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投稿日:2010年11月20日

2010年11月20日

おはよう!
東側の雨戸を開けたらなんか臭う。
なんだろう?と思ってふとキョロキョロしたら、眼下にゆる〜い糞があるではないか。
「げげっ」
いつも見ていなかったが、塀と壁の間数十センチの通路部分に更に複数のウンチがしてあるのを見つけた。
ショック・・・・。
これ、いつからしてあったのかしら。
ゆるゆるウンチは最新のものであろう。だが他の複数のものは前からちょくちょくされていたものが増えていったものと思われる。
ショック・・・・。
近所の家に4匹の子猫が生まれたのが今年の春先で、それまではウンチやおしっこをされることはなかった。だから時期的に言えばこの4匹のどれかがここをトイレに選んだのだろう。そういえば牛柄の子が歩いているのは見たことがあったっけ。
うぬぬぬぬーーーー。
最近は子猫も親猫も遊びに来なくなってしまい、寂しくなったなぁと思っていたのだ。だが、なんてことはない。我が家は「トイレ」に決定したのだ。家の犬だってトイレに長居はしない。モヨオした時だけスタスタと出かけて行き、用を足したら戻ってくる。当然ではないか。
たま〜に、どこからともなく臭いニオイがしてくるなぁと思っていたことはあったのだ。
「ねぇ、ダンボ。」
「なんか臭くない?」
ダンボに聞く。
「ダンボなの?」
ダンボが答えるわけもなく。
「ダンボちゃん、くさいよ!」
「くさいくさい!オナラくさい!」
鼻が慣れてしまうとそれ以上はにおわなくなるので、いつもダンボを犯人にして決着をつけていたのだ。ダンボにくさいくさいと言うとダンボは耳をペチーっと倒してやや反省の顔をしていたので、本当に可哀想なことをしたのだ。
それにしても・・・。
割と、していったわねぇ。
親ガメの上に子ガメが乗っているような形で作られた糞もある。掃除をしたらちりとりから悪臭が漂っていた。
当然、その足で「犬猫おしっこよけ」の粉末を買いに行き撒いた。
犬猫は柑橘系の香りが嫌いなのだそうだ。
効き目ってどれぐらいあるのかしら。確かにゆっくり一人になれる場所ではあるなぁと思ったが、忌避剤のボトルをもう1/2使ってしまった。お金もかかるのだ。
「フゥウウウウー」
「ウゥウウウ」
この付近は毎日のように近所の猫が縄張り争いをしている。
あまり長くやっている時は「やめなさい!」と間に入っていたが・・・、
今日から私も縄張り争いに加わる形となったのであった。


投稿日:2010年11月19日

2010年11月19日

11月15日に作詞家の星野哲郎さんが亡くなられた。
4000以上の歌詞を書かれたそうで、「函館の女」「アンコ椿は恋の花」「三百六十五歩のマーチ」「黄色いサクランボ」など記憶に残るヒット曲もたくさんあるが、私にとっても星野さん作詞の一曲に深い思い入れがあるのだ。
もう15年以上前のことになる。
私は京都のアルファステーションで「love track kyoto」というレギュラー番組をもっていた。当時はまだ「メールでメッセージを送る」時代ではなくfaxかハガキ、封書で送る時代。そのせいか手書きの文字の形やレイアウトの雰囲気で、何度もメッセージを送って下さるリスナーさんの文字を覚えるようになっていった。
その葉書は伊勢市からのものだった。
「えーーっ、三重県の?」
最初にその葉書を受け取った時にディレクターさんと驚いたことを覚えている。
その頃のFM京都の可聴範囲は三重県になると、山が結構ある為に少し厳しくなっていたのだが、Tさんは大きなアンテナをたててそれで電波をキャッチしているというようなことを書いておられたように思う。私が受け取ったメッセージの一番東エリアはこのTさんからのもので、当時番組によく葉書を送っていただいた。
やがて番組が終わり、別の番組でアルファステーションに復帰したりもしたが、2000年にはそれまでの生活から一変して長い入院生活を送ることとなった。番組が終わればもう毎週のようにラジオという媒体で繋がることはなくなる。リスナーさんだって数年も経てば生活サイクルも変わるし、葉書をわざわざ送ることもなくなるのが普通の流れだと思う。だって、だいたい葉書を出すということ自体エネルギーの要ることだ。
だが、Tさんは入院中の私あてに時折葉書を送ってくれたのだった。
「みきちゃんに三百六十五歩のマーチを送ります」
ツーリングに行った先で、スキーに出かけた先で、投函してくれたんだろう。旅先の景色にたびたびこの言葉が添えてあった。
一日一歩、三日で三歩。
三歩進んで二歩下がる。
そうだよね。
葉書を眺めながら、私は優しい気持ちに何度も救われた。
その後、念願の退院を果たしたが、ようやくまた一歩社会に近づけたぞと思えた頃になって再入院をするというパターンを今までの数年間で何度か繰り返した。
もう頑張れないな・・・。
そんな風にガックリしている頃にまたふと葉書が届く。
「みきちゃんに三百六十五歩のマーチを送ります」
いつの頃からかTさんからの葉書には記念切手が貼られるようになっていた。いつか記念切手が小さな美術館のようで好きだとHPで文章にしたことがあった、もしかしたらそれがきっかけだったかもしれない。
最初に葉書を頂いてから、もう15年以上20年近くの時が流れた。
その間、Tさんにもきっと悲しいことや辛いことがあったはずだ。
それなのに、ただただエールを送り続けてくれた。
その温度を一度も変えずに。
三百六十五歩のマーチは私にとって忘れられない曲だ。
私の生涯におけるTさんがくれた特別な一曲となった。


投稿日:2010年11月18日

2010年11月18日

総武線に乗って病院へ行く途中、東中野駅で小学生の女の子とそのお母さんが乗ってきた。
中央線や総武線の乗客は比較的庶民的なムードが漂っていて、ゴージャスな雰囲気の母娘はあまり見ないのだが、この母子は東横線でなら見かけるようなゴージャス風母娘だったので目を惹いたのだ。
そして母娘は私の座っている目の前に立った。
「でね、みさきん家はね」
女の子は友達のお金持ちの「みさき」の話をママにしているのだが、「みさき」ん家には「酸素ボックス」があるみたいなのだ。
<酸素ボックス?>
聞き間違えかなと思ったがそうではなかった。ママが「酸素ボックスなんて作らなくてもいいのにねぇ」と答えたからである。そうですよ。酸素ボックスなんて家ん中に作らなくていいですよ。というか、酸素ボックスを家ん中に作るだけの余裕があるだなんて、どれだけ広い家なのだ。
女の子はみさきん家に行ったことがあって、行ったことのないママは興味津々のようだった。うまい具合に娘からみさきん家の中のことを聞き出しているので、私も興味津々で耳を立てる。どうやらみさきん家はおじいちゃんがお金持ちで、そうとう裕福な暮らしをしているらしい。
「廊下にグランドピアノが置けるんだって」
<えぇ〜〜〜っ。それを廊下と呼ぶのですか>
が、ママの返事が私のものさしとは違っていた。
「え〜っ、じゃぁこの間見に行った物件みたいじゃん。」
「エントランスが15帖ぐらいの」
やはり彼女達はそんな物件を購入か賃貸だかで検討出来るお金持ちなのだ。ちなみに時々「広い玄関で羨ましい〜」と、言われる私の賃貸の家の玄関は2帖ぐらいである。
しかし、ママ。
ギャル言葉は品がないんじゃない?
母娘はその後新宿駅で降りていった。女の子はランドセルは普通の物を背負っていたが、片手には高そうなファーのハンドバッグを持っていて、やはりお金持ちのオーラが放たれていたのだった。
私は大人になっても酸素ボックスが家にある友達は居ない。
隣りの席の人はどんな感じでこの会話を聞いていたのだろう。
私は眠ったフリをしながら、心ん中で「どんだけぇ〜〜〜〜」と叫んでいた。


投稿日:2010年11月17日

2010年11月17日

少し前にテレビで芸能人の誰だったかが今一番気に入っているという某ホテルの「食べるラー油」を紹介していた。
食べるラー油の中でも特別美味しいとのことで、試食した出演者達も「ほんっと〜に美味しい!」と絶賛していたのだ。
なんでもそのお店は今人気が集中していて、通販で購入しても注文が殺到しているのですぐには届かないらしい。
以前の私は美味しいものを食べるということにあまり興味がなかった。誰かが「すんごく美味しい!」と絶賛していても割とすぐに美味しいものの話のことを忘れてしまい、まずいものでなければ「割と美味しい」として満足をしていたのだ。
が、最近はちょっとだけ変わってきた。美味しいと言われているものの中で惹かれるものが、前よりちょっと増えたということなんだろう。テレビを見て通販で頼んだり、どうしてもアレが食べたいわと言って注文をしたり、友人のお勧めを聞いて電車に乗って買いに出かけたりするようになってきたのだ。
で、大絶賛されていた食べるラー油をテレビの放映後に早速頼んだのだった。
まだかな?まだかな?
本当に大人気商品のようで、一度出荷に時間が掛かっていることのお詫びメールももらった。
試食で食べたタレントさんが今までに食べたことのない美味しさ!と興奮していたっけ。
私も早く食べたい。
いつ届くのかしら。
そして待つこと半月。
とうとう食べるラー油が届いたのだった。
通販で頼んだのは2コセット。単品では売っていなかったので、まぁ一つは友人にあげればいいか。友人が知らなくて自分が知っている「美味しいもの」を紹介する時って、ちょっと手柄を立てた気分で嬉しいものなのだ。
そしてその日の夕食。
実は私は食べるラー油なるものを初めて食べるのだ。
炊きたての白飯にスプーンですくってまずは一口。
すると
「ジャリ、ジャリ」
と、口の中で音がした。
「ん?」
食感としては砂利を噛んだ時の「あっ」という違和感がしたのだが、砂利はもちろん入ってはいない。
「ふぅ〜〜〜む。」
食べたことのない食感。
これが第一印象であった。
もう少し食べてみないとわからないわ。
正直言って判断が出来なかった。
が、まぁまぁいいお値段がしたことといろんな材料が入っているということで、「判断が出来ない」こと自体認めたくなかった。
更にもう少し食べてみる。
「ジャリ、ジャリ」
こ、これでいいのですか。食べるラー油って。
「ん〜〜〜〜。」
よくわからないが、ガラスの破片を噛んでいるような謎な食感で、美味しいかどうか以前に私の口は「食べ物ではないようです」と言っていた。
今日来たばかりなのに、開けた方の瓶もまだ9割も残っている!
更にさらっぴんのが一瓶。
どうする?
どうするの、これ。
美味しくなかったものを、誰にあげればいいのだ。
「これ、ガラスの破片を噛んでるみたいでもう食べたくない!だからあげる」と、正直に言って誰かに押し付けるのか。
これが・・・美味しい絶品食べるラー油って本当?
が、事実売れているのだから絶品なんだろう。
それにしても私には味の記憶がない。
一瓶800円したんですけど。
「美味しいもの」がわからなくなってしまった。
おかかのふりかけが恋しい、なんともかなぴ〜食べるラー油初体験なのだった。


投稿日:2010年11月16日

2010年11月16日

病院の帰りに小石川後楽園に行ってみた。
もう少し待てばもっと紅葉が綺麗だったかもしれないが、今日もたくさんの人が訪れていた。
teien.jpg
この庭園は、江戸時代の初期に水戸藩の初代藩主、徳川頼房が中屋敷の庭として作ったもので、二代藩主の光圀、水戸黄門の代に完成したのだそうだ。池を中心とした回遊式泉水庭園で敷地はかなり広い。琵琶湖の景色をイメージした景観に作られている場所もあり、京都をイメージした作りになっているエリア、奥の方に進むとショウブや藤棚などの他に田んぼもあり、田舎のおばあちゃん家ってこんな感じ!という風景も見える。
ここも外国人観光客が結構居る。男性達はみんなビリージョエルみたいな顔立ちで、しかし言語はどうもフランス語っぽい。なんとなく順路と進むスピードが似ていて、コイに餌をやっている時に隣りに並んで餌をやっていたりしていた。
コイの餌は「お麩」。ここのコイは外敵が居ないせいかどれも丸々と太っている。コイ達はみんな巨大魚に成長していて不気味だった。
「ピチャっ」
餌を投げると水面に数匹が口をあけて掃除機風に吸い込んでいく。結構大きな餌が丸飲みでなくなってしまう。
ビリージョエル軍団は「お麩」なんて知らないんだろうなぁ。
ここではコイの餌だが、丁度同じ大きさのお麩で私はみそ汁を飲んでいる。そんなことも彼らには想像がつかないのだろう。
kyuukei.jpg
中を歩いていると、ふと時代を遡った感覚になってくる。
と、思ったらやはりここは都会の真ん中であることを思い知らされる。東京ドームと、ドームホテルがまるで合成写真のように後ろにそびえたっていたのだ。
dome.jpg
江戸時代の人がこれを見たら腰を抜かすだろう。
どう考えても東京ドームはスポーツ施設に見えない。巨大なUFOでこののどかな庭園を侵略してくる魔物にしか私も見えない。
都内の庭園は他もこんな感じらしい。
しかし、すごいミスマッチな風景なのだ。
だが・・・・これにゴジラが加われば、以外と落ち着く図になるのかもしれないのであった。


投稿日:2010年11月15日

2010年11月15日

治療を終えてからラジオの収録に行った。
前回の収録は手術の前だったので「もしかしたら歌はこれで最後になるかもしれないなぁ」と、ふと頭をよぎったが、嬉しいことに今日の収録は自分で歌った曲を2曲持って来れた。
久しぶりのラジオ。基本的に自分が得意とするのは、アドリブなどの対応の必要がない文章の方なのだが、今日のラジオはそういうことを越えて、大好きな人に今から会いに行くぐらいの嬉しい気持ちで出かけたのだ。
待っていてくれる人がいるのは幸せなことだ。
必ず人には自分を待ってくれている人が居る。
最近私が思うことだ。
だからまず自分自身が「自分を待っていてくれる人がいる」ことを前提にいつも物事を考えられる心が大事だなぁと思う。
自分と繋がっている人は、自分が思うよりたくさん居て。
おかえりと言ってくれる人がいる。
友達だよと言ってくれる人がいる。
たまに曇る日はやって来るだろうけれど。
必要以上に疑わずに、いじけずに、めげずに、へりくだらずに。
マイクの前で「ただいま!」と口にしてみた。
誰も居ないマイクの向こう、あたたかい存在がポワンと感じられたのだった。


投稿日:2010年11月14日

2010年11月14日

先月ふと東野圭吾作品を一冊読んだことで、すっかり東野作品にハマってしまって、相変わらず毎日読んでいる。
私はハマると生来のせっかちが全面に出て、こういうペースになる。
で、一冊読み終えたらすぐ次の作品を読み始めているので、3冊前ぐらいに読んだ本の結末が思い出せない。読んだらすぐ忘れているのが残念なところなのだ。
ところが。
毎日推理小説を読んでいると、ついには夢の中も推理小説状態になっていた日が2度ほどある。読んだ本の内容が思い出せない脳みそであるのに、寝ている時の私の脳みそは推理小説を書き下ろししていて、ページをめくるように話が進んでいるのだ。
朝目覚めて、「あっ、これは夢だったんだ」と驚く。
サスペンスの中で自分自身も困っていたところ、目が覚めて「あ〜よかった」とホっと胸をなでおろすのが一つ。が、もう一つは脳みそに向かって「途中までお話を創作したのは素晴らしい。でもこのあとどうするつもりだったの?」とあきれた気分で問いかけるのだった。
推理小説は読んでいる分にはいいが、完全映像化されて自分の身にふりかかってきたら、ドキドキハラハラは本の比ではなくなり身体に悪い。
それにしても・・・・
眠っている時の私の脳は時々すごい構成にチャレンジしている。過去には面白いラジオ番組を流していて、その内容に私は大笑いしているのだが、その夢の中で自分が聞いているラジオの内容自体が私の脳が作った話であったり・・・。
またあるときは日本に氷河期がやってきた話もある。が、変わるのは周りの状況だけでない。何故か私自身「緑の苔」として生きている夢もある。なんで苔に?
空も飛んだが、砂漠で死んだこともある。それまでは何かピンチがあっても死ぬ寸前に目が覚めていたので、夢では死なないんだと思っていたが、私は夢で3回程死んでいる。砂漠で死んだ回では風が吹いて顔に砂がサラサラっと吹いて、「あぁ、これで死ぬのか」と思いそれで死んでしまった。
起きたあとで、こんな夢を見てそれで一体どうなんだろう。としばらくボ〜〜っとする朝もあったのだ。
脳みそよ、夢の時には頑張らなくていい。
かわりに読んだ本の内容をもう少し覚えていてはくれないか。
あの本は、どういう結末だったっけ・・・。夜中にふと気になって仕方がなくなり、パソコンを開いてあらすじを書いてあるサイトを覗きに行くというへんちくりんなことをしている。
26冊読んだ。
が、あらすじを話せる本は数冊あるかないかなのだった。


投稿日:2010年11月13日

2010年11月13日

新聞を見ていたら、淀川の河川敷で大麻草が栽培されていたという記事を見つけた。
まぁ、一体どこの辺りなの?
住所を見たら通っていた中学校のすぐそばだった。
この辺りはすんごくのどかな場所で、淀川の河川敷も広々としている。特に冬場は枯れた色をした広大な土地になって寒々としていて、遠く枚方の街が見渡せる景色のいいところなのだ。ここを歩くのは犬の散歩に来る人か、自転車で探検をしに来る人、そうでなければたまに出没するという噂をされる変質者ぐらいで、確かに人は来ない。子供達にとっては基地ごっこをする秘密めいたところでもあったのだが、まさか大麻を植えてもバレないだろうと思う人間が出るとは思わなかった。
実家の辺りは「大阪と言えば道頓堀!」のイメージとはかけはなれた風景の町。それでも人は割と住んでいるし、ちゃんと町としての機能は果たしている。普通に人が暮らす町なのだ。だが、他所もんにとっては人気のない閑散としたエリアに見えるらしい。今年も悲しいかな、死体遺棄事件があった。これは実家の町内で歩いて数分の淀川土手だ。死体遺棄事件はこれだけじゃない。私がまだ実家に居た頃にも駅に行く道の生活水路に死体が遺棄されていたことがあり、いずれも犯人は離れた場所からわざわざやってきてこの地に遺棄していったとあとで知ったのだった。
割と人は住んでいる。
割と、という言葉しか使えないのがはがゆいが、確かに人は住んではいるのだ。
今回の大麻草を育てていた事件も犯人は他所者なんだろう。
私の育った町は、人目につかないような印象を受けることによって事件に関わる町となってしまったのか。
この現状を覆すべく高槻のはずれにあるエリアの住民は、もっと「ここに人が住んでいます」ということを主張して認知をしてもらわねばならないのではないか。ならば私も声をあげよう。「上牧」近辺にも人は割と住んでいる。淀川にも割と住民は散歩に出かけている。夜がちょっと早いだけで本当に割と人は住んでいる。
ほんのちょっとでも犯罪抑止につながらないかと思っている。


投稿日:2010年11月12日

2010年11月12日

放射線治療が終わってからフラっと上野の国立博物館に行った。
何故か私は上野公園の辺りが好きなのだ。東北から上京をした人にとっては「上野」は乗り継ぎで利用するので馴染み深いと聞いたことがあるが、それなら私の思い出らしい上野の思い出は、子供の頃に上野動物園にカンカン・ランランを観に連れていってもらったことぐらいしかない。
それなのにたまに上野の辺りに行きたくなるというか、恋しくなるのだ。
いつか前世占いをやったら、私のスタートはカブトガニだった。カブトガニから現在に至るまでのどこかで、私は上野に縁のある暮らしをしていたのだろう。池のコイだったか亀だったかの回があったのかもしれない。行けば懐かしい気分になるのだから不思議なのだ。
ここら辺の美術館や博物館はいつ行っても、外国人観光客がやって来て写真をバシバシ撮っている。日本っぽいところが見たいのなら、もっと普通に電車に乗って適当に人が降りる駅で降りてブラリ商店街を歩いた方がリアルな感じがするのだが、結構本人達は盛り上がっていたりしているので、私も知らん顔で過ぎている。
「Oh〜」
と、小さく感嘆して若者が展示物を観ていたりする。
多分、<ヨクワカラナイケド、キットスゴイモノナンダロウ>という感じなんだろう。
確かに仏像は大きさに関係なく厳かなオーラを放っている。
「Oh~〜〜〜〜」
巻物になるとやっぱりちょっと日本っぽいのだろう。
<ナンテカイテアルノカ、ワカラナイケド、キットスゴイモノネー>
いやいや、私も何て書いてあるのかちっともわからない。それどころかここに居る他の日本人もわからないと思う。いろいろ展示物には書物などもあるのだが、よく考えてみたら私が読める文章は昭和中期以降の書物でかろうじてやっとというところじゃないか。
ここに来ている日本人もみんな外国人と同じようなもんなのだ。
博物館を出てからうなだれた。
巻物コーナーではとうとう一つも文章を解読出来なかった。
今まで自分は読み書き出来るのが当たり前のように思っていたが、ここ数十年使われている日本語しか読み書き出来ないと知って愕然としたのであった。


投稿日:2010年11月11日

2010年11月11日

放射線科に行く。
私にとっては初めての放射線治療なのだが、流れがよくわかっていないのだ。
今日は1時間の枠が取ってあるけれど何をするんだろう?歯医者さんに行った時と同じだ。「はい、座って下さい」と言われ診察台に座って”ウィ〜〜〜ン”という音が耳元でしてきたら「あっ、ウィーーンをされるんだ」と緊張し、「はい、ではうがいをして下さい」と言われ「終わったんだわ」と安心したらまた診察台が倒れまたウィ〜〜〜ンが再開したりする。披露宴の時みたいに「本日のメニュー」が事前に渡されていたら、もう少し自分も「今日はどういう流れ」なのかがわかって、それだけで随分流れを把握出来るのだが・・・・。
今日は治療はないようだった。
前回治療計画を立てるためにおおまかにつけた治療部位の、今日は更に正確な治療部位を決定することが目的のようで、マジックペンでの書き直しがあったあと、このマーキングが消えないようにご自宅でも気をつけて下さいねという説明があった。
「では、明日からいらして下さい」
「えっ!?」
「午後からでもよろしいですか」
「明日から治療が始まるんですか」
「はい、通常はそうです」
まもなく始まるとは思ってはいたが、「11月に入ったら治療」と言われたまま今の今まで何も治療日程についての日にちは言われていなかった。もしかしたら急に治療開始になるかもしれないと予想をして、念のために来週の月曜日からは空けていたが、さすがに明日からだとは思ってもいなかった。まさかのいきなりの治療開始とは・・・。
明日から12月15日までの計23回の治療が始まる。
おじいさんの患者さんが「マーカーの数値がおかげで@に減ったよ。ありがとうね」と嬉しそうに放射線科の受付の女性に話しかけていた。一桁の数字だったので、多分とてもいい結果だったのだと思う。
長く通うせいか、やや常連さんぽい感覚になる科なのだろう。
来月半ばには私も笑顔でゴールテープを切りたいのだ。