はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2015年05月05日

2015年05月05日

気になる道路がある。

それは、水戸街道とほぼ並行で走っているスカイツリーの近くの道路なのだが、2〜3月くらいまではとある交差点がそれまでは広めの一車線道路で、交差点近くになると左が「左と直進」レーン、右が「右折」レーンになっていた。

ところがある日、そのレーンが左は「左折」レーンに、右が「右折と直進」レーンに変わっていたのだった。

なんで急に変わったんだろう。

こっちの方が便利ってことなのかなぁ。

理由がわからないまま数日が過ぎた。

すると、その交差点を通る車があきらかに戸惑った動きをするようになったのだ。前の前を走る車も、前の車も。その日だけでなくそこを通る度にその交差点は「馴染み」で通っている人には違和感があるんだと思うようになってきた。だって私も1ヶ月経ってもまだ慣れないのだもの。

だんだんその交差点の指示を誰が変えようと決めたのか!と腹を立てるまでになってきた。そのうちに慣れてきたのであろう馴染みの車達は先頭の次の車は微妙に前と距離を取ってどちらでも直進が出来るように真ん中あたりで停車するようになっていったのだった。

いつ通ってもこの交差点の矢印は前のままの方がよかった。

と、思っていたら・・・・。

それから更に半月ほど経った頃に。

矢印が元に戻されていた。

「あれ〜〜〜?」

なんで元に戻ったのだろう。

私はそこを通る度に「誰が変えたんや!!」と腹を立てていた。

誰かが行政に文句の電話でも掛けたのかしら。

とにかく元に戻って、その交差点は戸惑う人もなくなった。

めでたし、めでたし。

そして今朝。

あの交差点を通ったら2車線からただの一車線になり、矢印だけが残っていた。

白線をはがした痕がたくさん残っていた。

理由がわからない。

次は矢印自体が消えて「もう任せるわ」とドライバー任せな交差点になるのかもしれないのだ。


投稿日:2015年05月01日

2015年05月01日

5月になりました。

いつも暖かい応援をありがとうございます^^

先週、24日(金)は京都都雅都雅でOWLのライブにゲストで出させて頂いたり、25日(土)は同じ高槻出身の近藤なっちゃんとの初の試み、高槻JK’s BIRDにて私達が小中高大を過ごした懐かしい曲達を集めたライブをして帰って来ました。

あらためて、ライブに足を運んで下さったみなさま、どうもありがとうございました!

ライブはそれぞれ、いつもそのライブに対する想い入れというのがあって臨むのですが、終わってみたら元気や勇気をもらってばかりだなぁというのが個人的感想になっています。”いろいろあっても頑張って”と背中を優しく押してくれる存在、今回のライブでもそんな想いをたくさん感じてきました。

お互い、それぞれ、いろいろあるよね。だけど私も頑張る^^

毎日、目の前のことに、なるべく建設的な気持ちで臨む。

また会えますように!

毎度同じようなことを言っているみたいですが、私からのありがとうの気持ちです。

少し前、病院で腫瘍が大きくなっているということで、今日も病院に行ってきましたが、様子を見ながら必要な時に必要な治療をその時にまた相談しましょうということで、検査を定期的にして折り合いをつけながら過ごすことになりました。

これは、まだ学習して成長しなさいよという伸びしろをもらったのかな。

大事に過ごします。

ゴールデンウィーク、お天気に恵まれるといいですね!


投稿日:2015年04月23日

2015年04月23日

昨日の夜遅くに実家に戻って、今日は身体を休める一日。

この二週間で白血球と好中球が低いなりにも、以前の数値まで戻ってホっとした。輸血を受けながらではあるが、血小板数も0.3や0.5の辺りだったのが1.0に上がって、”現在危険レベル”からは脱したようで、先生も「少しホっとしました」と言ってくれて、この1ヶ月ほど緊張していた心身がほどけていい深呼吸が出来た。


(4/13のデータです。ヘモグロビンが10.4あったのでこの日は血小板輸血のみで済みました)


(4/20のデータです。先週より少し数値は下がっていますが、これぐらいの行き来は特に気にしなくなりました。)

重症筋無力症の方は更に数値がよくなっているとのことで、神経内科の先生からは更にステロイドを減らしてもいいかもしれないですよと言われて、これまた嬉しかった。

が、4月のはじめに撮ったCTの画像で左胸膜の腫瘍と左肋骨の所にある腫瘍がこの2ヶ月で一回り大きくなっていることを今度は知る。ショック・・・。腫瘍が大きくなったのか。

大きくなって、それでどういう処置があるんだろう。

呼吸器外科の先生には「次に腫瘍が大きくなっても、もううちでは診れないので」と昨年秋に言われたのだ。それで私は緩和ケアに行く事になったのだ。

とにかく来月の1日に再度その辺りを緩和ケアに行って相談することになった。私に出来ることはなるべく身体にいいものを採るということ、それからまず身体を一番に考えて行動をしようということ、シーソーのように悪い方に身体が行ったり、ちょっと上向きになったりするこの不安定をなんとか身体と協力して落ち着けるようにしたい。

今日は高槻の摂津峡近くの日帰り温泉に行ってきた。

3月に行ったらとてもお湯がよかったからだ。スベスベしっとりするお湯。ゆっくり入ろうとあまりゆっくりしていたらのぼせてしまったので、身体を大事にするさじ加減から勉強しなくちゃなぁと早速の反省だった。

明日、明後日はライブ。悔いなく集中力のある演奏を目指したい。


投稿日:2015年04月09日

2015年04月09日

昨日は4人ユニットのnecoao(藤原美穂vo/丹菊正和per,cho/山田直子bass,cho/吉川みきpf,cho)で自由が丘でライブをした。

先月の下旬に検査結果が悪くなってしまった時に、4月の予定はもうこれでだめにしちゃったなぁとガックリしていたが、それでもなんとか治療を引き延ばして昨日のライブまではやれたらいいなとずっと考えていたので、その後結果が少し上向きになってきて「これならやれる」と思えた時とても嬉しかった。

一緒に音を出して、3人の引き出しの多さと集中力の高さにとにかく圧倒される。私も目一杯自分の引き出しにあるものを出してはみるものの、ちょこっと集中力を欠いたら一気に置いて行かれる。どっちを向いても尊敬出来るメンバーなので、今その1/4のピースになりたい!と思わせてもらっている。

ライブの告知が出来ないままライブを終えてしまった。

出れるかどうか前日まで自分でもわからなかった。

次はリベンジしたいことがいっぱい。

東京に来て知り合った音楽の友と組む初めてのユニット。

20年経ってようやく、なのだ。


投稿日:2015年04月06日

2015年04月06日

外来日。

今日も血液検査を済ませて血液内科の受診を待つ。この一週間はなるべく家で過ごすようにしていたが、家に居ると一日のほとんどを寝て過ごしてしまった。身体がなんとなくしんどい。また悪くなってしまったかなぁ。

名前を呼ばれて診察に入ると、意外にも先生が血液検査の結果がまた少し持ち直しましたよと教えてくれた。

(3/23のデータ。白血球数と好中球が一気にダウン)

(4/7のデータ。好中球が正常値に、白血球数が2台に戻って一安心)

しんどかったのは、血圧が低かったせいかもしれない。今日は上が80、下が55。ここ1年は血圧がずっと上が80台になっている。もともと低い方だったのだろうが、昔は100を切ると吐き気がしていたので、だいぶ下がったのだと思う。

今後のことはまた様子が変わったらその都度考えていきましょうと言われてホっとした。

4月後半の予定は「出来ないかもしれない」と周りに相談をしていたが、他の日の休みを多めにしてやる方向にほぼ決めた。

のんびり、のんびりをテーマにまずは身体を大事にすることを一番にしようと思う。


投稿日:2015年03月30日

2015年03月30日

外来日。

血液検査を終えて、血液内科の待合室で待っていたら名前を呼ばれた。

いつも検査結果にドキドキしながら、白い扉を開けていた。

今日も同じ気持ちだ。

丸椅子に座ったら、先生が結果を教えてくれた。白血球の数値が1000から1700に上がったこと、好中球の数字が20台から60台の正常値に戻っていたとのことで、まずは好中球が持ち直してくれたことで緊急の危険度数からは脱したということで、このことはすごく嬉しかった。血小板は0.3。血小板の輸血量を増やしても最近は効果が出なくなっているので、やっぱりいずれにしても治療はどこかの段階で受けて欲しいという話だった。

私の身体が頑張ってくれたんだわ。

とにかく来週までまた様子を見ましょうということで、急な入院は一旦保留になった。

今でも崖っぷち。

だけど身体が頑張ってくれて、引き上げてくれたことが何より嬉しかった。

少し前から桜が満開になっていた東京。

桜を眺めても、もうぼんやりと見ている感覚しかなかったのが、こんなに桜が綺麗なことにまた感動している。

今夜の約束は何度も考えて、夕べ「結果が最悪でもやっぱり断るのはやめて行こう」と決めた。

いつものように景色が戻ってきて、そして楽しい約束事に向かう。

奇跡を何度も起こしてくれてありがとう。

自分の身体に向かって何度もお礼を言った。


投稿日:2015年03月27日

2015年03月27日

今週の月曜日、いつものように外来に行った時、血液検査の結果がひどく悪くなっていた。それまでも血液の赤ちゃんを作る機能と血小板の数値が悪く、毎週の輸血で補ってもらってきたが、先月位から白血球の数値が悪くなっていて、月曜日は自分が見てもこれはさすがにまずいなという数値にまで下がっていた。

白血球が低いだけでなく、好中球の数値が一気に下がっていた。好中球は身体の中にある細菌などと戦ってくれる身体の味方なのだが、そういえば少し前に熱が出たりリンパが腫れて身体がだるかった。

いろいろ病態が行き来していたが、今は最重症の再生不良性貧血の状態にあるらしい。先生が平均余命がだいたい数ヶ月、だが風邪を引いたりして肺炎や敗血症に移行したら1週間で亡くなることもある。と説明をくれた。元気そうに見えると言われていたし、自分もそんな深刻な状態だとは思っていなかっただけに、さすがに受け入れられなかった。そして延命として前に受けた入院治療をもう一度勧められたのだった。

もう痛い治療はしないと去年の秋に緩和ケアの受診を受けるようになった時に、私は決めたのだ。もう痛い治療は終わりにしよう。痛い治療はもうたくさんやってきたから自分の身体にお疲れさまと言ってあげてもいいんじゃないか。

もう治療はしないと決めてからは、病気に対する恐れが和らいだ。そしてようやくいつも自分の中に重りとなっていたものから解放されたような気がしていた。以前のような「何が何でも生きていたい」という気持ちを手放したら「なるべく悔いのないように毎日を送りたい」という気持ちが沸いてきた。

治療はもう受けたくないんです。と答えていた。

だけど少しでも命をつなぐ方法があればそれを勧めるのが私の立場ですと先生はいつになく優しい口調で私を説得した。そして、感染をしたら治療ももう受けられなくなるから、一日でも早く治療を受けると決められたら病院に連絡を下さいと言われてその日の診察は終わった。

元気そうに見えると思っていたのに。

こういうことって急だなぁ。

さすがに心が混乱して翌日の約束を取りやめにしてもらった。

水曜日も木曜日も起きられなかった。

治療はやっぱりもう受けようという気持ちになれなかった。

そして今日、緩和ケアの先生のところに行った時にも「治療は、受けようという気持ちにどうしてもなれなくて」と話していた。緩和ケアに通うようになってからもう治療は受けないと決めたこと、そうしたら「生」に対する執着や病気に対する恐れからやっと解放されて楽になったということや、一日を大事にしようと心がけたらそれから今日までを振り返ると何故か悔いがないんですというようなことを言っていた。これが数日変わらなかった自分の気持ちだった。

重たい空気の中。

2000年に入院した時から父の代わりに家族代理として重要なサインや同席などをしてくれていたY氏が「どう、思われますか」と、先生から意見を求められた。

すると隣りに座っていたY氏が思いもしないことを言ったのだった。

「どうせもう悔いがないんだったら、治療も受けてみたっていいんじゃないのかな」

「えっ」

えっ?今、何て言いました?

そんなに・・・・適当な感じで、いいの!?

どっちでもいいと思うよ〜みたいな。

生きるとか死ぬとか、こういう大事な局面の時に真面目に話している中で、突然「今日の昼飯、カレーでもうどんでもどっちでもいいんじゃない?」的なまさかのノリに意表をつかれた。と、同時に私は大笑いしていた。

「わはははは!わははは~~!そんないい加減な!」

すごく笑ったら先生も看護士さんも大笑いになった。

Y氏は泣いていた。大笑いしながら私は思った。

そうだわ。悔いがないんだったら、人生の終わりのことをそんなたいそうに考えなくたっていいんじゃないの。自分があんなに大笑いするとは思わなかった。そしてあんなに揺らがなかった決意がたいした選択じゃないと急に思えたのだった。

緩和ケアの先生がその後でフォローするように、治療を受けることも含めて悔いのない人生に組み込めたら一番いいと思いますと言った。

治療、もうここまで来たんだからどっちでもいいよね。

どっちでも納得出来るわ、私。

ただし、月曜日まではやっぱり保留。

それはもう一つ私が信じて願っていることがあるからだ。

それは私の身体が白血球と好中球の数値を頑張って上げてくれること。1月に保ってくれていた数値までもしかしたら自分の身体は元に戻せるかもしれない。その兆しを月曜日まではあきらめずに信じて待ちたい。

それで駄目だったら、治療を受けてみたっていいんじゃないかな。

別に、それぐらいの気持ちでいいんだなと思えるようになっていた。


投稿日:2015年03月23日

B#ライブ2015のDVD完成しました

B#ライブ2015 同窓会de show!~あの頃の君に会いに行こう〜

お待たせ致しました!ライブDVD、本日23日(月)夜遅くなりましたがさきほど完成し、ご予約のみなさまにようやく無事に発送完了させていただきました。到着まで今しばらくお待ちください!

台風での延期だけでなく、1月のあのライブには実は続きがありました^^ライブ後の収録機材のトラブルで不備があり、「さて、どうしようか」とみんなで打ち合わせを重ねて結局計3回京都に集まりました。あらためてメンバーと一緒にライブDVDを仕上げられたことを誇りに思います。

ライブだけでなく、お宝映像はもちろんメンバーへのインタビューも入っています。

今回のライブDVDは限定版にさせていただきました。ご希望の方はinfo@b-sharp.main.jpまで、お名前、郵便番号、ご住所、お電話番号、メールアドレス、ご購入枚数をご記入を上、メールをお送り下さい。後日詳細メールを送らせていただきます。数に限りがございます。ご了承ください。1枚4000円(税込み)+ゆうメール料金180円=4180円になります。(お振込手数料はご負担下さい)

楽しんでいただける一枚になりますように!


投稿日:2015年03月19日

2015年03月19日

久しぶりに髪を切った。

もともと髪が多く、ある一定の長さになったら束ねていたのでその先は束ねることであまり自分自身、不便を感じていなかったのだが、髪を洗うときに「髪がとても重たい」感じがしてきてシャンプーの量も多くなり、だんだん髪を洗うことが面倒臭くなってきていたのだった。

1年半、切っていなかった。

用事を終えた帰り道、時間があったので「今日は近くの温泉にでも行こうかなぁ」と歩いていたら、たまに前を通る美容院に吸い寄せられて「予約していないんですけど、今日、これからでもお願い出来ますか?」と尋ねてみたらいいですよと返事をもらえたのでそのまま髪と切ってもらい、トリートメントをたっぷりしてもらったのだった。

ふぅ〜っ。

生き返ります。

髪がまとめやすくなって、何よりも頭が軽くなった。

これからは、定期的に美容院に行こう。

って1年半前にも思ったっけな。

これからは、定期的に行こうと今日もかたく胸に誓ったのであった。


投稿日:2015年03月16日

2015年03月16日

外来日。

一昨日ぐらいから寒気がしたり、頭痛がしたり、ちょっと体調が悪いなぁと思って出た血液検査の結果。白血球数が1.3まで下がっていた。血小板数が減りが早くなってので前回から1.5倍の輸血をしてもらったが、こちらも0.6。血液の赤ちゃんを作る網赤血球数は0.5。白血球は2台をずっと保っていたのでどうして下がったのか。またどこかが悪くなったのかなぁと考える。

筋無力症についてはそれに対して今は寛解状態、10数年前何をやってもダメだったのが不思議に悪さをしなくなった。

1つはよくなったんだから、感謝しなくちゃね。

それにしても、血液検査の数値はかなり悪い。

だって輸血を受けなくてそのまま家に居るだけで一週間で死んでしまう数値だからだ。それが輸血を受けることによって「元気そうに見える」までになる。実際にしんどくない日はしんどくないし、輸血後2日目ぐらいには息切れもしない。

このままなんとか繋げたらいいなと思っていたけれど。

そうは簡単に行かないものなんだなぁ。

だけど筋無力症を診てもらっている神経内科の先生は言っていた。自己免疫疾患は年を取る事でだんだん病気の方が収まってくるケースが割とあるんですよ。あとはお薬が日々めまぐるしく進化しているので、繋ぎながら待ちましょう。と。私はこの先生は割と好きで移動で昨年の4月に担当になってからのおつきあいだが、飄々として、だけど言葉遣いが「負」でない。だから病気のことで気分が沈む時にこの会話を思い出してまた気分を立て直すことが何度かあった。

輸血を終えるともう5時半。

また私は命の続きをもらい、そして家に帰るのだ。