月別アーカイブ : 2008年12月

投稿日:2008年12月20日

2008年12月20日

私は師走や年末という括りではなく、これからの2週間をてんこもりジェットコースター期間と称しているのだ。
まず・・・、クリスマスがやって来る。そしてそれが終わると年賀状の締め切りとなり、仕事納めとなる。休みになって家に帰ると今度は家の大掃除があり、やっと年が越せますねとホっとしたのも束の間。すぐに正月がやって来るのだ。年明けにはまず一食目に普段食べ慣れない酸っぱいおかずと甘いおかずを食し、神社に行ってお詣りをする。ようやくちょっと落ち着いてきて「あ〜あ、もうお正月も終わりだわね」といったところ、そこまでがこれからの2週間なのである。
例えば、10月1日から10月15日までの2週間だったら、こんなに日常や自分の身の周りにあれこれ起きたりしないだろう。人によってはその間に3回ぐらいしか髪を洗わなかったという程、まったりした時の流れの人もいるんじゃなかろうか。
こんなにいろいろあったら体がもたないのだ。だいたい私はここ数年、「正月のマス」で脱落をする。体がついていけない方が普通と考えていいのだ。
急にクリスマスリースが門松に変わる。
テレビも特番ばかりになり、曜日がわからなくなる。
福袋は売っていても、銀行が閉まっている。
みんな、何故海外で過ごそうとするのだ。
どっこも行かなくてよい。
変わった国ならここにある。
日本はこれからの2週間、日本ではなくなる妙な期間に突入するのである。


投稿日:2008年12月19日

2008年12月19日

モリナガ・ヨウさんがまた新刊を出版された。
「働く車大全集」
子供の頃、イラストで構成された五十音図鑑が大好きで、ビルの中の様子が細かく描かれているページや細部まで丁寧に描かれているページを特に好んで眺めていたっけ。
その頃のことを思い出した。
モリナガさん本は、そのことに詳しくない人も、興味がない人でもとても楽しめる。だいたい車に疎い私が、この本を眺めていて、細部まで描きこまれたショベルカーや消防車のページが楽しい。
運転席からの景色や知られざる独自の機能など、360度の角度で丁寧に描かれていて、とにかく開ければなんだかワクワクしてくるというのが、モリナガ・ヨウワールドだ。
そう言えば、私があこがれた車はタクシーだった。
昔はギアがハンドルの横に細長くついていて、運転をしながら運転手さんがそのギアにたまに手を掛ける。白い手袋で「ガッコン」とそれを倒すのや、大きなハンドルを回す時の手元が子供ながらに「プロ」っぽかった。プロって子供から見てもすごくかっこよかった。
ミュージシャン友だちのNちゃんが、「ウチの子はごみ収集車が大好きなんですよ〜」と言っていた。颯爽とやってきてササっとゴミを持ち去るあの機敏さがやっぱり「プロ」なのだろう。ごみ収集車もこの「働く車大全集」に描かれている。
yousan.JPG
大人の技法を持っている少年。
モリナガさんがみんなの代表でこれらの車を偵察に行って、「こんなだったよ」と教えてくれているような、身近なご本なのだ。


投稿日:2008年12月18日

2008年12月18日

忘年会シーズン、到来!
私の知っている飲んべぇ達は、毎日飲んでいる。毎日毎日浴びるほど飲んでいる。
あのですね。
そんなに毎日、忘れたいことだらけなんデスカ。だからそんな人達が「もう忘年会かぁ・・・。」と言っていると、ちょっと笑えるのだ。
いいよなぁ。
私もお酒に酔っ払って裸になってみたい。
ドブにはまってみたい。
暴言を吐いてみたい。
記憶がない!と言ってみたい。
こうして世の中にはお酒が入ると、原始人に戻るタイプが居る。だが、私は眠るかグッタリするかのどちらか。置物になってしまい、そうすると原始人を通り越して人間枠から外れてしまうのだ。
原始人は楽しそう。
悩みもなく。
ウコンの力を飲んでおけば、明日にはまた現代人に戻って、何事もなかったかのように普通の顔をして車の運転やパソコンを打っている。
いいよなぁ〜。
「年を忘れる」んじゃない。
我を忘れる会じゃないか。
「忘年会」って、だいたい文字が間違っていると私は思うのである。


投稿日:2008年12月17日

2008年12月17日

今日の東京は冷たい雨。
雪は降っていないが、体感の気温が低く感じられる。
今日は渋谷でのライブ。このあと残すライブはイベントになるので、今日のライブが今年最後の自分のライブだとも言える。
今年は初めてのインストカバーアルバムを出して、ライブ自体も実験的なアプローチをトライした年だった。オーボエのtomocaちゃんとDJのTom−Oくんとやったライブ、トランペットの辰己くんとTom−Oくんとやったライブも前年には考えもしなかったようなスタイルのライブになったと思う。
今日、一年の締めのライブは、今年の総決算ではなく来年やろうとしていること。
来年はまた、もう一度「言葉のある音楽」をやりたい。
渋谷HOMEは渋谷駅から少し歩く。
緩い坂を上りながら、「寒いなぁ」「坂、疲れるなぁ」と思い、同時にそんな中今日ライブに足を運んでくれる人達はどんな気持ちでここを歩くんだろうかと考えていた。
東京は冷たい雨。
イルミネーションが渋谷を彩り、濡れた道路にキラキラと反射していた。


投稿日:2008年12月16日

2008年12月16日

昨夜は宿に帰ってからすぐ、一番先に寝たのは私だった。他のみんなはアウル部屋に集まって、また夜食を食べていたらしい。しかも昨夜あれほど飲んで酔っ払っていたのに、朝食は私が食堂に行った時には済んでいて、その前に温泉にしっかり入っていた人も居たそうで、この数日間一緒に旅をしてやっぱりみんなタフだなぁというのが感想だ。
たった3泊4日の短い音楽の旅だったが、凝縮された時間だった。普段、一人で部屋でヘッドフォン作業をするのが私の音楽生活のベースになっていたが、今回の旅でもっと体力に自信をつけたいなと思った。
いっぱい笑った旅だった。
とっても楽しかった。
ありがとう。
バイバイ、またね。
人と出会って、その全てがいい結果になるばかりじゃない。だが人と出会うことで、初めて自分の枠を越える大きな気に触れられることがある。人間はやはり自分一人だけで決して成長出来ないし、豊かな気持ちも沸いては来ない。そんなことを感じた旅だった。
中央道から見える山々は、てっぺんの方に雪が積もっている。
「真冬の夏休み」だったなぁ。
中津川と飯田のこの数日間で、多分私は夏休みの子供と同じぐらい思い出を得られたのだ。


投稿日:2008年12月15日

2008年12月15日

今日はお世話になった鼓土里座をあとにして、飯田に向かう。
高速に乗れば、中津川と飯田までは思ったよりすぐだ。アウルのみんなはもうこの街には度々訪れているので、街のどこに美味しい店があるのかなどの詳しいことまで知っていて、一緒に車移動をしたベースのぺっぺいくんが「ココのジェラートが美味しいですよ」と信号待ちの時に指を差して教えてくれたりする。
アウルとの旅は初めてなのだが、どこか気楽。
飯田の市街地に入ったら、中心部は割と碁盤の目のような区画がハッキリしていて、建物は高いものはほとんどなく低層の店舗が真っ直ぐに続くという印象を持った。
都会のようなクリスマスイルミネーションの華やかな景色はあまりなく、雪のない冬景色といった感じだろうか。東京の気温より低いかなと感じる。
「今日、泊まるのは砂払温泉ってとこです」
今日は開演時間が少し遅いから、先に宿に入って、お風呂に入ってからライブハウスのcanvasに行くのだそうだ。
みんな、よく眠くならないなぁと思う。
温泉につかってほっこりしたら、私はそのあとで眠くなっちゃうんじゃなかろうか。と、言いつつ温泉につかりに行って結局浴衣に着替えてくつろいでいたのだった。
canvasにはとにかく音楽に熱いオーナーが居る、と、メンバーがことあるごとに話してくれていた。「いつか連れていくし」と会う度にそう言ってもらっていたので、やはりこういう特別な想いのある所に連れて行ってもらえるのは嬉しいことだ。
そうだ、それに私にとっては初の長野でのライブじゃないか。
よし、今日は自分の曲のコーナーもあるから、そこでそうご挨拶しよう・・・と思っていたのだが・・・
canvas.JPG
本番では大失敗。
頭で「今日は初の長野・・・」と言っているのに、出てきた言葉は「今日は初の名古屋・・・」だった。
あ!すみません!
時々、私はこういう失礼をしてしまう。
ずっと前には船で行った北海道だったので「島」のイメージがなんとなく抜けずに札幌の街のド真ん中でライブをして、その時のMCで「この島は・・・」と明るく言ったことがあった。後で関係者の方から注意を受けたのだ。
今日は音響設備が更にしっかりしたライブハウスでの演奏だったので、アウルのメンバーは昨日にも増してすごいパワーでライブを進めていった。
終わってからの打ち上げでアウルのメンバーはよく笑っていたと思う。canvasのスタッフの女の子達もそれぞれ音楽をやっていて、みんな夢を持っている。
あまり話は出来なかったが、真っ直ぐな音楽への気持ちが昔の自分の気持ちと似たものを感じて、また未来で会う為に自分も頑張って続けていなくちゃなと思った。
音楽に熱い街、飯田の夜だった。


投稿日:2008年12月14日

2008年12月14日

昨夜は、アウルのマネージャーさんのCちゃんと私の女性組は土着民のメンバー、そでやさんのお家に泊めてもらった。
今は干し柿を作っている最中だそうで、軒の所に柿がたくさん吊り下がっている。猫のマリちゃんがおとなしく外をずっと眺めていた。
mari.JPG
ここは中津川。
かつてフォークジャンボリーが開催された地で、フォークの聖地と呼ばれている場所だ。
「空気が美味しい」って言葉があるけれど、ここの空気はほんとうに美味しいというか、澄んでいるというか・・・。都会とはやはりちょっと違う粒子で出来ているみたいだ。
一年の音楽生活のうちの多くを、いろんな町に出掛けて行って演奏している音楽仲間が居る。自分はいろいろな条件が重なって自宅での作業をベースとしているが、旅をしていろいろな人に出会う音楽の旅にはやはりあこがれがあった。
ほんの少しだがそういう音楽友だちが嗅いだであろう同じ感覚を感じることが出来て、”あぁ、このことなのかなぁ”と思った。景色に出会いに行く。人に出会いに行く。自分の知らない感動はまだたくさんある。日本ってうんと広いんだなぁと思った。
今日のライブは午後3時から。
演奏する側も、観る側も靴を脱いでというのがいい。身だしなみをちゃんとして、それで靴を脱いだ時というのは、微妙にバランスの悪いいでたちになる。だけれども、そのバランスがちょっと崩れたところを「ま、いいか」とよしとした時におおらかな間が生まれる。音楽にはそういうおおらかな間が流れているほうが、きっといい。そういうものが音楽の血であり、肉であるんじゃないのかなと思うのだ。
土着民さん達も今日は演奏者、一緒になって音楽をした。
dotyakumin.JPG
この鼓土里座は土地の整地や木を切るところから、全てご自身達の手で作られた。露天風呂は私の想像していた原始人が小石を積み上げて出来たものでは全くなく、大きな石で造られた露天岩風呂、しかも温泉だった。
「あまり人には教えたくないんですよ」
とっておきの場所はむやみに人には教えたくない、ということがある。
まさにここはそんな場所だ。
「こんな山奥までようこそ来て下さいましたね」と、みなさんに言って頂いたが、逆に私は初めて秘密基地にやって来るどんな人間なのかわからない東京組のY氏と私をあたたかく迎えてもらったことに感激をした。
utiage2.JPG
アウルのみんなが「とにかく、すごいとこ!」「来たらわかる」と言って笑っていたのがようやくわかった。
「ふふっ」
今になれば私も同じことを人に言うと思う。
言葉に置きかえられないあったかさが、そこここに漂っていた鼓土里座での2日間だった。


投稿日:2008年12月13日

2008年12月13日

明日アウルとのライブでお世話になる中津川の鼓土里座に、今日から行った。
今回の旅は、アウルに連れて行ってもらう旅。アウルにとってはもう慣れ親しんだ人や場所になっているみたいで、だが私もY氏も初めての場所と人のところに行くので、今日行く鼓土里座もどんなところなのかなぁといろいろ想像してみたのだが・・・・。
メンバーの話をかいつまんでみると、
1)それは「すごい所」らしい。
「すごい」ってすごく幅広い。褒め言葉にもなるし、恐怖を表す言葉にもいろいろになる。どんな点がすごいのかを教えて下さいよと尋ねたのだが、みんな「行けばわかる。ふふ」と笑ってお茶を濁すのだ。「ふふ」が気になる。「ふふ」ってなんなのだ。
2)鼓土里座は「土着民さん達」の手作り
コレが引っ掛かる。メンバーが口にする「土着民さん達」ってどんな人たちなの?
昔テレビで人里離れて三重の山奥でターザン暮らしをしている男性のドキュメンタリーを見たが、人里に住む男性の奥さんはインタビューで「仕事をリタイヤしたらターザン生活を始めちゃって、困ったものです」と答えていたが、ついアレを思い出す。
3)露天風呂も作らはった
これも「すごい」ということなんだろうが、やや私の中ではこの露天風呂は原始人が石を積み上げて作った図が想像されてならない。おまけに一緒に同行するY氏も、移動中に「土着民さんからメールが届いた」などと話すので、アウルの車と合流してどんどん山奥に進んで行く時には、何故か上半身裸の色が黒いポリネシアン系の人達がそっと暮らしている秘密の場所のように思えて来たのであった。
そして鼓土里座、到着。
あれ、これが鼓土里座?
kotoriza.JPG
建物の中に入って驚いた。
確かにすごい。
sutage.JPG
「土着民さん達」は「土着民」というバンドを組んでいる人たちで、ここに住んでいるわけではなかった。建物は私のイメージしていた「手作り」ではなく、配管のプロ、建築のプロ、設計のプロとそれぞれ技術者達が、自分の手で大人の秘密基地みたいなものをみんなで建てたという「すごい」建物だったのだ。
nobori.JPG
仲間の中にはこうしてノボリ師が居たりと、中も外も本格的な職人さん達ばかりで仕上られたのだそうだ。
そう言えば芝居小屋って聞いていたなぁ。
maku.JPG
舞台の幕も手作り。
はじめましてと何人もの方々とご挨拶をして、夜はそのまま軽い懇親会となった。
二階の奥の部屋には芝居小屋らしく、かぶりものも一杯ある。
へぇ〜〜〜っ。
zura.JPG
すごい所です。ほんとうに。
百聞は一見にしかず。
鼓土里座は大人達が建てたすごい秘密基地なのであった。


投稿日:2008年12月12日

2008年12月12日

ブラーン、ブラーン。
南側の窓を開けて左上を見ると、中2階の位置にあったクモの家はもうほとんどがなくなっていて、一部だけが残っている状態だ。
光に反射して、天気のいい日には糸がキラっと光ったりする。
でももうクモの姿はない。
住む人がなくなった家は朽ちるというけれど、それは人間の話だけじゃないんだ。
主がいなくなったクモの家。
雨や風にさらされてだんだん壊れていく。
かろうじて残った所が、時々ハンモックみたいに揺れている。
シンプルに生きて。
生きるだけ生きたら、生から素直に手を放した。
あとに残った家をどうしようとか、そんな悩みや心を煩わせるものも何も持たずに。
人間だから、シンプルに生きられないけれど、それでもなるべく心がシンプルに近付けるようにありたいな、と思う。
ブラーン、ブラーンと残骸が揺れて。
さよなら、さんかく、またきて、しかく。
ここに、クモが居たんだよ。
あのクモを見て、心に留めた人間が一人居たんだよ。


投稿日:2008年12月11日

2008年12月11日

東京って毛糸屋さんが少ないのだ。
私の住むエリアでは吉祥寺のユザワヤが種類が豊富だが、それ以外は最寄りのH駅近辺には毛糸を扱う店は一軒もなく、次いで近いA駅にはパピー社の毛糸が数種類置いてあるものの、K駅そばの商店街ではHP上ではあるとされていながらついに毛糸店を見つけられなかった。
今は毛糸はネットで注文して手に入れるものらしい。クリーニング屋さんと美容院は「こんなに沢山あるんだ」と驚くが、毛糸店が少ないというのがトーキョーなのである。
今日は渋谷で収録があるので、帰りに毛糸を買うことにした。
こんなに人が多い街なんだから、どんなにでっかい毛糸屋さんがあるのかと期待したが、東急ハンズ内にコーナーがあるだけらしいのだ。
「バージン毛糸メガストア」とか、「HMV毛糸館」とか、「タワーレコード毛糸店」とか、世界の毛糸が揃うそんな店があるのかと思っていたら、人は渋谷で毛糸を買わないらしい。
こんな大きな街なのに?
需要がない。
渋谷に1店舗しかない毛糸店だったら、どんなに品数を揃えてくれているかと思って、半ば賭けに近い形で収録を終えると東急ハンズ目指してエッサホッサと歩いたのだった。
今日じゅうに補充の毛糸を手に入れられたら、あともう少しで仕上がるレッグウォーマーを中津川への旅に持って行けるのだ。現地はちょっと寒いらしいので、あったか物をここはひとつ充実させて置きたい。
だが・・・。
東急ハンズ内のその毛糸コーナーには、その毛糸は置いていなかった。
そうですか。
ガッカリ・・・。
帰ろう。
渋谷は毛糸を必要としない街。
まぁ、南国に来たのかなと思うような格好の女子は確かにたくさん見掛ける街なのである。