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投稿日:2007年08月11日

2007年08月11日

玄関でゴキブリを発見してから、夜がすっかり怖くなったのだ。
多分一番の侵入口は玄関。家の玄関のドアは開閉式ではなくスライド式になっていて、鍵を閉めても二枚のドアの重なる部分に薄い隙間がある。ゴキブリサイズの生き物であれば難無く入れる余裕の隙間で、悲しいかなもう既にこの夏になって3匹の大きいゴキブリをこの扉周辺で発見しているのだった。
夜になると私は玄関エリア、そこから近い洗面所と風呂場には行かなくなった。
次いで廊下とトイレゾーン。玄関から入って来てまっすぐ進めばそこに来るので、ここにも夜はあまり行かない。自分の家なのにトイレをなるべく我慢する生活を送っているのだ。それでも、トイレゾーンに行かざるを得なくなった時の願いはただ一つ。
<ゴキブリが居ませんように。>
まるで可愛いらしい少女のように、夜の私は”とっても恐がったり””本気でお願いをしたり””頑張って我慢をしたり””ブルブルと震えていたり”していたのだ。
なのに。
深夜、キッチンのドア付近にて。
本日、碁石発見。
多分この碁石はやはりいつもの侵入経路からやってきて、ドアをまたクリアしてキッチンの方にまで来たと思われた。
・・・・。
なんでなの。
こんなに恐がっているのに。
どうして。
キッチンにまで来るだなんて!
・・・・・。
<カチッ>
小さな胸を震わせ怯えていた少女、おわり。
恐怖への許容量が越えるとそれまでの恐怖心が一切なくなり、自分の中でスイッチが入ったと思ったと同時に、怒りと憎しみモードに転換したのであった。
ゴキジェットを掴み、能面にて噴射。
シューーーーー。
シューーーーーーーーーー。
シューーーーーーーーーーーーーーーーー。
ダンボが私の殺気に危険を感じたのか、ベッドの下に逃げていった。ダンボと目が合ったが恐怖に怯えたように、私を見ていた。
<ダンボちゃん、今はあなたに怒っているんじゃぁないの>
<今、忙しいからあとでね>
その後、氷殺ジェットで、能面にて噴射。
シューーーーー。
シューーーーーーーーーー。
シューーーーーーーーーーーーーーーーー。
集中している時、声は何も出ないのである。
その後、ホウキを持ってきて玄関に向かって掃いた。半死にゴキブリは時速200キロで玄関のドアめがけてピューーンと飛んで行ったのだった。
<だから・・・来ないでよね>
部屋に戻るとダンボは震えていた。おいでよといくら優しい声で呼んでもベッドの下から出て来なかった。
私は怒った時、ものすご〜く怖いと言われる。自分でも少しはそうかなと思っていたが・・・・。
今日は自覚があった。
ゴキブリが怖かった。
でも私の方がもっと怖い。
そうだわ。
なんでこんな簡単なことに気づかなかったのかしら。
ダンボはしばらくするとベッドの下から出て来て、いつも怒られた時に許してもらう「ごめんなさい」のポーズを震えながら私にしたのだった。
今日の対決を以って、ゴキブリが”怖い存在”ではなくなったのであった。


投稿日:2007年08月10日

2007年08月10日

今日はラジオのスタジオに収録に行った。
一歩外に出ただけで、うわぁっと声が出そうな強烈な日差し、玄関の鍵を閉めている短い時間に背中から光のビームを感じるのだ。
夏の暑さは体力を奪って行く。それが自分でもよく自覚出来る程今年の夏の暑さは半端じゃない。
バス停で長く待たなくていいように、時刻表を頭にして出たのだが、バス停までの道で既にクラクラしてきたのだ。
バスに乗り込むとホっとする。
鬼ごっこで陣地に避難した安堵感を得る。
駅に着き地下に下りるエレベーターに乗り込むと、今度はここの中が半分サウナになっていた。ムンッとした空気でクラッと来つつ、緩い速度で扉が開くのを待つ。
だめだめ、こんなところでヘバっていちゃ。
毎回、渋谷の収録スタジオに行く時には、246号を渡る歩道橋を行かなければならないのだが、この歩道橋、上った後も緩い上り坂になっていて、やっと下りになるポイントに辿り着く時にはヨチヨチ歩きになっているのだ。
あれを今日も渡らなければいけないので、私は家を出た時から体力温存をあの渋谷の魔の歩道橋に照準を合わせているのだった。
電車の中では座り、ひたすら目を閉じて静かに座り、改札を出てからもなるべくゆっくりと歩き、体力を温存に務める。
なんで歩道橋を渡るだけなのに、家を出てから歩道橋のことばかり考えているんだろう。だがあそこの歩道橋はやっぱりおかしい。渡っている途中にあんなに具合いが悪くなるとは、設計や構造に何かミスでもあるんじゃないかとさえ思えてくるのだ。
しかし、他に道なし。
いざ、行かん〜〜。
歩道橋の下にやってきて上を見上げると、いつもと変わらずに人が多く行き来していたので、気合いを入れて私も飛び込んで行ったのであった。
3段で今日は力が尽きた。
涼しげな顔をして渡る周りの人達を見て、「あなたたち、嘘吐きだ」と思った。
ここは渋谷マウンテン。
山ってもっと涼しいのではないのですか。
立ち止まっている自分の体から湯気がユラユラと出て、目の前がかげろうとなっていた。


投稿日:2007年08月09日

2007年08月09日

私の一日の終わりの楽しみは、「じゃらん」のページに行って旅行気分を味わうことなのだ。
目標、今日は1時には旅行に行くぞー。
だいたい夜の10時頃になるとその辺りを目指すようになるのだが、たいていはそれより早く終わることはなく、私が「じゃらん」に行ける頃には3時頃になっていたりする。
もう寝ればいいじゃない。
だが、そこから1時間位旅行に行く。目が異様に疲れて最後は具合いが悪くなって寝るパターンを繰り返しているのだが、習慣になるとそれをやらなければなんとなく座りが悪いのだ。
今日は伊豆。
とれたての海の幸を食し、ビーチは目の前。
夕日が綺麗です。
今日は鬼怒川温泉。
お食事は部屋出しでお願いしますね。
ここはお風呂が充実していて気に入りました。
結構楽しい。
大きな吊り橋を渡ってみたり、
洞窟めぐりをしたり、
SLに乗り、
山登りもしている。
本当に行ったような開放感が得られるのだから、私は安上がりな人間なのではないか。
大山。高校の社会旅行で行ったが、もう一回行ってみたいなぁ。
佐渡は意外にも雪が降らず海もエメラルドグリーンなのだと教えてもらって、行ってみたい場所になった。
こうして眺めていると、行ったことのない知らない土地がこんなに多いのかぁ・・・と思う。
そして、最後は「やっぱり行かなきゃだめね」とちょびっとわびしくなってパソコンを終わりにして寝るのだった。
じゃらんでよい旅を。
確かに。よい旅です。
草木も眠る丑時。
私の生き霊はよなよな旅に出掛けているのである。


投稿日:2007年08月08日

2007年08月08日

渋谷クラブクアトロに渋さ知らズのライブに行った。
メンバーの一人、トランペットの”たつみっち”は、大阪の吹田にある音楽スタジオ「YOU」で知り合った古くからの音楽仲間だ。今進めているレコーディングで一曲一緒にやる予定なのだが、今月はこのあとヨーロッパ・ロシアツアーに出て10月まで帰って来ないので、レコーディングの打ち合わせも兼ねて渋さ知らズのライブを見せてもらったのだった。
渋さ知らズはHPを見ても、独特の雰囲気がある。メンバーがどこにも紹介されていなくて、集合写真がどこかに載っているだけというわからない部分が多い。
会場は私が行った時間には既に満員、お客さんは大学生ぐらいから上は50代と思われる人まで、男女比は半々といった感じだった。
ステージ上、今日はメンバーが31名。大きな野外の時は100名程がステージ上に上がり、その日のライブによって人数も変わるのだそうだ。7月中旬のライブに最初は行く予定だったが、その時はちょっと少ない人数になるよと聞いて、それでも人数を尋ねると「20人くらい」だった。
私はライブ会場で爆音が鳴ったり、お客さんが一緒に跳んだりすると床が抜けるのではないかと恐怖でいっぱいになるのだが、今日はハッピに赤フンドシのボーカルの人が登場して以降の会場は熱気と盛り上がりで揺れっぱなしのライブだった。
渋さ知らズについては「アングラを源流にしたフリージャズのビッグバンド」という言い方をされている。
アングラ=アンダーグラウンド。
アンダーグラウンドというのは、辞書を引くと「地下の、の意味」や「商業性を無視した前衛芸術ないし、またその風潮」とある。
渋さ知らズも「地底新聞」というのを出している。だから自他共に”アングラ”はキーワードになるのだろう。
”アングラ”は個人的な好みとしては興味がない。否定はしないが、私の好きな温度のものとは性格が異なっている。乱暴に言えば、お客さんは居ても居なくてもどっちでもいいという自己満足な世界だと思っていたからだった。
「今日はここでお前達と一緒に過ごせて、ほんとーに楽しかったぜー!」
赤フンドシのボーカルの人がステージ上から叫び、会場がワーっと叫ぶ。
すごい数のライブの本数をやりながらなお、この人達は本気で一回のライブに燃え尽きている。高校野球の球児たちぐらいの熱さでステージの上からこっちにエネルギーを送ってくる。
この感動は何なのだろう。
渋さ知らズのステージが終わると、私も心が熱くなっていたのだった。


投稿日:2007年08月07日

2007年08月07日

ピンポン〜。
私はインターフォンが嫌いなのだ。まずこれを押す人は自分の知人ではなく、宅配の人か全く用事のないセールスの人なのかのどちらかになる。インターフォンに出た時には「はい、今すぐ行きます」か「結構です」の2種類しか話していないのである。
後味の悪い回もある。
中野に住んでいた時には一度「裏の鈴木です」と言われ、お世話になっている裏の鈴木さんだと思って出たら、深い皺が顔に刻まれたパンチパーマの男性で、その時はドアを開けた瞬間に足を入れられたのだった。
「裏の・・鈴木ですけどね」
どこの裏の鈴木なのか知らない、こんな人。
そうして突然、自分は北海道沖で船の事故で海に放り出されたが生き延びた運の強い男だと言って身の上話をし出し、自分を「サブちゃんって呼ばれてんですよ」と名乗った直後に「新聞取ってよ」と切り出されたのだった。
その時は男のペースに完全にのまれてしまい、ついハンコを押してしまった。とっても怖かった。
先日のピンポンは去年に引き続き、今年もやってきた「半分騙し」ピンポンだったのだ。
ピンポーン。
「今日、この近くで大事なお祭りがありますので、どうぞお越し下さい。ご案内の方ポストに入れさせていただきましたので、ご覧になって下さいね」
町内会費か何かで開催されているお祭りで、近所のご婦人がご丁寧に一軒一軒回っておられると思い、私は「どうもすみません、ご苦労さまです。ありがとうございました!」と返事をしたのだ。
ポストの中を見たら、宗教団体の会合のパンフレットが入っていた。
一部の人にとって大事なお祭りかもしれないが、だからと言って私にとっても大事なお祭りだと決めてかからないで欲しいのである。
インターフォンはロシアンルーレット。
しかし、押さずに家の中に入って来られるのはもっと困る。今私が一番インターフォンを通してお伺いを立ててもらいたいのは、ゴキブリなのである。


投稿日:2007年08月06日

2007年08月06日

先週からダンボの調子がちょっと変だった。左足を上げてケンケンで歩いたり、いつものように走り回るということがなくなった。
陣地にしているベッドの前で、自分では上がらずに「上げて」とねだったり、ちょっとした段のところでも「上げてよ」と座って待っている。時々甘えてそうすることがあったので、また甘えているんだろうと思っていたが、どうもそれが理由ではないらしい。ここ数日ははしゃがなくなりおとなしくなっていて、もしかしたらと思うところがあったので、今日は病院に連れて行くことにしたのだった。
先生が口にした言葉は膝蓋骨脱臼。それは”もしかしたら”と心配をしていたことだ。
チワワなどの小型犬に多く見られる病気で先天性のものと後天性のものがあり、6月に診てもらった時には問題はなかったので恐らく後天性でしょうという話だった。膝蓋骨脱臼は症状がひどくなると手術しか方法がないらしい。1週間家から離れて病院で安静にするのは、ダンボの性格からすればかなりのストレスになると先生は言う。
いつも部屋の中で飛び跳ねたりしているのを、私は結構自由にさせていた。ある程度のことは、動物の感覚で大丈夫かそうでないかを身につけて欲しいという思いもあって、日常の暮らしの中では”これはあまり私が先回りしてフォローをしないでおこう””これは自分がちゃんとしないといけないな”ということの線引きはしていたのだ。
「もう治らないんでしょうか」
悪化は防げてももう治ることはないらしく、体重を落とすように、それから高い所には上がらないようもしくは階段を作ってあげて下さいと言われ、しょんぼりしながら家に帰ってきたのだった。
私は普段、高齢になったゴン太のことばかりを心配していた。気持ちよく眠っているか、起きたら変わりなく動いているか、ご飯はちゃんと食べているか・・・。ゴンちゃんの様子を見ている私を開いた隙間から羨ましそうにダンボは見ていて、その度に怖い顔で「ゴン太にいじわるしないでね」と言っていた。
いつの間にか、ダンボは元気であるのが当たり前だと思うようになっていたのだ。
病院から帰ってきても、おとなしく床に座ってはしゃがなくなったダンボ。まだ4歳半で老犬にもなっていないのにと思ったら、申し訳ないことをしたという気持ちになってきたのだった。
ごめんね、ダンボ。
ダンボはやっぱりチワワだった。
ダンボは小さいワンコちゃんだったのだ。
目が合えば尻尾を振ってこっちを見ているダンボ。だがベッドに上ってきて私の背中に飛びつくことや、おもちゃを持って来て遊びを誘うこともなく、居たことのない床の一角を選んでそこにジっと座っている。
<痛いの?>
<痛くはないの?>
それさえ、私にはわからない。
今日、ダンボがとても小さく見えた。
いつか一緒に思い切り走ろうねと言っていた。
もう叶わない夢になっちゃったのかな。
ごめんね。
寂しくなるぐらい、家の中が静かなままだった。


投稿日:2007年08月05日

2007年08月05日

夜、バイクで10分程の所にある温水プールに行った。
私の目的は水中ウォーキング。温水でしかも家から比較的近い所にあるので、一日一時間を目処に8月は出来るだけ来たいのだ。
手前では泳ぐ人のレーンが、そして真ん中は更にもうちょっと本気で泳ぐと思われる人用のレーン、一番奥がウォーキング専用のレーンになっていて、数人が黙々と水の中を歩いていた。
<お邪魔しま〜す>
私も早速歩いてみる。
思っていたよりも水深がある。端っこが110センチ。真ん中は140センチか145センチになるのだ。私の身長は155センチ、片道25メートルある端から5メートル行ったところでちゃんと歩ける距離は終わる。それから2メートルぐらいのところで足がつかなくなるのだった。
アップアップ・・・。
向こうまで自分も行ってみたいのだが、その先が行けない。別に足がつかないところはちょっと泳げばいいのだが、ややこしいことに私の喉元には気管切開をしたところにまだ今も小さな穴が開いていて、首まで水に浸かると水がそこから入って来るのだ。
5メートル行って、また戻って来る。
行ってみたいな。あっちに。
ちょっとトライして7メートルぐらい行くと、喉元から水が入ってきた。
”ゲ・・・ゲホゲホ・・”
水中ウォーキングの列は割と規則正しく、中の人達が連なってベルトコンベアが流れて来るかのように人が移動している。その列の流れに乗って往復を延々繰り返すことが、なんとなくの暗黙のエチケットになっているようだった。
そうだ!プールサイドに掴まりながらだと行けるかもしれない。
思い切って10メートルを目指してみた。やはり思ったよりも水深は深くすぐに足が届かなくなりプールサイドにしがみつくコアラのようになる。コアラの横をウォーキング人が能面の表情で進んで行った。
う〜む。
根性だけではなかなか行けないものだ。
う〜み〜は広い〜な〜おおきいな〜。
行ってみたい〜な〜よその〜く〜に〜。
今日は身長155センチを実感した。
目の前には水平線が広がって、プールの向こう側の端っこが外国に見えたのであった。


投稿日:2007年08月04日

2007年08月04日

今日はラジオのディレクターのK氏と、江戸東京たてもの園に行った。
場所は東京の郊外、小金井市というところにあって前からどんなところなのかなぁと興味があったのだ。
K氏はこの江戸東京たてもの園がお気に入りの場所で、時々ここに来ているのだそうだ。
いつもは夕方までの開園時間のところ、今日と明日だけは夜の8時半までの夏祭りをやっていて、中に入ると浴衣姿の女の子が結構目に入る。園内は一つの田舎町のような空間になっていて、「江戸」というので私はずっと江戸時代の建物ばかりが復元されている場所だと思っていたのだがそうではなく、明治大正昭和初期の当時ハイカラだった建物も多く、それらがゆったりと敷地内に佇んでいるという造りになっていた。
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東のゾーンはちょっとした町のイメージ。居酒屋や風呂屋、花屋さんに文具店、和傘屋さんもある。ちょっとした路地みたいなエリアもあってその辺りは今も探せばありそうな景色だ。赤い風鈴が小さく音を鳴らしていて、東京の連日の猛暑はここでも変わりはないのに、クーラーのない場所であるにもかかわらず、さほど暑さが気にならなくなってくる。
西側ゾーンに行くと、今度は町から離れて別荘に来たかのような家達が点在していた。これは昭和の初め頃に実際に人が住んでいた家達で、今の時代にあっても十分立派で素敵な家になるのだろう。
これらの家もアトラクションの一つとして”中に入れる”というところが女心をそそる。女はみな、家の中を見たり実際に入ったりするのが好きなのだ。
「ヤッホー」
今度は急に高原の別荘にでも旅行にやってきたかのような感覚になってきた。
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一番西寄りには、私の子供の頃過ごした祖母の田舎にそっくりの景色があった。冷んやりとした土間があって、すぐそこを上がると畳の間が続く。そうだった。ちょうどおばーちゃんの家の裏のお家がこんな感じだった。ハエ取り紙が上から吊り下がっていたことやなんかを思い出す。
ベンチに座って休憩をしていると、ひぐらしの声が聞こえてきていた。都内ではなくどこかの田舎町に訪ねてきたような遠くまでやってきたような気がしたのだった。
この村でも今日と明日は盆踊り。
知らない場所に来たというより、やっぱりおばーちゃんの家に遊びに行った感じだ。
こんなお祭りはここも一年に一度だけ。明日もう一日お祭りがあればまたここも元のたてもの園に戻る。
「田舎のおばーちゃんち」というものを私は持っていたが、それがない人だっている。前にそういうのが自分にはなくて、ちょっと寂しいんですよねー。なんてことを人に言われたことがある。
誰だったかな・・・。思い出せない。
ここに来れば、夏休みのおばーちゃん家が体験出来るよ。
今度そんな人に会ったら、そう教えたくなるような場所だった。


投稿日:2007年08月03日

2007年08月03日

以前まではそうでもなかったが、最近はアイスが無性に食べたくなる時があるのだ。夜、どうしてもアイスが食べたくなってアイスだけを買いに出る時もあって、今日も帰りにアイスを買ったのだった。
今日買った中の一つ、チョコバーを食べている時のこと。外袋を何となく眺めていたら、注意書きとして<スティック(木の棒)で遊ぶと危険ですのでおやめください。>とあった。
こんな棒で遊んで危険な出来事があるんだ・・・と逆に驚く。一体どんな遊びなんだろう。これで突き合って目でも突いたら大変ということなのだろうか。しばし想像をしてみる。
大人がそんな遊びをするなら、私は注意はしない。信じられないわ・・・と言ってその場から立ち去るだけである。
やっぱりこの注意は子供に向けたものなんだろう。
しかし、この文章は漢字が多いのだ。小学校の低学年だったら「木」しか読めずに、<スティック(木のなんとか)でなんとかぶとなんとかですのでおやめください>という文になり、<おやめください>は平仮名ではあるものの日常会話でママもパパもこんな言葉は使わないのでこれまた意味不明なセンテンスである。
子供はこの注意書きを見てもわからないのだ。
じゃぁ、これは誰に向けたもの?
<スティック(木の棒)>のところだけやけに親切な表現・・・。
と、いうことは。
漢字が読めて、且つカタカナ英語がわからない人達・・・。
コタエ=老人
老人だったか。
おじいちゃん達はどうやらアイスを食べたあと、その棒で目を突き合ったりする危険な遊びをしているらしい。まぁ確かに竹刀よりも軽く持ち易い感はあるが、意外な分析結果である。
しかし、おじいちゃんもこの注意書きは読めないと思われる。
字が小さすぎである。
どうしてこの一文が・・・あるのだろう。
ダメと書いてあると私も遊びたくなってくる。
アイスを食べ終わってからも、しばらくの間私は用のなくなった包み紙をジーっと見ていたのであった。


投稿日:2007年08月02日

2007年08月02日

今日はかしわ哲さんの「アイシテルからコンサート」。
かしわさんは元NHKのおかあさんと一緒のうたのお兄さん。「森のクマさん」や「アイアイ」といった私が小さい頃に大声で歌った楽しかったあの曲達を、お客さんの前で演奏をするのは初めてなのだ。
7月のリハーサルの時、かしわさんは歌の途中で本番の会場にいる子供とコミュニケーションを取るところを、パーカッションのmasaさんや私を代わりに語りかけるところがあった。
「ミキちゃん、自分の名前を呼ばれたら”はーい!”って答えてね」
「じゃぁいくよー。」
「大きな声で」
「みきちゃーん!」
リハーサルだったが、私はその時間すごく楽しかった。
音楽って楽しくて大好き!
私が大人になって成長をしたところは、「森のクマさん」や「アイアイ」の伴奏をファンキーバージョンやラグタイムなどで弾けるようになったというところ。会場に居る子供たちが楽しくなってくれるよう、自分の持っている技を全部使ってやりたいなと思って今日は出掛けていったのだった。
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本番で。
最初はかしわさんのソロで数曲あるのだが、今日初めて会う子供達をかしわさんは絶妙な間で引っ張って行く。会場の子供達が笑ったり歌ったり、すっかりステージに釘付けになっているのを袖で見ていて、すごいなとただただ思った。
1部の最後で、自分の「ママはなんでもしっている」をかしわさんに歌ってもらって、ステージではママと子供達20人以上がポンポンを持って踊ってくれた。一生懸命練習をしてくれたのだと思う。みんなで息を合わせて可愛い振り付けで踊ってくれて、最後の決めポーズもみんなで可愛く決まったのだ。
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コンサートが終了して。
ステージで踊ってくれた何人かの方と話をしたが、最後に話したママと男の子がいた。
男の子はリハーサルの時にたまにピアノの方を見ていた子だった。
<ピアノを習っているのかな>
目が合わなかったのでその時に話すことがなかったが、やっぱりピアノを習っているのだそうだ。
私が子供の頃もピアノを習っていた子供は多かった。だが、好きでやっている子はあまり居なく中学生になるとピアノをやめそのまま音楽自体も興味から外れるというケースが多かった。
この男の子はピアノが好きなんだ。
リハーサルの時に、なんとなく「ピアノが好き」なオーラが出ているように思えていた。
「いっぱい練習をして、上手になりたいです」
男の子は、私にそう話してくれた。勇気を出して声にしてくれたのだと思う。短い言葉だったが中にはっきりと意志が見えて、それでどれぐらいピアノが好きなのかは十分に伝わってきた。
私のことを自分と同じぐらいピアノが好きな人だと、彼は感じてくれたのかな・・。だから大事な気持ちを、初めて会った私に口にしてくれたのかもしれない。これはとても光栄なことなのだ。
うん。
頑張ろうね。お互いに。
「いつか一緒に演奏しようね」
男の子と約束をしたことを、私も覚えていよう。
「音を楽しむと書いて、音楽」
かしわさんのコンサートは、一緒に演奏をしているというよりも一緒に音楽をした、そんな楽しい気持ちをもらった時間だった。