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投稿日:2012年11月04日

2012年11月4日

11月4日は両親の結婚記念日。

子供の頃、母からたまに聞かされていたのだ。父との結婚話を。

両親は見合い結婚、共に愛知県の出身だった。当時、母は本当は好きな人がいたらしいのだが、祖父と祖母に結婚を反対されて見合いをしたのだそうだ。

母は「お父さんはブ男だったけど、結婚したら大阪に行けたから」父と結婚したと言っていた。母は津島という町に住んでいたのだが、結婚して都会に引っ越せるのがステータスだったのだろう。私は子供ながらにもその話を聞いて、確かにパパの顔はブサイクだけど、そんなこと言うたらパパ可哀想・・・と父に同情をするのと同時に「私は好きな人じゃなかったら、むり」だとよく思ったものだった。

実際に父は母にいろんなものを買い与えていたみたいであった。新婚の頃は当時あまり普及していなかった家電も家にあったらしい。海外出張のお土産は私ら姉妹の存在は忘れられ、母へのハンドバッグやら宝石やらに溢れていたっけ。

母は父の居ないところでは「お父さんはブサイク」と言い、私には「結婚するなら、船乗りさん。絶対に外国に行ってなかなか帰って来ない船乗りさんにしなさい」と繰り返し言っていたが、私は両親が一度もケンカをしているのは見たことがなかった。

だから、”夫婦ゲンカをする”ということが未だにピンと来ないままだ。

決してラブラブな夫婦ではなかった。

だが、父はとても母を大事にしていたなと思う。

二人を見慣れていたせいか、私も振り返れば結局父に似たタイプを選んできた。振り返れば私自身がかいがいしく世話をするといった恋愛はしたことはなかった。決してあごで使っているつもりはないのだが、どちらかというと小動物を一匹飼っている的な世話のされ方をして、母のようにハンドバッグや宝石は買ってもらってはいないものの「パン」や「ジュース」や「お菓子」など”買ってもらう””してもらう”関係に終始していたなぁと思う。

母が居なくなった今は、私は父にとって母の代理みたいな感じになっている気がする。

旦那さんは真面目でマメな人がいい。

父も母も変わり者だった。

だが両親の夫婦関係は、私にとって理想、というか穏やかで微笑ましい関係だった。