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投稿日:2010年07月30日

2010年07月30日

コメンテーターの人が出ているような番組を見ていてよく思うことがある。
それは、まず疑ってかかる人が多いんだなぁということだ。
何かのVTRを流したあとで、コメンテーターの人が感想を話し出す。その時に7割ぐらい自分とは意見が違っていたりするのだ。「これは一つの戦略ですよね」「見え見えですよね」と、ほぼ断定した形で「ですよね」ということになって、なんだか知らないが編集の仕方も無理矢理、その「ですよね」とつじつまが合うような形になっていたりするので、全く逆の感想を持った私はポツンと少数反対意見的な取り残された感じをよく味わうのだった。
私が読みが浅いということなんだろうか。
いいや、私は私の感覚で人に対する判断はそれなりにしてきたつもりだ。それで人に裏切られたり、人間不信に陥る様なひどい出来事にあったわけでもない。それに自分はどちらかと言えば警戒心が強く、なんでもいい方に受け取るような懐の広い人間でもない。
そんな私でさえ、「え?」と思うような話を受け止め方をされていたりすると、一瞬混乱することがあるのだ。この人達は私より沢山物事を追求している人だから、きっと的を得た見解を述べてくれる人に違いないという思い込みが、一瞬自分に自信をなくさせる。
だが、ちょっと待てよ。
なんか気になる。
コメントを求められる人達の感想についての率直な感想は、何でもかんでも深読みしすぎなんじゃないのかしらってことなのだ。
人の話を聞くのなら、まずはその人のことを知ろうと耳を傾けないものなのだろうか。「この人は本当に一生懸命本心を話している」という風にまずは疑わない心で人の話を聞く姿勢が感じられないところが、気になるというか不快に感じるポイントだと思う。
まず最初は信じてみて、それから何度かあと・・・でも判断は決して遅くはない。それぐらいの猶予があっても決して遅くはないと思う。
まずは疑う人と、まずは信じる人。
何が両者の考え方を分けるのかはわからないが、少なくとも私は後者の人の方が信用出来る。
疑い深い人の言葉からは感動はない。
いつも感動した時に、私の心は動くのである。