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投稿日:2007年03月11日

2007年03月11日

渋谷DUOにリクオくんのライブを観に行った。
リクオくんのライブを初めて観たのは今から14〜15年位前、その当時もピアノ一本で、それからアコーディオンも弾いていたがそのライブを観て圧倒されたのを覚えている。
水の中を自由に泳ぐ魚みたいだった。
すごい。
すごいというのが、私の印象だった。
だが、今私がリクオくんのライブについて一言で何か言葉を見つけるとしたら、それは「すごい」ではない。
音楽的に圧倒される部分は変わらない。相変わらずピアノも歌も、自在に水の中を泳ぐ魚のように自由だ。それからちょっといやらしい言い方になるが、その技術は同業の厳しい耳で聴いても、ピッチプレイ共に本当に才能を感じる。
でも違う。メインはそこには全くない。そんなにすごい才能の部分が、リクオくんのライブではただのアイテムとなり、とにかく歌の中の言葉に直球で胸にガツンとやられてしまう。今のリクオくんのライブの「すごくいい」と思うところだ。
男女共、平等に揺さぶる気持ちを彼は歌っている。
大人になると、なくしてしまうものが多くなると言われているが、私はむしろその逆だと思う。守らなければいけないもの、責任や捨てられないものが一向に整理出来ないまま増える一方で、多くを抱えて沈みそうになっているのが大人の真実なんじゃないかと思っている。
矛盾や辻褄が合う日なんて、もうやって来ないのだ。整理出来る日も来ない。それを認めて、それらに囲まれながらも、今心をどう解放していこうかと考えて行かなければ、いつまでたっても本当の自分に戻れる時間や場所なんて得られない。
その矛盾をリクオくんはステージの上で、正直に歌っている。勇気を持って言葉に代えていると思う。ある曲では、ずっと大事にしたい女性へ捧げる愛を歌い。そしてまたある曲では、理性で止められることが出来なくなってしまったもう一つの愛も歌う。人生観が伺える曲もある。孤独な時間を歌う歌もある。君が居ないとダメだと弱音を吐いたかと思えば、別の曲では頼りがいのある男性的な一面もまた見える。
それらは作品。だから、リクオくんの私生活とリンクさせる必要は別にない。それぞれのストーリーも繋がらなくていい。だが私にはそれらを通して聴いた時に、一人の人間がそこに歌を通して立っている気がした。一人の人間として繋がっている気がした。明るい感じで進んで行くライブでありながら、私にはドキっとする程リアルだった。
今日はフルサイズのライブ。
だからたっぷりとそれが感じられた。
実体のない大人というカテゴリーに、自分を合わせようとして、そして大人は勝手に自分で息を切らしている。
去年、リクオくんのライブを観て、そして私はもう一度”自由に”歌を歌いたいという夢を持った。自分が次にやりたいと思っていたのは、矛盾や辻褄の合わない中のリアルな大人、女側からの歌だったからだ。だから今は、女性の持つ感情の起伏をもう少し表現出来るだけの声を取り戻したい。そこを見据えて、あれから私は過ごしている。
帰り道、真っ直ぐ帰るのが惜しくなったので、「今日、今からスタジオ空いていますか」と、電話をしていた。
大人は大切なものをなくしたのではない。
大切なものを抱え過ぎているのである。


投稿日:2007年03月10日

2007年03月10日

薄笑いの人とすれ違った。
その人は自転車に乗っていて、一人だったが確かに薄ら笑いを浮かべていた。
私が目にしたのはほんの2〜3秒。
だが、薄ら笑いを浮かべるタイム的には、人は数秒ぐらいなんじゃないのか。せいぜい長くても15秒ぐらいがいいところだろう。
何かおかしかったことを思い出していたのか。
嬉しいことを思い出していたのか。
私が見ていたことに気付かないまま。
行ってしまった。
薄笑いは、他人には薄気味悪い笑い。
でも「本当の笑い」だ。
思わず笑みがこぼれたその理由があったのだ。
IMGP7125.JPG
自転車で走って行った。
あの人は。
楽しいことを頭に走らせて。
私もそのあとでおかしくなる。
私も薄ら笑い、か。
ごきげんよう。
風のように通り過ぎた、
見知らぬ人よ。


投稿日:2007年03月09日

2007年03月09日

ここは都内、杉並区。杉並の中でも以前居た杉並よりも、車で30分ぐらい都心に近い位置にある。家は1階にあるので眺めは限られたものしか映らないが、少し離れた坂の所からは、東京の副都心のビル群が見える、そんな場所だ。
なのに。
夜になると、何故かここは電波状況が極端に悪くなるのだ。
何故、夜?
夜の方が想像としては、電波の通りがよくなるような気がする。静かで物音一つしないのどかな空間に、電波も一直線に飛んでくれそうに思うのだが・・・。
夜に携帯で話していると、とにかく電話が途切れがちになるのだ。話の途中にシンとなり、相手の声が聞こえなくなったと思ったら切れている。とか、プツプツと会話が時々聞こえなくなる。
夜に私は「もしもーし!」「聞こえますかー」ということをよくやっているのであった。
中野に居た時には東京FMは、ほぼ聴こえなかった。だがそれは昼も夜も変わらずで、中野サンプラザがあるからそれで遮られているんだろうということを聞いて納得をした。
ここは、夜になったら何かが変わるんだろうが、それが何なのかわからないのだ。
「もしもーし!」「もしもしーーー!」
「おーーーい!」「ハローー!」
ここは無人島。夜になると電話が通じず、いざという時に助けが呼べなくなる恐れ有り。ということは、イケメンさんも助けには来てくれないのである。
携帯が途切れがちになり、何をするか。
電話を切ったら戸締まりチェックで、ダンボを護衛に家ん中を巡回する私なのであった。


投稿日:2007年03月08日

2007年03月08日

夜、市ヶ谷にあるサウンドインスタジオにお邪魔した。
ここは日テレの中にあるスタジオ。生楽器をせーので録音をするタイプのスタジオが充実している所なので、ジーン&ジンジャーズのレコーディングの時は、このステジオにお世話になっていたのだ。
会社の車で駐車場に入ると、中は外車のオンパレード。駐車場に停まっている車を見て、「あぁ、今日は大御所ミュージシャンが来るプログラムが入っているんだ」ということがわかる。
今日はチェウニさんという韓国の方のレコーディング。5月下旬に発売されるアルバムの中の曲を、今回書かせて頂いたので、今日はスタジオにお邪魔させてもらったのだった。
多分この同じスタジオだったんじゃないかなぁ。人が変わり、曲も違うとうまく思い出せなくなる。スタジオは限られた数しかない。だから同じスタジオで生まれた数え切れない程の曲達が、実際は兄弟として在るのだ。
070317-222910.jpg
どんなアレンジになるのかな。
デモを提出する時は、ラフアレンジをつけて私は出す。だがそれは歌詞と曲を聴いてもらうためにつけただけの物なので、アレンジャーさんに渡った時には、逆にどんな服を着せてもらえるのかと自分もとてもワクワクする。
デモであっても、”こんな風に歌いたい””ここはここまで音符を伸ばして・・・”など、自分で頭に描く歌がある。だが、どうしてもまだそれが自分にはうまく表現出来ない。ニュアンス以前に、言葉がどうしても歌にならないのだ。キーを変えてもそれは変わらず、歌と話し声はやはり別の所にあるんだということは、マイクに向かう度に痛感する。
チェウニさんが仮歌を歌うと、歌詞が歌に変わった。音楽をやっている一人の人間として、それを聴きながら有り難いなと思った。
好きで歌う曲になってもらえたらいいな・・・。
サウンドインスタジオ。
近くのかわかみという中華料理屋さんのかたヤキソバが気に入って、飽きもせずそればかりを食べていたというのが、一番の思い出なのだ。


投稿日:2007年03月07日

2007年03月07日

朝、ピンポンが鳴ったので出て見ると近所の派出所の警官が立っていた。
あなたが噂のイケメンさん。
去年、ここに引っ越してきた時に、「近くの派出所にイケメンの警察官がいるから」と何人かに教えてもらってはいた。一度ダンボが夜中に逃げた時に、派出所の警官に捕まえてもらったことがあったが、その時は初老の人で、多分信号を渡った向こう側に居たのがこのイケメンさんだったのだ。
今日は何のご用でしょう。
「防犯対策や何かあった時の連絡のために、この辺りの住民の方にこの紙の記入をしてもらっているんです」
と、緑色の調査表を渡されたのだった。
知っていますよ、この紙。
覚えています。
前の家に居た時にも、近くの派出所のお巡りさんがやってきて、同じことを言ってこれと同じ紙を置いていった。最初は”この人は本物なのか”と疑ったが、初老のおじさんの熱い言葉使いから<私達の暮らしを守ってくれる人なんだ><私をこのおじさんが守ってくれるんだ>と理解をしたら、心を開いてすぐに忠犬モードになったことを覚えている。
だが、このおじさんは約束した日に紙を取りに来ることはなかった。数日待って派出所に電話をしたが別の人が出て「近々、伺うと思いますよー」と言われ、それで結局緑の紙は、その後誰も取りに来ることはなかったのだった。
当時の私は、おじさんが来た時に留守にしないようにと、おじさんのことを考えながら予定を立てておったのだ。もう来ないだろうと思っても、再生紙置き場に捨てられなかったのだ。
もう信じないぞ。
緑の紙を渡されて、その頃のことを思い出したのであった。
「あとで、取りに来ますんで」
そう言われたが、私はブサイクな顔で突っ立っていたと思う。
「はい」
私は緑の紙を受け取り、そしてイケメンさんは帰って行ったのであった。
しばらくして。
ピンポーン。
イケメンさんだった。
仕事だから約束通り来るというそれで普通なのだが、<今度は本当に来た>というだけで私は感動をし、警戒心で閉じていた心がここでまたパーーンと開くのであった。
なんという単純な。
再び、忠犬モードになると、今度はイケメンさんの話す「防犯のはなし」や「外出時のひったくり防止のはなし」や「戸締まりのこと」に「はい!」「はい!」と返事をしているのだった。
私の心の窓というのは、どうも半開きというのがないようなのだ。
防犯的にはどうなんでしょう。
網戸もなく、鍵の性能も今一つな構造なのである。


投稿日:2007年03月06日

2007年03月06日

子供の頃、私達は”ガチャガチャ”と呼んでいた。
10円を入れてハンドルをひねると、コロンと取り出し口に楕円のプラスチックのカプセルが出て来る。中身は覚えていないから、自分の心をつかむものはなかったのだろう。だけど、ハンドルを回す時、大きな夢を抱いてワクワクしたものだ。あのハンドルが少し手に重みがあったことも、「今から、すごく素敵な物が出て来るんだ」という気分をくれた。
”ガチャガチャ”には、そのうち興味がなくなった。多分、値段が10円ではなくなった頃なんじゃないか。それを機に、期待した割りにいい物は出て来ないという冷静なアタマが働くようになったからだと思う。
こうして私は”ガチャガチャ”を、小学生のうちに卒業をした。
もう、しないと思っていた。
が・・・。次に仲間うちで、流行ったのは20代の頃のことだった。
その時、流行ったのは300円の”ガチャガチャ”で、確か”ガチャポン”と言っていたと思う。丸いカプセルの中には、目玉のシールがあらかじめついている眼鏡が入っている。必ずその眼鏡が出て来るというもので、誰がかけてもおかしな顔になるという、ただそれだけの理由で盛り上がり、ハゲカツラ的な飛び道具として、何故か私も買ったのだ。
シールが貼ってあるので、眼鏡をかけた本人は前が見えない。
「ねぇ!どう!?」
あははは!
わはははーーー!
一つで十分だった。
一人が買って、それでみんなで遊べたのに。
でも楽しかった。
もうガチャガチャはしないと思っていた。
ゆうべ名古屋を出た時には・・・・。
足柄サービスエリアにて。
私はTちゃんのお土産を買おうと、遠くに看板が見える「桜フェア」のコーナーを目指して歩いていたのだ。もし、別のドアから入っていたら、桜シリーズの洋菓子の前で、「あれがいいかな〜、これがいいかな〜」とやっていた筈なのである。
ところが。
そこに行くまでに私を呼ぶものがあった。
<こっちに来てみて!>
なんだね、キミは。
ふと右側に顔を向けると、「セレブガチャ」と書いてあるガチャガチャを発見したのだった。
だめだめ。
ガチャガチャはやらないの。
<でも、>
<こんなものが入ってるかもよ!>
ショーケースには、DVDだのi−podだの、ブランド物のお財布やポーチ、アクセサリーなどたくさんの物達が並んでいた。
わぁ・・すごいね〜〜。
当たったら。
でもね。私はあっちに行くのよ。
桜コーナーに行く途中なんですよ。
ばいばーい。
<ちょっと待って!>
<こーんなに、いっぱい商品があるんだよ!>
<なのに行っちゃうの?>
んなもん、当たるわけないじゃん。
擦れた大人の心に戻ったのだったが・・・。
<いくじなし!>
<好きなの、選べるんだよ!>
<どれでも、好きなのを!>
どれでも、好きなの?
Tちゃんの持ち物と同じブランド名の物がいくつかあるのが、実はちょっとだけ気になっていたのだ。
桜せんべいより、そっちがプレゼント出来たらどんなにいいだろう。
・・・・・。
1000円のセレブガチャに手をかけていた。
そして、欲が出たついでに自分のも一つ買っていた。
コロン。
出て来たのは黒い丸いプラクチックのボール。中は見えなかったが、その時にズラーっと並んでいる商品は、ただ「これらの中から選べる」という選択肢として置いてあっただけだということに気付いたのであった。
そうだった。並んでいるもの全部が、中に入っていたんじゃなかった。
<でも、当たっているかもよ!>
<ケケケ・・・。>
<知〜らない!>
おのれ〜・・・・。
私の黒ボールの中身は、パワーストーンの数珠。どう見てもハズレなのだが、何故かハズレと怒れないのがパワーストーンなのである。
ガックリ。
これは中身、ほとんどが同じものなんだわ。
Tちゃんの黒ボールを振ると、カランカランと音がした。
どうしよう。
ほぼ、ハズレだわ。これ。多分。
<そんなこと、ないわよ。ガンバッテー!>
<また、来てねー>
今日、Tちゃんから携帯に「DVDが当たりました〜!」とメールが届いた。
うっそぉ〜〜〜〜。
すんごく嬉しかった。
やってよかったとホっとしたのだ。
そして、しばらくの空白があって、
「と、いうのは嘘でした〜〜!」と、書いてあったのであった。
もうガチャガチャはやらない。
Tちゃんと私は、パワーストーン数珠姉妹となったのである。


投稿日:2007年03月05日

2007年03月05日

収録で一時半にNHK名古屋に行った。楽屋に案内をしてもらい、しばらく時間を過ごす。テレビでの演奏は、確かものすごく久しぶりなんじゃないかなぁと振り返る。演奏はしなかったが、名古屋で某テレビに出た時は、同じくゲストが黒木瞳さんだった。
<あ!本物!>
いつでも、私は田舎者。
サイン、下さいと言えなかった。
テレビの演奏の時は、テレビサイズと言って「尺」が短くなる。テレビ用にサイズを縮めて演奏をするが、晶くんとはだいたい2分43秒キープでリハーサルをしてきたので、生放送の場合はカメラの横で「もうちょっと伸ばしてくださ〜い!」と、スタッフの方のジェスチャーがあったりするが、収録の時は蒼ざめる程の緊迫感はない。ので、音リハ、カメリハ、本番と・・晶くんとは、ほぼリハ通りに演奏は同じタイムキープで行けたと思う。
IMGP7099.JPG
カメラ映りというのはある。
晶くんはモニターで観ていると、非常に慣れた映りをしている。そして私は電気屋さんで「あれ、私今映ってるわ!」と驚く時と同じ顔で映っていた。
やはり、田舎者。
収録が済んだのは7時を回っていた。テレビは長い時間を使って収録をするんだなぁと、あらためて思ったのだ。
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その後、スタッフの方々と一緒にご飯を食べる。今日一日ゲスト周りのお世話をして下さったSさんが、だんだん少女のように戻っていく表情が印象に残った。<こんな無邪気な女の子だったのかぁ・・・。>打ち上げは、こんな風にお互いがほんの少し素顔に近付いていく時間。彼女はギターを始めたばかりなのだそうだ。私もすっかり打ち解けて、今日の最初は「おはようございます」と、どこにでもある挨拶だったのが、帰り際には「今度は一曲弾けるようになっててよ〜!」と、車から手を振ってさようならをしていた。
そりゃぁ、毎回がいい出会いばかりじゃない。
でも、人との出会いはやっぱり楽しいことの方が多い。
晶くんは、妹さんと後ろの席で話をしていた。
妹さんが何の話からか、「食べ物は冷めているものの方が好き。熱いともう全然食べられない」と言っているのを聞いておかしくなった。丁度同じことを晶くんが昨日も言っていて、「変わってる〜」と言って笑ったばかりなのだ。
帰りに晶くんのご実家の近くまで行った。
待合せの場所に行ったら、車の中で晶くんのご両親は「あっちむいてホイ!」をやっていた。なんとウチの両親、しげおっちと美智子さんには絶対に有り得ない光景である。
「これ、食べて」といちご大福と、それから家で入れたという紅茶を晶くんのお母さんから頂いた。
お茶のペットボトルに入れられた紅茶があたたかかった。いちご大福も美味しかったが、私にはこの紅茶の方が美味しく思えた。
最後はお母さんの味をおみやげに。
さようなら、名古屋。
また来ます。


投稿日:2007年03月04日

2007年03月04日

今日は、名古屋だみゃー。
私達の仕事では、「名古屋に出張に行く」という言い方は何故か聞かない。
「入り(いり)」。
前日から行く時は「前のり」と言う。
「今日は、”名古屋、前のり”で”明日は午後1時半入り”です」という連絡が来ると、「はい、わかりました」と返事をする。変な日本語だが、これで音楽の仕事をしている人との会話は成立するのである。
今日は、”名古屋、前のり”につき、名古屋に入(はい)った。
名古屋は道が広い。主要数本が広いだけかと思いきや、広い道路がたくさん走っていて、東京とはまた別の意味で東西南北がわからなくなってくるのだ。
だが、名古屋も思い出がたくさんあって、テレビ搭から根性で特に意味もなく階段で降りたことや、栄でのライブ、名古屋港でのイベントにFM愛知のレギュラーで通ったこと。「千種区」や「小牧市」「稲沢」など、道路標識に書いてある地名を見るだけで、リスナーの方から頂いたお便りやファックスが蘇り、胸がキュゥウウンとしてくるのだ。
ハロー、名古屋。
お久しぶりです。
名古屋もまたどこにも似た街はなく、
名古屋にしかない土地の匂いがする。
楽しみは観光でも、美味しいものでもなく。
今年もまた来ることが出来ました。
どうぞよろしくね。
深夜、いや深い深い夜に、心の中で「グッドモーニング!」と、名古屋の街に挨拶をしたのだった。


投稿日:2007年03月03日

2007年03月03日

今日、私は誕生日を迎えた。
思わぬ、いろいろな方に祝ってもらった。
素直に幸せだと感じる一日だった。
自分のことを思い出してくれる人が居るんだ。私が喜ぶ顔を嬉しく思ってくれる人が居るんだ。
自分は生まれてから今日まで、たくさんの愛をもらってきた。でも気付かないままの愛情もあるだろうから、全部を知ったらもっとたくさんの愛に支えられてきたことに驚くのだろう。
幸せはいつも、今ここにあって、それは明日や未来にあるものじゃないんだと、最近はよく思うようになった。
<全ての人は、生まれた時には愛情は持っていなかった。>
そう思っている。誰かから愛情をもらい、それで愛情の種が自分の体の中に芽生えるのだと。
私はたくさんの愛情を人からもらっている。そしてその人達もきっと誰かから愛を受けて、そうして芽生えた愛情があって、そのおすそわけを私がもらえた、そんな風に思うと、あたたかい気持ちが倍増する。
愛はこうして、ずっと人の間を巡る。
愛情が体に入って来ると、涙が出そうになる。
拒絶反応じゃない。
思わぬ大きなものに、冷えた体が慣れていないのだ。
子供の涙と大人の涙は、違うところからやって来る。
ありがとう。
いただきます。
自分の中に芽生える愛情は、全て人からの贈り物。
大きくなったら何になりたかった?
今は愛のある人になりたい。
愛のある人ってどういう人なのか、
わからないけれども。
素晴らしい人になれなくても、
悪いところがいろいろあっても、
そこはおいておいて。
一人で生きていれば、こんな風に思うことはなかった。
愛の種を、たくさんもらっている。


投稿日:2007年03月02日

2007年03月02日

昨日、帰りの駅前でボロニアを花屋さんで見つけた。
ボロニアは春の花。切り花としてではなく、鉢植えで置いてあって、春は他にもたくさんの華やかな花があるので、店頭では一番には目につかないとは思うが、この花も部屋の中に幸せをくれる花として、私は大好きなのだ。
ボロニアは甘いいい香りがする。
他に似た匂いがない。
ボロニアだけが持つ匂い。
同じボロニアでも種類があって、香りがするのは釣りがね状、花の房がスズランみたいに下向きに咲いているものだけが、その甘い香りを持っている。
去年、花屋のおじさんが「これはね、いい香りがするから」と星型の花のボロニアを勧めるので、<いや、これは匂いがしないはずなんだけどなぁ>と思いつつ、花屋さんの言うことだからと信じて買って帰ったが、花期が終わるまでとうとう香りを放つことはなかった。
匂いがするのは、スズランの形のタイプだけ。
病院のお見舞いには、鉢植えは「病気が根付く」から縁起が悪いとされ、また香りの強いユリなどの花も控えるようにと配慮がされるが、私は香りのいい花は病院でも安らいだ。花の香りは、病室特有の匂いからふと柔らかい空気に変えてくれたものだった。
ボロニアの香りは一年に一度のこの時期だけ。
優しい香りがするからと、去年ある人にあげようと花屋さんに入ったら、その時は時期が過ぎてしまっていた。
「また、会えたね」
昨日は荷物が多かったから買うのをあきらめた。だが、その時点で多かった荷物は一つ減っていたのだ。
なのに、私は花屋さんで呑気に花の匂いを嗅いでいたとは。
結局、昨日落とした買ったばかりの服は、今日も落とし物センターに電話をしたが、届けはなかった。
ボロニアと出会って、
買ったばかりの服とさようならをした。
そうね。
春だもの。
春は出会いと別れの季節なのである。