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投稿日:2014年06月12日

2014年06月12日

今日は外科外来。

診察室に入ったら病理の結果が出ていて、胸腺腫の再発ということがわかった。2000年に2回手術を受けて2010年にも手術を受けた胸腺腫。私の型は浸潤型で手術をしても再発をすることが多く、今回は新たに見つかった2つの胸腺腫のうちの一つが心臓や太い動脈に絡んでいて手術が出来ないとのことで、急遽外科外来から放射線科の診察を受けることになった。

2010年の手術後に1ヶ月毎日外来で通った放射線科。受付を済ませるとしばらくして名前を呼ばれた。

胸腺腫はしつこい腫瘍で繰り返し再発をするらしい。前回放射線治療をしてもらった箇所を写真で見せてもらい説明を受ける。放射線治療は同じ場所は2回治療を受けられないらしい。一度放射線を当てた箇所は正常だったところにもダメージを与えていて、再度当てることが出来ないという決まりになっているのだそうで、今回の放射線治療はどうしても重なる箇所が一カ所あって、そこは照射が出来ないのでそれ以外のところを治療することになるということだった。

血液の病気もあるので、治療もいろいろ考えながら進めてもらうことになった。

外科の先生も放射線の先生も、胸腺腫はやはりまだあまり患者数がいないので今後はどういう経過になるのかは治療をしてみないとわからないと言っていた。

どうなるのかがわからない病気はきっと沢山あるんだろう。

誰だって明日のことはわからない。

わからないが、明日は今日とさほど大きく変わることなくやって来るものだと思って意識せずに過ごしている。

「放射線治療を受けたら貴女はとっても良くなりますよ」ということではなかったとしても一つは治療法が決まったということだ。

16日の血液内科の外来で今日の方針を以て何かが決まるだろうし、私はその決まった治療を受けるだけだ。

血液の病気も胸腺腫の治療で一緒に良くなったらいいなぁ。

今の私の血液の方の病気も免疫が関わっている。T細胞というのがどうも私の身体の中の異常に関係しているらしく、T細胞は胸腺腫と大きく関わっている。だとしたらこの2年の血液疾患は胸腺腫が原因だった可能性もある。

放射線科の先生は「出来るだけのことはやってみます」と言っていた。

まだ何にも見えないけれど、いろいろなことがいい方に向かいますように。


投稿日:2014年06月11日

2014年06月11日

明日は呼吸器外科の外来日。

もしかしたら病理の結果が出ているかもしれず、そうでなかったとしても何かしら今後のことが聞けるのだと思う。

退院前に輸血をしてもらった赤血球と血小板は日が経つとやっぱり減ってきているのかなぁ。息切れと青あざがちょっと増えた。

梅雨で雨の日が多くなった。


投稿日:2014年06月09日

2014年06月09日

月曜日。

今日からまた新しい一週間だ。

庭は春の花が終わり、夏の花のサフィニアが随分大きくなった。ミニトマトも青い実をつけていてブルーベリーは2つ程収穫出来た。トマトとブルーベリーはダンボと一緒に摘んで分けっこして食べるのがこの何年かのお決まりになっていて、一年に一度の収穫期にはダンボも私と同じぐらい喜んでいる。

一年に一度のことを覚えているのかどうなのかわからない。だが、「ブルーベリー、食べよっか」と声を掛けると去年と同じように頂戴!頂戴!と喜んでいた。

はい、一個はダンボちゃんに。はい、一個は私。

午前中、11時頃に病院から電話が掛かってきた。16日の血液内科の外来より前、12日に呼吸器外科の外来の予約が入ったみたいで、もしかしたら12日の日に何か次の治療についての話があるのかもしれない。

わき水が流れを変えながら海へと向かうように。

何かしら方法を探って見つけながら先に進む。

わき水は最初から自分の行く道なんて知らない。行ってみて上手く進めなくなったら、また方向を変えそれを繰り返して行くだけ。だけど誰よりも”曲がりくねった道”を行く王者なのかもしれない。

パソコンの中身を整理していたら去年の夏頃に撮った写真を見つけた。

確かこの時は検査の結果が思わしくなくなっていた時期だったはず。

笑って写っているその写真。

きっと憂鬱が頭の隅っこに消えずにあったはずなのに、そのことは思い出せない。その日楽しかった記憶だけが残っていた。

なんだかちょっと不思議。

それで今度は意識をしてこの一年のうちのことを振り返ってみたら、その頃に悩んだり不安に思っていた感覚だけが不思議と消えていて思い出せず、全部が楽しかったという部分しか思い出せないことに気づいたのだった。

不思議だなぁ。

いいや、もったいないことをした。

頭の隅っこにあった不安は、少なくともそれなりになんとかなって、それで今の私がいるのだから。1ミリの憂鬱も捨てて、ほんともっと心から今日を楽しみなさいよ!もったいないわねぇと過去の悩める全ての自分に教えてあげたい。

今日も天気がよくなかった。

昨日、今日は丸一日ゆっくりどっぷり家でくつろげたと思う。


投稿日:2014年06月07日

2014年06月07日

昨日、一時退院の為の赤血球と血小板の2種類の輸血を受けて、今日は予定通り退院をして家に帰った。

ヘモグロビンも血小板も、家で過ごせる数値に持ち上げてもらったので体調がいい。

次の外来日が16日。それまでは、まぁ自己責任において何をしてもいいということなのだ。旅行に行ってもいいだろうし、ライブをしたっていいだろうし、雑貨屋さんめぐりも、東京ハトバスツアーに参加してもいいのかと思うとちょっと嬉しくなる。

退院したら美味しいものが食べたいと多くの患者さんは言っているが、私は退院したらお出かけがしたい。

でも、一番はやっぱりダンボに会えることかなぁ。

ダンボは数日前に急性腸炎になって友人に病院に連れて行ってもらった。2日程具合が悪かったので心配をしたが、家に帰ったら元気になっていたのが何より嬉しいことだった。

16日の外来日まで普通に過ごせばいいのか。

洗濯をして、掃除をして買い物をして。家で出来る仕事もすればいい。

ライブは、22日に自由が丘の龍坊で橋本仁&近藤ナツコ&私の3人のライブの予定があった。二人にも迷惑をかけてしまっているが、長い付き合いなので、もういろいろ、いろいろと、甘えさせてもらっている。もしもその日、入院をしていなかったら遊びに行きたい。

梅雨入りしたんだなぁ。

15階の鉄筋高層階では聞こえなかった雨の音が近くに聞こえてくる。

ダンボが私のそばに座り、毛繕いをしている。

なんてことのない日常は、急に遠くに行ってしまったり、かと思えば思わぬ戻ってきてくれたり。

明日のことはわからない。

わからない方がいいから、きっとわからないように出来ているんだろう。


投稿日:2014年06月05日

2014年06月05日

なんとなく、午前中から夕方にかけて気分が重かった。

やっぱりスパっと切り替えられないのだろう。

隣りのベッドの患者さんは骨髄移植を控えていて、今回は移植に備えて抜歯をする為に入院をしたのだそうだ。もうすぐ一時退院。次は移植の為の入院が待っている。

「ヘモグロビン、幾つなんですか?」

とか、

「血小板、下がっちゃったんです」

とか、

「私は一週間に一度の輸血なんですよ」

とか…。

この数日でいろいろ話をした。

「赤血球」の輸血と違って「血小板」の輸血は、効果のある期間が短く、かつ輸血を繰り返しているうちに効果が出なくなる。だからあくまで暫定的な処置で使われるのみで、頻回には出来ないのだそうだ。私も血小板をいよいよ輸血せざるを得なくなって、何らかの治療をするしかなくなってしまったのだが、隣りのベッドの患者さんは私がはじめて会うことが出来た「自分と同じ状況」の方だった。病名は違うのだが、それでも似た状態の人に出会えたことが嬉しかった。

「もうね、頑張るしかないから」

そうです。頑張って元気になって下さい。そうか、みんな心細さを精一杯払って一歩踏み出しているんだ。

生検の結果はやはり一週間以上はかかるらしい。とにかくその結果が出ないことには、何科が主導する治療になるかの方針もたたない。そう説明があって、土曜日に一時退院することになった。

外来で輸血と血小板輸血を受けての自宅待機。まさか想像もしていなかった流れだが、こんなこともあるのだろう。治療が決まらないのなら自宅で何にもせずに過ごすのもいいかもしれない。

夕方、ブルースアレイで一緒に演奏した失速バンドのCちゃんとYちゃんがバンドメンバーのメッセージを持って訪ねてくれた。

外は雨。

二人が帰ったあとで、天気に気づいた。

こんな雨の中時間を作って来てくれたんだなぁ。

悲しく辛いことばかりじゃない。暖かい想いを私はいつもたくさんもらっている。

もうちょっと頑張ろう。

今日をつないで、つないで、行こう。


投稿日:2014年06月04日

2014年06月04日

昨日の午前はCTガイド下生検を受けた。

事前に血小板輸血を受けてから10時20分予約で地下1階の放射線科の検査室に行く。CTの機械があって先生と数名の看護師さんや技師さんが手術着で仕事をしていた。

私も術着に着替えて頭からシャワーキャップみたいなものを被り、CT台に横になると心電図のチップを貼られて自動血圧計を右腕にはめられる。

CTを撮りながら場所を特定して組織を取る、とは聞いていたが頭からスッポリシートを被せられてからは詳しく何がどうなっているのかは見ることが出来なかった。

‘息を吸って’

‘止めてください’

これを何度も繰り返すのだが、特定する場所に誤差が出ない様に、息の吸い方を毎回同じようにしなくてはいけないのと、身体を動かしてはいけないのだそうだ。

麻酔の注射があって、繰り返しCT撮影をして、その後大きめの針が刺されてからは撮影と少しずつ針を深く刺し進めて行くことを繰り返した。

初めてのことって何でもそうだが、今どのへんまで来ているのかがよくわからない。長く感じるし、痛みで麻酔は合計3本打った。骨髄検査の方が比べれば全然楽だった。

その後組織を採取する工程に移った。

パチン。

刺した胸の針のあたりで何度か銀玉鉄砲が鳴る様な音がしたらようやく検査が終わった。帰りはストレッチャーで運ばれてその後2時間うつ伏せで止血をして次に起き上がれたのは2時だった。

この採取した腫瘍が何なのか特定をして、そしてまずはそちらの治療を先にすることになったのだが、検査の結果が出るまでしばらく時間がかかるらしい。

今日の夜になって’もしかしたら一度退院をしてもらうかもしれない’と先生から言われた。

次の治療が決まったらまた入院。それまでは輸血でまたつないで過ごすことになるかもしれない。が、その時に血液の方の治療は骨髄移植も少し考えなくてはいけないという言葉も出て来た。

えぇえええっ‼
腫瘍の治療に加えて骨髄移植⁈

もう十分あちこちパンチを受けて来て更にそんな怖い複数の病気の治療に私は耐えられるんだろうか。実際に似た経緯を克服して元気になった人が居たらもう少し心強くなれるかもしれないが、どちらか一つだけで十分恐ろしい。

自分の身体に‘ごめんね’という気持ちがはじめてわいてきた。

心をなるべく平穏に。

限りある命の中で誰しもが大なり小なり、自分のこれからはどうなってしまうんだろうと途方に暮れる時がある。だけれども、どんなに見えない不安な未来も、何かしらの答えを現実として知る日が来る。時間がそれを必ず教えてくれるのだ。

体育の授業で、一段高くなった跳び箱に挑戦する時、足がすくんで怖くて仕方がなかった。恐怖心を伴う未来はいつも身も心もきゅーっと締め付ける。

過ぎてしまえばただの点。

どんなに恐ろしいことも、過ぎてしまえば、いつだって事前に抱いた恐怖心の方がうんと恐ろしさの力は大きかった。

だから心を整えられるのが一番いいなと思う。

もっともっと動物のようにシンプルに。


投稿日:2014年06月02日

2014年06月02日

今日は造影剤を使ってのCT検査。予定していたATG療法は延期になって、今週は胸の検査が先となった。

同じ病室の患者さんは同じ血液内科の患者さんと、それから膠原病の疑いで入院したという患者さん二人。それぞれ難病疾患なのにみんな明るいので救われる。一見するととても病気には見えない。でも血小板数や白血球数が少なかったり、反対に数値が高すぎる項目を抱えていたり、実際に身体に異常を感じていたりする。

それでも笑えるものなんだ…。

病室の患者さんの強さに、しょんぼりしおれていた気持ちに元気をもらう。

午後、CTの検査を受ける。

明日はCTガイド下生検が予定通り行われる。

今日のCT検査でシロ判定が出て明日の検査がなくなればいいなと願っていたが…。

胸の腫瘍、肺の影、胸腺腫の再発、リンパ腫かもしれないもの…。

ここ数日、教授と担当医、研修医のそれぞれの先生の説明が微妙にニュアンスが違ったままで、私は画像での説明も受けていなかった。なので、明日の検査の説明に来た放射線科の先生に尋ねて、やっと心臓の周りのところと左の胸膜のところに腫瘍があると具体的なことを聞くことが出来たのだった。

二箇所?

肺炎の痕じゃなくて?

胸膜と心臓のまわり?

そうなんだ⁈

腫瘍が二つ?

放射線科の先生が担当医の先生に伝えておきますと言って去ってからしばらくして、担当医がパソコンを持って来て、そこで画像を見ながらの説明をあらためて受けた。

するとCTの画像で2月の肺炎の時にはなかったものがはっきり写っていた。

そっか…。

気を取り直して少しは穏やかになったはずの心。

また。

少しずつ気を取り直していけるものなのかなぁ。

良性か悪性かを検査する必要もなんだかいらない気もしてきた。

深く考えずに明日の検査を受けることがまず先決だとは思う。

今はそれだけ考えるようにしよう。