月別アーカイブ : 2010年3月

投稿日:2010年03月21日

2010年03月21日

またプールに通うようになってから一週間が経った。
親子でプールにやって来る人が居るが、私がプールに通い始めてからのこの3年間で「お父さんと子供」「お母さんと子供」の場合、同じパターンにあることに気がついたのだ。
お母さんは子供とプールにやって来ると、まず子供から目を離すことはない。子供に手が届く範囲で子供が泳げるようになるのを見守っている感じだ。たまに自分の子供のころにしか目に入らずに周りの遊泳中の人との譲り合い精神を失っているママも居るが・・・・・、
私が思うに問題は「お父さん」だ。
お父さんと一緒に来た子供は、今まで私が見た限りでは1組を除いてみんな放ったらかしであった。一緒に居るのはプールに入った直後だけ。お父さんは最初は子供とプールに来ているという自覚があるのだが、集中力がもたないようで、そのうちに自分の興味のある方に行ってしまうようなのだ。そしてちょこっとだけ自分も泳いでみたくなり、そのちょこっとが面白くてそっちにのめり込んでしまう。唯一、お父さんがピタっとついていた1組は、既に泳ぎが上手い男の子に更にフォームの改善などの指示をしていたので、監督と生徒のような関係であった。
今日の「お父さん」も、子供を忘れて泳ぎに熱心になっていたが、本日はそのまま子供を置いて違うレーンに行ってしまった。一緒に居る時間があまりに短かったのでさすがに<あれ?親子じゃなかったのかな?>と思ったぐらいだ。女の子はプールの底に足も届かない小さい子だった。???と思っていたら、しばらくして女の子が<しょうがないなぁ>という風にパパの行ったレーンに一人で移動して行ったので、「あぁ、親子だったんだ」と思い直した程だったのだ。
どのお父さんも同じ。
子供が他所でタコ踊りをしながらプカプカ浮いている。
プールにはいろいろ注意書きがある。が、私は「お父さんは子供と一緒に来ていることを忘れないで下さい」の項目も増やして欲しいと思うのである。


投稿日:2010年03月20日

2010年03月20日

夜、ふと沈丁花の香りがするのに気がついた。
今日は朝から外に出ていて、外気に触れる機会は多かったのだが、ついさっきまではこの香りはしなかった。
どこに咲いているんだろう。
探してみたけれど姿を見つけることは出来なかった。
沈丁花は姿はそんなに美しい花じゃない。どちらかと言えば地味でヤボったい感じがする部類の花。だがその香りはとても優雅で魅惑的だ。
姿が見えなくても香りで、その花があるのがわかる。
まるで空気に漂うように。
沈丁花は空気に咲く花。
そっと夜にやってきた。
沈丁花が咲けば、それは春のしるし。
春は毎年香りからやって来るのだ。


投稿日:2010年03月19日

2010年03月19日

駅前の辺りをバイクで走っていたら、多分配達中の人なんだろう。車道に止めてある車達の車道側を走っている男性を見かけた。
駅前付近の路上は、この辺の店に品物をおろす業者さんが一時的に車を止めるのだ。この人達は大概車を早く出すことに気を取られているので、たまにバイクの存在に気づかず運転席のドアを勢いよく開けられて思わずブレーキをかける、なんてこともある。だからこういうエリアではちょびっとだけビクビクしながら走っているのだ。
今日もその男性の走る様子を気にしながら後ろをバイクで走っていたのだったが・・・・。
<この車かな?>
<違ったか。じゃぁ、この車?>
<んん?ってことはあの車?>
男性は停車中の車をどんどん追い越して、駅前のガードをついに通り越した。
もう車の横の車道を200メートルは走っていると思うのだが・・・・。
まさか。
信号待ちのあとにまた進んで行くと、先の方を男性は走っていた。この人は仕事中の業者さんでも何でもなく、ただのジョギングをしている男性で、結局車道をそのまま渡って消えて行ったのであった。
ジョギングって車道を走ってよかったんだったっけ。
もう最近、横暴自転車に見慣れて来ているので交通ルールがわからなくなってきたのだ。
夜、今度はまた別の大通りをバイクで走っていたら・・・・。
やはり車道をジョギングしている男性を発見した。
何故かしら反射的にそぉ〜〜っと追い抜かしたが、一瞬マラソン大会中かと思ったのだ。自分が白バイに乗って先導しているかのような気分になったが、私のバイクは黄色である。全然違うじゃないか。追い抜かしてしばらくしたら急に騙された気になったのだ。
歩行者天国の時に車道を歩くあの特別な感じが、個人的には密かに楽しかったのに。
今ではいつでも歩行者天国になりつつある日本の道路なのであった。


投稿日:2010年03月18日

2010年03月18日

もしも何かの天才になれるのだとしたら。
人生の天才になれるのがいいなと思う。
自分のことを基本的に好きでいられることや、身近なものやことを楽しい視線で見られることだったり、何か困ったことが起きたとしても、そこからまた光を見つけることが出来る。
建設的な人を尊敬する。
人生の成功という言葉はよく耳にするけれど、こんな曖昧なものはない。それがいいものなのかどうかについても、第三者から見ればいいものには見えるようだ、としか私にもよくわからない。
何かの天才になれるとするのなら、人生の天才になるのが一番だ。
天才が無理でも、努力を続けたら多分秀才にはなれる。
大きくなったら何になりたい?とは、もう尋ねられなくなった。
人生の天才。
探せばきっと居る。
私自身、あの人は素敵だなと思う人のことを思い浮かべてみたら、皆人生の天才だった。


投稿日:2010年03月17日

2010年03月17日

チラシを見ていると、”@@応援キャンペーン”、”@@フェア実施中”という文字が目につく。まぁイベント期間だからこそ、広告を出しているのだと言えるのだろうが、どうも私は”キャンペーン”、”フェア”、”セール”という単語に弱いみたいで、気がつくとフムフムと読みふけっていることが多々あるのだ。
家を建てるどころか土地もないのに、「春の注文住宅キャンペーン」のチラシを見ていたり、フィットネスクラブの「今だけ入会金ゼロ」を見て「やっぱりこういう所に入ろうかしら」と思う。さすがに家庭教師のチラシは自分には関係ないものと認識するが、洗顔石けんに家電製品など私の心は引っ張りだこになっている。
中でも最近好きでよく眺めているのが、この春から新生活を始める人達に向けての日用品チラシだ。お風呂場4点セットや掃除機など生活家電のセット、スリッパやマットなどのセットetc・・・・。私の場合、アイテムとしてはもう持っているものばかりなのだが、何故かこういう新生活セット物のチラシを見ると、自分もこれから新しい生活が始まるような気分を味わえるので楽しくなってくるのだった。
それにしても、値段の安さには驚く。
スチームアイロンが970円。
コーヒーメーカーも970円。
IKEAの影響なのか、最近は他社も見た目も割とお洒落なグッズを安く出すようになってきたので、「安い」という面から見ても楽しい。
雑貨本の延長線上にこれらチラシがあるようで、だから女性はこういうチラシは好きなんじゃないかなと思う。
現実の私の今後あり得そうな「新生活」は、「大学生になる」でもなく、「結婚する」でもなく、「普通に引っ越し」ぐらいしかない。しかし、そのふつ〜のお引っ越しも今年はその予定もない。
特にイベントもない生活の中、新生活キャンペーンチラシは私にとって、疑似引っ越し気分を味わえる楽しい夢の紙なのである。


投稿日:2010年03月16日

2010年03月16日

今日は学生時代の後輩、Kくんが東京に来ているということで久しぶりに夕飯を一緒に食べた。
いつも思うのだが、東京にたまにやってきた友人達は、住んでいる者からすれば信じられないような行動力を発揮する。Kくんも前日に都電荒川線に乗りその後浅草に行き、それから埼玉の大宮に行ってそれで帰って来て新橋で人と会ったらしい。そしてその日は品川で泊まって、今日は鎌倉に行ってお寺めぐりをしたあと、また都内に戻って来て私の家の最寄り駅に来たのだった。
それで、今日は私と食事をしたら夜行バスで三重に帰るのだそうだ。信じられない。パックのバスツアー並みのスケジュールである。私の場合、まずお出かけは浅草なら浅草だけで終わる。この間都電荒川線に乗りに行ったが、それだけで一日分のエネルギーと時間は使い果たした。それでも周りには行動範囲が高円寺のみという人もいるので、私は出好きな方なのだ。
Kくんとは数年に一度ぐらいの割合で同窓会や何かしらで会っているので、会っている頻度は比較的に高い友人だ。今は学校の先生をしていて、職場に行けば年下の職員さんたちもいるだろうし、それなりにエラいみたいなのだが、どうしても私には想像がつかない。だって同窓会に来れば呼び捨てで呼ばれて使いっ走りの役だ。結局私は後輩の姿しか見る機会がないので、未だに教壇に立っていること自体が信じがたいことなのだ。
しかし、昔の友達というのは面白いもので、同じ思い出を共有しているかと思えば、お互いの覚えていることがそれぞれ違っていて、話をしているとKくんが覚えていることを私が全く忘れていて、そうかと思えば私が覚えていることをKくんが覚えていない。思い出というのも、人によって景色が違ったりするのかなぁと思ったのだ。
偶然は重なるもので、Kくんとご飯を食べている時に学生時代の同じサークルだった今度は同級生からメールが届いた。来月東京に行くからご飯でも食べようよという連絡で、3月になってからこんな風になかなか会えない距離の友人と東京で会う機会が増えている。
東京は住む町になってしまうと、なかなか遊びには行かなくなる。
はとバスツアーに水族館、プラネタリウムに東京ディズニーシー、一人で行くのはちょっと寂しいかなぁと思ってなかなか行けなかった場所は、東京に遊びに来る友人と出かけるのが丁度いいのではないかと思うのであった。


投稿日:2010年03月15日

2010年03月15日

地下鉄の駅で電車を待っていたら、偶然Nくんとバッタリ会った。
Nくんは数年前に先輩の紹介で知り合ったエンジニアさんなのだが、家はどこなんですかという話からお互いの家が徒歩5分程の距離にあることを知って驚いたのだ。いつも私が行くスーパーの道中にNくんの家はあるので、本当にそのうちに会うんじゃないかと思っていたが、いつも買い物に行く時の私の格好は、すっぴんに加えそれはひどいものだった。なので、もしかしてすれ違ってもわからなかったかもしれない。
しかし、バッタリはある。
普段私は小雨ぐらいなら、駅までバイクで出かけている。東高円寺にバイクの駐輪場のあるので、いつもはそちらを利用していて、最寄り駅はバスで出かけた時に利用するぐらいなのだが、今日はたまたまバスで出たのだった。そして改札を入るといつもはホームの人が空いているところにフラフラと歩いて行くのだが、この日に限ってこれまたなんとなく改札を入ったすぐの所にボンヤリ立っていたのだった。
Nくんも、仕事でたまたま今日はこういうルートで出かけるんだということだった。改札を通ったら目の前にボ〜っと立っている私を見つけたんだろう、声をかけてもらってそのまま一緒に赤坂見附まで行ったが、やはりいくらご近所で会う可能性があるとはいえ、思わぬバッタリ会うというのはめずらしいことなのだ。
<もしかして>
<この人が王子さまなのかしら>
<そう言えば、去年も先輩の家で一緒に年越しソバを食べたわ>
胸きゅん!
しかし。
話を聞くとNくんにはもっとバッタリ会う人が居るらしい。どうしてこの人とこんなに会うんだろうと思うぐらいの遭遇率だそうだ。
残念だが、私のカンではおそらくNくんはこの人とつきあうことになるであろう。
私も そう言えばバッタリよく会う人がいる。
斜め前の家の独身のおじいさんがそうだ。
「それじゃ、またね~」
赤坂見附に着くと王子は電車を降りていった。
「バッタリ会う」というのは不思議なもんだ。ものすごい大恋愛を3秒間ぐらいで駆け抜けたぐらいのエネルギーの出入りが起こる。ビックリしやすい体質の人ならこの感覚はわかっていただけるかもしれん。
しかしさすがご近所さん。
近所に出来た肉汁うどんの店の情報を知っていた。
「あの店、一回行ってみよう」
まさかの肉汁うどん情報を得ることとなった「バッタリ」であった。


投稿日:2010年03月14日

2010年03月14日

近くの緑道の梅が咲いた。
同じ種類の木達は、示し合わせたかのように一斉に咲く。
梅は花柄がなく、花びらの先は丸い。
桃は花柄が短く、花びらの先が少し尖っている。
桜は花柄が長く、花びらの先が割れている。
遠目ではわからなくても、近くに行って見ればどれがどれかわかるようになる。
品種もあるので、いちがいには言えないが、東京では梅が一番に咲く。
梅はコロンとしたイメージだ。
枝にくっついているので、風が吹いても桜みたいにしならない。
いつもコロンと枝についている。
動きがないのでしなやかに見えず、それが少々ヤボったく見えたときもあったが、今は枝にブローチみたいにひっついている様が、なんとも可愛いなと思う。女の子に例えたら、フェロモンを放つタイプではないけれどあっけらかんとした明るい娘といったところだ。
実家の庭にも梅の木がある。
ウグイスがこの梅の木によく止まって鳴いていた。
母がよく実を拾って梅酒を作っていた。
は〜るよ来い。は〜やく来い。
梅が咲いたら、次々に花達が目覚める季節になるのだ。


投稿日:2010年03月13日

2010年03月13日

「臭いものに蓋をする」方式で、体重計に乗るのをやめて体重管理をおろそかにしていたら、いつの間にか太っていた。おそらく、なのだが、私と同じようなパターンを踏んでいる人は私と同じ失敗に陥るであろう。久しぶりに乗ってみて、「あらやだ、私ってナイスバディなのね」という数字が出せるということはまずない。
数字というものは仕事でも体重でもなんでもかんでも、相当な努力をし続けてようやく「まずまず」な結果に持っていける、かもしれない、とそれぐらいのものなのである。そういった努力もなく久しぶりに再会しに行って歓迎されるわけがない。エラいショックな数字を突きつけられて打ちひしがれるという法則にあるのだ。
しかし、体重計に乗るようになって三日目。数百グラム減っているが、私にとっては大好きなスイーツをやめて三日も経ったのに、数百グラムしか減っていないのは非常にキツい。
<もう、やめようかな。ダイエット>
<思い切り好きな物が食べたい>
<それに、太ったところで>
<私の毎日には大差ないわ>
<恋愛中でもないし>
早くも心が折れそうになってきた。
私のささやかな楽しみは美味しいパンとプリンを食べることだったのだ。普段お酒を飲むわけでもなく、たばこも吸わない。刺身も買わないし、エンゲル係数は低い家なのだ。これでカロリー制限でひからびたおかずの毎日になったら、日々がひからびた感じがしてしょうがない。現にひからびたおかずを食べて3日経ったが、だんだん心がひからびてきたのだ。
本日、何度も何度もキッチンに行っておやつに手を伸ばしては思い直して部屋に戻っている。
<食べる、食べない、食べる、食べない・・・>
我が家のおやつ達には今、相当な私念が入っている。
来客者に出したら、食べた人がお腹をこわすんじゃないかなと思うのであった。


投稿日:2010年03月12日

2010年03月12日

3月の初め頃から、なんだか身体が重いなぁ・・・と思っていたのだ。
気温の差が激しいから、身体がついていけていないのかなと思っていたのだが・・・。
そうではなかった。
昨日、久しぶりに体重を計ってみたところ、今までになく太っていたのだった。
つくづく自分のことを自己中心的だなと思うのはこんな時だ。数字を最初に見た時、体重計が壊れたという風に私は思うみたいで、それから3回程計ってみてようやく現実を受け止めた。
若かった頃は、どれだけ食べても48kgをキープしていて、自分は体重は増えないものだと思い込んでいた。今では常に浮き輪をしているような不思議な体型になり、なんといっても太ももがプルンプルンするようになったではないか。
一番体重が増えたのは数年前、お正月のお餅を食べ過ぎてこの時は10キロ増になったが、今回はそれに近い数字・・・。ダンボが二匹私の身体にひっついたようなもので、そりゃ身体も重くなるわと体重計を遠ざけて過ごしてきたことを今さらながら後悔したのだ。
ダイエットというのは、減量に燃えるよりも毎日体重を計ることが大事なのだそうだ。これが自己管理を意識させ、暴飲暴食を自制することになるらしい。去年体重を計っていた頃は、体重も大幅に減りはしなかったが、一気に増えることもなく、私の身体に居たダンボの数も1匹以下だった。
大好きなスイーツを食べ続けていたら、妊娠してもいないのに一歳児が私の中で育ってしまった。
ところでこの一歳児ちゃんは私の身体のどこにいるんでしょうか。
数字を物に置き換えると、ギョっとする。
テレビって何キロあるのかしら。
パソコンだと、私何台分持っていることになるのかしら。
今日からまたダイエットを始めよう。
スーパーに行って5キロの米袋が重くて持つのも大変だと言いながら、それ以上の物を身体の中に入れて駅の階段を上がっていたとは・・・・。
はぁ〜あ。
よっこらしょ。
この時期、身体が重いのは季節の変わり目のせいではない。本当に体重が重くなったからなのである。