はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2014年06月21日

2014年06月21日

今朝の採血で血小板とヘモグロビンの数値がまた輸血レベルに下がっていた。

血小板は2万まで下がっていたので、明日輸血を受けることになった。

今回の入院で、各科の申し送り機能がよくないとわかってから、血液内科で受けていた治療の流れを呼吸器外科でも把握してもらおうと、今朝の採血も当初は予定になかったのを、そろそろ血小板が減ってきている頃だから一度確認して欲しいと頼んでしてもらったのだ。

結果はやはり今日のタイミングでの採血で正解だった。

治療に物申すつもりはないが、血小板は下がり始めると一気に下がる。遠慮して言えなかったことで、脳内出血を起こして死んでしまったら私はきっと邪悪な霊となってその後何百年も病院に棲みつくだろう。

そんな歪んだ道を、私だって選びたくはないのである。

はぁーあ。

「私は身体だけは元気でねぇ」

と、93歳ぐらいでまだ庭仕事が趣味だったり、お買い物に出かけているような「マイペース元気婆さん」になりたかった。DNAあみだくじでうまいこと行けば、家系的にはそれも掴めるはずだったのだが。

午後、叔母が訪ねてくれた。

そのあとで。

今日は久々にダンボとの再会が出来た。

もちろん病室に犬は連れては来られない。だが、車で病院の駐車場にやって来てそこに私が会いに行ければ、ダンボと会えるんじゃないかという友人の提案で、「そうか!そんなことが出来るのか!」と気づき、嬉しい嬉しい再会を果たすことが出来たのだった。

「ダンボちゃーん!」

車に乗せられたダンボと再会した時、珍しくダンボは「あっ‼」という顔をした。そして私の予想に反して興奮して喜んでくれた。

気まぐれネコみたいなダンボが犬みたいに接してくれるだなんて。

「ダンボちゃん、元気だった?」

まぁ…5分ぐらいすると私への興味もなくし、よそよそしくなり、私と居るより早く家に帰りたいモードになっていたが、それでもとっても私は嬉しかった。

昨日泣いたカラスが、もう笑ろた。

悲しくて仕方なかった次の日に、心から嬉しくなることは、また出来る。

そうして、つないで、つないで、行こう。


投稿日:2014年06月20日

2014年06月20日

10時。度々お世話になっているA棟15階の血液内科からB棟9階の呼吸器外科にお引越しをする。

左手にERがあってちょっと緊張感がある。私は962号室。二人部屋に入ることになった。

担当の看護師さんに簡単なこれまでの経緯を訊かれる。一通り話したあとに何か不安や聞きたいことはないですかと尋ねられたので、科をまたいだ連絡系統があまりよくないので、それが治療に影響が出ないようお願いしたいんですと訴えたら汲み取ってもらえたようで、ちょっとホッとした。

はぁーあ。

荷物を片付けてお引越し終了。

同じ病院なのに景色が違うなぁ。

ようやく落ち着いてボーっとしていると、「こんにちは」と先生がやって来た。

「前も会いましたね」

咄嗟に思い出せないが、前回の手術でお世話になったのかもしれない。

「また、お世話になります」

と、答えた。

「今回、手術を受けられるんですよね」と切り出されて、唐突な感じはしたが、薬の説明や体調のことを聞かれたので、あぁやっぱり私は手術を受けにこの病棟に来たんだなと理解をした。

「じゃ、また」

薬の説明をしたら先生はあっさり去って行ったが、よく考えたらもっと詳しい説明が聞きたかった。だって私は今回手術は無理ということで放射線治療を受けることになっていたのに、どうしてそれが手術適応になったのか。手術といってもどれぐらいの範囲、手術することになるの、とか。

うーむ。

聞きそびれてしまった。

と、思っていたらさっきの看護師さんがやって来た。

「今のはどこの科の先生なんですか?」

と、看護師さん。

「え?呼吸器外科の先生じゃないんですか?」

「違いますよー」

「えー!」

「どこの科の先生なんでしょうね」

「いや、今、手術ですよねって来られたから。あぁ、私は手術を受けることになったんだ、って、その説明かと…」

「呼吸器外科の先生じゃないです」

「えーっ‼」

これには看護師さんもあきれていた。

やって来たのは内分泌科の先生で、またしても科をまたいだフライングとなった。

私は、

だから、

手術ってもう決まっているんじゃないでしょうか?

早くちゃんとした説明が受けたい。

受けたい。

受けないともう心が持たない。

6時になってようやく昨日訪ねてくれた先生が顔を見せた。

「手術はしなくて済みそうです。放射線治療になると思います」

「え?」

一体どういうことなんだろう。

手術しなくて、“済みそう”というそのニュアンスがよくわからない。

ほんと、どういうこと?

詳しく聞こうとしたら、主治医の先生が今学会でお留守で月曜日に来られるので、その時に説明をしてもらう形でもいいですかと言われて先生は立ち去ろうとするのだった。

ちょっと待って。

待ってください。

急に涙が溢れて来た。

今治療方針がわかっているのなら教えてください。

そう食い下がった。

だって、最初は手術が出来ない。出来ない場所にあるということと、今あるものを取ったとしても播種で広がっているから手術で取りきれる状態じゃないと言われて、放射線治療になったのだ。

放射線治療は根治にならない。そう知って嘆きながらも気持ちの落とし所を探っていたのに。

今度はこの数日間、いろんな先生がやって来ては“手術ですよね”と言って行く。

心の準備もなく手術と言われたらショックだったが、もう一度冷静に受け止め直して、手術を受けられるというのは何か希望に繋がるんじゃないかと仕切り直しをしては、「いや、ちゃんとした説明はまたあらためて」とまたフラットな状態に戻されながら今まで過ごしていたのだ。

内分泌科の先生は、「胸腺腫を取ることで、血液の病気もよくなるかもしれませんし」と言っていた。

白衣を着て、私の担当の先生だと名乗る人の言葉をどれほど真面目に聞いてきたと思っているのか。

今わかっているのなら教えてください。もう、月曜日までこんな状態ではいられません。

そう訴えてようやく、説明をしてもらえたのだった。

胸腺腫の治療は最初の診察時と変わらず放射線治療であるということ。胸腺腫を手術するということでなく、手術を検討していたのは心臓の周りにある腫瘍の中が水だとしたら、その水を抜く作業のことで、そもそも腫瘍を切ることは選択肢にはなかったのだそうだ。

ようやく聞くことが出来た。

そっか。

手術じゃあなかったのか。

運命が大きく変わろうとしていたわけじゃなく、ただの連携ミスに翻弄されただけだったんだ。

みんな悪気はなかったとは思う。

でも私にとっては、こんな悪い冗談みたいなことをされたのだから、せめて心を込めてごめんねの一言ぐらいもらいたかった。

とっても疲れた。

哀しくもあった。

だが、もうこれでどんな先生が勘違いをして私に話しかけても、次からはそれは違いますよと答えられる。仕事のミスに翻弄されるのはまっぴらだ。

自分の治療をようやく知れた。

この間の、最初の診察の時に、あと10年、生きたいんですけれどと言ってそれは無理ですと即答されたことも、また現実のこととなった。

いつまで行けるかわからない。

行けるところまで。

みんな誰しもに終わりはやって来て、自分がそれを自分に感じながら、だけど今日の幸せをちゃんとかみしめられるようになれたら、それが一番いい。

それを目指せたら一番いい。


投稿日:2014年06月19日

2014年06月19日

午前中、呼吸器外科の先生が来た。

明日、今居るA棟15階の血液内科病棟から呼吸器外科のあるB棟9階に移動するのが決まったのだそうだ。

「病棟を移られた頃には治療計画が決まっていると思いますので、移動されたらお話させていただきますね」

初めて会う先生だと思ったら、前回2010年の手術の時にも診てもらった先生のうちの一人だったようで、ちょっとホッとした。

手術なのか放射線治療なのか、まだわからない。明日の説明を待つしかない。

血液内科の病棟は去年の秋から度々入院でお世話になっているので、看護師さんとも顔見知りになっていたし、穏やかな雰囲気なので、好きな病棟だっただけに病棟の移動はちょっと緊張する。

内科と外科は、病棟も含めて雰囲気が少し違う。実際に一昨日、外科の外来に行った時も、血液内科病棟を出る時は「マスクをつけて」「車椅子で」の指示に従って行ったら、外科の診察室に入ると「マスクは外して。別にしなくてもいいでしょう⁈」「あなた、歩けるんでしょう?じゃあ出来るだけ歩きなさい」と教授にたしなめられていた。

なんかちょっと違う気がするんだけどなぁ…と、思いながら「はい」と答えたが、まぁそんな感じだ。

夕方。

木曜日は教授回診の日。

「明日、転科して呼吸器外科に移るんですよね」

と、教授。

「はい」

「で、オペの予定ですよね⁉」

「はぁ〜っ⁉」

驚いた所で担当の先生が「まだ、決まっていませんので」と慌てて遮って取り繕っていた。

えぇええー。

そうなの。

どうなの。

教授達が去った後で、不安にまた覆われる。

明日じゃなくて、今だいたいわかっているのならもう教えて下さいよ。

これでここの病院の、科をまたいだ連絡系統のフォーマットがダメなのはわかった。もうそれは大目に見るから、治療だけはプロでお願いいたします。

というか、やり取りの中でこんな不安なことがあったということは、クレームとして伝えられなくてもせめてこうして文章にして残しておかねば。

まだはっきりしたことは何も教えられてはいない。

でも、やっぱり手術になるのかぁ。

こばちゃんは「ごめん。私が土曜日、また病院にヨッシーを呼んだんだと思う」と、再入院のあと何度か真面目に私にそう言った。

あの時はすまなそうに言っていたけれど、こばちゃんがその特殊な力で私を放射線治療でなく手術に導いたのか。それとも、今不思議な力が働いていると自分が感じる全てが気のせいなのか。

この先に答えがあり。

今文章にしておくことでしか答え合わせは出来ない。

オレンジと黄緑色のオーラしか感じられない。どこからくるのかわからないけど大丈夫っていう自信があるのと言ってくれた言葉を信じよう。


投稿日:2014年06月18日

2014年06月18日

午前中、MRIの検査に呼ばれて行く。

今日は5月末の入院で同室になったこばちゃんの退院日。明るい人だったので彼女と話していると病気のことを忘れてよく笑った。一度は私が見送られて、今日は見送る日。寂しいけれど退院はやっぱり嬉しい。

彼女が帰ってからもらった手紙を読んだ。

こばちゃんは「見える」人らしい。

「感じる」人でもあるみたいで、入院中に彼女の不思議な体験談は聞かせてもらっていたのだが、こばちゃんからの手紙には私のオーラの色が見えていたこと、他にも不思議な話が書いてあった。

「きっと良くなるよ!」

お手紙はお守りに変わった。

心強くなって穏やかに過ごしていると…。

それから数時間後、心臓のエコーを撮りに二人循環器科の先生から「来週の月曜日、手術なんですよね?」といきなり言われる。

「へっ⁉手術⁈ですか⁈」

「あれ、説明受けていませんか?」

「いいえ、受けていません。どういうことなんですか?」

「えーっと」

「何の、何処の手術なんですか?」

「いえ、何も聞かれていないのなら…」

「何のことなんですか?」

すると二人の先生はモゴモゴしてその話をうやむやにしてエコーを撮った後すぐに去って行ったのだった。

急にものすごく不安になる。

手術だなんて聞いていないし、一体どうなっているんだろう。

看護師さんに尋ねに行ったら看護師さんもビックリしてそんな話は聞いていないということで確認をして先生から説明に来てもらうことになったのだった。

昨日の外科外来にしても、今日のことにしても、連絡がちゃんと取れているのかしら?と不安になってきた。

夜になって呼吸器外科の先生が来て、連絡の行き違いだったということ、今今後のことはMRIなどのデータを見ながら手術を含め治療方針を検討しているという説明でようやく現状がわかった。

近々、呼吸器外科の病棟に移るみたいだ。

治療日程や流れも既に「放射線治療」に決まっていたのが、土曜日の一件があったことで振り出しに戻り、思わぬ再考されることになった。何かの力が働いてまた私の運命の舵が切られているのか、それとも気のせいなのかわからない。

とにかく私という船は今どこにむかっているのかわからない。

どこにいくのだろう。

また、こばちゃんからのお守りを握り
しめていたのだった。


投稿日:2014年06月17日

2014年06月17日

赤血球と血小板の輸血を再度受けたら、身体がまた元の調子に戻った。

土曜日の頻脈の原因はまだわからず、だが胸腺腫かが関係しているのかもしれないということで、呼吸器外科の受診をまたすることになった。

呼吸器外科の外来日はここの病院は火曜日と木曜日。私の担当の先生の外来は木曜日。呼ばれて診察室に入ったらたまたま教授の診察室だった。

今日は何で来たの?治療方針ももう決まっているみたいだし…。という対応に一から説明をする。

治療方針が決まったあとに、これこれこういう状況になって、それで原因が胸腺腫にあるのかもしれないということで、診察を受けることに“なったんだと思います“。と、語尾に“患者のわがままできたのではない“ことを含み説明をしてようやく「胸腺腫はウチの科が診るから」と、診察に来た理由を理解してもらえた。

連絡、取り合っていないのかしら。

科をまたいだ複雑な病態になると、治療や検査も増えてくる。

これからどうなるのかなぁ。

ずっとモヤモヤしている。

このモヤモヤ、何とかしたいなぁ。

どんな時でも笑顔でいられたらいいけれど、笑えない時には無理をして笑う必要はないんじゃないか。

私は暗い。

今とっても暗い。

正直であることの方が大切な気がしている。


投稿日:2014年06月16日

2014年06月16日

本来なら外来日。が、一昨日から入院中。

ちょっとのことで息が上がる状態は翌日にほぼ収まって、今日はまた元に戻っていた。血小板が急激に下がったからだと私は思うのだが、血小板は関係ないのだそうだ。

未だこれといった原因はわからず。

採血の結果は腎機能と肝臓の値が悪くなっているのと炎症反応が少し高かったので、内臓のどこかがやはりおかしくなってそれで心臓にきたみたいだ。

しばらく様子をみながら、出来る検査をするとのこと。

眠って過ごす時間が多かった。


投稿日:2014年06月14日

2014年06月14日

昨日から、少し息が上がりやすくなっているなぁと思っていたら、今朝はもっと息が上がりやすくなっていた。

ジッとしていると大丈夫なのに、立ち上がって少し歩くと全力疾走した直後ぐらい息が上がる。ヘモグロビンが相当下がった時と同じような感じなのだが、輸血を沢山して帰って来たのでヘモグロビンがそんなに減っているとは考えにくいし…。

何だろうなぁ。

月曜日になったら外来があるからそれまでの辛抱。そう思いながら過ごしていたのだが、夕方になるとそれが顕著になってきた。

やっぱり何かがおかしい。

月曜日までもたないなと判断したのが6時半頃だ。病院に電話をしたら、一時退院の患者ということもあって救急で診てもらえることになった。

その時点では車で行くつもりだったのが…。その後息の上がりが早くなってしまい、結局動けなくなって救急車のお世話になる。

どうしちゃったんだろう。

寝返りをうっただけで、頻脈になる。

夕方から坂を転げ落ちるように苦しくなっていって、急変して亡くなるというのはこういうことなんだと、今回はいよいよ自分は死ぬんだなぁと救急車の中で思った。

病院に着く頃には少し頭を動かすだけで頻脈になり、嘔吐も始まってとにかく今までになくしんどかった。

救急の処置室で。

採血結果は血小板の数が3000と異常なぐらい減っていた。が、ヘモグロビンはここ最近の数値に保たれていた。通常は血小板の低下でこういう状態にはならないので原因はわからないということだった。その後の検査で胆嚢が腫れていることがわかる。が、これが頻脈の原因ということまではわからず。心電図での検査でも心臓自体が直接な原因ではなさそうと出て、あと精神的なものではこういう状態にはならないと、結局原因がわからないまま夜中に血小板輸血を受ける。

心エコーで少し心臓の周りに水が溜まっていることがわかり、経過観察のため急遽また入院となった。


投稿日:2014年06月12日

2014年06月12日

今日は外科外来。

診察室に入ったら病理の結果が出ていて、胸腺腫の再発ということがわかった。2000年に2回手術を受けて2010年にも手術を受けた胸腺腫。私の型は浸潤型で手術をしても再発をすることが多く、今回は新たに見つかった2つの胸腺腫のうちの一つが心臓や太い動脈に絡んでいて手術が出来ないとのことで、急遽外科外来から放射線科の診察を受けることになった。

2010年の手術後に1ヶ月毎日外来で通った放射線科。受付を済ませるとしばらくして名前を呼ばれた。

胸腺腫はしつこい腫瘍で繰り返し再発をするらしい。前回放射線治療をしてもらった箇所を写真で見せてもらい説明を受ける。放射線治療は同じ場所は2回治療を受けられないらしい。一度放射線を当てた箇所は正常だったところにもダメージを与えていて、再度当てることが出来ないという決まりになっているのだそうで、今回の放射線治療はどうしても重なる箇所が一カ所あって、そこは照射が出来ないのでそれ以外のところを治療することになるということだった。

血液の病気もあるので、治療もいろいろ考えながら進めてもらうことになった。

外科の先生も放射線の先生も、胸腺腫はやはりまだあまり患者数がいないので今後はどういう経過になるのかは治療をしてみないとわからないと言っていた。

どうなるのかがわからない病気はきっと沢山あるんだろう。

誰だって明日のことはわからない。

わからないが、明日は今日とさほど大きく変わることなくやって来るものだと思って意識せずに過ごしている。

「放射線治療を受けたら貴女はとっても良くなりますよ」ということではなかったとしても一つは治療法が決まったということだ。

16日の血液内科の外来で今日の方針を以て何かが決まるだろうし、私はその決まった治療を受けるだけだ。

血液の病気も胸腺腫の治療で一緒に良くなったらいいなぁ。

今の私の血液の方の病気も免疫が関わっている。T細胞というのがどうも私の身体の中の異常に関係しているらしく、T細胞は胸腺腫と大きく関わっている。だとしたらこの2年の血液疾患は胸腺腫が原因だった可能性もある。

放射線科の先生は「出来るだけのことはやってみます」と言っていた。

まだ何にも見えないけれど、いろいろなことがいい方に向かいますように。


投稿日:2014年06月11日

2014年06月11日

明日は呼吸器外科の外来日。

もしかしたら病理の結果が出ているかもしれず、そうでなかったとしても何かしら今後のことが聞けるのだと思う。

退院前に輸血をしてもらった赤血球と血小板は日が経つとやっぱり減ってきているのかなぁ。息切れと青あざがちょっと増えた。

梅雨で雨の日が多くなった。


投稿日:2014年06月09日

2014年06月09日

月曜日。

今日からまた新しい一週間だ。

庭は春の花が終わり、夏の花のサフィニアが随分大きくなった。ミニトマトも青い実をつけていてブルーベリーは2つ程収穫出来た。トマトとブルーベリーはダンボと一緒に摘んで分けっこして食べるのがこの何年かのお決まりになっていて、一年に一度の収穫期にはダンボも私と同じぐらい喜んでいる。

一年に一度のことを覚えているのかどうなのかわからない。だが、「ブルーベリー、食べよっか」と声を掛けると去年と同じように頂戴!頂戴!と喜んでいた。

はい、一個はダンボちゃんに。はい、一個は私。

午前中、11時頃に病院から電話が掛かってきた。16日の血液内科の外来より前、12日に呼吸器外科の外来の予約が入ったみたいで、もしかしたら12日の日に何か次の治療についての話があるのかもしれない。

わき水が流れを変えながら海へと向かうように。

何かしら方法を探って見つけながら先に進む。

わき水は最初から自分の行く道なんて知らない。行ってみて上手く進めなくなったら、また方向を変えそれを繰り返して行くだけ。だけど誰よりも”曲がりくねった道”を行く王者なのかもしれない。

パソコンの中身を整理していたら去年の夏頃に撮った写真を見つけた。

確かこの時は検査の結果が思わしくなくなっていた時期だったはず。

笑って写っているその写真。

きっと憂鬱が頭の隅っこに消えずにあったはずなのに、そのことは思い出せない。その日楽しかった記憶だけが残っていた。

なんだかちょっと不思議。

それで今度は意識をしてこの一年のうちのことを振り返ってみたら、その頃に悩んだり不安に思っていた感覚だけが不思議と消えていて思い出せず、全部が楽しかったという部分しか思い出せないことに気づいたのだった。

不思議だなぁ。

いいや、もったいないことをした。

頭の隅っこにあった不安は、少なくともそれなりになんとかなって、それで今の私がいるのだから。1ミリの憂鬱も捨てて、ほんともっと心から今日を楽しみなさいよ!もったいないわねぇと過去の悩める全ての自分に教えてあげたい。

今日も天気がよくなかった。

昨日、今日は丸一日ゆっくりどっぷり家でくつろげたと思う。