はじめに

〜このWeblogの生い立ち〜

2000年1月〜2001年の暮れまで、私は目覚めてから眠るまでを病室のベッドの上で過ごしました。入院生活が1年と4ヶ月が過ぎようとしていた頃、友人が「無料のHPがあるけど、気晴らしに書いてみたら?」と、提案をしてくれたことがきっかけとなって、ポケットボードという物を入手し、日々思うことを綴り、それを友人の携帯に送ってUPしてもらうという形で日記はスタート。住む場所、職業、性別、何も明かさずに始めた日記でした。

「wasa-b」は、当時お気に入りだったわさびふりかけから命名。

投稿日:2015年08月18日

2015年08月18日

ウォーターサーバーを設置してもらってから1年が過ぎた。

綺麗なお水には興味はあったが、ウォーターサーバーってそんなに必要かしら?

まぁとりあえずはお試し程度に・・と軽い気持ちで頼んだのだが、これが使ってみたらとってもよかった。冷たい水、熱いお湯が使いたい時にすぐ出るってこんなに便利だったの?

それ以来、飲み水や湯で水などは全てウォーターサーバーに頼ることになった。

だが、このウォーターサーバーのボトル交換。私の力でははっきり言って重たい。

新しい水に交換するときは結構な「挑む」気合いで行かないと交換作業が出来ないことが多いのだ。胸ぐらいの高さの給水口にボトル水を逆さにしてスポッとさす。身長的にこれが一気に出来ないので、誰か家に来てくれそうな日にお願いしたりしているのだが、もうこれ以上はボトル交換せずに過ごすのはいやだなぁと思うようになってきた。

よし、久しぶりに今日は一人でやってみよう。

まず1箱、新しいボトルをサーバーの近くに持って来る。

ボトルを箱から出そうとするが、持ち上げられなかったので箱を横に倒してジリジリと中身を引きずり出す。ふぅ〜っ。はぁ〜〜〜っ。

次に横に倒れた箱を台にして、ボトルを台に乗せてみた。

横では高さがあまり稼げていなかったので、ボトルを一旦戻して箱を縦にしてボトルをもう少し高くすることに成功。これで一気に踏ん張ろう!

しかし・・・・・。

肩に乗せた時点で腰がぐらぐらで足がふらついて、「ファイトー!」と思い切り大きな声も出したが、あともうちょっとというところで力尽きてしまった。

はっはっは〜〜〜〜〜っ。
ふっふっふ〜〜〜〜〜っ。

もうダメ。

今日はもう無理。

こんな設置が大変だと年を取った人達にはもっと大変なんじゃないかしら。

だって今のだけでも腰や膝にうんと負担がかかって、しばらくへたばって寝ていたんですよ。

1時間程して、今日最後のトライとして根性でやってみたら運良く「ポーン」とボトルが上がってくれてそれでセットがなんとかできた。

すごぉ〜い。

がんばったなぁ〜。

でもこんなこと、もう出来そうにない。

ウォーターサーバーの水が少なくなってくると、何故か思い切って使う事ができない。助け人の確保が出来ないと、節水してカサカサ生活に繋いで行く。

交換は命がけ。

ボトルセットが出来る筋肉のおもちゃみたいなの、ドンキホーテで売っていないかと想像してみたりするのであった。


投稿日:2015年08月10日

2015年08月10日

月曜日。

祝祭日で病院が休みでない限り、私は外来に通う曜日だ。で、最初に行くのが採血室。

採血室に行くとまず診察券を機械に入れる。

診察番号の紙が出て来る。

電光掲示板に出ている、ただ今採血中の人の番号を見て「あと何分待ちかぁ〜」とだいたいの待ち時間を考える。

待合室の椅子に座る。

ここまではいつもと変わらない景色だった。

「がんばれがんばれがんばれがんばれ」

「がんばれがんばれがんばれがんばれ」

一息で四回「がんばれ」を続けるだけの肺活量の男の子が、ママの採血を隣りで応援している。背丈はママが座って採血を受けているより、まだ低い。幼稚園か大きくても小学1〜2年生ぐらいだろう。

クスっと笑った。

「がんばれがんばれがんばれがんばれ」

ママはその後無事に採血を終えて、男の子の応援の声もしなくなった。

私の母は私が物心ついた時から身体が病気がちだった。母は不安を私に口にすることが多く、それがトラウマになってしまい、母が亡くなることが異常に怖いことのように感じるようになっていた。神様に毎晩お願いをし始めたのもこの頃だ。

男の子は「がんばれがんばれ」と大好きなママを応援しながら、とても頑張った。

お母さんの病気は大事に至らないものだといいね。

私のママもなんだかんだあったけど、あれから66歳まで生きたよ。

お父さんに大事にされて幸せだったよ。

人はそんなに早く死なない。

私も今は、そう信じて暮らしている。


投稿日:2015年08月05日

2015年08月05日

去年の春頃のことだったろうか。私はランチタイムにナンカレーのお店に来ていた。だいたいこういう店は店主が現地の人だったりする。日本語で話しても大丈夫。通じるので困ることはないのだが・・・。

食事の後、お水のおかわりをもらおうと手を挙げたら、店主らしき人が私の席にやってきて「なんのかおり?」と尋ねてきた。

意味がわからずきょとんとしていると、再度「なんのかおり?」と尋ねられた。

「なんのかおり?」って「何の香り?」って言われているの?私。

香水もヘアケアグッズも、香りものは身につけていない。

私、なにか臭いのかしら?と、だんだんくつろいでいる自信がなくなってきたのだった。

皿を指してもう一度、店の人は言った。

「なんのかおり?」

香り、香り、香り・・・・。しばらく考えてようやくわかった。

「ナンのおかわり?」

「イエス、ナンのおかわり」

ナンのおかわりはいかがですか?ということだったのだ。

「あぁッ、ナンのおかわりは結構です!」

「あぁ、わかりました」

ニコニコしながら店の人はまた去って行ったのだった。

日本語は難しい。

おかわりだったら水がほしかった。

あら?そうだった。私が店の人に手を挙げて伝えようとしたのは「お水、おかわりいただけますか」ということだった。

なんだかもう一度手を挙げる勇気をなくしてしまった。

そして、店を出たのであった。


投稿日:2015年07月28日

2015年07月28日

夜、テレビを観ていた時のこと。

左の方に黒い影みたいなものが視界に入ってきた気がした。

・・・・・何?

不審に思った時は必ず二度見をして確認をしてしまう。

特に・・何でもなさそうね。と、安心しかけた時に・・・・。

「ぎゃー!」

と叫んでいた。
壁にゴキブリが止まっていたのだ。

大人のゴキブリ。

私のベッドの足元の壁にひっついている。

どうして、どこから、いつからアンタはここにおるん。

ゴキブリはダメなのだ。這われた回数2回。過去2軒住んだ家はゴキブリへの恐怖に耐え切れず、ゴキブリ駆除の業者さんに来てもらって解決してもらったぐらいなのだ。ここは新築だからとかなり安心していたが、油断は出来ない。さっき見た幻影はゴキが飛んで移動したのを捉えたのだと思う。

家にはゴキジェットなるものがない。新築で入ったことと、缶に描いてあるリアルなゴキブリが怖くて、「ウチにはゴキブリはいない」と何度も念じて買わずにきたのだが・・・・。

去年は出なかった。

・・・・なんて考えていたってしょうがないじゃないの。

ハっと目が覚め、車をぶっとばして「ゴキジェット」を買いにいった。車で約10分。ドラッグストアに入ると一直線にゴキイラストのエリアに進んでゴキジェットを掴んで即レジに並ぶ。絶対に今日中にヤツを仕留めないと・・・・寝られない・・・。

急いで家に帰ったが、あの壁の所にはゴキブリは既に居なかった。

どこにいるの、ゴキブリ。

居ると思われるエリアの隅っこにシューとしてみる。しばらくしたら苦しくなって部屋の真ん中に出て来るに違いない。

シュー!シュー!

部屋、し〜〜〜ん。

しばらく、し〜〜〜ん。

もっかい、シュー!シュー!

部屋、し〜〜〜ん。

ゴキは苦しくないのか。

私はもう苦しい。

し〜〜〜ん。

しばらく待ったが何の反応もなく、途方に暮れる。

・・・・あっ!!

クロゼットの横の壁にゴキが姿を表した。

し〜〜っ、し〜〜っ。

シュ〜〜〜〜〜!シュシュシュ〜〜〜〜〜!

洋服がかかったハンガーの奥にゴキブリは姿を消したのだった。

し〜〜〜〜ん。

命中したんだからもうすぐ出て来るはず。

しかしゴキは音も立てず、姿も見せず、潜んでいたのだった。

ハンガーラッグの後ろにも居なかった。服にひっついているかと思ったがそれもなく、結局タンスの裏でコロンと裏返っていた。

「あんた、どこから来たの。いつからこの部屋に居たの。仲間は?少しでもいいから情報をちょうだい!」

一発屋だったのか、仲間が沢山いるのか、わからない。

いやーーーん、怖い〜〜〜〜〜〜っっ。
まだドキドキが収まらない。
これからどうすればいいのでしょうか。

ダンボはこの修羅場の中、ワンとも吠えず、ずっとくつろいでいたのだった。


投稿日:2015年07月20日

2015年07月20日

海の日。

3歳以降のことは記憶に残っていたりするのに、海に関する記憶は小学校3〜4年の頃、遠足で須磨の水族館に行ったということが自分の記憶している一番古い海の思い出なのだ。

そんなに海デビューは遅かったのだろうか。

確かめたくても聞ける相手がいない。

遠足でバスに乗って神戸まで行った。

高速道路から遠くにクレーンが見えて、建物のはるかむこう、海が見えた。

広くて視野が遠くて晴れた天気に少しかすみがかかり、かげろうも見えていた。車窓から眺めた景色は初めての景色だった。

少し距離を置いた、ぐらいの海が好きだったのかもしれない。

友達数人で行く海はひたすら楽しかったし、今となれば”もう少しハメを外しちゃってもよかったかな”と思うくらい。かと思えば、夏が過ぎたばかりの静かな海もそれはそれで絵画を眺めているような癒される気分になっていく。

とかなんとか言いながら、今年も私は海の日に海に行かなかった。

ただ思い出の「海」達が、時を重ねるごとにいい思い出に変わってゆく。


投稿日:2015年07月18日

2015年07月18日

7月前半は私にとってはすごく忙しかった。ライブをやった次の日は別のプロジェクトの打ち込みをして、また次の日は別のライブのリハがあり、次の日には本番があり、またその次の日は別のライブのリハ・・・。リハの前には個人練習があり、毎日いっこだけの仕事で終わるわけでもなく、家に帰って来たら音源の直しを眠くなるまでやり、連絡漏れはないか、あぁこのデータを送れるようにしなくちゃと思い出したり・・・。

神田さんの舞台やnecoaoのライブも無事に終わり、ようやく緊張していた身体がホっと緩んだように思う。

後半も音源制作の予定がちょこちょこある。

でもここ数年度々休んだ分、「ここ」という時の集中力が甘くなったなぁと実感している。

もっともっと集中力をつけて、一緒に音を出す人との信頼関係を築いて行きたい。


投稿日:2015年07月06日

2015年07月06日

飯田でのライブを終え、今日は輸血の後は目黒ブルースアレイにて「失速バンド」のライブに参加するのだ。出演メンバーはみなさんレコード会社関係の方々や事務所や音楽制作の会社などの方々、しかも役員クラスの方々が遊びでバンドを組んで、いくつかのバンドに分かれて演奏をするというイベントなので、私は昔B#でお世話になったプロデューサーがバンマスのバンドでキーボードを弾くという、なんだか懐かしくもあり、妙な緊張感のあるひとときを過ごしたのだ。

まぁ、音楽好きの集まり!ということで肩書きは横に置いておいて。

音楽ライターの櫻井さんにも会った。

最初はライターさんとしてお目にかかったが、今日はドラマーとして参加の櫻井さん。やっぱり音楽にとても純粋で熱い人だった。

音楽が大好きだった少年は結局音楽が好き。幾つになっても身体が覚えているフレーズがあって、誰かが弾き出したらあとから参加してきて「なんだ、結構覚えてるじゃない?」と言いながらまた誰かが入って来る。

大学を卒業する時、就職をするということが音楽をやめるに値するとなんとなく思っていた卒業の時期があったことを今は懐かしく思う。

だって、音楽を辞めていないのだから。

機材は今の方が増えていたりして。

私は就職をせずに今まできたけれど、就職をして音楽を辞めたはずの当時の仲間は結局今も音楽をやっていて、そのことがなんだか嬉しい。

明日からはまた楽器を置いてそれぞれの仕事に戻って行く人達。

私も「あぁ、音楽を続けてきて本当によかった」とたまに勇気をもらいながら。

明日の方を見つめている。


投稿日:2015年07月03日

2015年07月03日

昨日つじんを見送ってから一日、今日は長野県の飯田に出発。アウルのライブに参加するのだ。

一緒に参加するのは東京からは以前から知り合いだった小室ゆいちゃん、関西からは森松くん、れいちゃん、ベースのぺっぺいくんと3人の慣れたB#チームなので、ちょっとした旅気分。canvasという、アウルが長年可愛がってもらっているライブハウスがある。

16時、飯田到着。

移動しているうち、どこかで「あれ、空気がさっきより澄んだ」と感じる場所があった。

リハーサルは和やかな感じで、私は自分の曲のうちのhappy new yearを以前からやりたかった「ピアノを弾かずに歌ってみたい」で叶える事が出来た。れいちゃんの演奏をここ最近観ることがよくあったが、自分のタッチとよく似ている。なんだかそれがすごく嬉しい。happy new yearはコピーをしてくれたとは思うが、空気感まで理解してくれたことで彼女の音楽魂みたいなものに触れられてジンとした。

小室ゆいちゃんは、おおらかにさせてくれる歌うたい。

あの笑顔に引き寄せられる。音楽の一音が簡単そうで優しくて、だけど深い。細かいことを越えて、若くしてもう、一生を音楽に費やす人の空気を放っている。

そしてアウル。いつもライブに誘われると嬉しい。いつも曲に入ったら、ちぎれんばかりに曲に入って行くところ、やっぱり魂を動かされるところなのかなと思う。

今日も気負わず、シンプルに。

必要な引き出しを開けてベストなパーツを見つけたい。


投稿日:2015年07月01日

2015年07月01日

一昨日からまたしんどくなって横になって過ごしていたが、今日はカナダに住む高校の時からの友人が家に泊まりに来てくれる日。カナダに私が行った時にはあちこち車で連れて行ってもらったり、連泊で随分お世話になった。

今度はうちに来てね!と、行って約束の日にちまで決めたのに、一昨日からまた体調が悪い。どうしよう。ちゃんとおもてなしが出来ない上に掃除も中途半端になってしまった。本当なら、車でお迎えに行ってどこかで一緒ご飯食べてから家に来てもらう予定だったのだが、今日は外出すら出来そうもない。

一人で大荷物を持ってこんな遠くまで来てもらうのはなぁ。

どうしよう。

つじんに連絡をしてみたら、「何も気を使わなくていいよ、顔見たいだけだから」と、言ってくれたので、もうこれ以上気を使わずに、だって私も会いたいんだし・・・。来てもらおう!と思ったのだった。

携帯がもうすぐ切れそうなのと荷物が重かったみたいで、バスを降りてからの道が長く心細くさせてしまったようだったが、広い畑のあっちとこっちで声が届いてようやく再会を果たすことが出来た。

つじんの携帯が切れたら、再会は果たせなかったかもしれなかった。

ふぅ〜っ。

「こんな遠くまでよく来てくれたねぇ」

重たそうなスーツケースが2つ。それに飲み物や食べ物、ゼリーやいろいろ・・な物を買ってきてくれた。

「調子の悪い時はリンゴ、柑橘系は調子が戻ってからね」

子育てをしながら学んだことの1つなのだそうだ。

ダンボもすぐに慣れた。すっかり懐いて私のところにはちっとも寄って来なかったぐらいだ。

この間あった同窓会の写真を見せてもらった。私の記憶力は本当に悪い。あ、これは矢野くん。レコードをたくさん持っていて、よく貸してもらったなぁ。

覚えていることや、覚えていないこと。欠けたピースを思い出そうとしてはまた新たに会いたいなぁと思う人の名前が上がったり。

本当は楽器部屋を片付けてそこに寝てもらおうと思っていたが、楽器部屋が一番片付けられなかったので、自分のベッドの下に雑魚寝で寝てもらった。

今朝あんなにしんどかったのが、随分身体が軽くなっていた。

眠れているかなぁ?

会えてよかった。
ほんとうによかった。


投稿日:2015年06月25日

2015年06月25日

家に帰って来て「わ!」と思ったこと。

冷蔵庫の賞味期限切れの物が多かったこと。野菜はひからび、牛乳などパックの飲み物は全てアウトだった。

外に吊るしていた鉢のうち1つが真っ黒になってひからびていた。

ごめんなさい。

入院直前はもう部屋の掃除など出来ない状態だったので、悲しいぐらい荒れていたこと。特に一度着た洋服が山の様に積んであった。

家が荒れている・・。まぁ、しょうがないけれど。

そんな中で・・・・・

1つだけ嬉しい「わ!」があった。

数年前に浜田山駅近くの花屋さんで400円ほどで買った観用植物、何て名前なのか知らないが私の大好きなドラセナコンシーネという種類に似ていたので買ったことがあった。今まで何の変化もなくただ枯れずに居てくれたというだけの間柄だったのに、いきなりわき目らしきものがちゃんとした形で出ていたのだった。

何の世話もしていなかったのに、人の手を借りずに自分のペースで過ごしていたんだなぁ。

すごいなぁ。

また始めましょう。

お互い補い合って。

心穏やかな毎日を目標に。