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投稿日:2015年03月27日

2015年03月27日

今週の月曜日、いつものように外来に行った時、血液検査の結果がひどく悪くなっていた。それまでも血液の赤ちゃんを作る機能と血小板の数値が悪く、毎週の輸血で補ってもらってきたが、先月位から白血球の数値が悪くなっていて、月曜日は自分が見てもこれはさすがにまずいなという数値にまで下がっていた。

白血球が低いだけでなく、好中球の数値が一気に下がっていた。好中球は身体の中にある細菌などと戦ってくれる身体の味方なのだが、そういえば少し前に熱が出たりリンパが腫れて身体がだるかった。

いろいろ病態が行き来していたが、今は最重症の再生不良性貧血の状態にあるらしい。先生が平均余命がだいたい数ヶ月、だが風邪を引いたりして肺炎や敗血症に移行したら1週間で亡くなることもある。と説明をくれた。元気そうに見えると言われていたし、自分もそんな深刻な状態だとは思っていなかっただけに、さすがに受け入れられなかった。そして延命として前に受けた入院治療をもう一度勧められたのだった。

もう痛い治療はしないと去年の秋に緩和ケアの受診を受けるようになった時に、私は決めたのだ。もう痛い治療は終わりにしよう。痛い治療はもうたくさんやってきたから自分の身体にお疲れさまと言ってあげてもいいんじゃないか。

もう治療はしないと決めてからは、病気に対する恐れが和らいだ。そしてようやくいつも自分の中に重りとなっていたものから解放されたような気がしていた。以前のような「何が何でも生きていたい」という気持ちを手放したら「なるべく悔いのないように毎日を送りたい」という気持ちが沸いてきた。

治療はもう受けたくないんです。と答えていた。

だけど少しでも命をつなぐ方法があればそれを勧めるのが私の立場ですと先生はいつになく優しい口調で私を説得した。そして、感染をしたら治療ももう受けられなくなるから、一日でも早く治療を受けると決められたら病院に連絡を下さいと言われてその日の診察は終わった。

元気そうに見えると思っていたのに。

こういうことって急だなぁ。

さすがに心が混乱して翌日の約束を取りやめにしてもらった。

水曜日も木曜日も起きられなかった。

治療はやっぱりもう受けようという気持ちになれなかった。

そして今日、緩和ケアの先生のところに行った時にも「治療は、受けようという気持ちにどうしてもなれなくて」と話していた。緩和ケアに通うようになってからもう治療は受けないと決めたこと、そうしたら「生」に対する執着や病気に対する恐れからやっと解放されて楽になったということや、一日を大事にしようと心がけたらそれから今日までを振り返ると何故か悔いがないんですというようなことを言っていた。これが数日変わらなかった自分の気持ちだった。

重たい空気の中。

2000年に入院した時から父の代わりに家族代理として重要なサインや同席などをしてくれていたY氏が「どう、思われますか」と、先生から意見を求められた。

すると隣りに座っていたY氏が思いもしないことを言ったのだった。

「どうせもう悔いがないんだったら、治療も受けてみたっていいんじゃないのかな」

「えっ」

えっ?今、何て言いました?

そんなに・・・・適当な感じで、いいの!?

どっちでもいいと思うよ〜みたいな。

生きるとか死ぬとか、こういう大事な局面の時に真面目に話している中で、突然「今日の昼飯、カレーでもうどんでもどっちでもいいんじゃない?」的なまさかのノリに意表をつかれた。と、同時に私は大笑いしていた。

「わはははは!わははは~~!そんないい加減な!」

すごく笑ったら先生も看護士さんも大笑いになった。

Y氏は泣いていた。大笑いしながら私は思った。

そうだわ。悔いがないんだったら、人生の終わりのことをそんなたいそうに考えなくたっていいんじゃないの。自分があんなに大笑いするとは思わなかった。そしてあんなに揺らがなかった決意がたいした選択じゃないと急に思えたのだった。

緩和ケアの先生がその後でフォローするように、治療を受けることも含めて悔いのない人生に組み込めたら一番いいと思いますと言った。

治療、もうここまで来たんだからどっちでもいいよね。

どっちでも納得出来るわ、私。

ただし、月曜日まではやっぱり保留。

それはもう一つ私が信じて願っていることがあるからだ。

それは私の身体が白血球と好中球の数値を頑張って上げてくれること。1月に保ってくれていた数値までもしかしたら自分の身体は元に戻せるかもしれない。その兆しを月曜日まではあきらめずに信じて待ちたい。

それで駄目だったら、治療を受けてみたっていいんじゃないかな。

別に、それぐらいの気持ちでいいんだなと思えるようになっていた。