月別アーカイブ : 2009年3月

投稿日:2009年03月21日

2009年03月21日

弘法さんに行こみゃ〜。
出好きの祖母は「弘法さん好き」だった。
今でこそフリーマーケットはめずらしいものではなくなったが、毎月21日は東寺の弘法市は朝から日が沈むまで境内での市が開かれていて、売り手が業者さんという違いはあれど、東寺はフリーマッケットの会場になっていたのだ。
外国から来た旅行客や「京都っぽい感じ」を味わうには楽しいマーケットだが、子供には価値がわからないものばかり。古道具の良さもわからないので、一緒に霊もついて来るんじゃないかという不気味さを感じたものだった。
しかしおばあちゃん世代にとっては、いろんな物が並べられている楽しい場所。祖母にとっての雑貨市だったのではないだろうか。関西には住んでいない祖母が「弘法さん」「弘法さん」とよく口にしていたので、祖母にとって大阪の私の家から行ける楽しい場所は東寺の市だったのだと思う。
丁度下界は春のお彼岸の時期。
今頃祖母は「弘法さんに行こみゃ〜」と言って、ハンカチやティシュやアメちゃんが入った小さなバッグを手に、京都の東寺の辺りに居るような気がするのであった。


投稿日:2009年03月20日

2009年03月20日

今から28年前の今日、神戸でポートピア博覧会が開幕をした。
埋め立て地に出来たマンションやモノレール、あの辺りは当時の私にとっては未来都市そのものといった感じで、生活感の感じられない不思議な場所だった。
実際の博覧会にも出掛けたが、私にはその後によく遊びに行ったポートピアランドに思い出がたくさんある。ババリアンマウンテンレイルロードというジェットコースターがあって、斜め下に降りて行く所がスリル満点だったし、学生の頃にはバンドのコンテストで出演したこともあった。賑わいの波がゆっくり潮を引いて、ポートピアも少しずつさびしくなって行きポートピアランドが閉園となったのは残念なのだ。
低い位置から夜景が見える場所だった。北公園から見える神戸もよかった。
あの先に空港が出来るだなんて思ってもいなかったなぁと思い出す。
出掛けるのはいつも晴れた日だったから、晴れた日の思い出だけがある。
広い海と青い空の似合うポートピアだった。


投稿日:2009年03月19日

2009年03月19日

今は12星座で言えば魚座、私も3月生まれなので魚座になるのだ。
一時、13星座が紹介された時に「へびつかい座」が新たに加わって私の星座は「魚座」ではなく「みずがめ座」だったということがわかったのだ。魚座とみずがめ座では随分性格が違う。あなたの血液型は「A型ではなく、実はB型だったんですよ」と言われたような衝撃があった。だが13星座はその後定着しなかった。朝の情報番組でも、どのチャンネルも「へびつかい座のあなたの今日の運勢は」というのはやっていない。
2月19日生まれからが魚座、いや20日生まれからが魚座。星座の本によっても括りが違っていたので、丁度境界線上にある誕生日の人は二つの星座を行き来して大変そうだなぁと思ったのだ。
好きな男の子との相性にも一喜一憂したっけ。
明日までが「魚座」の星。
実際の魚座が空に現れるのは11月の寒い頃だ。
今日の空は下弦の月。
春はもうすぐ、そこまで来ている。


投稿日:2009年03月18日

2009年03月18日

私の家は2世帯しかない建物で、以前は大家さんの家だったがご主人が亡くなったのを機会に、大家さんは山口に戻られてここを賃貸用に建てかえられたのだそうだ。それでどういうわけか、水道代だけここの2軒分の契約者が一括で大家さん名義になっていて、あとで大家さんにそれぞれの家が水道代を支払うというシステムになっている。
それで私は親メーターと子メーターの数字を見て、大家さんに連絡をするという役をある日大家さんから頼まれたのだった。
2つある水道メーターを見て大家さんに電話をする、たったこれだけなので5分で用は済んでしまう。しかもそれをするだけで1500円水道料金をさし引いてもらえるというんだから、ものすごくいい条件だ。
ものすごく楽ちんなことなのだが・・・・。
この水道メーターのフタを開けるとゴキブリが居る率が高いので、見に行くまでの間にズルズルと過ごしてしまうので、結果数時間は水道メーターの用事を抱えていることになるのだった。
水道メーターというのは、フタを開けてから更にメーターの計器にフタがついているので、2つフタをめくって辿り着く。すると計器のメモリの所に砂やなんかがついているので、そこを拭いてようやくメモリが見えるのだが、だいたい1つ目のフタを開けた時にゴキブリが居るのを見つけるのだ。
「ああっ!」
向こうものけぞるがこっちものけぞる。
さすがに「ゴキブリが怖くて見られませんでした」とは言えないので、体の「内側が鳥肌」状態になりながら必死で見るのだが、家の中に戻った時にはグッタリと疲れているのだった。
今日は大家さんにメーターの数字を連絡する日。
<いざ、行くぞ。>
敷地内の水道メーターは、私にとって秘境の谷間に等しい。
水道代を1500円まけてもらう為に、2ヶ月に1度頑張るインディジョーンズなのである。


投稿日:2009年03月17日

2009年03月17日

昨日は、検査を受けにダンボをまた病院に連れて行った。
午前中に預けて夕方に迎えに行ったのだが、病院には犬をケージごと預けるので、迎えに行った時は待ち合い室で一緒に居る動物が居ないのは私だけだった。おとなしいワンちゃんやリラックスして飼い主さんの膝の上でくつろぐワンコちゃん。吠えるワンちゃんも居るが、今まで動物病院に行って感じたのは病院内で落ち着いて過ごせる犬や猫が多いということだ。
ダンボは病院が大嫌い。ずっとビクビクしているので、よく待ち合い室でも笑われている。
<半日、どうして過ごしていたかなぁ。>
ようやく名前を呼ばれて入ると、昨日は先生より先にダンボが診察室に戻ってきた。ダンボは相変わらず暗い顔をしていたが、検査の結果は数値もほぼ正常値になったので薬を減らして様子を見ましょうという嬉しい話を聞くことが出来たのだった。
診察室を出たら、診察の待ち時間に仲良くなった飼い主さん達に「あら、飼い主さんとワンちゃん、そっくりですね」と声をかけられた。
ダンボ、そっくりなんだって。
元気になって本当によかった。
もうすぐ川沿いの道に桜が咲く頃。
去年も一緒に歩いたあの小道をまたダンボと行けると思ったら、幸せな気持ちでいっぱいになったのだった。


投稿日:2009年03月16日

2009年03月16日

大学の卒業式、私は着物で出たので袴姿になったことがない。もう今となっては袴姿になるチャンスもなく、多分一生着ることなく老いて行くのだ。
あーあ。一度は着ておけばよかった。
袴姿の女の子達を見る卒業式シーズン、足を止めては袴ギャル達を羨ましく見つめているのだった。
しかし、世の男性達って袴スタイルに関してはどういう感想を持っているのだろう。
「オレ、袴姿の女の子って好きなんだよねぇ」
と、言っているのはまだ聞いたことがない。
もしかしたら「和装キュロット」という認識なのかもしれない。
男性にエラく不人気なキュロット。どうしてキュロットがダメなのか、一度周りの男性達に尋ねてみたら、”スカートに見せかけておいて、実はズボンな所が許せない”とみんな同じ意見だった。なんでそんなことが引っ掛かるのかよくわからないのだが、じゃぁそれと同じで袴も人気がないってことなんだろうか。
袴を着る機会は、もう弓道をやるか巫女さんになるかしか道はなく、あの袴の詳しい構造も「キュロットっぽい」というなんとなくの印象だけで、実際に着たことがないので本当の所はどういう服なのかは自分にもわからないまま・・・。あれはズボン風なのか、タックが入っているだけで、スカート風なのか・・・。
やっぱり一回ぐらい、着ておいたらよかった。
コスプレの会か何かってないのかしら。
私にとって袴は、ふんどしと同じぐらい、”なんとなく形はわかっているものの、着用の内側はどういう構造になっているのか見当がつかない”ものとなってしまったのであった。


投稿日:2009年03月15日

2009年03月15日

黒いチューリップ、「パシフィックパール」が今日から日本初公開になる。
花の色で、品種を作るのが一番難しいのが「黒」なのだそうだ。限りなく黒に近付けられても、未だに黒い花を作るのに成功していないと以前に聞いていた。ではこの黒いチューリップは成功した「黒い花」なのかもしれない。
人間はごう慢だなぁと感じた。
相当な時間をかけて「黒い」花色は研究されていた。それほど難しい課題だったのだから、花は相当な抵抗をしたということなのだ。黒い品種が出来ることは、花にとっては本当に不必要なことでしかなかった。そこを人間が最後にねじふせたという感じが私にはする。
”全色取り揃えました”の為だけに作られた感じがする。
チューリップは茎も葉も花もどこを触っても手触りがいい。だが、その球根には毒がある。それでもその毒を使って人を襲うわけでもなく、だいたい毒があることを知らない人も多いんじゃないだろうか。それぐらいチューリップは優しい花なのだ。
黒い花は要らない。
黒いチューリップのニュースは私には複雑なだけで、嬉しいものではなかった。


投稿日:2009年03月14日

2009年03月14日

近所の家のネコちゃんはもうすぐ1歳になる頃だ。前にここに居たネコちゃんは私には懐いてくれなかったが、新しいネコちゃんは近寄って来てくれたり、家の中に入って来たりとフレンドリーな関係を築いてくれたので、私は嬉しかったのだ。
どうも私は昔から猫にあまり懐いてもらえない傾向にある。だからその分、この近所のネコちゃんに対して余計に愛着が沸いていたのだった。
なのに。
なのに。
最近、このネコちゃんはめっきり私に冷たくなった。
顔を合わせても近寄って来る様子もなく、家にも遊びに来ることもない。最初は反抗期なのかなぁ、気のせいなのかなぁ・・・ぐらいにしか思わなかったのだが、別のご近所さんには相変わらず懐いている。コンスタントに冷たくされるようになって、ようやく気付いたのだが、違いは「餌をあげる」ことにどうやらあったみたいなのだ。
ちょびっと悲しい。
私は食べ物をあげないようにしてきた。だって飼い主さんがちゃんといるネコちゃんなのだ。そりゃぁ、あげていいんなら何でもあげたい。どれほど「何かあげたい欲」を抑えてきたことか。可愛いからこそあげないという気持ち。ネコちゃんよ、君にはわからないだろうが、それが私の目一杯の愛情だったのだ。
可愛いがっているお家は、他に2軒ある。ある家のご主人が帰って来られた時には、「大好き!」と追い掛けて行って、そのままちょこっと開けられていている2階の窓から家の中に消えて行き、それでまるで自分のウチのように過ごしているのだと知った。
・・・・。
まぁ、私も・・・お菓子をいっぱい買ってくれる祖母に懐いていたが。
だが、この態度のあまりの変貌ぶりにはちょっとフラれた気分を味わったのだ。
私の部屋のすぐ隣りの塀の上は、数匹のネコちゃんのいつもの通り道。
「ここん家はケチなヤツが住んでるんだよな」
そうですね。
確かに。
でも、そこまで冷たくしなくてもいいじゃない。
今や私はネコ達にとって、完全にメリットのない存在なのである。


投稿日:2009年03月13日

2009年03月13日

ウチの先祖は@@だったらしい。
そんな話を聞くと、ちょびっと羨ましくなる。
私もご先祖さんのことが知りたい。
私は祖父より上の代のことを、ほぼ知らない。父方の祖父が農家を継がずに商人になりたいと言って名古屋市内に出て来て、何かをしていたということは聞いたが、母方も含めそれ以上前のご先祖さんが、どこで何をしていたのかがわからない。
去年叔母の家に遊びに行った時にその話をしたら「お父さんがいろいろ知ってるから聞いてごらん」と言っていたので、実家に帰った時に父、しげおっちに尋ねてみたのだが、”それより今のワシの話を聞け”状態で全く取り合ってもらえなかった。
私は今までに何回か、こういう質問をしてきたが、父も母も面倒臭いと言って話を1行ぐらいに割愛するばかりだった。多分秘密にしておきたいことがあったのでも何でもない。それよりもっと重要なワシの話を聞きなさいという方にいつも話がそれていたのだった。
私が「江戸名所図解を読む」の類の江戸本を眺めるのが好きなのは、”私のご先祖さんは、どんな人だったのかしら”と、楽しい想像が出来るからだ。平安時代や縄文時代まで行くと、かなり遠い感じがして実感がわかないが、江戸時代ぐらいだとなんとなく近い感じもする。
去年は面倒臭がられて一度引き下がったが、スキを見て再度父に尋ねてみた。が、そこでも「知らん!もうみんな死んでおらんわ!」と、デカい声で言ったので、それでもう話は終わりになった。
「みんなもう死んでおらん」ことぐらいは、私もわかっている。
ご先祖さんはこのやり取りを見て怒っているだろうか。
いや、「もうしゃーないで。言っても無駄だから」と、あきれ顔で言っている気がするのだった。


投稿日:2009年03月12日

2009年03月12日

「店じまいセール」
と、派手な幕が張ってありながら、度々「店じまいセール」とやっている店ってあるのだ。
前を通った時には一瞬「あれっ?」と変に思うのだが、それからその店のことは忘れてしまうのだった。
で、また前を通って「あれっ?」と思う。
”前も店じまいだったんじゃなかったっけ”
と、疑問に思うのだが
”ま、いいか”
と、また忘れてしまう。
何度も「店じまいセール」をやっている店って、”店じまいだから、買わなくちゃ”と入るお客さんより、”あれ?前も店じまいって言ってなかったっけ?”のお客の方が多いのではないかと思うのだ。それで、いよいよ”店じまいセール”の幕の効果がなくなってきて、本当に店じまいになった時には、もっと値段を下げて「店じまいなんです」と言っても、もう誰も信じてくれないんじゃないかと思うのだ。
阿佐ヶ谷の商店街も、店の入れ替わりが激しい。電化ショップのLAOXが派手に出店したのがついこの間のように思っていたが、早くも閉店セールをやっていた。電化製品に疎い私もついつい吸い寄せられて行くのだ。
闘牛のように、赤に向かって突進したくなる商店街。
店じまいセールや、決算セールや、在庫一掃セールや、店内改装セールや新装オープンセールに・・・・。
一つやり過ごせたと思っても、結局はどこかの店の前で立ち止まり、私達は何らかの「安かった」物を買って毎度家に帰っているのである。