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投稿日:2010年01月21日

2010年01月21日

六本木soft windでバイオリンの依田彩ちゃんとのデュオライブ。
ここはホテルアイビスの向かい側のビルの6階にあるお店。6時前にお店に着くと、窓から見える六本木はそこここの店のネオンが灯り、夜の六本木に変わろうとしていた。
<初めて来たんだけど>
<似た景色の所があったなぁ>
<どこだったかなぁ・・・>
しばらくぼぉ~っと外を眺めていて思い出した。
<あ、あそこだ>
私が大学生だった頃、京都の河原町通り沿いのビルの何階かにSという名前の音楽喫茶があった。レコードが沢山置いてあってブラックコンテンポラリーものが充実していたが、あそこに行くと新譜からツウなレコードまでが揃っていたのだ。最初に先輩に連れて行ってもらって、それ以降は同級生の音楽仲間と行ったりしたが、中に入るとちょっとだけ音楽通な自分になれたそんな大人な店だった。
外苑東通りと河原町通りって似てるんだ。
ふとそんなことを思っていた。
彩ちゃんは、今回一緒にやるにあたって新曲を作って来てくれていて、「みきちゃんのイメージで」と書いて来てくれた曲が、まさに自分の演奏スタイルにピッタリで、そういう音楽のプレゼントというのはとても嬉しいものだ。
バイオリンとピアノという楽器は、アンサンブル的に音域のダブらない楽器なので、お互いの空間がたっぷりある。今日は右手の指がまだ上手く動かず、だいぶ良くなったものの薬指と小指がまだ弱い。2本の指が弱いとソロが本当に苦しいが、それでも今日のベストをやりきりたいなと思って臨んだライブだった。
一緒に演奏をすると、知らなかったその人の魅力がまた垣間見えたりして、そういう発見が楽しい。彩ちゃんの演奏のスリリングで情熱的な一面を、私はそれまで気がつかなかったので、余計に指が万全になって再チャレンジしたいなと思った。
2010年、私のライブが今日が最初。
悔いなく、だけど肩の力が抜けたおおらかな演奏が出来るようになりたい。
今年のテーマにしたいなと思ったのだった。


投稿日:2010年01月20日

2010年01月20日

五十川さんのお通夜に参列をしに、京都に行った。
日帰りで京都に行くのは初めてだ。
去年は一度も帰らなかった。本当なら秋に一度行く予定だったが、体調が悪くなってそれはなくなった。今年はどこかのタイミングで行こうと思っていたが、まさかこんな形で京都に行くことになるとは思わなかった。
久しぶりに乗った新幹線の窓の外の景色。
思い立てばいつでも行ける、本当はこんなに近い距離だった。
東京からも音楽仲間や先輩達が向かっていて、私は京都駅で森俊之夫妻と松井敬治くんと合流をする。森くんは、私が初めてキーボードでツアーデビューをして、その時に一緒に回ったキーボーディストだ。そのツアーは五十川さんが声をかけてくれた仕事で、森くんも当時はまだ東京に出る前だった。敬治くんはアウルの元ベーシスト。ベースとドラムはバンド上での夫婦みたいなもの。五十川さんとはライブ、レコーディングと数えきれないほどのあ、うんの思い出があるのだと思う。
「あ~、みっきん。@@は知ってたっけ?」
五十川さんは会話の中でよく”誰か”のことを口にした。
「え、知らないです」
大抵私は知らないと答える。すると「あ~、そしたら今度紹介するわ」と言って、その人のことをよく話してくれたのだ。居ない所でその人のことを嬉しそうに褒める。それで、その話を聞いて自分も興味が沸いてきて会ってみたいなと思う、いつもそのパターンだった。
本当に沢山の人を五十川さんから紹介してもらった。
自分のネットワークを人に惜しまずにどんどんあげる人だった。
沢山の人が弔問に訪れていた。
アウルのげんたくん、保さん、ぺっぺいくん、マネージャーの千秋ちゃんの姿を探す。五十川さんとはほとんど家族のようなつながりがあった人達だ。気丈に振る舞っていたが、げんたくんはなんとか立ってそこに居る感じで、何て声をかけていいかわからなかった。
「お久しぶりです。」
こんなところでまた久しく会っていなかった人達との思わぬ再会をする。
通夜が始まり、お経が始まる。
めずらしく、ここの会場は若いお坊さんがお経を読むんだなぁ。と、思っていた。お経を読んでいるのはまだ若い男女の僧侶2人で、こういう人はどこから来るんだろうと思っていたら、お経が終わると女性の方がマイクを握った。2人は五十川さんが生前親しくしていたお寺の方で、亡くなる3日前に自分の葬式ではお経を読んで欲しいと頼まれたということをそのあとの話で知ったのだった。
「五十川さんは日頃から、自分は影の存在になりたいと言っておられました。」
五十川さん、そんな風に思っていたんだ。
もしも私がそれを目標にしていたとしたら・・・・、自分でそう目指していても、一年のうちのどれぐらいか、心が弱った時にふと「影なんてあってもなくてもどっちでもいいんじゃないだろうか」と自分の存在についてやるせない気持ちに覆われていただろう。
ギター、スチールギター、ドラムとサポートの役目をする楽器を選んだ五十川さんだったが、もしかしたら「俺って何だろう」と思う瞬間は、なかっただろうか。
どうだっただろう。
あなたが居てくれて本当によかった。
あなたのおかげでとても救われました。
あなたと出会えたことに感謝しています。
今日、こんなに沢山の人が五十川さんを偲んでここにやって来たことを五十川さんは知らない。魂がどこかで見ているかもしれないが、それでも生前の五十川さんは知らない。やっぱりどれだけ口が下手でも、「あなたの存在が私にとってとても大きな喜びをくれたんです」ということは、直接言える時に言わなくちゃいけないとあらためて思ったのだった。
今日はまだ言い足りなかったお礼を五十川さんに伝えに、みんな集まって来た。
棺の中で目を閉じている五十川さんに、私もお礼を言う。
力むことのない生き方をしていた人だったのに、病気はどういうことが理由で身体を蝕んで行くんだろう。ますますわからなくなった。
でも人生には終わりがあるんですね。
小さく痩せていた姿だったけれど、会いに来れてよかった。
お礼の気持ちがどうか届きますように。
私も沢山、頂きました。
五十川さん、どうもありがとうございました。


投稿日:2010年01月19日

2010年01月19日

昼前に京都のCさんからメールが届いた。
タイトルを見た時に、「あぁ・・」と重たい気持ちになったのだが、もう20年以上前からお世話になっているドラムの五十川清さんが食道ガンで亡くなられたという連絡だった。
その後次々と別の友人知人からメールが届く。
少し前にあまり具合がよくないということを聞かされていたが、最後にもらったメールはつい最近、お見舞いに送った本のお礼と「また連絡するね〜!」という、いつもと同じ締めの文章だったのに。
少し元気になられたのかも・・と淡い期待をしたのだがそれは違っていた。
五十川さんは沢山の人を音楽で繋げた人なので、お世話になった人は本当に沢山居る。
丁度一年前、アウルのライブで一緒に旅をしたのに。
まだ実感がない部分もある。
もう会えないってどういうことなんだろう。
あの時、「いつか年を取って、誰かが亡くなってこのメンバーが揃わなくなったら、今日をとても幸せだったと振り返るんだろうなぁ・・」という話をしたが、それがその1年後になるとは思いもしなかった。


投稿日:2010年01月18日

2010年01月18日

少しずつだが日が長くなってきたのが、感じられるようになってきた。
私の住んでいるところは1階なので、冬の間は日当りが十分ではない。同じ場所でも2階の部屋は冬も関係なく日が沈むまでお日様が当たっている。あのお日様があれば冬の間も植えたい花はたくさんあるのだが・・・。
時々、私は家の2階のベランダを見上げている。
お2階さんはガーデニングをしていないので、余計にスペースがもったいなく思えてしまう。
あのベランダで花を育てたい!
2階に上がりたい!
ついでに間取りも1階とどう違うのか見てみたい!
あぁ・・・。
日差しのない時期は、だから私は欲望との戦いなのだ。
太陽の力ってすごいんだなぁと実感するようになったのは、花を育てるようになってからだ。
以前、2階の南向きの部屋に住んでいた頃は、晩秋にビオラやノースポールなどの苗を植えていた。ビオラやパンジー、ノースポールなどは晩秋に小ぶりの苗が店先に並ぶ。その苗が冬を越えて4月を迎える辺りからあふれんばかりに咲き誇ってくれるのだが、日当りのいい場所で育てると真冬でも花が楽しめるのだ。晩秋に植えてそのまま冬も楽しめて、春になるとう〜んと楽しめるというホップステップジャンプ的な段階を経る。なので特に何もしなかったのに「我が家はガーデニングを楽しんでいます」的な華やかな景色になっていたのだ。
ところが1階に住むようになってから、晩秋に買った苗は3月に向かってどんどん痩せて元気がなくなっていくのを目の当たりにした。ある年は日差しが当たるようにと、時間差で場所をマメに移動させたりもしたがそれでもダメだった。ようやく春の日差しが届くようになってからは元気を取り戻して、4月にはどれも花を咲かせてくれたのだが、同じ苗でも、その後の日当りでこうも違ってくるのかと、可哀想なぐらい差が出ることを知ったのだ。
今は寂しい我が家の庭。
自転車で買い物に行く途中に「あのベランダだったら、きっといいわね」などと他人の家のベランダばかり気になってしまう。
お日様よ、早く戻ってきておくれ。
日差しが足りないと、私はベランダフェチになるのであった。


投稿日:2010年01月17日

2010年01月17日

バスに乗っていたら、男性が携帯電話で話をしていた。
前もこのバスの中で、携帯電話で話をしていた男性が運転手さんから注意を受けていた。
<注意される前に切った方がいいですよ>
年は50代といったところだろうか。人前で注意をされるのは多分バツの悪い年齢だと思う。
大抵の人は、うっかり電話が鳴ると一瞬電話を取って「今バスの中なんで」と言って電話を切っている。でも平気な人も居るもんだ。
男性は一度電話を切ったが、その後電話がかかってきた時に、とうとう運転手さんにマイクを通じて注意をされた。
「え〜。携帯電話での通話はご遠慮下さい」
さすがに男性はまずいと思ったのだろう。
<今バスの中なんで>
が、次の言葉だと私は思ったのだった。
「今日本なんですよ〜」
バスでなく、うんと広い定義になったのでびっくりした。
「なので、後でまた連絡もらえますか〜」
別に「日本」でなくても「バス」で十分会話は成り立ったと思うのだが・・・。
「今、日本なんで携帯電話でしゃべれない」ってどういうことだろう。
車内は静かになり・・・。
きっと私と同じように謎解きタイムになった人が数人居たのであった。


投稿日:2010年01月16日

2010年01月16日

私はスクラッチくじが大好き。
宝くじ売り場の前を通る時にフラっと買ったりしているのだ。
「10枚下さい」
前回当たった200円を交換して、新しく10枚買うというパターンがほとんど。トータルはもちろん負け。今までのうち「こんなに当たったのは初めて!」と喜んでいたのが2400円ぐらいだったので、それが多分一番高額当選だったと思う。
まぁ、でも「宝くじにつぎ込んでいる」風ではなく、大人が駄菓子屋さんで「当てもん」をやっているような感じかもしれない。頻度で言えば「楽しみでたまに買っている」程度だとは思う。
それでもお店の人というのは、お客の顔を覚えているんだろう。
夕方、スーパーに買い物に行った時、いつも時間が遅くて閉まっていることの多い宝くじ売り場が開いていた。ここの売り場は買い物に来た時に寄ることがあって、だがトータルでは10回も来てはいない売り場だ。
交換して、また10枚新しいスクラッチくじを買おう!
ここの売り場のご婦人は品のいい優しい感じの人だ。
「いつもありがとうございます。」
あら?今いつもありがとうございます?って言われたような気がするけど・・・。
「10枚下さい」
「お楽しみいただけますように」
ご婦人はこう言って新しいくじをくれた。
そう言えば・・・最初の頃は「大きく当たりますように」と言ってもらっていたっけ。それが最近は「お楽しみいただけますように」と文言が変わってきた。そりゃそうだ。換金して渡すお金が200円ばかりなので、当たっていないことは売り場の人が一番よく知っているのだ。
<また当たらなかったのねぇ>
売り場の人は売り場の人で、お客さんの「ハズレ」に胸を痛めてくれていたのだ。
よぉおおおし、今年は当てるぞ!
その日買ったくじは、またもや当たり200円で終わったのであった。


投稿日:2010年01月15日

2010年01月15日

バイクに乗るようになって思うようになったこと。
世の中で一番強い乗り物は「自転車」だ。
速いのではない。
強いのだ。
まぁ、わかりやすく言うと、自転車は乗り物界の中の「無敵のおばちゃん」ということになる。
最近は信号が青になっていても、自転車が突っ込んで来ないかどうかを確認して出るし、自転車と近い位置で走る時には距離をおいて自転車が去って行くのを待つぐらいなのだ。他の原付だともうちょっと馬力があるので、自転車との速度感がチョイノリとは違うだろうが、さすがはチョイノリ。バイク店の人に「これは原付じゃないですよ。ほとんど自転車みたいなものだから」と言われた通り、自転車の馬力の原付なので、自転車軍団が来れば一気に集団にのみ込まれるのだった。
でも。
ちょっと運転が無謀すぎやしないかい。
家の割と近い位置に青梅街道という道路がある。片側2車線の交通量の多い大きな道路で、チョイノリで走る時もちょっと緊張する道なのだが・・・。
自転車の男性は、私を追い抜いて行ったあと更に右側の追い越し車線に出て、車の間をスス〜っと抜けて行ったのだった。
信号が赤になり、一瞬止まったかと思ったのだが・・・・
カロリーメイトか何かをパクパクと食べながら、ひと呼吸おいたあとに走って去って行ったのであった。
こら!待ちなさい!
<乗り物には免許がなければ乗れない>という決まりがあるのはもっともな話だなぁ・・・と、自転車を見送りながら今日も苦々しく思うのであった。


投稿日:2010年01月14日

2010年01月14日

「あとでね」
ダンボが覚えた言葉のうちの一つに、この言葉がある。
もうちょっと待ったら、お散歩に連れて行ってもらえる。もうちょっと待ったらご飯をもらえる。
「あとでね」と、言うと<今はだめなんだ>ということを理解して、それなりに折り合いをつけてピョンピョン跳ねていたのを一旦収めてくれるので、「あとで」は共通の認識を持っているんじゃないかなと思うのだ。
最近、お風呂嫌いのダンボにもうちょっと風呂好きになってもらおうと思って、私がお風呂に入っている時にお風呂場に来たらオヤツをあげるようにしたのだった。
お風呂場の扉をちょこっとだけ開けておく。
するとオヤツが欲しいダンボがぴょこんを顔を出す。
<来たよ>
「はい。じゃぁ、オヤツ」
いっこボーロをあげる。
<もっと欲しいな>
そのまま待っているので、「もうおしまい。またあとで」と言うと、面白いことに一度浴室を出て、それから洗面所を出て、廊下をトコトコと歩いてキッチンから自分の居る部屋に戻っているのだった。
そして1分ぐらい経つと、向こうから足音がする。
トコトコトコ・・・。
ぴょこん。
<また来たよ>
一度部屋に帰って、出直すということを自ら考えるところがなんだか可笑しい。犬は犬なりに<うん、もうそろそろ行ってもいい頃かな?>と思っているのかもしれず、私が「あとで」という言葉を使うと、こんな行動をするようになったのだった。
「もうおしまい。もう終わり。ない。おしまい」
最後はこれで終わる。
犬はトコトコと帰って行き、もう風呂場には来ない。
私がお風呂から上がって部屋に戻るとベッドにもぐって寝ている。
お風呂嫌いをなくそうと始めた試みだったのだが、ダンボの行動が可愛く思えてその先の訓練にちっとも進めない私達なのだった。


投稿日:2010年01月13日

2010年01月13日

帰り道の渋谷駅にて。
京王線の駅構内にあるブティックに私は行きも帰りもよ〜く吸い込まれてしまうのだ。ここは入りやすい店の作りになっていることもあって、私は9割の割合でここに立ち寄っているんじゃないだろうか。
今日は男性店員さんが、プラカードを持って立って何か叫んでいた。
「ただ今の時間、タイムサービスで更に付いている値札から20%オフになります〜」
「9時までにレジに並んで頂いた方までとさせていただきます」
たった今まで普通に駅に向かって歩いていたのに、またもや<え!本当なの?>といった風に吸い込まれて、今日も結局店内に入っていたのであった。
いつもこの店はお客さんであふれている。だが、この呼び込みの効果で更に店内にはお客さんが沢山入っている。しかもレジには既に長蛇の列。
「はい、残り10分となります」
「お急ぎくださ〜〜い」
「9時までにレジに並んで頂いた方、のみ!となりま〜〜す」
<あと10分しかないわ!>
<急がなくちゃ!>
私も単純だが、同じように単純女性がわんさか居る。別に買わずに帰っていいのに、ほぼ全員が10分以内に好きな洋服を探してレジに走るということが課せられたように、店内みな早回しビデオのようにちょこまか動き出した。
「お急ぎ下さい、残りあと5分です」
「まもなく終了致します」
<えっ、ちょちょっと待って!>
「は〜〜い、終了させていただきま〜す」
その言葉に押されるようにして、結局私はよく品物を見ないまま2つ手に取ってレジ列に並んでしまった。レジはその時点で30人ぐらい並んでいるではないか。更に20%オフって言っていたけれど、もうしばらくしたらクリアランスセールでそれぐらい値段が下がるんじゃなかったっけ。
手にした洋服をあらためて見たら、そんなに安くならないことに気がついて、しかもそのうちの1点は「なんで私、これを持っているのかしら?」とちょっと自分でもよくわからない品だった。
駅構内にあるので、駅に向かう人達が不思議そうにレジ列の私達を見る。
「すごい人、何かやってんのかな」
めずらしそうに見ているので、少し恥ずかしくなってきた。
私もなんでこうして並んでいるのか、わからないんですよ。
きっと一緒に並んでいる人達も並んでいるうちにこう思ったことだろう。
バミューダトライアングルよりも磁場が強い、女性が次々に吸い込まれていく京王井の頭線渋谷駅構内にある「I」という店なのであった。


投稿日:2010年01月12日

2010年01月12日

まだ実家に居た頃、私は電車の中でスリに遭いかけたことがあるのだ。
厳密には”結果スラれはしなかったがスリに遭った”ということになるだろうか。その日の夜、私は京都駅からJRに乗って家に帰るところだった。多分10時頃だったんじゃないだろうか。私鉄の阪急は割と混んでいるのだが、京都から大阪に向かうこの路線はそれほど混んでいない。私の家から近くにはJRの駅はないので、普段はほとんど乗らない電車だったのだが、この日は山崎駅で下車してそれから阪急電車に乗り換えて家に帰る順路だった。
車内にはポツン、ポツンと人が座っていた。
乗車率1〜2割ぐらいの空いた電車。
ぼ〜っと座っていたら、私の真横に男性が座ったのだった。
<こんなに空いているのに、なんでわざわざ隣に座るのかしら>
一瞬そう思ったが、まぁこの位置に座るのが便利な人も居るんだろうと思ってそんなに気にもしないで座っていた。
ところが。
私の降りる駅が次、という時になって異変は起こる。
ガタンガタンと電車が揺れる中、モゾモゾと別の動きが身体に伝わってくるではないか。
<もしかしたら、痴漢??>
ふとそう思ってドキドキしながら、モゾモゾの方に目をやると、男の手が私のカバンのチャックを開けている所だったのだ。
<スリだ>
車内に居る人が少ないので、今叫んでも誰も察知してはくれないだろう。
<どうしよう!>
ドキドキで胸が一杯になった時に、電車は私の降りる山崎駅に着いた。
「コイツを捕まえてやる!」なんて強気にはなれず、知らん顔で降りるのが精一杯だった。
男は何を思ったのか、私が改札を出るまで後をつけてきて、改札を出たらクルリと振り返ってまた戻って行ったのだった。
なんでつけて来たんだろう。
で、私もどうして警察に言わなかったんだろう。
あまりにドキドキすると思考って止まってしまうのだ。
確かその頃私は20代前半だった。とてもお金があるようには見えない風貌だったと思うのだが・・・。ええ年をした男の人から財布を狙われたことは事実だ。
空いている電車で隣に座って来る人物には要注意。
スリである場合があるのだ。