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投稿日:2007年08月21日

2007年08月21日

今日はtrico!の良原リエちゃんの家に行った。
リエちゃんは、とても独創的で魅力的な音楽世界を持っている。二年前に出た作品の「Love home」は私のお気に入りのアルバムで、前から一度何か一緒にやりたいなと思っていたのだ。今進めているトラディショナル曲のカバーアルバムで、是非参加して欲しいとお願いをしての念願の今日となったのであった。
アルバム「Love home」は、ピアノの小曲から始まって、曲が進むごとにアコーディオンやトイピアノ、彼女の声やSEなどが次々に出て来る。日本語の歌詞を使っての説明が一切なされていないのに、聴いているうちに匂いだったり映像だったりが浮かび上がってくる。
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このアルバムを聴くうちに、私にはいつしか想像上の「一軒の家」を抱くようになっていった。
その家は、広めの敷地の中に建つ洋風の一軒家。平屋で古い家なのだが、当時ハイカラな建物でその後も住む人によって丁寧に住まわれてきた名残りが外からでも窺える。庭は地植えをされて自然にそれぞれが大きくなった草花が生えていて、中の洋間にはアップライトピアノが置いてある。
住んだことも見たこともない家が、彼女の作品を聴いてハッキリ絵となって浮かび、私はその家が何故だかとても好きになっていた。そしてこれはきっとリエちゃんの家なんだと思うようになっていったのだった。
横浜に近いとある駅。そこから歩いて数分の所にリエちゃんの家はある。駅までリエちゃんに迎えに来てもらった。
「この辺りが大好きでね。一度別の所に行ったんだけど、戻ってきたのよ」とリエちゃん。駅を離れると店もあるがすぐにのどかな住宅街に変わる。
「ここ」
アルバムを作ったのは前の家だったと言っていたが、ここと指をさした家を見て驚いた。違ったのは二階建てだったという点ぐらいで、あとは洋館であることや年代や庭の様子も「Love home」の音から浮かんだ家そのものだった。
「リエちゃんの家で録音をしたい」と言っていたが、もうそれしかない、それぐらいピッタリときた。
リエちゃんとの一曲は、草や木や花が自然に自由に咲く庭のある家の中から、夕方に聞こえてくるピアノの風景。「少し乾いた音で録りたいからこのスタジオを選んだ」と音でスタジオを選ぶ人がいるのと同じように、今回おだやかな風景や時間が録れる場所で音が録りたいのだ。
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「この家が、大好きでね」
家の中を案内してもらう。1970年に建てられた家なのだそうで、当時かなりハイカラな家だったと思われる。キッチンや部屋の間取りも個性的で、窓がとにかく沢山ある。
アコースティックピアノの他に、変わった鍵盤が数台並べて置いてある部屋の中にも日がたくさん射していて、なんとも言えないいい気が家の中全部に漂っていた。
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自分が今見ているもの達、これが既にもうレコーディング。お茶を飲んで会話をしている時間も、今自分が感じているものが空気になって入ればいいなと思っていた。
今日は早速実際の作業に入った。
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作業に移ると、リエちゃんは次から次へとアイデアが出る。なんて頭の切れる人なんだろうかと思う。物作りと物事を進めることの両方が、この人は揃って私の尊敬するタイプだ。
「蝉の声も入っちゃってるけど、どうしようか」
しばらくこれは結論を保留として、今日の作業は終わった。
少しずつ出来上がって行く。
今日、行って仕上がりが何より楽しみになった。
間近で作業をすれば、リエちゃんの感性の素晴らしさをもっと感じたのであった。


投稿日:2007年08月20日

2007年08月20日

服部祐民子ちゃんとのリハーサル2日目。
結構、歌いっぱなしの祐民子ちゃんなので、よく声が疲れないなぁと思うが、歌うほど声が出て来ると本人は言う。ロングトーンになるところがリハーサルでやっていても気持ちがいい。やっぱり今日も、曲の空気と温度をしっかり掴むことが大事だなぁと思ったのだ。
スタジオの中というのは、エアコンが設置してあって、年中それが冬であっても暖房にすることはなく冷房が稼働していることが多い。
窓のないスタジオから、何度か休憩で外に出るとそこは夏の猛暑の世界。カンカン照りの日差しは今日も続いていた。
「暑いね〜〜」
「ほんと、暑いですね〜」
それが、だんだん日が沈んでいき、リハーサルが終わった頃には夜になっている。
二人で黙々と進めるリハは、なんとなく合宿っぽい雰囲気。お互い10年以上、音楽を仕事にしてきているので、もっと簡単に進めていくリハーサル方法も通ってきているが、今回はアマチュアバンドの頃にやっていたような千本ノックリハをやっているのだ。
いつかマネージャーの大山さんが、曲作りの時祐民子ちゃんは納得が行くまでやり直しをすると言っていた。私もそう、だから似たタイプの曲作りをする二人が、曲作りと同じような進め方をライブ作りでもすれば、きっと先に出来上がるものがいいものになると思う。
リハが終わると、お腹が空く。
「かんぱ〜い」
ご飯を食べつつ打ち合わせをする。
考えてみたら、二人でご飯を食べるのは初めてなのだ。
「じゃ、次は23日に!」
この合宿っぽいリハは、きっと今年の夏の忘れられない思い出になって、この先何年も残るような気がする。
帰り道、夜の風が少し秋に近づいていた。
秋は夜からやってくる。
どこで鳴いているのかな。
姿は見えないけれど。
君もロングトーンが気持ちいい声ですね。
秋の虫が鳴き、9月を手招きしていた。


投稿日:2007年08月19日

2007年08月19日

部屋の南側の植物が元気に育ちました。
夏の暑い直射日光にも枯れず、グングン伸びてこんなに大きくなりました。
すごい生命力です。
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ところで。
あなたは誰ですか。
家の南側の庭には土はない。ここはコンクリートで固められていて、あるのは排水溝だけなのだが、この排水溝から6月頃に雑草みたいなものが伸びてきたなぁと思っていたら、あれよあれよと言う間にこんもりとした低木ほどのサイズのものに成長したのだった。
前の家では、謎の蔦がうわーっと伸びてきて気持ちが悪かったが、ここでは排水溝から謎の植物が生えてきたのだ。家で私が育てている植物はこの暑さでほとんど枯れてしまったのだが、私が水もやらないこの植物だけがフサフサの緑のままでいる。排水溝だから水に困ることがないんだろうが、ここまで大きくなると抜くのが怖くなってきたのだ。
去年はこんなものはここからは生えて来なかった。
どこまで大きくなるの。
花が咲いたりもするの。
木に成長するの。
時々、家に居ながらにしてなんとなく落ち着かない気分になっている。
早く家に帰りたい。
・・・・ここが家。
鍵を閉めながらバッタに飛びつかれ、トカゲやカマキリが足元をチョロチョロする。ゴキブリやハエやらクモ達と同居をし、謎の植物がすぐそこにある暮らし。
自然に囲まれていていいじゃないと人は言うが。
一階の暮らしは、キャンプ場のテントの中と非常に似ているのである。


投稿日:2007年08月18日

2007年08月18日

幡ヶ谷にてリハーサル。
今日はバイクでスタジオまで行った。
スタジオは途中から甲州街道という大きな通りを走って行く。この道はビュンビュンと車が飛ばしている道なので怖いのと、時々どの道を走るのが正解なのかわからなくなる。高架になっている所を走っていたら、「ここはバイク、だめですよ!」と追い越しながら車の人が教えてくれたが、じゃぁと言って逆走して戻ることも出来ずにそのまま走るしかなかったのだ。
大きな通りのことがよくわからないのだ。
今日はリハの初日。今回は候補曲を少し多めにして、リハでいろいろ試してから少しずつ厳選していく方法なので、最初の頃のリハが一番曲数が多くなるが、今日はなかなかいいペースで進んだと思う。
ピアノを弾きながら、”やっぱり歌詞がいいなぁ”と感じる。演奏をしながらでも、その曲の私が好きな一文が来る時には気持ちがグっと上がる。時々リスナーになりながらやっていたような感じだった。
一緒に音を合わせて少しずつロカしていき、いい形のものにしていきたい。歌の温度感を掴むことが一番の課題だなぁと思う。
いい旅にしたいのだ。
今日は旅の始まり、リハ初日だった。


投稿日:2007年08月17日

2007年08月17日

ここ2〜3年間、「今年の夏はこれがしたい!」の項目の中で叶えることがないままだった私の夢が二つあるのだ。一つは浴衣を着ること。そしてもう一つはビアガーデンに行くこと。
今日はそのうちの一つ、「ビアガーデンに行く」が叶ったのだ。
少し前にラジオの収録で、「私の今年の夏の目標は、浴衣を着ることとビアガーデンに行くことです」と話したら、収録後あっさりと「じゃ、今度みんなでビアガーデンに行きましょう」とディレクターのO氏が切り出してくれたのだった。
10年程、私が「ここ、行ってみたいですね〜」と言い続けて「俺は全く興味ないね」と冷たく返事をしていたY氏も、他の人が言えば「おぉ、いいですねぇ」と、即返。こうして今日は、晴れて念願の「外苑にあるビアガーデン」に行くことになったのであった。
「森のビアガーデン」
ここは車で会社に行く時に前を通ってきた場所で、都内のド真ん中にある所なのだが、道路からは森しか見えず、明かりが木々の間から洩れて来るようなチラリ加減が何とも言えずに興味をひかれる場所だった。
私はビールは飲めないし、飲みたいとも思わない。だが、夏はビアガーデンに行ってみたい。ビールの宣伝みたいに暑そうなシチュエーションでビールをグビ〜ッと飲んで、ぷはーっとやっている場、つまりビールのCMみたいなものを生で実演している場所に居あわせたいのだ。
ぷはーっ。うっめ〜〜〜。
人がビールを一気に飲んで、そのあと至福の表情になるのを見る時、私は「夏の涼」を感じる。京都の「川床」で過ごすと、暑いがなんとなく夏の情緒を楽しめるというのと同じぐらいの「涼」だ。
今まで見えなかった中に入ると、そこは森の中。
都心部の蚊の生息地としては1〜2を争うであろう。
バーベキューでしか、黒こげ野菜は食すことはないが、黒こげししとうを食べてこそ、本当のバーベキュー。これでよき。
ウーロン茶で大満足。
夏はやっぱりビアガーデン。
「ビアガーデンに行きたい」夢はついに叶った。
夢は口にすることで叶うのだ。
いつか、何かの本かテレビでそう言っていたが、私はあんまりそういうことを信じていなかった。今日私は人生で初めて「それは本当のことなんだわ」という実感を得たのであった。
感動をしたのだ。


投稿日:2007年08月16日

2007年08月16日

今日もプールに行った。
プールには中央の高い椅子に座った監視員の人が一人、それからプールサイドに立つ人が一人、多い時にはもう一人居ることもある。監視員交代の時には決まった指差しポーズなどをお互いがして、それで持ち場がかわる。
奥の控え室から出て来た人が交代にやって来て高い椅子に座り、それまで高い椅子に居た人が今度はプールサイドに立って監視をする。そしてプールサイドに立っていた人が奥に引っ込むという順番になっていて、私も最初の頃は水の中を歩きながら、”この人達が、何かあった時に助けてくれる人達なんだわ”と尊敬の念で見上げていたものだ。
だが、最近はこの人達はプールの様子を本当はあまり見ていないのだと思うようになった。
プールの中から手を上げていても、気づいてもらうまでにとても時間がかかるのだ。
手を上げる。
最初の5秒ぐらいは手を上げていて違和感がないのだが、10秒ぐらいすると周りの人が気づくのでちょっと恥ずかしくなってくる。この間私から見える監視員は、二人共首振り扇風機のように絶えずプールに居る人を見ていて、”只今、監視中”そのものなのだが、実際に私の挙手は目に入っていないのであった。
一旦手を下ろし、今度はタイミングを合わせて、首がこっちを向いた時に手を上げる。
気付いてくださーーい。
5秒、10秒・・・。
こんなんじゃ、溺れても助けてもらえない。
私はこの人達が”首を振りながら、考えごとをする技を習得した”という風に考える。だって、大抵の回においてこうやって気づいてもらうのに、時間がかかっているのだ。で、そのうちプール内に一緒になって監視員の方をチラチラ見る人が出て来る。
<いや、いいんです。大丈夫です>
「すみませーん」
今度は声も出す。
気づいてくれーーー。
私。こっち。ほら、呼んでいます。
監視員さんのいるとこ、深くて行けません。
今日は見るに見かねてか、同じく水中ウォーキングをしていた人が、監視員の足元を通った時に”あのヒトが呼んでいますよ”と伝えてくれて気づいてもらったのだ。
監視員の人は、初めはここの仕事に就いた頃は真面目に監視をしていたのだろう。それが、ある時”女性の水着姿をあまりジっと見たら変態だと思われるかもしれん”と、意識をするようになり、そこから変態だと思われないためにはどうすればよいかを考えるようになり、それがきっかけとなって、思考が「今日は何を食べようかな」「次の休憩まで何を考えて過ごそうかな」「腹減ったな」「俺も泳ぎたいよ」と、別次元にそれていったのではないだろうか。
お願いだから気づいて下さいよ。
いいのかどうなのか、おかげで最近私はプールに来ている見知らぬ人と挨拶を交わすようになったのであった。


投稿日:2007年08月15日

2007年08月15日

今日は、京都に居る時からお世話になっているO氏ご夫妻の家に遊びに行った。
チョイノリ、本日未開の地開拓の日なのだ。
「大丈夫ですよ〜。一人で行けますんで〜」
前に一度お宅には伺っているので、近くまで行けば多分わかるであろう。
マピオン地図で検索。
ふむふむ。だいたいK駅の方に行って、それから南に行って、@@テニスコートね。で@@っていう交差点まで行ったら、行きすぎだから注意してと・・・・。
大丈夫でしょう〜。
プリントアウトもせず、これだけで行く。私はたまに”マメですね””几帳面ですね””A型ですね”と人に言われ、自分でも神経質と認めるところがあるのだが、全てにおいてそうというわけではなく、一方でものすごく大雑把なところがある。
今日も住所を書いた紙を持って出るのを忘れた。
でももう出ちゃったので、<なんとなく南に行ったら着く>で、よしとする。
ま、いいか。携帯もあるし。
世田谷区はとても道が細かいエリアがある。東京の道は京都の道を走るつもりで走っていると、実際にはとんでもない方向に向かっているということが多々あるのだが、今日も世田谷に入ったらすぐに道がわからなくなっていたのだった。
さっきもここ、通ったよなぁ。
また踏切りを越えた。
あれぇ〜っ。行き止まり。
その辺を歩いている人が必ずしも道をよく知っているわけではない。親切に教えてもらったが、行ってみるとそこは一方通行、侵入禁止の道だったりする。
K駅から先は、もう北も南もさっぱりわからなくなり・・・・。恐らく竜巻風にクルクル回りながらちょびちょび南下したものと思われる。
しかし、テニスコートなし。
ここを目印にしていたのだが・・・・。
なんて名前だったっけ。
テニスコート。
走っているうちに、名前を忘れていた。
結局、いよいよ弱気になって電話をしようと思っていたら、偶然着いたというのが今日の行程となった。
「よくここまで来れたわね〜」と、お二人には驚いてもらったが、私はもっと驚き。途中の道のりを話せば、「よくそこまで間違えられたわね〜」と、なるであろう。
世田谷の道は、あみだくじ。
帰りはまた別の迷い方で、同じぐらい家に着くまで時間がかかった。
どうも私はあみだくじの「引き」が悪いようである。


投稿日:2007年08月14日

2007年08月14日

お盆の期間はレコーディング用のデモと、頂いた別のお仕事の音源作りの二つの作業が一日のメインなのだ。
私の一ヶ月のカレンダーには「この時期にはこの作業」「ここからはこれ」といった風に内容の違うものがそれぞれ矢印で書かれている。やれば必ず時間が来れば終わるとわかっている唯一のものが譜面作りで、一番恐怖に思っているものは作りものなのだ。予定のカレンダー作る矢印にさしかかった時、特に初日はほとんど「一日座っていて、何も出来なかった」という日で終わっていて、そうでなかったケースは過去一回もないのだった。
今回も先週、非常に暗かった。
ちょうど高校野球が始まった頃だ。
球児達は最後まであきらめずに試合にくらいついていく。
すごいことだなぁと思う。
カレンダーには今日までの矢印。
延長戦はもう私にはないぞ。
あともうちょっと。
しっかり守って、だけど攻めてもいきたい。
ヘッドフォンを被って、私も現在試合中。
<あきらめないこと>
監督さんの教えは、野球だけでなく多くのことに対して共通の教えだなぁ・・・と、しみじみ思ったのであった。


投稿日:2007年08月13日

2007年08月13日

「今日もまぶしいなぁ・・・」
西側の通りに面した雨戸を開けると、少し離れたところに立っていた年輩の女性と目が合った。
家に面した道は袋小路になっていてすぐ行き止まりだとわかるので、普通に歩いていて道を間違えて入って来る人はまず居ないのだ。
セールスかな。
いや、ちょっとそういう感じでもないな。
なんとなくだが、私に道を尋ねたそうな感じに見えたので、軽く会釈をしてみたのだった。
「あの・・・・」
声を出したのは女性の方だった。
「はい?」
「私、ここの大家の妹なんです」
「え!」
「私の方は川崎に住んでいるんですが・・・」
ここの大家さんのことは簡単な情報なら知っていた。数年前に旦那さんを亡くされて故郷の山口に戻られたこと。下北沢に従兄弟が居て、その人とは会ったことがある。だが妹さんの存在は知らなかったのだ。
今度は私の方が慌ててお世話になっていますと挨拶をする番となった。
「今日はすぐ近くまで来ましたんで、ちょっとなつかしくなって寄ってみたんです」
あぁ、わかる。私も幼稚園の頃に住んでいた尼崎の家や、愛知にあった祖母の家に保谷のアパート、従兄弟の家と今はもう他人が暮らす家となった場所をどれも自分は訪ねたことがある。懐かしい気持ちになりながら、別の人が住む家となりもうその思い出はここに今住んでいる人には関係のないものなのだということを自分に言いきかせながら、ただの通行人としてその場を離れたっけ。
大家さんとは面識はない。でも電話で話す感じでは品のよさそうな明るいご婦人で、目の前の妹さんも品のいい綺麗な60代ぐらいの人だった。
しばらく、女性と会話をする。
数分話をした頃に
「中は・・・どんな造りになっているんですか」
今度は少し突っ込んだ質問をされた。
今は私が住む場所。この中のことを話しても昔の間取りとは全く違っているだろうし、そこまで親切に話す必要もないと思ったが、なんとなく”まぁ、いいかな”と思い直して、中の間取りを説明をするとご婦人は昔の景色と今との違いを頭の中で整理してるようすだった。
この場所は、思い出の場所なんだろう。
私にもそういう場所があるのと同じように。
「あの・・・。よかったら上がっていかれますか」
どうして、こんなことを言ったのか。
だがご婦人が黙って何か言いたそうに思えたので、自分の城の砦を、なんとなく緩めてもいいかなという気になっていたのだった。
「いえいえ、それは結構です」
「すみません、お邪魔しちゃって」
そうしてご婦人は丁寧に頭を下げ、帰って行かれた。
お盆で多分お墓参りに来られたのだと思う。白いブラウスに黒のスカート、ここのご主人のお墓なのかもしれない。
まぶしい日差しが、通りを照らしていた。
どんな暮らしがあったのか、いくら想像しても私には見えない。かわりに蝉の鳴き声と共に蘇ってくる私にとってのなつかしい景色達が頭にいくつも現れたのだった。
会えなくなった人や景色達とは、心の中だけが会える場所となった。
それでも訪れてみたくなる。
思い出す人が今も居るということが、大きいことなのかもしれない。
残された人達は、あれから毎日元気でやっています。時々、思い出したらやっぱり懐かしくて胸をキュっと掴んでいきますよ。
もう会えない。
けれど、思い出せば会える。
でも、
ほんの少し切なさがよぎっていく。
私が思い出と出会う時は。
もうお盆。
今日もジンジンと蝉の声が響いていた。


投稿日:2007年08月12日

2007年08月12日

8月に入ってから、近くの温水プールによく行くようになった。
約一時間、自分の足が届く水深110センチのプールの端から7メートル辺りまでを歩いて行き来する。ウォーキングコースには今日も黙々と数人が歩いているが、数日通うと”今日もこの人は来ているなぁ”という人が居るのだ。
常連さん同士が仲良くしているところは見たことはない。お互い特に会釈をするわけでもなく、みんな無表情。
このプールは一時間に一度、休憩時間が5分設けられている。時計の針が55分になると利用者全員がプールから一旦上がるという決まりになっているのだ。
私は入る時は一人で入れるのだが、上がる時には監視員の人に手を借りている。なので、この時に少しだけ緊張をするのだ。
「ただいまより、休憩時間に入ります。プールの中から一度お上がりください」
笛の音がすると、みんなが次々にプールから上がって行く。全員が上がるのを待って手を挙げて監視員の人に合図をしてそれで私は引き揚げてもらっているのだが、たまに気がついてもらえず、プールの端っこに自分一人残っている時があるのだった。
ちょびっと恥ずかしい。
おーい。
気づいてくださーい。
挙手をして「すみませーん」と呼ぶ。
こんな風に、なかなか気づいてもらえない時が既に数回あった。なので休憩時間が近付いて来ると、私は内心ドキドキするようになり、入場時間を一日一度だけ水から上げてもらうだけで済むように計算をして家を出るようになったのだが、今日も気づいてもらえないパターンだった。
恥ずかしいな・・・。
プールの端っこに一人残っていたその時・・・・。
「どうぞ」
50代ぐらいのプールにやってきている男性がプールサイドから、手を出しながらそばまで来てくれたのだ。
「ボク、昨日も来てたから」
”昨日?”
私の方は見覚えはなかったが、男性は昨日も私がモジモジしていたところを、多分見ていたのだろう。さっきまで、同じレーンで何度かすれ違いながらも目も合わさず歩いていた人だった。
一瞬、杖でやって来てプールから上げてもらう行為は目立つんだなぁと少し恥ずかしくなったが、私も同じようにさっきまで能面で歩いていた。その男性は、手を貸しても「結構です」と言われるかもしれない、そんな無表情な顔をしていた私に勇気を出して手を貸してくれたのだと思う。
「どうぞ」
そうして、いつも監視員の人が引っ張ってくれるのと同じやり方で、その男性は私をプールから上げてくれたのだった。
「助かりました」
それまでの間を無表情でいると、急に笑顔にならないものだ。
「ありがとうございました」
「いいえ」
やっと笑って言えたら、能面の男性も無表情から笑顔に変わった。
会話はそれで終わったが、なんだかあたたかかった。
私という人間は、その根っこのところが人に素直に甘えるということに対して不器用だ。だからこの頃は時計の針が50分を指した頃から、歩きながら”一人で上がれないのに、また来ちゃったなぁ”とちょっぴりブルーになっていたのだった。
前回は休憩のあと、残り10分をまだ使えるのにプールをあとにした。私の”人に甘えられない性格”がここに出ている。
5分間、ベンチに座りながら考えていた。
今日も時間をうまくやりくり出来ずに、休憩のあと10分時間が残っていた。
どうしよう・・・
「ただいまの時間を持ちまして、休憩時間を終わります」
今日、私はほんのちょっとだけ勇気を出した。
ピィーーーッ。
ジャボン。
ジャボーン。
水の音がして、静かだったこの場所の時がまた回り出す。
私も。
ジャボンー。
ドキドキを体の奥に沈めて、今日はみんなに続いて自分もプールに入って行ったのだった。