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投稿日:2011年01月21日

2011年01月21日

今日は市ヶ谷に行く予定があった。
私の家は最寄り駅が特になく基本的に不便なかわりに、その日出かける場所によって全く異なる3路線を使い分けて、どこへ行くにも電車の乗り換えを少なくすることが出来るのだ。
新宿や渋谷などの場合は家から最寄りのルートが一つ。渋谷なら京王井の頭線を利用し新宿の場合は丸ノ内線で行く。病院のあるお茶の水に行く時は、JRを使って阿佐ヶ谷から中央線に乗るか、いいや今日は座って行きたいなと思えば中野までバスで行ってそれから中野発の総武線でお茶の水まで行く。いやいや、JRだと駅に着いてからの階段がキツかったなと思ったら、中野行きのバスを途中で降りて改札からエレベーターで病院まで行ける丸ノ内線ルートに変更も出来る。
「今日は何を着て行こうかな」というのと同じで、少々所要時間に差はあるものの、お出かけの際のルート選びはちょっと楽しいことの一つでもあるのだ。
今日行く市ヶ谷は、バスでJR中野駅まで行ってそこから中野発の総武線で市ヶ谷まで行くルートが一番単純なルート。他にもバスを途中下車して新高円寺駅から丸の内線に乗って途中四谷で乗り換えて市ヶ谷に行く方法もあるが、選択肢としては多くてその二つだなぁと思いつつ家を出たのだった。
ところが。
バス停に向かう途中で、今日は利用する予定のないコミュニティバスが丁度やって来るのが見えた。
<ルートはもう一つあったんだったわ>
井の頭線に乗って明大前乗り換えで市ヶ谷まで行けるルートを思い出した。多分少し時間はかかるだろうが、コミュニティバスがせっかくこのタイミングで来たんだから、乗ってみればいいんじゃないかしら。
だが駅に着いたら、乗ろうと思っていた電車が丁度出てしまい、また余計な行動をしてしまったなぁとちょびっとうなだれた。急に何かを思いついて予定を変更すると、大抵遠回りな方向に向かってしまうのだ。
少しでも乗り換えがスムーズに行くように、次の電車が来た時に車両を移動しようやく席に着くと・・・・。
次の駅に着いて電車のドアが開くと同時に、電車に乗って来たパーカッションのY氏とすぐの距離で目が会ったのだ。
「あっ、あれぇええええ〜」
人とバッタリ会うことがない私、本当はこの電車に乗る予定ではなかったと話すとY氏も本当はこの電車に乗る予定ではなかったらしい。
Y氏が独身男性であったら、多分単純な私は「この人が私の王子なのかも」と思い込んでいたに違いない。こういう偶然ものに私は弱いのである。
時々、誰でも「こんな偶然ってあるんだなぁ」と驚く微妙な偶然の一致を経験すると思う。
Y氏と別れてちょびっと反省をする。
私の声、でっかかったかも・・・・。
私はこういう時、恥ずかしい程大きいリアクションをしてしまう出川哲朗な女なのであった。


投稿日:2011年01月20日

2011年01月20日

去年の10月、自宅療養中に東野圭吾作品を一冊読んだことから、東野圭吾作品にすっかりハマってあれから毎日読み続けているのだ。
毎日毎日、殺人事件や犯人探しをしていたら身体になんか悪い影響が出るんじゃなかろうかとちょびっと不安にもなるが、もう50冊近く読んだので8割以上の作品は読んだと思う。
どんどんのめり込んで読み進めて行った作品もあれば、感慨深く終わった作品あり、そうかと思えば、もしこの作品を最初に読んでいたら絶対にこの一冊で終わっていたと言える程B級な仕上がりのものもあって、私にも東野圭吾作品については好みが生まれるようになったのだ。今まで読んだ中では「白夜行」「さまよう刃」「悪意」「流星の絆」が特に面白かった。いろんな伏線が張ってあるものが読み応えがあるが、本の中に舞台の間取り図が載っている事件物も好きだった。
途中に性描写があったりもするのだが、どうもそのくだりは好きになれない。その辺りのことはなくても物語を進められるのに、この中途半端な性描写は何なのだと毎回思ってしまうのだ。だいたい東野さんご自身がノって書いている感じがしない。むしろ苦手だけど我慢して書いているように見えてしまうので、読んでいて恥ずかしくなってしまうのだ。
そんな中、新しい発見をした。
それは「アーモンド型をした目」という表現だ。
アーモンド型と言えば、そんなものはあったかどうかわからないが「UFO」を想像してしまうのだが、何故か東野圭吾作品の中で出て来る「アーモンド型をした目」は美人の女性の目を表現するのに頻繁に使われているのだった。
どんな目がアーモンド?
東野さんはアーモンド型の目をした人に惹かれる傾向にあるのだろう。
私の中で「目」は、タヌキ目とキツネ目しか表現がなかったので、「アーモンド型の目」という単語は印象的だった。東野さんは紳士なのだろう。ブサイクな女性のことを書くのに対比した「@@型の目」というのは文章には一切使われていない。
そして髪はサラサラの栗色をした女性がよく出て来る。
作品は違えど綺麗な女性のタイプはみな同じ。
みんな同じかい!
ハニワ型の目をしたゴワゴワ髪の女にもたまには愛の手を差し伸べて欲しいのである。


投稿日:2011年01月19日

2011年01月19日

久しぶりに会う女友達と、今日はランチを食べて銀ブラをした。
「銀ブラ」は銀座の辺りをブラブラ歩くというようなことだが、友人は去年まで東銀座に勤めていたので銀座にとても詳しいのだ。私は逆でほとんど銀座、有楽町、新橋の辺りは知らない。
銀座は高級ブティックに高級クラブ、敷居の高そうな画廊などがあって、渋谷新宿で見かける若い年齢層は遊びに来ない街だったのだが、最近は街自体が変わってきたこともあって、随分若い人達がやって来るようになっているみたいだ。
有楽町で待ち合わせをして、4~5年前に出来たというイトシアの中でランチをする。イトシアは名前も知らなかった。ネットで調べて、それで地図を見たりして勉強をしたからどういう場所なのかがわかったが、ネットのある時代で本当によかった。何も前情報がなかったら「イトシア」は、ネーミングから想像してスパか何かだと思っていたのだ。
ランチ後はソニープラザに寄ってそれから木村屋銀座本店に行ってあんぱんを買う。友人は見るだけだが私は店に入る度に何か買っているので、本当に田舎者丸出し。ソニープラザも木村屋もチェーン展開しているので、都内ではめずらしくないはずなのに、新宿では前を通り過ぎるだけの店にも吸い込まれてしまうのであった。
それにしても、銀座は変わった。
知らない私がそんなことを言っても全然説得力はないが、やはり変わったのだと思う。だって、ユニクロやH&MもZARAも近くの街にあるし、文具の伊東屋も渋谷の店にちょくちょく行っている。銀座に行かないとないというお店自体が少なくなっている印象なのだ。
だからこそ資生堂パーラーを見つけたら嬉しかった。お値段はやっぱり高くてなんじゃこりゃという感じがしたが、普段銀座に縁のない人間に「ここ、銀座なんだわ」と思わせてくれる敷居の高さが私の抱く銀座のイメージだ。客足が遠のけば街は衰退してしまうそれでもやっぱり銀座には、あまり気軽に行けない雰囲気を醸し出していて欲しいのだ。
「銀座のクラブってどの辺りにあるの?」
「ちょうどこの辺りがそう」
友人はさすがに街をよく知っている。歩きながらまるでガイドさんのように街の話をしてくれるので、初心者でもよくわかった。
柳がそこここで見られた。
銀座のシンボルとされている柳。柳がお洒落な街と繋がらない私には少しミスマッチで、「あぁ、これが銀座の景色なんだなぁ」と思えたそんな銀ブラな一日だった。


投稿日:2011年01月18日

2011年01月18日

家の東側のブロック塀のところに50センチほどの細い隙間があって、去年のいつ頃からか猫のウンチがされるようになっていたのだが、犬猫忌避マットというトゲトゲシートを敷いたらあっさり猫うんちの被害がなくなった。
それで猫は隣りの家の駐車場にうんちの場所を変えたみたいだったが、取りあえず私の家の敷地内にはしなくなったので忌避マットの力はすごいなぁと思っていたのだ。
だが、今日は外に出てマットの辺りを片付けていたら忌避マットのトゲトゲのところのある部分だけ、10センチ四方ほどが壊れていることに気がついたのだった。壊れている・・・というか何者かに壊されたのだろう。とは言っても条件を考えれば犯人は人間ではない。鳥か猫かなのだと思うのだ。
togetoge.jpg
そしてその破壊された部分のすぐそばに、羽根をもがれた蝉の死骸と思われるものがシートのトゲトゲの間に挟まっていたのだった。
ここで何をしていたのだろう。破壊されたエリアに行くまではトゲトゲシートの上を歩かねばならない。トゲトゲシートはトゲトゲだけあってトゲトゲしていてちょびっと痛い。なんでわざわざこんな中途半端な場所まで来てそしてトゲを折っていったのか。
蝉の死骸がトゲトゲに挟まって取れない所が、私としては気持ちが悪い。何もこんなに上手く挟んで行かなくたっていいのに。
近所の猫が今日も縄張り争いのケンカをしている。
私の家も外の動物達が宣戦布告をかけてくる。
あのね。
家賃を払って私はここに住んでいるの。
ドゥ、ユー、ノウ?
うんちは消えたが、やはり私にとっての得体の知れないものが相変わらず置かれている東側敷地なのであった。


投稿日:2011年01月17日

2011年01月17日

洗面所の天井の電気がもう結構前から切れそうになっているのだ。
変則的に点いたり消えたり、チカチカとしているので新しいのに替えなければ・・・・。と、思いつつ鏡の所に60W電球が二つあるので切り替えつつしのげいで、つい「今度」にしたままなのだった。
買い物に出た時に、「あっ、そうだわ。蛍光灯を買わなくちゃ」と思うのだが、サイズを調べていなかったので買って帰れない。調べておかなきゃだめねとその時は覚えているのだが、一日のうちで電気を点けて洗面所を利用する頻度がとても低いことで、これまた家で過ごしていると蛍光灯のサイズを調べることも忘れてしまうのだった。
そうこうしているうちに蛍光灯は少しずつ力がなくなってきて、点いている時間もチリチリと薄暗く震えるような明かりに変わってきた。
昔懐かしいディスコのミラーボール光線のような・・・・。はたまた夏になると店先でジジッと音を立てる青白い光を放つ電撃殺虫器のような落ち着きのない電気。
チカ・・チカ・・・。
この明かりの下だと歯を磨くだけでもちょっとくたびれる。
チカ、チカ・・・・。
鏡に映った自分の顔がドス黒く見えてちょっと不気味でもある。
早く新しい蛍光灯に替えたい。
電気が瞬いて綺麗なのは夜景かイクリスマスイルミネーションぐらいなのだ。
家ん中で瞬くとそれはロマンティックでなくなり、一気に結構なストレスになるのであった。


投稿日:2011年01月16日

2011年01月16日

バイクでよく通る井の頭通りという道がある。
この通りの大原〜大山間の道路の拡幅工事が、思ったよりも長く工事をしているのだ。
一体いつ完成するのだろう。
と、いうのも今この工事をやっている区間が私の愛車のチョイノリだととってもストレスの多い道になっているからなのだ。
少しずつ道幅と車線を増やしているのだが、長く工事をやっている割には一向に片側二車線に増えない。片側を整備したら中央分離帯を変更してまた片側を整備するといった”ちょびちょび進む”形になっていて、片側一車線の区間がまだ結構長いのだった。
問題はこの片側一車線の道路だ。
工事をして新しくアスファルトをひかれても、いびつな轍が早い時期に出てそれが丁度ミニバイクが走行する辺りに波打つように盛り上がっているので、それでハンドルが取られやすくなるのだった。
片側一車線区間に入った時、私はとっても緊張をしている。
もう少し左に寄って走ったら後ろから来る車も追い越しやすくなるのだが、いびつな轍は何故か道路にちょっと斜めになって出来ていたりするので、時速30キロで走ると道路の凹凸に翻弄されて転倒しそうになるのだ。
<あっ、あぁあああ〜〜っ>
心の中で叫んで時速10キロぐらいに減速をする。
すると今度は追い越したいのに微妙に私のバイクが邪魔になっていて追い越せない乗用車が、ややいらだちながら後ろについているのがわかるのだった。
<あの、わかっているんですが、道路の状態がボコボコで危険なんです>
そんなこと、わかってもらえるはずもなく、ヨロけながら端っこに停まって車が全部追い越していくのを待ってから、また時速10キロぐらいで走り出すのだが、車が途切れた暗い道を一人でヨロヨロ走りながら、ちょっとだけ侘しくなる。
どんくさいのではない。
いっぱい頭ん中で計算をして、この方法が最善だと判断したのだ。
そう自分に言い聞かせてみるものの、車だけでなく自転車達にも追い越されて一人取り残された後は<あの人達は、わたしのことを絶対にどんくさいと思ったに違いない。こんなトロい奴はバイクになんか乗るなよと今思ったはずだわ>と、被害妄想気味になるのであった。
時速10キロで走っているとまた後方から新たな車軍団がやって来る。
車達に気を遣うのをやめてマイペースで走ればいいのだが、時々大きなクラクションを鳴らされてそれでビックリしてまた転倒しそうになるのがイヤなのだ。
井の頭通りはいつ片側二車線に増えるのだ。
二車線になるまでここの制限速度を20キロに改訂して欲しい、今ここは私にとってとっても危険な道なのだ。


投稿日:2011年01月15日

2011年01月15日

随分前、とある男性から「知人の女性で若返りの為に豚の胎盤を食べているヒトが居るんだよね」という話を聞いてすごくビックリしたことがあった。
それは今やすっかり一般的な単語となった「プラセンタ」のことだったのだが、当時はまだ「プラセンタ」が一般的ではなかった頃のことだったので、生肉をむさぼり食う魔女や吸血鬼の姿を想像してしまい、同じ女性としてその女性を恐ろしく思ったのだ。
その後、肌に塗るクリームで「尿素配合」というものが出た時も、「えぇっ、尿?」と「尿」という単語にやけに反応していた。
”尿が含まれたクリーム”
って・・・・どうなの。
そんな私も今や、お風呂上がりにかゆみ対策として尿素配合のクリームを身体に塗っている。
慣れれば大騒ぎすることでもなんでもない。
そんな風に「新しいものたち」を受け入れて来たのだが、最近またギョっとする単語を見つけたのだ。
それは「カタツムリエキス」の入った化粧品だ。
今話題になっていると新聞に載っていたのだが、あのネト~っとしたネバ~っとしたカタツムリの粘液が美容にいいらしいということだった。
カタツムリはちょっとダメかもしれない。私にすればナメクジもカタツムリも一緒の部類。花の手入れをしていると「うえっ、今何か触ってしまったわ」という気色の悪い触感を感じた時、それはそのどちらかを触ってしまっている時なのだった。
確かにネバ~っとしている。あれはお肌によさそうなネバネバだとは思うが、綺麗になれれば何でも受け入れるという女性達に目をつけて、この際だから何でもお金にしてやろうと企んでいる人達が「次は、じゃカタツムリでいきましょうか」と敢えてゲテモノ寄りのアイデアで狙って来ている、という風に疑いたくなってくるのだ。
今度、鉢にナメクジがついていたらそれを顔に貼ってみられるだろうか。
パックだと思えるだろうか。
想像しただけで倒れそうになる。
しかし、流行というのは予測がつかないものなのだ。
カタツムリエキスが一般的になった後はカタツムリやナメクジを顔に這わせる美容方法が人気になるかもしれないのである。
あら、こんなところにナメクジが居るわ。
ラッキーとばかりに拾って顔に貼ってはみたものの、それは実は「ヒル」で、逆にお顔がエラいことになってしまったという事件が夕方のニュースで取り上げられることだって起こりうるのである。


投稿日:2011年01月14日

2011年01月14日

音楽仲間の新年会に参加をした。
東京に音楽活動の場を移してから、今年でだいたい17〜18年ぐらいになる。
最初の頃は、ミュージシャンの友達と言えば関西で知り合った友人の数人だった。特に新しい人間関係を積極的に作る方ではなかったし、決して顔が広いタイプではないが、それでも気がつけばたくさんの人と知り合ってきたなぁと思うようになってきたのだ。
他の職種でもそうみたいなのだが、音楽関係の繋がりも思った以上に知人と知人で繋がっているので、「はじめまして」の人に会っても今は<私の知り合いの中の誰で繋がっていくんだろう?>と予想をしてみたりして、それが会話をしているうちに当たっていたり、いや思わぬ方向からの知人繋がりで繋がったりするので、あらためて日本国内は狭いのだなぁと思うのだ。
東京生まれの東京育ちの人も何人かは居るが、他は北海道から九州まで出身地はみんなバラバラ、訛りが出ないが地方出身者の方が多い会合だった。
私はデビューが決まって仕事の打ち合わせで東京に来た時、新しい場所でこれからまた音楽をすることに、少々心細かった。打ち合わせの帰り、そのまま新宿のアルタにフラフラっと行き、そこで占いの先生に不安な心の内を相談したぐらいだった。
「あの、新しい環境で仕事をすることになったんですが・・・」
「私はどうしたら、ここでうまくやっていけるのでしょうか」
占いの先生はタロットをめくりながら、「貴女は貴女のままで居なさい」と話してくれたっけ。その話を友達にしたら「はは!それは占いじゃないよ」と笑われたが、あの頃も私はあの占い先生の言葉に随分救われたのだ。
今でも決して顔が広い方ではない。だけど心の中のことを正直に話せる友人はこの街でも十分得られることが出来た。
今年はたくさん音楽をしたい。
したいなぁと思った。
いい夜だ。
人は自分一人では決して変われない。
友達はやっぱり必要な存在だ。


投稿日:2011年01月13日

2011年01月13日

ブォッ、ブォオオオオッ。
ブォンブォンブォン、ブルルルルン。
ブォーンブォォォォオン。
ウチの東の窓の向こう側の駐車場では今朝も斜め裏の家のご主人がエンジンを暖めている音がする。
音がするだけならまだいい。
しつこいアイドリングのせいで、排気ガスが私の家の雨戸と窓をすり抜けて家ん中まで入って来るのだ。
臭い。臭いです。
毛布を被ってブォンブォォォォォンがひとしきり終わるのを待っているのだが、冬になるといつもに増して長時間アイドリングをするので、いくらかの健康被害を私は被っているのだと思うのだ。
毎朝毎朝、本当にもう。
ご主人は私んちの雨戸が閉まっているので、朝が遅くて羨ましいと思っているかもしれないが、私はご主人の車が出て行くまで雨戸を開けるのを待っているのである。空気清浄機が「ゴォオオオー」と音を立てて赤ランプになっているのをご存知ないとは思いますが。
よく駐車場に掲げてある「アイドリング、ストップ」の表示を、私も雨戸の外に張りたい。そうでなければ、ご主人の車のフロントガラスに「アイドリング、ストップ」と張りたい。
だが、この辺りは昔からここに住んでいる持家の人達ばかり。無敵の私もやはりちょびっとは遠慮をしたり我慢もするのだった。
エコカーのコマーシャルを見る度に思う。
ご主人の家もエコカーにしようよ。
私、いつまで我慢しなくちゃいけないのかしら。
排気ガスのひどい場所に住むと女性でも鼻毛が伸びるのだそうだ。
毎日毎日、私は他人の家の車のおならを吸っている。
健気に我慢したところで、私は果たして女性らしいと言えるのか。
いいえ、悲し過ぎますわ。
耐えて耐えて・・・・健気どころか鼻毛女になってしまうのかもしれないのである。


投稿日:2011年01月12日

2011年01月12日

今年最初の外来日。
丁度一ヶ月前は毎日通っていた病院も治療が終わって、今年はまた基本的に一ヶ月に一度のペースの外来になった。
放射線治療の時は、どうせ通うのなら美味しいランチのお店をこの際探そうと割といろいろな店に食べに行ったが、一番気に入ったのが「オステリア・ラ・ピリカ」というイタリアンのお店だ。ここは秋葉原とお茶の水の中間点ぐらいにあるお店で、ビルが立ち並んでいる中に隠れ家のようにある洋風の二階建ての一軒家になっている。
病院から歩いて5分、湯島聖堂の隣りの辺りにあって、細い私道の奥にあるので見落としてしまいそうなのだが、今日もランチタイムはお客さんで賑わっていた。
PIRIKA.jpg
私が病院周辺で行ったお店のランチ値段はだいたい同じようなところだったが、ここのお店はパンやスープも丁寧に就作られていて、この値段では申し訳ないなぁと思うぐらいだ。
ここなら電車に乗ってランチを食べに行きたいと思うようなお店。
ランチを楽しみに病院に行けるぐらい、今は穏やかな状況になった。
幸せなことなのだ。