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投稿日:2011年12月17日

2011年12月17日

東京は人身事故で電車が遅れることが多い。
たくさんの人が電車が動かなくなって困り、また「人身事故で電車が止まった」ことに対して慣れてもいる。
人身事故ってなんだ。
その多くは飛び込み自殺なのだろうが、都内では誰かが飛び込み自殺をすることになんてたいして興味もない。人が電車に飛び込んで死ぬというそんなショッキングなことにさえ、鈍感にならざるを得ないほど頻繁に起きているのだ。
飛び降り自殺で巻き添え死する人だっている。電車での人身事故は他の人達にとっては「迷惑でしかない」出来事で、一つの命が亡くなってなお他人に迷惑がられるという悲しい行為なのだなぁといつも思う。
実家に居た頃、アルバイトの帰りに人身事故を起こした電車にちょうど乗ったことがあった。時刻は11時過ぎだったと思う。次の駅が自分の降りる駅で、一つ手前の「水無瀬」駅を出るところだった。
各停で駅を出たばかりのゆっくりの速度だったのが、ガゴンという鈍い音を立てて止まった。
そのまま何のアドバイスもなく電車は止まった状態で10分程が過ぎて、そのあと救急隊員のような人達がやってきた。若い女の子の声で「おかあさん」と泣き叫ぶ声がしたと思ったら、まもなく電車は何事もなく動き出して次の駅で私は電車を降りたのだった。
二両目の一番前の位置に座っていたから、何が起きたのかは目にはしなかった。
駅についた時に、さっき自分の乗っていた電車で人身事故が起きたんだと思ったら、とても後味が悪かった。さっきまでウトウトといい気分で電車に揺られていたと思ったのに、一気に自分まで暗い気分に覆われた。
人身事故はあれから一向になくなるわけではない。
電車に飛び込むだなんてあり得ないと思っている私も、ホームでふと向こうからやって来る電車に引き込まれそうな感覚になって、何か自分の意思以外のものがそこにあるのかもしれないと怖くなることがある。
師走になると、またこういう事故が多くなる。
足を前に進めた先に終わりがあるのはなんて寂しいことなのだろうか。
自分の死の瞬間を、他人に見せつけて心をえぐる。
こんなに惨いことが、もう長いこと都会の日常の中では当たり前になってしまった。