月別アーカイブ : 2010年7月

投稿日:2010年07月21日

2010年07月21日

「こんにちは~」
犬を連れて歩いていると、同じく犬を連れて歩く知らない人でもこう挨拶をするのがなんとなくの恒例になっている。そのまま犬同士を引き合わせたり、そのうちに飼い主さん同士が仲良くなったりするのだが、ダンボは依然として犬の友達を作ろうとしない。
相手が子犬であっても、目を合わせずに尻尾をキュっとお尻の下に入れて固まったまま耐えているのだった。
人にも近寄らない。
「可愛いわね」と言ってもらっているのに無視をして全く懐かない。
のだったが・・・・。
最近、こんなダンボのことを扱える唯一の紳士が登場したのだ。
おじさんは多分会社をリタイアしたと思われる初老の男性。長身で姿勢のいい外国人風の雰囲気の人で、ちょっとお金持ち風の紳士だ。ボストンテリアを連れていて何度か挨拶をしていたが、この人は初対面でいきなりダンボのことをなでたのだった。ダンボは外に出ると私もなでさせてくれない。触ろうとするとぴょこんと飛び退いて、「ほっといてよ。うっとおしい」というような顔をするので、「あぁ、ごめんごめん」と、あまり構わないようにしていたのだが、以来この男性に会った時だけはダンボは逃げずになでられたままジっとしているのだ。
「よ〜しよしよし」
紳士はいきおいよくダンボに接してはいるものの、威圧的な感じはしない。
男性が連れているボストンテリアの方は人懐っこい。私のところにやってきてフンガフンガと短い鼻を鳴らしてじゃれてくる。
「じゃぁ、またね」
おじさんが行ってしまうとまたダンボはいつもの警戒心のかたまりになって歩き出す。
ダンボは面白いくらい前回会った人との距離感を覚えている。一度会ったことのある人に対しては、以降どれほど時間が開いても初対面の時の距離感をずっと保っていて、私よりもずっと対人関係の記憶力がいいのだ。
一体その人のどこを見て判断しているのかしらねぇ。
おじさんはきっといい人なんだろう。
挨拶しか会話をしていない私にはわからなくても、ダンボは確かにいつも私とは別のジャッジの仕方でオーラを嗅ぎ分けている。
動物達が「この人大好き」と近寄る人は、人間の先入観より正しいジャッジをしているのだと思うのであった。


投稿日:2010年07月20日

2010年07月20日

夏を代表する花の一つはひまわりだろう。
私が子供の頃は花壇にひまわりの種を植えて、そのうちに自分の背より大きく成長してそうして真夏になると花を咲かせてくれたっけ。ひまわりは花になるかオウムの餌になるかのどちらかの運命を辿っていたのだ。
昔は大輪の種類しかなかった。それが品種改良されてこぶりのものが花屋さんで売られるようになってから、逆に大輪のひまわりを目にすることが私はなくなっていたのだった。小さいひまわりの方が部屋の花瓶にも飾れるし、それになんとなく可愛いし。あまりに大輪種の姿を見なくなったので、もしかしたらもうなくなったのかもしれないとさえ思っていたのだった。
だが、今住んでいる所の近くの緑地公園には大輪種のひまわりが咲いている箇所がある。五日市街道からも見えるし、サイクリングコースの脇の花壇にも背の高いのが咲いている。脇道に入ると「ひまわりの種を植えました」という札がかかっていて、その奥にはもう札がいらないと思える程一目でひまわりだとわかる花が密集して伸びているのだ。
ひまわりはやっぱりコレだったなぁと最近は思う。
品種改良されて可愛らしいサイズになったが、夏に似合うのは背が高くてちょっとヤボったい感じで一輪、大きな花を開くあれがひまわりなのだ。
花びらが太陽に干されて少し縮んでいたり、葉っぱが茶色に変色したり、商品としては売られていないようなちょっと傷んだ部分があるそれもまるごと含めたのがひまわり。
スマイルマークのような、いやスマイルマークがひまわりを真似たのかもしれない。
笑顔の花、それがひまわりだ。


投稿日:2010年07月19日

2010年07月19日

海の日。
今日の東京は絶好の海日和。真夏の日差しで、もし家の前に海があれば迷わずに海に浸かりに行くだろう。
海は出かけた先で会える存在。海のある暮らしというものをしたことがないので潮の香りは特別な匂いだ。
今日はジリジリと焼け付くような日差し。
でもどこか殺菌してくれているような感じもある。
私の体の中にある悪いものを殺菌して下さいね。
いつもは日陰を選んで歩く道。日焼けや紫外線を怖がるのはやめて太陽の恵みをもらうんだと大の字で日差しを受けてみる。
ジリジリしてくる。
あんな遥か遠いところからなのに、届くエネルギーがあるんだなぁ。
太陽のあの力強さは何なのだろう。
たまにお日様に照らされるのはきっといいことだ。
そっかぁ。
そうだよね。
花達がみんな顔を上げてお日様の方を向いて「そうだよ」と笑いながら咲いていた。


投稿日:2010年07月18日

2010年07月18日

1970年の今日、杉並区のある中学、高校の生徒が体育の授業中に具合いが悪くなって病院に運ばれた。それが光化学スモッグによるものとされ、日本初の光化学スモッグ発生ということで、今日は光化学スモッグの日なのだそうだ。
私が子供の頃はよく光化学スモッグ注意報が発令されていた。夏休みのプール開放は校舎の上に立っている旗の色が確か黄色だったり、赤だったりしたら、その日は光化学スモッグ注意報が発令されていてプールは中止になったという印だった。
校舎の旗が見える位置までは、家からある程度の距離を行かないと見えなかったので、途中まで行ってガッカリして戻ってきたことがあったっけ。
でもいつの間にか「光化学スモッグ」という言葉を聞かなくなっていった。
もうすっかり忘れていたというのに。
最近になってまたよくこの光化学スモッグ注意報の発令を耳にするようになったのだ。家に居るとどこかから「杉並区からのお知らせです。」という声が小さく聞こえてくる。光化学スモッグ注意報が発令されましたという内容のものが多く、散歩に出る頃にまたどこかから「杉並区からのお知らせです」で始まるアナウンスが聞こえてくる。丁度6時を過ぎるあたりになると注意報が解除されるようで、特に工場地帯でもない杉並区に頻繁に発令されているのがちょっと不思議な感じがする。
日中に目がシバシバするのは、まぶしいからということだけじゃなかったのかもしれない。光化学スモッグの影響もあるのかもしれない。
毒が目に見える姿を持つとしたら、恐らく人々は外を歩けなくなる。だから有害なものは目に見えないようにしてあるのかもしれない。
光化学スモッグが過去のものとしての記念日になる日は来るのだろうか。
見えない傲慢が見えない毒を作る。
この世の中は見えないもののほうが多く存在しているのではないかと思うのだ。


投稿日:2010年07月17日

2010年07月17日

犬のオヤツもいろんな種類のものがあるが、犬用のアイスクリームやシャーベットもあって、今ウチの冷凍庫には犬用シャーベットが入っているのだ。
「じゃぁ、アイス食べよっか」
冷凍庫の所に犬もついてくる。そして私が人間用アイスを食べ、犬が犬用シャーベットを食べる。
食後の一服はこんな感じだ。
ところが犬は物をあまりよく噛まない。もっと噛んで食べなきゃだめだよと言っても無理、これはしつけをしても直らないことなのだろう。本で読んだら犬は物をあまり噛まずに飲み込んでしまう生き物らしく、それで大丈夫な体の作りになっているのだそうだ。
だから、犬に食べ物をあげる時は「丸飲み」をしてもいいように与える時の大きさに注意している。少し大きいかなと思ったら、事前に小さくする。ダンボを見ていると、「飲み込めるサイズ」に対する判断力にやや欠けると感じるので、小分けにしている過保護について彼自身は知らないのであろう。
このシャーベットはそういう意味では微妙な大きさだった。
ロケット型のプラスチックカップに入っていて、円錐の形をしているのだが小型犬には一口で食べられるサイズではない。だが先週は小分けにしようとしてうっかり
床に落とし、食い意地の張ったダンボは取られまいとして丸飲みをしてやはり喉に詰まってしばらく窒息でもがいていたのだった。
なかなか扱いにくいこの微妙な大きさのシャーベット。だがプラスチックカップごとあげたら周りはベトベトにはなるが、少しずつ溶けるシャーベットをペロペロ舐めるので、「丸飲み対策」としてはそれが安全だった。やっぱりその方法がよかったのかなと思い、今日はカップごと渡したのだった。
いつものようにオヤツを得るとダンボは私から逃げるように遠くへ逃げて行く。
好きなオヤツほど遠くまで逃げるのだが、シャーベットは時間がかかるのを知っていて更にゆっくり出来るベッドの下に持って行った。
食べ終わると必要なくなったケースを持って来るのだが・・・・、
この日は持って来なかった。
随分経って「あれ?そういえば今日は空になったケースを持って来ないなぁ」と思ってベッドの下を覗いたのだが、そのケースが今度は見あたらない。
プラスチックまで食べてしまったんだろうか。たまに誤飲食をする犬がいる。お腹を開けたらプラスチック片が出て来たケースはそんなにめずらしい話じゃなく、だがダンボは誤飲食の傾向はなかったので気にしていなかったのだが・・・・。
それからベッドの下を大捜索してあきらめかけた頃に、ハウスのそばにコロンと転がっている空ケースを発見したのだった。
焦っている私を横目にくつろいでいたダンボ。
そして空ケースを見つけて一人「よかった・・・よかった」とホっと胸をなでおろす私。
一件落着。
というか何というか・・・・。
小分けにする方法以前に、そもそも犬用シャーベットをあげたりする贅沢から考え直した方がいいのであった。


投稿日:2010年07月16日

2010年07月16日

真夏の天気になった。
ついこの間まで、東京ってこんなに湿度が高かったかなぁと考えるほど湿気に覆われていたのに、あの湿気はどこへ行ったんだろうと思うほどカラっと真夏の日差しに変わったのだ。
外に出ると太陽がまぶしい。
空は夏色の少し濃い水色。
夏がやってきた。
水色の夏がやってきた。


投稿日:2010年07月15日

2010年07月15日

昨日、先日撮ったレントゲン写真で気になるところがあるから来るようにと言われて、午前の診察が始まった9時過ぎにクリニックに行った。
今日も待合室に患者さんは一人も居ない。ここの年配の医者の対応については、私と同じような印象を持った患者がきっと他にも居るんだろう。駐車スペースもあって内科以外にも診療科目があるのに、2回来て2回共患者がいないのだ。
しばらく待つと「よろしくお願いします」という声が奥で聞こえてきた。病院スタッフが先生に挨拶をしているようで、それからしばらくして名前を呼ばれたので診察室に入ったのだった。
「あなた、どこの病院に行ってるの」
「医科歯科大です」
「じゃぁ、そこで診てもらって」
「どういうことですか?」
「それは私の口からは言えないわ」
まただ。説明するから来いと言っていたのに、それじゃぁ説明になっていないじゃないか。
「どういうことですか」
「とにかく異常があるってことよ。私の口からはそれ以上は言えないわ」
カチンと来た。
「昨日、説明をするから来るようにと言われて来たのに、これじゃぁ説明になっていないんじゃないですか」
だってレントゲン写真を出していながら、異常があるおおまかな場所さえ示しもしないのだ。
私は怒る直前に<今、怒るよ。><いいかな>と自分に一度聞いてから突進する。もう丸腰でお伺いを立てるのはやめよう。いい加減にして欲しい。そう思って強い口調で反論をしたのだが、それと同時にその医者は今度は逆切れしたのだった。
「説明しろったって言えないわよ!今日死ぬのかって聞いてくるような人には何も言えないっていうの!」
そんなことを誰が言ったのかと言いたかったが、もう地団駄を踏んでそうヒステリックに大声で叫ぶその人を見て、もう帰ろうと思った。
とても不愉快だった。
最後になって上部の影を指して「この辺が異常だっていうの!それ以上のことは知らない!」
「このレントゲンは、法律的にはあなたのものですけれど。一応返して下さいね。要返却で貸し出します」
短い間に態度がコロコロと変わる。こういう約束事の時だけきっちり説明をされて、本当に不愉快でしょうがなかった。
もう二度と来るものか。
よく病院の口コミのサイトなどがあるが、口コミを書くという接点を持つことさえ力がなくなることがある。
ここのクリニックのHPには地域に貢献したいと書いてあった。
自称では何とでも言える。
私もその地域の住人の一人だ。
二度と行かない。
ここはK総合病院の連携医院になっていてHPでも紹介をされているが、こういう対応のクリニックを紹介しているだなんて、何かが間違っている。


投稿日:2010年07月14日

2010年07月14日

留守電に「@@クリニックですけど電話下さい。@@@@ー@@@@」というメッセージが入っていた。この間の年配の女の医者の声だった。メッセージはこの短い言葉だけ。ぶっきらぼうに言ったあとガチャンという音が入っていてそれで終わりだった。
<もう、かかわりたくないのに>
ここのクリニックは、先日健康診断書を作るのに、家の近くで即日発行してもらえるからと初めて行ったのだったが、対応がよくなかったのでもう行くことはないと思っていたのだ。
支払いか何かの書類で不備があったのかな。
留守電のメッセージにしてもちょっと配慮に欠ける人だなぁと思いながら、しょうがないので電話を掛けたのだった。
すると
「あぁ。あのねぇ。この間のレントゲンで気になるって言ったでしょ。あれから勉強会に持って行ったらやっぱり異常だっていうことになって。」
「だから明日来てちょうだい。あたしは今から出かけるから明日ね」
ザックリしてはいるけれどいい人、というのとは何かが違う。言葉を選ばず唐突に用件を相手に伝えるだけの強引な感じがやっぱりする。それがまずすごく嫌な感じがした。
「もうあたし、出かけるから」
「ちょっと待って下さい。どういうことが概要だけでも教えてもらえませんか」
そう言ったが、「電話ではとてもじゃないけれど、説明出来ることじゃないから。明日か明後日来てちょうだい。そん時に説明するから。あたし、今急いでいるから」
電話を切った後で、すごく嫌な気分になった。
先日ここの医院に行った時、レントゲン写真を見るなりこの女の先生は大きな声で「わぁ〜〜〜っ、このレントゲン、気になるわぁ」と私を見ながら言ったのだった。
「は?」
「わぁ〜〜、気になる。気になる」
大げさな感じで言われて少し気分が悪くなった。
「何が気になるんですか」
そう尋ねたら、この医者は「あたしには言えない。そんなこと言えない。だっていろいろありすぎて何て言ったらいいかわからないわ」
そんな言い方ってあるだろうか。
嫌だなと思ったがそれで話が終わってまぁいいかと思っていた。ここにはもう来たくないなと思っていたし、診断書だけ出してもらえたらそれでいい。
と、思っていたらまた終わったはずの話をブリ返してきた。
「レントゲン、気になるわぁ」
「何が気になるんですか」とまた尋ねたら同じように、「私には言えないわ」と言う。挑発かしらとも思えるような気の引き方をされて嫌な気分になった。
「それって死んだりする病気ってことですか」
別に命に別状がないんなら、もういいです。気にしませんと言って帰って来た。
二度とここには来ないぞ。意地悪な見方をすればこんなに立地がいいのに患者が全然来ていないのは、この医者だからに違いない。ハズレだと思ってもう今日のことは忘れようと医院をあとにしたのだった。
あぁ・・・また行かないといけないのか。
言葉の使い方は医師の仕事の中でも比重の大きいものだと私は思う。なのに、こんな対応の仕方ってあるのかしらと不快な気分になる医者に繰り返し遭遇している。ある程度元気だったらいいが、そうでなければその状況の中で受け身でいなければならず、それがどんなに辛いことなのかは受けてみた者でなければわからないだろう。
自分がされたらきっと嫌なはずなことを、どうして顧みようとしないのだろう。10年経ってもあんまり変わっていないんだなというのが感想で、多分医療の世界の重鎮がこういうことに無関心で、それでいつまでたっても患者への配慮のなさが改善されないのだろう。そんな風に思うようになった。
明日行くしかない。
しょうがない。患者の選択はそれしかないのだから。


投稿日:2010年07月13日

2010年07月13日

ダメなところってなかなか直らないものだ。
そのうちの一つに整理が出来ない。ということがある。私は鞄の中とデスクトップが気づけばぐちゃぐちゃになっている。しかも結構長い間そのまま気になっていないのだった。
では部屋が汚いのかと言えばものすごく綺麗なわけではないが、割とコンスタントに片付いている。尋ねてきた友人達には綺麗に暮らしていると褒めてもらうことが多いので、「わっ、何この部屋?」というような状態ではないとは思う。
が、鞄の中は気づいた時にはコンスタントに荒れている。まず紙クズが多いのと、アクセサリーやボールペンなどなんだかいろんなものが底から出て来る。あのバッグにも、あのバッグにも、それからこのバッグにも・・・・。どのバッグを開けても同じ内容のゴミとグッズが入っていて、まぁ逆に言えばどのバッグを持て出かけてもボールペンやピン留めがどこかには入っているので足りないことで焦ることはないのだが・・・・。それにしても汚すぎる。
私が知る限り男性のパソコンのデスクトップはとても綺麗に整理されている。多分家の中の片付けが出来ていない、この野人の人達がどうしてパソコンとなるとこんなに几帳面にアイコンを端に並べたり、スッキリ画面を保つことが出来るのかと不思議でならないのだが・・・。とにかく私のパソコンのデスクトップはアイコンが散らばっていてしかも整列が全くされていない。それで全然気にならないのだから、おもしろいなぁと思う。
アップデートも「あとで」にしたまま放っておいて・・・。
鞄とデスクトップという私の小さな部屋はいつもゴミだらけで散らかっている。
これが私の片付けられない2つの部屋なのだ。


投稿日:2010年07月12日

2010年07月12日

今年ももう夏物バーゲン真っ盛りの頃となった。
一つ不思議に思っていることがある。それはレディスファッションに於いて2way、3wayと書かれた洋服が多くなっているということなのだ。
店員さんもこの言葉をよく口にして品物を勧めるようになった。私ももちろんよく聞くのだ。
「こちらのスカートなんですけどぉ。」
「マキシ丈でも着られるし」
「ほら、上まで上げて来てもらうとワンピースにもなっちゃうんですよぉ」
男性の店員さんまで2way戦法で話しかけて来る。
「このスカートなんですけど」
「普通にスカートとしても履いていただけるし」
「上まで上げるとビスチェとしても着て頂けるんですよ」
もう何回もこの着方については説明をもらって、誰もが知っているはずなのだが、その説明を店員さんにされると私も「あぁ、知っていますよ」と言えずに反射的に「はぁ、そうなんですか〜」という言葉を返してしまうのだった。
しかし。
そもそも。
2wayってあなた。
2通りの着方が出来ますよということなんでしょうか・・・・。
それは違うと思うんです。
一昔前も同じ着方は出来たはずでした。
でもそれは「変」な着こなしという解釈をされておりました。
今は時代が変わって、どういう着方をしても別に周りが気にしなくなったというだけのことなのだ。「2way」と呼べる程デザインが変わってすごい画期的な仕掛けが加えられたわけでないので、「2way」というのは厳密にはおかしいと私は思うのだ。
一度、そう問いかけてみたいのだが・・・・。
「いらっしゃいませぇ〜」
「こちら、2wayになっているんですよぉ〜」
「ほら!」
「こうするとビスチェになっちゃう」
あぁああああっ。
またもや、2way手品か。
しかし私もどうして反射的に「初めての話」を聞くヒトのフリをしてしまうのであろう。
2wayを見せられてお客は「本当ですね〜」とびっくりした表情を作っている
ナンカヘンデスー。
みんなどこの店も内容が同じ手品をやっている。一度ぐらい「ほら!」と言った時に、本物の鳩でも出してくれたらいいのになと思うのである。