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投稿日:2008年04月10日

2008年04月10日

「母の日のプレゼント特集」の見出しをよく見るようになった。
母が居た頃は毎年、「もうすぐ母の日だなぁ」と思っていて、大人になってからは花を贈ることが多かったと思う。
何を渡しても、母は「ありがとう。お母さん嬉しいわ」と笑った。
”照れる気持ち”の後ろに決して隠れない。相手の気持ちを考えて「ありがとう」が言える。「お母さん」はみんなそういうところがある。すごいなと思う。
今はネットで注文をして贈り物をする人も多くなったが、飛行機のチケットみたいに早割を歌い文句にしている店があったり、あとは一回の注文で母の日と父の日の分をまとめて承りますよというところもある。
が、結局毎年同じ物になったとしても、私はギリギリまで「あれでもない、これでもない。これがいいかしら、あれもいいわね」と考える方なので、時間に余裕を持って物を選ぶということは出来ないだろうなぁと思う。
生きていたら母は70代。母がどれだけおばあちゃんになっても、私には敬老の日より母の日の方がしっくりきていただろう。
「お母さんの居ない人は白いカーネーション」という少し残酷な文化はいつの間にかなくなった。
沢山のプレゼントがある。
「白いカーネーション」だけが、母の日の贈り物リストに見なくなった。


投稿日:2008年04月09日

2008年04月09日

外来の帰りに新宿のファッションビルに立ち寄った。
昨日の渋谷もそうだったが、どの店も今置いてある洋服は、チロリアンかボヘミアンそのどちらかと言っていい程なのだ。
さっきの店もチロリアンかボヘミアン、その前の店でもチロリアンかボヘミアン。そして今入った店にもチロリアンかボヘミアンの店員さんが居て、チロリアンかボヘミアンの服を勧めるのである。
しかし、
私ぐらいの年齢になると、襟元が大きく開いていてハイウエスト切り替えのワンピースやチュニックの、いわゆるAラインの洋服というのは大屋政子になってしまう。だからいくら彼女達が着て可愛くても、もう私は手を出さないのである。
チロリアンかボヘミアン以外はないんですかい。
これがまた難しい。どの店も微妙にカブらない状態で同じテイストの洋服を置いているのだった。
私はキュートな皆さん達と揃いの服を着たいわけではないのです。今は身の丈に合った胸元が開いていなくて、ウエストが普通の位置にある服を探しています。
そういうリクエストなのでございます。
ドゥー、ユー、アンダースタンド?
お!
違うテイストの店を見つけたと思ったら、ヒョウ柄やゼブラ柄などのワイルド系セクシーファッションの店だった。
に、似合うかしらん。私。
傾斜45度の高いラメヒールを履き、アイラインを上下に入れネイルアートでキメてヒョウ柄を着た自分を想像してみる。
その前に谷間スッキリ寄せ上げブラを買わないとダメだろう。
もう、他にはないのかしらん。
あっ、なんかテイストが違うお店発見。
と、思って入ってみたら、今度は姫系ファッションの店だった。
ま、眩しい。
ピンクのヒラヒラやフリフリだったりネグリジェかと思うような服が並んでいて、お人形さんのような店員さんが居るのだった。
ちょっぴり着てみたい気もしないではないが、店内に居るとなぜかしら自分がオヤジに思えてきた。なんか浮いている。あきらかにお客ではないタイプの自分がここに居ることが変に思えてきて、いたたまれなくなって外に出ていたのだった。
私は、普通の服を探しています。
チロリアンにボヘミアンにヒョウに巻き毛のお姫様に・・・・。
ここはどこデスカー。
洋服屋さんというよりも、もはや「イッツアスモールワールド」のアトラクションの中に居るようであった。


投稿日:2008年04月08日

2008年04月08日

ガタガタガタ・・・。
今朝は雨風が強いようで、雨戸が風に叩かれる音で目が覚めた。
ダンボは車の音、インターフォン、携帯の着信音、遠くから聞こえてくる子供の声に猫の鳴き声、それに私が発する「ねこちゃん」という単語にまで反応をして威嚇吠えをするのだが、雷や雨や風には無反応でかなり大きな雷がゴロゴロやっていてもジっと座って聞いていたりする。
ガタガタガタ・・・・。
ヒュゥウウウウ。
私の方がハっとして耳を立てていたが、ダンボは布団の中で丸くなって無防備に眠っている。
雨と風は、動物からすれば悪者ではないらしい。
外で生活をしている生き物達は、どこでどうしているのかな。
鳥は晴れた日とは違う一日を過ごすのだろう。
ノラ猫も晴れた日とは違う一日を過ごす。
公園の池の鯉はあまり変わらないかな。
人間だけが、傘をさして予定通りの一日にしようと頑張っている。
枝に止まって羽を休めている鳥達が、傘をさして人間達が出掛ける所を見ている。
「おかあさん、あれはなぁに?」
「あれは傘と言ってね、雨の中でも飛べる羽なのよ」
「いいな。あたしも欲しい」
雨の日に、人間達は羽を持って出掛ける。
羨ましがった誰かが風を使って、時々それを盗ろうとする。
油断したら盗られちゃう。
雨の日の羽なのだ。


投稿日:2008年04月07日

2008年04月07日

バスに乗って駅まで行った。
バイクに乗るようになってからは、駅までバイクで行くことの方が多くなったので、出掛けに計算に入れていた「バスロスタイム」をプラスすることが減ったのだ。
でも、今日はバス。
雨が降りそうだからだ。
バスで出る時はバイクより15分程余裕を持って出る。比較的遅れないバスだが、それでも10分程遅れることがある。それぐらいのロスタイムを考えておけば、移動中にあせらずに済む。
しかし・・・・。
今日私が乗ったバスは、”板東さん”のバスだった。
<まだ、この人クビになっていないんだわ>
板東さんは「板東英二」によく似ているので私は板東さんと呼んでいる。そしてこの人が運転をする時には落ち着いて乗っていられない回が大変多いのだ。
「えぇーーっ」
「あぁーーっ」
「なんでーーー」
少しでも対向車がセンター寄りに走って来ると、「あぁーーーっ!」と言いながらバスを停めて、向こうが譲るまで動かなくなってしまう。まぁ、確かに対向車がこっち寄りにちょこっとはみ出たかな?と思わないでもないが、板東さんはヤケに他人に厳しい。時にはエンジンまで止めて待つ始末なのだった。
相手が同じバス会社のバスでも、いじけてバスを停めちゃうので、”この区間の遅延の原因は板東さんに有り”だと私は思っている。
<あ!板東さん>
「こんにちは〜」
板東さんは、乗客に対して挨拶をする運転手さんなのだが、私の顔は思わず曇る。
<板東さん、今日は私普通に駅に着きたいんです>
<頼みますよ>
座席に着くと今日は板東さんをいじけさせる出来事が起きませんようにと祈る。
しばらくすると・・・・。
今日も板東さんに事件は起こる。
「あ!今当たった!」
駅まで半分の所で板東さんは突然また大袈裟に叫んだのだった。
当たったって・・・・。
ゴンともバンともコツンとも言っていない。だいたい対向車はなかったし、当たったって一体何がどこに当たったのかわからないのだ。
「当たったよ。今のは」
「んもう〜〜っ」
「当たったよね」
乗客に話し掛けるが誰も返事をしない。
「降りて見に行った方がいいかな」
「当たった」
乗客で頷く人は一人もおらず、仮に当たったとしても木の枝か何かなのだ。そのヒステリックな大声の方が「当たった」感があって、バスの中はシンとしたままだった。
<板東さん、バスから降りないで>
<遅れちゃう!>
バス通りにある小学校は、今日が入学式。門のところに「入学式」の看板が出ていて、お母さんと男の子が看板の所で写真を撮っていた。
「当たったよ」
「絶対に」
板東さんはブツブツ言いながらだったが、”今日の大袈裟”はここでやめた方がいいと判断したのか、またバスを走らせてくれた。
大人もまだまだ勉強。
いじけている時間は、自分にとってロスタイムでしかない。
<お天気、もつかなぁ>
また私は窓の外の景色に目をやる。
バスは青信号を曲がり、花曇りの住宅街を後にしたのだった。


投稿日:2008年04月06日

2008年04月06日

大学のサークルの同期だった”しんえいちゃん”が、仕事でこっちに来ているということなので、夜ご飯を一緒に食べることになった。
しんえいちゃんは、実家のある仙台で住職さんをしている。東京にはちょくちょく仕事で来ているそうなのだ。
しんえいちゃんとは学生の頃に一緒にバンドをやっていて、私はその時はバンドのキーボードだった。しんえいちゃんはボーカルで作詞作曲、当時の私は歌など歌う気配もなく完全洋楽志向だったのが、一緒にバンドをやったことで”ポップスのオリジナル曲”の面白さに目覚めたのだった。タイプとしては元米米クラブの石井さんっぽい感じで、しんえいちゃんの場合は歌が下手だったが、とにかくアイデアマンで面白い企画を次々に立てる。バンドもソニーやヤマハのオーディションの関西四国地区まではいつも残っていた。
大学を出たらしんえいちゃんは実家に戻って家業を継がなくてはならなくなった。キーボードという位置だと、ボーカルが居なくなればバンドはなくなるんだと、私はあの時に自分で歌い自分が中心となるバンドを作る決心をしたと思う。そこから私は一年考えてB#を作ったのだった。
しんえいちゃんとは卒業をしてからも親交は続いている。今でもちょくちょく会っていて、毎回話の中心は「音楽」のことになる。関係としては「今の日本の音楽」についてしんえいちゃんが語り、それを私が聞くという図でそれは学生の頃から何も変わらず、現在は多少なりとも私の方が詳しいと思うのだが、今日もしんえいちゃんの「音楽を語る」タイムに突入をしたのだった。
「早くて3年。遅くて10年。」
しんえいちゃんはこれから本格的に住職さんの仕事と音楽を両立させるらしく、遅くても10年後には成功させると言うのだ。
そして私を成功させてやると言っている。
たまにあるのだ。
こういう話をされることが。
私も卒業をしてから今日まで音楽を仕事として来ている。至って本人は現在も夢に向かって明るく進んでいるつもりなのだが、こういう時に「一体何をして毎日過ごしているんだろう」「どうやって生活してんだろう」と、自分が謎に思われていることをあらためて感じるのである。
六本木ヒルズの桜ももう葉桜になっていた。
私はいつかこの六本木ヒルズに、成功して家を買ってもらえるらしい。
今日は待ち合わせの場所がわからず、六本木ヒルズの中の地図をさんざん見たが、10年後の私は恐らくダンボを連れサンダル履きで鼻歌を歌いながらお買物をしている・・・のである。


投稿日:2008年04月05日

2008年04月05日

4月5日はヘアカットの日。
なのだそうだ。
昔は前髪の長さがちょこっとでも短くなると、学校に行くのがイヤになったものだ。自意識過剰の塊となって「私の前髪を見てる!」と気になってしょうがなかった。しかし、一度だけ本当に不本意な髪の切り方をしたことがある。あれは小学校6年生ぐらいのこと・・・。
近くに公園があって、そこは当時学校から帰ったら日暮れまでキックボールやドッジボールをしに同じクラスの子や同じ学年の子が集まる場所だった。
その日は何も遊ぶようなことはなかったのだが、女子数名と男子数名が何故か公園に集まっていて、その中のN西君が突然調子に乗って、噛んでいたガムを「ひっつけてやるー」と女の子を自転車で追い掛け出したのだった。
きゃー。
こんな時、逃げると余計にガキンチョは燃えるものだが、その頃は私達もガキンチョだったので、ガキンチョのあしらい方を知らず一斉に女子は逃げたのだが・・・。
バシッ。
哀れ私はしばらく逃げた後に丁度鉢合わせとなったN西くんの標的となり、頭を叩かれたと思ったら、頭のてっぺんにガムがベッタリとついていたのだった。
きゃー。
ガムをつけたら男子達は公園から消えた。
きゃー。
ガムがくっついてる!
女子達で大騒ぎとなり、私も半泣きになっていたが・・・・。
頭髪にガムがついた時ってどうすればいいのだ。家庭科の授業で何かのシミは米つぶを叩くようにすれば、取れるとか何とかだったような気がする。
で、ガムは?
一番近所の裕子ちゃん家に女子全員で行き、裕子ちゃんのおばあちゃんに何とかしてもらおうとしたが、氷で冷やしてもガムは取れず、その場で断髪式となり、私の髪はてっぺん部分の一部5分刈りという何とも言えない髪型になったのだった。
伸びるまでチクチク頭で数ヵ月を送ったのだ。
ヘアカットの日。
あれからいろんな髪型が流行したが、てっぺんだけ5分刈りという流行りは一度もブームにならなかったのであった。


投稿日:2008年04月04日

2008年04月04日

渋谷駅には銀座線、半蔵門線、田園都市線、東横線、山手線、井の頭線と確かこれだけの電車が走っている。渋谷という街は、買い物に来るだけでなく乗換えで通る人も沢山いるのだ。
私もここを乗換えで通ることが多い。案内の看板は未だに必要で、「銀座線、銀座線」とつぶやきながら、都会人の顔をしながら看板に頼って歩いているのだが、階段をかなりのぼらないといけないルートとエスカレーターで行けるルートの体力消耗差が激しいので、渋谷乗換えはエスカレータールートに迂回することにしているのだ。
しかし、エスカレータールートにこだわっていると、駅すぐのところにある東急百貨店の中に、よく私は知らないうちに入っていることがある。乗換えの看板を見ていたつもりなのにいつの間にか店内に居て、そこで気付けばいいものを、まだこれがショートカットの道なのかなと思って進んでいる。そしてついに道を見失い、そのうちに「あら、これ可愛いわね」と商品に吸い寄せられて立ち止まっているのだった。
そして、しばらくして「あ!何してるんだろう。私は」と我に返るのだが、この百貨店はこれでかなり方向音痴気味の女性を店内に引き入れて、売り上げの一割ぐらいを道に迷ったご婦人で挙げているに違いないのだ。
今日は東横線に乗換えで、またもや迷った。
何回来れば覚えられるのか。
「すみません、東横線に乗りたいんですが・・・」
今日は母娘さんらしき二人組の女性達が道を教えてくれた。
いつまで経っても田舎者。私は<渋谷にほとんど来たことがない人間>のおどおどとした顔をしている。
今日もとても親切に道を教えてもらったのだった。


投稿日:2008年04月03日

2008年04月03日

父方の祖母の誕生日は4月3日”だった”。
「オラの誕生日は4月3日だわ」と、言っていたので誰も疑わなかったのだが、ある日何かの書類からだったか、祖母の誕生日は4月3日ではなく3月4日だったことがわかったのだ。
その時、既に私は成人していたかそれぐらいの年だった。祖母はもう80歳代だったのではなかっただろうか。家族みんなで驚いたが、自分の誕生日が一月も違っていたことに本人が一番驚いていたのだ。
しかし長年、そうだと信じて老人にまでなってしまったので、またしばらくすると祖母は自分の誕生日を4月3日だと言うようになっていた。
80代になって、本当の誕生日を言えることが大事かと考えたらもうどっちでもいいなという気がしたので、最初は家族も訂正していたがそのうちにしなくなり、結局祖母の誕生日は4月3日に戻っていった。
父も本当は5月の末が誕生日らしいが、6月1日に届けを出したので戸籍上では6月1日になっている。祖母や父の世代は、戦争などの混乱もあって誕生日はそれぐらいの”だいたいの感じ”でいいものだったのだと思う。
今は自分の誕生日を間違える人は、ほぼ居ないのだろう。
生きていたら何歳だったかなぁ。
明治何年の生まれだったか・・・、私ももう計算が出来ない。
物心ついた時から、祖母は私の目には「シワシワのおばーちゃん」だった。別にまだシワシワのおばーちゃんでもなかったんだろうが、私には初めからおしまいまでずっと”おばーちゃん”のままだった。
天国で知り合ったシワシワの友達に言っているんだろう。
「あれまー。今日はワシの誕生日だわ。」
いや、天国では18歳ぐらいの乙女の姿になれるのかもしれない。
雲の下からハッピーバースデー。
雲の上はいつも快晴なんでしょう。
元気でいてね。
海外より、もうちょっと遠いところにいるおばーちゃん。
会いには行けないけれど。
新しい年がいい一年になりますように。


投稿日:2008年04月02日

2008年04月02日

風邪から来る鼻水なのか、花粉症から来る鼻水なのかわからないが、鼻がグズグズしているのだ。
時々、真面目な話をしている最中に「鼻水が・・・出てるよ」と指摘を受けてかつ笑われるのだが、そんな時は鼻が出ていることはこっちは承知の上なのだ。それよりも今この話をする方が優先だと思って熱く語っているというのに、相手が話よりも鼻が出ていることの方に気を取られてしまう。鼻水はいろんなものを間抜けモードにしてしまう困った存在なのだ。
目から涙。
同じ塩味の体液なのに、涙だったら少なくとも人の顔は「間抜け」な印象にはならない。
それが「鼻から」となると、鼻水、鼻毛、鼻くそ・・・・、何か出ていると一気に間抜けになってしまい、場合によっては鼻血でさえ心配よりも笑いを買うことがある。
鼻は常にだから完璧を求められているのだ。
風潮として、空気以外は何か出してはいけないことになっている。
「鼻」は結構大変なのだ。
常に気を張ってそこに居なきゃなんない。
鼻さん、いつもご苦労さま。
そう言えば・・・・
友だちが前に笑った拍子に、鼻からうどんを出したことがあった。
こっちも驚いたが、友人の鼻もさぞかし驚いたのだ。
そうしてやはり、鼻からうどんも間抜けなのであった。


投稿日:2008年04月01日

2008年04月01日

エイプリルフール。
この日が楽しみで仕方がない時があった。対象は主に気心の知れた友人で、「え!ほんとぉ?」と驚いた顔をされると、もうそれが楽しくて仕方がなかったのだ。
しかし、こういう嘘にしても頭を使う。
やはり若干は企画力というのが必要になるので、自分に余力が残っていないと出来ないのだ。
エイプリルフールでわかることがある。
「アイツに嘘をついてやろう」
「あの子だったら楽しいかも」
思い浮かべる相手がいれば、それは自分にとって気やすい存在なのだ。その人は自分にとっての安心出来る人で、いい友人を持っているのだと思えばいい。
私は今日隣りの家のご婦人に会ったが、いつものように「こんにちは」とだけ挨拶をした。
夜は個人練習でピアノをスタジオに弾きに行ったが、いくら顔見知りになって会話をするようになったとはいえ、嘘話で引っかけることは出来ず・・・。
帰りのコンビニで店員さんを騙すというのもちょっと考えもの。
じゃぁ、誰かに電話をしてみる?
誰にも嘘をつかれず、誰にも嘘をつかなかった一日。
ちょっとだけ寂しいようなもったいなかったような気がしたのだ。
エイプリルフールの繰り越しってないのかな。
「だましてやったぞーー」
「だまされちゃったわ〜」
エイプリルフールは嘘吐きの日。
気心の知れた仲間が身近に居るんだよと確認が出来る、愛ある日なのである。