー20=当時の年齢」を計算し、「あの頃に聴いたどの曲だ、さぁ来い!」とミットを構える。
数字は隣りに座る人とは合わない。
みんながそれぞれ1対1で曲を待つ。
曲が始まると、アレンジが変わってもメロディと歌詞が繋いでくれる。そして個々が昔の自分に会いに行く。
「じゃぁ、ここで@@年前に作った曲を聴いて下さい」
シンとした一瞬でまたもや会場、暗算中。
何回、今日は引き算をしたことになるのだろう。
窓を開けて車で走りながら聴いたこと。
「音楽なんていつまで続けているの」と、親からしょっちゅう詰め寄られていた頃。でも、やめるとは決して言わなかったこと。
マイベスト盤を作って、彼氏に何度も聴かせたこと。
ソニーのレコーディングスタジオで、トラックダウン待ちをしていた時の景色。
誰とも重ならない思い出達が、それぞれ線に繋がらない点のまま脳裏に浮かんでは消えて行く。
アレンジという着ている服が違っても、芯の曲が変わらないように、自分の中からも決してなくなってはいないあの頃の私。みんな私。
「お〜い!」と、手を振りたくなった。
ただのノスタルジックにならなかったのは、種さんの変わらない積極的な音楽的アプローチが大きい理由だと思う。そういう微妙な匙加減があることで、思い出の明るい部分だけが取り出されて、心のバランスが妙に過去に傾かない心地良さがあった。
楽しい過去への旅の後で、今日一番最後に聴いた曲。
「1ヶ月前に出来た曲を、最後に聴いて下さい」
引き算をしようと思ったら、単位が違って出来なかった。
最後に今に引き戻された。
とてもいい曲だった。
一時間半のステージを見終わって、”あの頃の自分達”にたくさんの明るい再会を終え、そのどれも自分にとって良き過去であったこと、そして戻れたらいいのにといった特別引きずられる過去はなく、そして最後に聴いた曲は、今日も同じだけいい時間を自分が過ごしているのだということを感じられた一曲となった。
私がそうだったように、種さんもそうなのか。いや、ステージ上の種さんがそうだから、自分もそう思えたのか。
伏線がたくさん用意されていたライブだったと思う。
音楽は今日のため、明日の自分のために。
種さんは新しいアルバムのレコーディングに入るのだそうだ。
帰り道、なんだか気分がよかった。
まっすぐ帰るとこの気持ちが消えてしまいそうで、渋谷駅に向かう途中で「今日、今からスタジオ、空いていますか」と電話をしていた。


投稿日:2007年01月20日

2007年01月20日

個人練習のスタジオは下北沢にグランドピアノを2台持っているスタジオがあるので、そこが気に入って行っている。
自分は本番で練習以上のことが出来る方ではない。練習でやったことの60点〜93点ぐらいが本番力量なので、この下限点をもう少し上げてあまりムラがなくなるようになりたいのだ。
今月はもうすぐ、私にとって初の病院でのミニコンサートをするので、今日もその練習に行った。病院でのコンサートは、私の”いつか実現したい夢”だった。去年の10月に短い自分のライブが出来たことで、まずその次にやるのは病院だと思って11月に外来でお世話になっている病院にお願いに行ったのだ。
音楽以上に、また元気になれた患者が居るということをコンサートを通じて感じてもらえたらいいなと思っている。そして主軸に音楽はないと言うのなら、逆にその音楽面をよりしっかり強化しないと音楽を付ける意味がない。
練習は心細くなる自分を勇気づけてくれる。
自分の前にスタジオに入っていた人、私のあとに練習に来る人、みんなどこに向かって練習しているんだろう。
それぞれあるはずだ。
私にもあるよ。
さぁ、今日もはじめようか。
吹き抜けのあのピアノのある場所。
太陽の光が入り込む、
病院のパティオの景色を思い浮かべている。


投稿日:2007年01月19日

2007年01月19日

今住んでいる部屋は、都心からさほど離れていないが、バスを使って沿線に出るので、渋谷の仕事場に行く時は1時間とちょっと、移動時間を見て家を出る。
それにしても、都会の電車やバスの乗客はとっても冷たい。特に京王線では、まず席は譲ってはもらえないし、つかまる場所も確保させてもらえないことがとても多いのだ。
<あんた、元気そうじゃん>
そう見えるのかもしれないが、ここに辿り着くまでの私の工夫の連続をあんたたち知らないだろう。押し退けてまでして優先座席まで奪うことはないじゃないか。
横入りや押し退けにはやはり、パワーで負ける。
京王線は私が利用する電車の中で、一番優先座席のエリアが広く取ってあるのだが、私は一度も席をかわってもらえたことはなく、それから突き跳ばされる率が一番高く、エレベーターに乗せてもらえない率もひどい状況なのだ。
<あんた、元気そうだし>
もし私が一緒に仕事をするのならNGである。それは人に優しく出来ないという理由ではなく、自己判断でその場を自分の都合のいい様におさめるという点だ。
JRの倍は人が座れる”おもいやりゾーン”では今日も「携帯の電源は切って下さい」という案内シールを前に、メールを打っている人間が3割。京王線側もこの状況を知らないわけがなく、こんな意味のないシールなんてはがしてしまえと言いたくなるのだ。
はがしてしまおうか。
器物破損の現行犯でそこに座っていた携帯ギャル達に捕まえられるのだろう。
席取り合戦は恐ろしい。
丸腰でも巻き込まれる。
元気になりたいという意欲は、こういう日々の出来ごとも大きな原動力となっているのだ。
やっぱりあたたかくなったら、マイカー”チョイノリ”を買うのだ。


投稿日:2007年01月18日

2007年01月18日

私は喫茶店でバイトをしたことがある。
そこで一つ、学習したことは「おしぼりでは、顔を拭かない方がいい」であった。私はおしぼりの輪廻、生まれ変わりについて、ちょっとだけ知っている。
油切ったおっちゃんが”プハ〜ッ”と言いながら、首筋やはげ上がった頭というか、境界線を広げたおでこの辺りを拭いていたものが、生まれ変わって来たり、テーブルに落ちている食べ物やタバコの灰を拭いたゾウキンおしぼりが生まれ変わって来るのだということを。
新しいおしぼりを袋から開けて出したら、人間の睫毛と思われるものがもうひっついていた、なんてこともある。
うげげ・・・。
だから、私は<なるべくおしぼりを使わない>時期があった。
しかし、<そういうことに、あまり神経質になっていたら、結果生命力が弱くなるのではないか>という考えもまたあった。
世の中には飲食店でゴキブリが目の前を通っても、食べ物にチビゴキが入っていても、さほど気にならないという人が居る。彼等は「ゴキブリが居るということは、逆に安心で美味しい店の証拠」だと笑いとばすのである。
私には彼等が原始人に見えてしょうがないのだが、生命体としては自分が虚弱であることは認める。なので無菌を求めるよりも、自分が菌に強くなる体作りをした方がいいのだと思い、いくつかの「うげげ・・・」については、自分もあまり神経質にならないよう、折り合いをつける努力をしてきたのだった。
本日、喫茶店にて。
ピザトーストを食べ終わった時に、紙ナプキンかおしぼりか、どちらで口を拭こうかと一瞬考え、おしぼりで口を拭いていると・・・・。
「チーン!ブビビビ。ブビーッ」
一つ隣りの席で油切ったオヤジが、豪快に鼻をかみだした。
<おのれ〜〜>
口を拭きながら吐きそうになった。その男は客のマナーとしても良くない鼻のかみ方だったので、<やめてくれ>と店内の客で睨んだ人は数人居た。
私は、お前の前世を知るのがこわい。
おしぼりは生まれ変わる。
もう、おしぼりで口は拭かないのだ。


投稿日:2007年01月17日

2007年01月17日

午前中、二階に人の居る気配がした。
謎のお二階さんだ。
やっぱりここに誰かが引っ越しをして来るのだ。
だが、静かである。前のお二階さんの立てる音の1/10といっていい、音は全くと言ってもいいほど気にならないではないか。
私も雨戸を開け、朝食の用意をし、いつものようにラジオを鳴らして食事をする。
一息ついたところでインターフォンが鳴った。
「今度二階に越して来ました、Kと申します」
大家さんからは、二人は新婚さんだと聞いていたが、そうではなかった。30歳前後の同棲カップル、特に男性は似た職業エリアに居ると思われる風貌だった。
ホッ。
不規則な生活サイクルや、音楽関係者は、賃貸の時に大家さん審査で落ちることがあるのだ。楽器は不可、それだけでなく収入が安定していない職業、身なりも変。私も今まで部屋を借りる時は、「ここは、社員さんということにしておきましょう」と、職業欄の所で必ず手直しが入ってきた。
そう言えば私は音楽制作会社のオフィスレディということで、この部屋に入れたんだった。そして私がここに内見に来た時には、不動産のお兄さんは上の住人のことを、「規則正しい生活の社会人さんですよ。ウチは変な人は入居させませんから。」と言っていて、私はその言葉にビビった。
自分は、職業を偽って入居をした。
静かにしなくちゃ素性がバレてしまう!
引っ越した頃、よく思った。特にここに来た時の引っ越しは、いろいろと事情があったので、もうこれからは穏やかに暮らしたかった。
実際のお二階さんは、夜中の2時頃にでかいバイクでビビバビ帰って来て、それから4時位までドスドスしていた。お兄さんが言っていた人物像とは違っていたのだ。
お二階の同棲カップルは、不動産屋のお兄さんから私の情報を得ていたんだろう。どういう説明があったのかは知らないが、「ここは同棲でなく、新婚ということにしましょう」の嘘と、あと恐らく職業欄でも嘘を吐いているので、同じく嘘を吐いている私のことも知らずにビビっていたのだ。
軽いご挨拶の間、ダンボが廊下の奥で狂暴犬となって、激しく吠えまくっていた。
「今度の日曜に引っ越して来ますので、どうぞよろしくお願いします」
礼儀正しく、菓子折りを私は頂くことになった。
私のチリチリ頭に「同類」と察したのであろう。最初こわばっていた表情の二人は”あ、なんだ。大丈夫だわ、ここ。”といった感じの顔になった様子だった。
うふふ。
大丈夫ですよ。心配ご無用。
私もたくさん秘密を抱えている住人でございます。


投稿日:2007年01月16日

2007年01月16日

昨夜、この館は静かだった。
大家さんの話では、昨日がお引越しの日ということだったので、覚悟していたのだったが、誰も人がやってきた様子はなく、今日も一日だ〜れも来なかった。
前のお二階さんは生活もドスドスと大きな音を立てていたが、引っ越しをしていった日も相当派手だった。友だちと思われる大きな男の人達が、階段を上ったり下りたりする足音は、そのままドアを蹴って「こら〜、われ〜。おんのはわかっとんじゃい〜」と言ってもおかしくはない。もし自分の子供がこんな大男に成長したら、もう子供時代に半ズボンを買ってあげていたことを忘れ、檻でも買おうかと思う。
”お二階の新婚さん”は、部屋の内見の時もとても静かだった。いつものようにドンドン、ドスドスとやってくれる内見者達とは全然違っていたので、”静かなのがいい”と思ったが、”沈黙”となると今度は不気味に思えてくるのだった。
中野に住んでいた頃、近所の静かな部屋が、後に大事件を起こした教団のアジトに使われていたことがあった。
その部屋から騒ぎ声は聞こえてこなかった。
生活感のない部屋であることが、前を通っても感じられた。
それを思い出す。
夜、外のゴミ箱にゴミを捨てに行った時に、二階の部屋を見上げてみた。
今日も誰も来なかった。
「うるさくなるのはいや!」といった悩みの方が、まだ無邪気だったのだ。
内見から入居までの日が短いことも気になってきた。
なんで二人とも最初から足音を立てないで歩ける。
”あなた達、誰なのですか”
見えない静かな住人。
強気が弱気に変わった夜なのであった。


投稿日:2007年01月15日

2007年01月15日

今日は水道メーターの数字を見て、大家さんに報告をする日。1月15日にお願いしますと手紙に書いてあったので、朝忘れないようにとメーターを見に行く。
この度、1Fと2Fの水道メーターを私が一括して見ることとなった。手紙でそのようにお願いがしてあり、かわりに水道料金をいくらかおまけすると書いてあったのだ。
おまけは嬉しいが、私にとっては水道メーターを見るということは容易なことじゃない。二つのメーターは、地面にあってここはしゃがまないといけない場所。無理、しゃがむのは無理なのだ。
大家さんは私の体のことを知らない。楽器を使う仕事をしていることも、イタチを飼っていることも知らない。
内緒で入居をしたので、ここ数日はどうやって水道メーター問題を解決しようかということに、頭を悩ませていたのであった。
まず、
階段に腰を下ろす。
そして、次にそこから何段かお尻で下り・・・。
地面に到着。
非常に恥ずかしい。地面の上に体育座りをしている大人はほとんど見たことがない。下北の駅前のビラビラの服を着た若者の方がまだ絵になっているのだ。
いつ誰に見られるかわからないというドキドキ。
水道の蓋は四角いのがあって、それをあけて更に中蓋を開けてようやくメーターが見れるしくみになっている。
やはり不審。
”何やってんの、この人?!”である。
こんな賃貸物件に住んだのは初めて。それに水道メーターの蓋を開けたところには、夏になれば恐らくゴキブリが居るはずで、私は今からそのこともとっても憂鬱なのだ。
しかしどうして大家さんが一括で払って、子メーターで1Fと2Fの料金を割り出すのか、その理由がわからない。水道局に頼んで別々にすればいいのではないのか。
大家さんはお年寄りなので、提案はしてもややこしい話でしかないのだろう。
今日は確か2Fの人が引っ越して来る日。
もし自分が新しい家を借りて、初めて会う階下の人間が地面に直に座って水道の蓋を開けていたら・・・・。
キモチ悪い。
急げ、急げ。早くメーターを見て部屋に戻ろう。
地面からまたちょっとずつお尻で階段を上って・・・。
ホッ。
成功。
やったね!
ホッとしたら
今読んだ数字を忘れていた。
私にはよくある話。
また一からやり直しとなったのであった。


投稿日:2007年01月14日

2007年01月14日

今日は渋谷のヤマハか銀座の山野楽器に行こうと家を出た。
どちらに行くかはバス通りに出てから決まる。
ウチは電車の最寄り駅がなく、そのかわりにバスがいろんな駅に連れて行ってくれる。スーパーもない陸の孤島のようなエリアなのだが、家の近くからはバス一本でなんと9つの電車の駅へ直接行けるのだ。
なので、新宿に行くと決まっている時は新宿方向を目指すが、「大きな楽器屋さんだったらいい」「大きなデパートならいい」時には、最初に乗ったバスで行き先が決まるのだった。
今日は乗ったバスで、自然に山野楽器に決定した。
日曜日、小・中学生の頃は毎週のようにピアノピースを見に電車に乗って高槻の西武百貨店に出掛けたものだ。全音のピアノピースは一曲分だけの楽譜で、当時は一冊150円位で譜面が売っていた。楽譜の後ろには発売されている曲の譜面リストがズラっと載っていて、難易度はA〜Dまで。難しくてちゃんと弾けなかったが私はショパンとドビュッシーが好きだった。そう言えば子供の頃から、♭キーの曲が何故か好きだった。
でかい楽器屋さんの店内は、そのフロアによって客層が違う。エレクトリックギターやベースがあるコーナーには、”バンドをやっています”風の男の子が多く、バイオリンやフルートが置いてある階はクラシックが流れていたりして、静かで落ち着いたムードがある。
今日は、クラシックの譜面が置いてあるエリアに来た。ピアノ譜からストリングスアンサンブル、オーケストラの譜面までここは結構楽譜が充実していて、大人のお客さんが多かった。
ピアノピースに夢中だった頃、裏の曲リストを眺めて「自分の好きな曲を全部弾けるようになりたい」と、燃えていた。日曜日の午後に西武百貨店に買いに行って、家に帰ったら即練習を始めたのだ。好きなことに対しては、当時から私は非常にせっかちだったと思う。
結局腕が追い付かずどうしても弾けなかった曲はある。が、家には70曲分位の色褪せたピアノピースがある。弾きたい曲がなくなったら寂しかった。好きなのに持っていないというピアノピースがたくさんあった方が、断然毎日に張りがあった。
ピアノピースかぁ。
懐かしい。
今は”もの”が変わって、好きなケーキ屋さんのショーケースの前で、「興味のあるケーキ全部を制覇する」と、燃えている私なのである。


投稿日:2007年01月13日

2007年01月13日

キッチンのテーブルの上、一枚の新品のレジ袋が綺麗に折り畳んで置いてある。少し前Sストアで買い物をした時に、もらったものだ。
レジ袋には「地球にやさしい生活 Sストアの願い」
と、書いてある。
15日からSストアはレジ袋が、一枚5円と有料になるのだ。こちらのレジ袋を毎回お買い物の時に持って来てくれれば大丈夫!よろしくね!というお知らせのレジ袋が、この綺麗に折り畳んだ袋なのである。
私はこんなに綺麗に折り畳んだビニール物を見たことがあまりない。
自分でビニール物を畳んだ時、はじっこを合わせたつもりが少しずつズレていき、最後は「ビニールだから、こんなもんだろう」と合格点を急遽下げ、「よし!」と言って終わりにしていたのだ。
「地球にやさしい生活」の文字がまた目に入る。
自分は買い物に出掛ける時に、このレジ袋を毎回忘れずに持って出られるのだろうか。
多分、忘れる。
そして、中にゴミや紙くずが入った自分のバッグのなかに生鮮品を入れる気がなくなり、レジ袋を買うことになるのだろう。
今まで買い物をした時に、2枚レジ袋をもらって1枚に全部入れられた時、ささやかな喜びを感じていた。
<1枚レジ袋をおまけにもらえた>感覚。
これは自転車でスーパーのはしごをしていた頃、同じ品を”あそこで買ったより20円も安く買えた!”時の喜びと同じものなのだ。それで別の日に渋谷でケーキセットを頼んで1500円ですと言われていたとしても、だ。
スーパーという所で、女は狩人になるのだ。
「地球にやさしい生活 Sストアの願い」
ところで、そんなに優しいスーパーだったっけ。
重たいカゴを移動するのに、ここで自分は助けてもらったことはない。
杖を見て手伝ってくれたパートのおばちゃんのいる西友の方が、私は「優しくしてもらった」と記憶をしているのである。


投稿日:2007年01月12日

2007年01月12日

ダンボを連れて、散歩に出た。
君はいつも郵便局の角の道を、来た方の道でない道を歩いて行く。
何のためらいもなく。
知らない道は嫌いなんじゃなかったかな。
どうなんだろう。
今日も帰り道に、ダンボはそっちの道に進むので、
今日はダンボの進む方に行くことにしたのだった。
この道を通っても帰れる。
家の方角としてはあっていて、数十メートル距離が長くなるだけなのだ。
テケテケ、テケテケ。
しかし、T字路まで来た時にダンボの様子は明らかに変わった。
立ち止まり・・・。
尻尾がお尻の下に入り・・・
顔の表情をかたくした。
「なんだ〜〜!?」
ダンボは顔の表情が変わるのが顕著にわかる犬で、頬がこけて目が飛び出てギョロ目になった。
「ここはどこだ!」
立ち止まったまま、私の顔を見上げている。
「何でこんなところに居るのだ!」
知らんがな。
あんたが選んだ道ですよ。
動揺しているのがわかるのでおかしくてたまらない。
「約束が違う!」
何の。
「騙された!」
誰に。
ここは家の近くで、来たこともありこの道も知っているはずなのだが・・・。しょうがないので、「こっち」とだけ教えると、今度はピューっと走り出したのだった。
知らない道でパニックになり、お尻に尻尾を挟んだまま馬車でも引けそうな力と勢いで彼は走って行く。
走れ、走れ、走れ。
「たまにはこういうのもいいわね」
犬に引かれて、楽チン気分で帰ったのであった。