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投稿日:2010年07月11日

2010年07月11日

最近子供を産んだ近所の猫が、頻繁に遊びに来るようになった。
厳密には遊びに来ているのではなく、おねだりということになるだろう。
<何かちょうだい>
この猫ちゃんは本来あまりガツガツしていない猫なのだ。我があまり強くないところが私には付き合いやすく、おとなしく待っていたりする姿が可愛いなと思っていたのだった。
が、子供を産んで母になったのだろう。
<何かちょうだい>
何度もやって来る。
「さっきあげたじゃない」
ミャー。
しょうがないのでオヤツをあげる。
するとパクっとくわえて逃げて行く。
前はここで食べていたのに・・と思って、少しフラれたような気分になりながら部屋を移動すると反対側の道路に猫が歩いて行くのが見える。
子猫達がわっと母猫に向かって集まって来る。そこにあの猫はくわえたオヤツをポイと捨て、自分は食べない。ただその横で知らんぷりをして座っているのだった。
小さなオヤツは4匹分になどならない。2匹ぐらいが取り合ってそれでおしまいだ。母猫はしばらくすると何事もなかったかのようにまたやって来る。
事情を知らなかったらなんて食い意地の張った猫なんだろうと思っていたかもしれない。
あの猫が子猫だった時、同じようにお母さんが食べ物を持って来てくれたのかな。
これから斜め前の家では猫が6匹になるんだろうか。それとも誰かに貰ってもらったりするんだろうか。年を取ったお父さんと息子さんだけの2人家族。やはり女性の居ない家は外から見ても殺風景だ。
この小道にも日陰が出来て、そうすると母猫が家の前で子猫達におっぱいをあげていた。
お母さんのいる家はなんかあったかいね。
カーテンを閉めるて振り返るとダンボが尻尾を目一杯振って私を見つめていた。


投稿日:2010年07月10日

2010年07月10日

今日は外食をして待ち時間を埋めるようなタイミングだったので、家を出る時には久しぶりの外食のこともちょっと楽しみにしていたのだ。
何を食べようかなぁ。
バイクで出たので代官山、恵比寿近辺の好きなところに行ける。とにかくお店がたくさんある街なので特に店を決めずに家を出たのだった。
でも実はこの間から食べたいものがあるのだ。
それは広島焼き。先日友人が美味しい広島焼きの店の話をしていて、そこは飯田橋と神田の店のことだったのだが、それからどうも広島焼きが食べたいという思いがフツフツと湧いてきている。一人で鉄板焼きの店には入ったことはないが、せっかく時間もたっぷりあるから今日はトライしてみようか。
最近は携帯で店も何でも調べられるからということで、私は少々タカをくくっていた。その時に携帯で調べたらいいと思っていたのだが、考えてみたらそういうことをしたことがなく、実際にi-modeには繋いだもののその先携帯を使ってどのようにしたら該当する店を呼び出すことが出来るのかがちっともわからないのであった。
結局、時間がなくなってきてしまい、バイク駐車場の近くにあるソバ屋に入ることにしたのだ。
<まぁ、こんな日もあるだろう>
あまりソバの気分ではなかったが、せっかくなのでここで美味しそうなものを頼もう。
そう思いつつメニューを見ていたら「みそ煮込みうどん」を見つけた。
<あ!みそ煮込みうどん>
みそ煮込みうどんは私の大好物。思わぬいいこともあるもんだわ。と、早速みそ煮込みうどんを頼んだのだった。
しばらくして。
「お待たせしました」
出てきたみそ煮込みうどんなのだが・・・・。
見た目から何かが違う。
これ、私の知っているみそ煮込みうどんじゃない。
でも・・・・。
<まぁ、いいか。とりあえず食べてみよう>
口にして何が違うのかがようやくわかった。これは豚汁の味ではないか。そう思ってあらためてうどんを眺めてみると、豚肉に大根、にんじん、ねぎ・・・それにみその色も含めこれがみそ煮込みうどんではなく、豚汁うどんであることが判明したのだった。
<こんなの、初めて食べるわ・・・>
ちょっと悲しくなった。
たまたま外食になったのではなく、今日は外食を楽しみに家を出て来たのだ。本当は食べたかった広島焼きをあきらめてみそ煮込みうどんで落ち着いたはずだったのが、豚汁うどんだっただなんてちょっと騙された気分。これはみそ煮込みうどんではない。
<しょうがない。こんな日もあるわね・・・>
気持ちを平静に・・・と言い聞かせて、食べていたのだったが・・・・。
そこに思わぬ物体が目の前に現れた。
「お味はいかがですか」
ぎょえーっ。ゴキブリ!
いきなり思春期の年頃と思われる少年ゴキブリが机の上に出現し、カサカサと近づいてきて、そしてネギが入っていた小鉢の中に入ってニョキっと顔を出したのだった。
あぁああああああああ~~~~~~~っつっ!!
「ごきぶり!」と声にして思わず立ち上がっていた。
シーーーーン。
店の人は?
お店の人ー???
シーーーーン。
奥を覗いたらやっと店のおばさんが気づいてくれた。
「ありがとうございます」
いや、お会計ではなく・・・・・。立っている事情を話したら、年配のその女性はいい人なんだろう。おろおろした感じで「どうしましょう、どうしましょう」とつぶやいていた。が、私も動揺してどうしましょう気分、あなたに指示が出来る判断力を失っているのでございます。
奥から店のご主人らしき初老の男性が出て来た。
ご婦人に耳打ちをしたあと去って行ったのだが、次にご婦人が言った言葉は「作り直しましょうか?」だった。いや、もう私も時間がない。それに豚汁うどんはもういらないのだ。それは結構ですと返事をしたら、お金は半分いただいていいですかと言われ、結局それで店を出ることになったのだった。
ご主人の不機嫌な顔からすれば「ゴキブリぐらいで・・・」ということだったのかもしれない。前もある店で野菜の小鉢にゴキブリが入っていた時には店主に「ゴキブリも食べちゃって!」と勢い良く言われたが、私はゴキブリは食べない。
今日の外食で思ったこと。
分煙の店が普及したように、分虫の店も普及して欲しい。
「いらっしゃいませ。虫がいるかもしれない席といない席、いかがなさいますか?」
本日、楽しみにしていただけにとほほな外食となった。


投稿日:2010年07月09日

2010年07月09日

バイクで信号待ちをしていたら脇道から合流してきた大型バイクの人が目についた。
金髪に近い茶髪のやや大柄な男性。年は20〜30代ぐらいだろう。平日の午前中にラフな服装をしてバイクに乗っているので会社員ではなさそうだ。腕にはタトゥ。一体何をしている人なんだろうと不思議な人を都内では沢山見かけるのだが、一番目について気になったのは、彼の被っているヘルメットだった。
ヘルメットの後頭部の中央に、金色の「悪」と書いたプレートがついていた。
多分、本人が「悪」プレートをあとで貼付けたんだろう。悪の割に綺麗に中央に貼られていた。
<どこでこんなシール、買うのかしら>
恐怖を覚えるというより、どこにこんなものが売っているのかの方が気になってくる。
ヤンキー仕様の漢字フォントではある。
<いろんなグッズが売っているものね>
信号がかわるとブォオオオンと音を立ててアメリカンなバイクは遠くなって消えて行った。
それにしても。
「悪」と書くヘルメットを被る理由が、私にはわからない。
いろんな人が居るのだなぁ。
時々、プレートが落ちてなくなってはいないか気にしながらもあの男性は、あのヘルメット着用でバイクに乗っているのだろう。
<真ん中って、この辺だよな>
<おっ、ちょっとズレたか?>
<う〜む。ま、だいたいこんなもんか>
私のパソコンのデスクトップの方がよっぽどワイルドなのだ。「悪」プレートを貼ったあと、それが乾くまで赤ちゃんに接するようにヘルメットを扱っていただろうあの男性が私には「几帳面」な人に思えて仕方がなかったのであった。


投稿日:2010年07月08日

2010年07月08日

近所の猫が赤ちゃんを産んだということは話には聞いていたが、子猫は家の中に居るとおじさんが言っていたので姿を見ることはなかった。
が、今日猫の小さな鳴き声がするので、向かいの道路の方を窓越しに見てみたら・・・。
あらまー。チビ猫が4匹。つたない感じでピョコンピョコンと跳んでいるではないか。
小さいが猫の姿をしている。人間や動物の子供にはあまり会う機会がないので、子供はミニ人間に見えるし、動物はミニ動物に見える私なのだが、この子猫らもミニ猫に見える。
ミニ猫は2匹がお母さんにそっくりの白黒の牛柄なのだが、もう2匹の柄を見てどの猫がお父さん猫なのかがわかった。去年お母さん猫と一緒にここにもらわれてきたもう一匹の猫だ。黒がメインでデビルマンみたいな顔をしていた猫だったが、それにそっくりのミニ猫が2匹居る。あのデビルマンのことを私はずっとメスだと思っていたのだが・・・・。ついこの間までお母さん猫の後ろをビクビクしながらついて来ていた。すっかり妹だと思っていたらそうではなかったのか。
姉弟で結婚しちゃったの?
動物の場合はよかったんだったっけ?
よくわからないが、この袋小路の小道は猫だらけになってきた。
去年もらわれてきてここでピョコンピョコンと跳んでいたミニ猫は、お母さんになった。動物達の暦は早く。2009年生まれのママなのだ。


投稿日:2010年07月07日

2010年07月07日

浅草で七夕ライブ。
ここ数年私の願い事は「心身共に元気で過ごせますように」。不動の願い事になった。新年を迎えるとこう願い、誕生日を迎えるとまた同じことを願う。神社に立ち寄るとまた願い、そして七夕の短冊の願い事も同じ。まぁ・・・何かの日ではなく実際には毎日目が覚めたら手をあわせて願っている。
本当のことを言うと、去年の秋以降体調があまりよくなく、やっぱり指が上手く動かない状態が続いている。どこが悪いのか、病院に行ってもわからず、上手く動かないのをごまかしながらなんとかやってきたものの、ライブの本数を減らしながら様子を見てきたがどうしても復調しないのがはがゆかった。
でも今日のライブは私もとても楽しみにしてきたライブだ。とにかく歌えなくても上手く弾けなくなっても、その場所に居て一緒に楽しい時間が過ごせるよう体力だけは保ってほしいなぁと、私の願いは今日も体のことのお願いになった。
外は雨が降っているんだろうか。
早い午後からずっと窓のないライブハウスに居るので外の天気がわからない。
そんな中、それでもやっぱり時間の都合をつけて今日もここに足を運んでくれる人が居る。
彦星と織り姫の間にある天の川の正体は星。
地上に置き換えたら、天の川は何になるだろう?
きっと・・・・それは、日々のそれぞれが抱えている悩み達なのだ。私も自分の悩みをそうあちこちにつぶやくわけではないから、端から見ればとても元気にあれこれ活動しているように見えるだろう。でもこの一年近くずっと指の脱力のことがまとわりついている。だが、悩みは違っても人は口に出さないだけで大きな悩みをやはり抱えていて、同じように折り合いをつけたりもがいたりしながら、日々を送っているのだと思う。問題は山積みにあるけれどそれらを置いて、今日は会いに行くよ。多分、みんなそうなのだと思う。
天の川は越えられるのかなぁ。
越えるとか、越えられないとか、そういう見方をしない方がいいのかもしれない。
心を不安にさせる課題達はひとまず置いておいて。
今日をほんの少しいい日に出来るよう、彦星と織り姫が再会をする。
七夕の日に。


投稿日:2010年07月06日

2010年07月06日

レッスンの日。Mちゃんは親元を離れている学生さんなので、部屋には楽器がないのだそうだ。なので学校に行って練習をしているみたいなのだが、会う度に上達をしていて本当に感心をする。学生の頃ってこんなに何事も伸びるんだったかなぁと自分の学生時代を振り返ってみたが、そう言えば私も一番吸収力があった時期だったかもしれない。
今は便利な世の中になった。その日のレッスンの進み具合いで、私が次にその先の譜面アレンジをして、お手本演奏のmp3と譜面のデータを一週間後ぐらいまでに送る。それで予習したくなったらしてきてもらう、という形を取っているのだが、写譜屋さんにも出さずに売っている譜面と同じクォリティのものを家で作れるということと、教材がその人のオーダーメイドで出来る。昔なら個人レッスンではそんなことは不可能だった。
難しいと思っていた「エンターテイナー」を、Mちゃんは今日で見事一曲マスターした。16分のリズムのカウンターやら、転調の連続部分やら、いろいろハードルは高かったはずだったので、半年ぐらいかけてゆっくり進めたらいいなと思っていたのだ。
弾けるようになった曲は一生の宝物になる。何より、もうこの曲が弾けなかった頃には戻ることはないのだ。
ゼロが1になるって素晴らしいことだなぁと横で感動をした。
学生時代は私も好きな曲がたくさん出来たなぁ。
Mちゃんは私のことを先生と呼ぶ。
先生は嬉しい。
先生の方がMちゃんから忘れていたことをいろいろ教えられている気がするのだった。


投稿日:2010年07月05日

2010年07月05日

午後は今度の七夕の日のライブの合同リハーサル。
二台のピアノで、弾き語りをし合うライブは私にとってずっとやりたいことだったのと、相棒があっちゃんだということでリハーサルからとても楽しみにしていたのだ。知っている曲、長くライブで聴いていた曲、こんなに多いのにどうして一緒に演奏をするというのを思いつかなかったんだろう。
ピアノを向き合わせる形でマイクを立ててそれぞれセッティングをする。
あっちゃんと私は結局同じ道を辿ったなぁ。
最初出会ったときはお互いバンドのキーボードで曲を書いたりしていた。それから数年後にはあっちゃんも私も一度はキーボードを完全に弾かない状態でバンドで歌うようになった。そして今はピアノの弾き語りで自分の曲を再現している。
あっちゃんとのリハのあとは近藤なっちゃんに来てもらって、3人で音合わせをする。あっちゃんとなっちゃんは初顔同士なのだが狭い京都、やはり京都の頃の知り合いでつながった。なっちゃんは自分の曲を一緒にやる相手に預けてくれる。細かいことにこだわることなく、その日一緒に演奏をする人とのいい空気を作れる天才だ。
リハが終わると、ついつい懐かしい話になってしまう。京都での青春時代の忘れていたことがたくさん記憶の箱から出て来て、きゅんとするような、恋しいようなでなんだか話題が尽きなかった。
しかし東京はいつからこんなに湿気の多い町になったんだろう。
ムンとする暑さがまとわりついて、外に出ると息苦しい。京都のほうがよっぽど涼しかったと京都帰りのあっちゃんが言っていたのだ。


投稿日:2010年07月04日

2010年07月04日

京都の阪急百貨店が8月22日で閉店となる。
「じゃぁ、河原町で待ち合わせね」と約束をすれば、場所は四条河原町の阪急百貨店前になることがとても多く、私もあの場所では何度となく待ち合わせをしたのだ。
ちょうど同じぐらいの時間に同じように誰かを待っている人が居たりして、そんな時には<私の待ち合わせの人の方が早く来る>のを願ったり、あとは人が多すぎてなかなか探せなかったりと思い出がある。私が学生時代の頃の四条河原町角は、南西には高島屋があって北西にはユーハイムビル、北東にはカジュアルブティックがあったのだが、ユーハイムも移転して今はメガネ店になり北東角にはコトクロスという店舗の入ったビルに変わった。
阪急もなくなっちゃうのかぁ。
エレベーターが二基、スケルトンで外が見えるのがあの頃ちょっと素敵だった。
でもよく考えたら待ち合わせばかりして、肝心の百貨店では買い物をほとんどしたことがなかった。思い入れがある割にはお店に貢献していなかった。そういう店が閉店すると知った時にはいつも、複雑な想いになる。ずっとあると思っていたが、商売である以上そんなことはないのだ。
京都で暮らす人や京都に思い出がある人には、神社仏閣と同じぐらい河原町阪急は当たり前にそこにあると意識もしていなかったろうから、やっぱり寂しく思っている人は沢山いると思う。
茶色のちょっとリッチな外観の阪急百貨店。
「ほんなら、6時に四条河原町ね」
「河原町のどこにする?」
「上がったとこにしよっか、ほしたら阪急は?」
「うんわかった。阪急の前ね」
こんな会話が数え切れないぐらい京都っ子の間でされたであろう、京都の阪急百貨店だった。


投稿日:2010年07月03日

2010年07月03日

去年一緒にライブをした佐藤ひろこちゃんが家にフラっと遊びに来てくれた。最初は服部祐民子ちゃんのつながりで彼女のことを知ったのだが、偶然去年ライブでご一緒させてもらって、その時に栃木と東京を行き来していることを聞いたのだった。
「家で採れた夏野菜、よかったらどうぞ」
実家の畑で採れたという野菜を戴く。私は野菜が大好きなのだ。そういえば夏に愛知の祖母の家に行った時に、「みきちゃん、畑へ行こみゃー」と、おばあちゃんに連れられてよく畑できゅうりやトマトをもいだっけ。当時はもぎった野菜にありがたみを感じなかったが今は「自分で育てた野菜」というのが私にとって価値あるものになった。
私の家の機材が組んであるのを見て、ひろこちゃんは興味津々の様子。丁度家でデータを打ち込んだりする機材セッティングをいろいろ考えているところなのだそうで、ちょっとめずらしく映るみたいで「コレはなんですか?」「じゃあこれは?」と質問を受ける。私は機材を組んでいると言っても、ものすごくレベルは低く誰かに質問をすることはあっても自分が質問をされるなんてまずないのだ。ないので、「初心者レベルの機材持ち」としては語れる。「こういう機材達って扱えるかなぁ?」とちょっぴり不安そうだが、その点だけは声を大にして「私でもなんとか出来るから、もう絶対に大丈夫!」と自信を持って言えたのだ。
彼女を見ていたら20代の頃の自分を思い出した。私も実家の車で毎日どこへでも行っていたし、どんどん人に会いに行っていた。知らないことを教えてもらったし、何と言っても健康体そのものだったので目覚めてから寝るまでが日々とても活動的だった。
今日はこのままライブなのだそうだ。
元気だなぁ。明るいなぁ。
また来てね。
彼女を見送ったあとで戴いた夏野菜達の入った袋をのぞいてみた。
ナスが小さくいびつな形をしているのがなんとも可愛い。
食べるのが惜しいなと思いつつ、今日は何を作ろうか。と早速今夜の晩ご飯のことを考えたのであった。


投稿日:2010年07月02日

2010年07月02日

近くのスーパーに買い物に行ったら、エレベーターのところに七夕の笹が飾ってあった。
<もう一年になるんだなぁ>
去年もこの辺りに笹が飾ってあって、「ご自由にどうぞ」と短冊とえんぴつが置いてあったのだ。なんとなくお願いごとをその場で書いて吊るすという行為が恥ずかしくてそっと短冊を持ち帰って、家で吊るしたっけ。
<家族みんなが元気で暮らせますように>
<サッカーがうまくなりますように>
盗み見になってしまうが、笹に掛けられた願い事をつい見てしまう。
「あっ。」
気になるお願い事を見てしまった。
<大きくなったら仮面ライダーになれますように>
むむむむむーーー。
このお願い事にどうも、私には想像力をかき立てられてしまう。
だって。
大きくなったら仮面ライダーにはなれるかもしれないのだ。それは本当に役者さんになって仮面ライダーの役をもらうというケース、もしくは仮面ライダーショーに出演するアルバイトをするというケース、仮面ライダーのお仕事に就ける可能性は決してあり得ない夢ではないのだ。
”本当に仮面ライダーになれるかもしれないよ”
短冊に向かって心の中で話しかけてみた。
しかし・・・・。
”でも、仮面ライダーにはなれない方がいいかも・・・”
見ず知らずの男の子の夢にちょっと胸を痛めてみたりする。
というのは、お芝居関係の友人が言っていたが、役者は生活が大変なのだそうだ。売れないミュージシャンの方がまだ絶対にマシだと力説していて、この「役者は生活が大変説」は私は度々耳にしている。「役者には絶対ならない方がいい!」とさんざん聞かされているうちに、どんなにひもじい暮らしをしているのかといつからか想像力だけが肥えていったのだ。
仮面ライダーになりたい男の子はまだうんと小さい子なんだろう。短冊の文字はお母さんの文字で書いてあり、スーパーからの帰り道には「大きくなったら仮面ライダーになれたらいいね」と、ボクちゃんと楽しく会話をしながら帰ったかもしれない。
私も昔・・・・・・、
母親に「ピアノ、上手になったわね」「おかあさん、嬉しいわ」と言われていた時期があったのだ。周りの友達がどんどんピアノをやめていく中私はやめずに続け、母は他は出来が悪いが唯一ピアノだけは頑張る私を褒めてくれたのだ。そしてずっとピアノを続けて大学を卒業したら、ある日「いつまで音楽なんかやってるの!」と仁王立ちで私に怒りをこめて吐き捨てるように言ったのだった。
あれ?いつを機に意見が変わったのだ。
ここの家も息子が本当に「仮面ライダー」になったら、私の母と同じように急に「なんで真面目に就職しないのか」と母親は嘆くかもしれない。うむ、ないとは言えない。
”仮面ライダーになれるといいね”
”うーーん、でもなぁ”
”やっぱり仮面ライダーには、なれない方がいいかもしれないよ”
”あっ、でも子供の夢を壊しちゃいけないなぁ”
ふぅうう〜〜〜〜っ。
いや、本当はもう帰り道には母子共すっかり「仮面ライダー」のことは忘れていたかもしれないというのに・・・あの短冊の一文が一人尾を引いていた、変に真面目な私なのであった。