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投稿日:2011年09月02日

2011年09月02日

犬の気持ちは本当のところはきっとわからないだろうが、私なりに気をつけていることがある。
なんのしつけ本にも書いてはいないので、もしかしたら私だけが神経質になっているだけなのかもしれないのだが・・・・。
家に居るダンボは小型犬だ。チワワにしては大きなサイズだがそれでも体重は4キロ。大人ならひょいと持ち上げられるぐらい軽い。
でも持ち上げられる側になったらどうなんだろう。
それまで自由にしていたのに、ひょいといきなり人間に抱え上げられる。やめてよと一瞬思ったとしてももうその時には身体が宙に浮いているわけで、かつて自分がベッドの上で横たわり過ごした年月に”自分のことを自分で決められる”ことについて、例えばトイレに行こうだとか、あっちの部屋に行こうだとか、冷蔵庫の中から何か取って飲もうだとか、ささいなことを自分で決めて動けるそのことがなんて素晴らしい世界なんだろうかと心から思ったことがあった。毎日毎日、よく自由について考えたものだった。
人間は誰かにいきなりつまみ上げられるということはない。だが犬はひょいと持ち上げられる時、自由を突然失う気分を味わうのではないだろうか。
自由を奪われるのは結構な苦痛だ。
自分の意思で進んでいた時間が突然遮断されるのも。
それが短い時間であっても、繰り返し繰り返しのこととなればストレスになるんじゃないだろうか。もし人間がその立場になれば自分だったらストレスに思うだろうと、ある日思った。
以来ダンボを抱っこする時、今から抱っこをするよということをなんとなく宣言をしてからダンボを抱っこしている。何も言わずにいきなりというより、せめてほんの一瞬でもコンタクトを取るとストレス量は軽減されるのではないかと思うからだ。
<抱っこ、されたくないんよ>
しぶしぶ甘んじて抱っこされている時はあるが、ちょっとだけ了解をしたような顔つきにも見える。
<うっとおしいねんて>
抱っこをされながら、肉球で私の顔を押してあっちに行けとやったりもする。
結局は犬の気持ちってわからないんだろうなぁ。
人のあたりまえというのはやっかいだ。
たくさんの勘違いをして私達は過ごしているような気がするのである。


投稿日:2011年09月01日

2011年09月01日

地下鉄の駅から家に帰るタクシーの中で。
運転手さんとなにげない会話をしていて、ふと運転手さんに「お客さん、声優さんっぽい声ですね」と言われた。
たまにそう言われることがある。なので、「そうですか?たまに言われることはあります」と、そんな返事をしたのだが、会話はそこから運転手さんのことへと繋がっていった。
「いやぁ、わたしはね、実は歌をやっているんですよ」
どうも運転手さんは、自分の話に持っていきたかったらしい。
「はぁ」
そして家に着くまでのあと数分というところで始まった話は、そこから一気にまくしたてるように運転手さんの「わたしの話」になり、そして家に着いた時はリサイタルのチラシを渡され、連絡先までもらうことになっていたのだった。
「よかったら是非、観に来て下さい」
「は、はぁ。」
この運転手さんはタクシーにこうしてリサイタルのチラシを乗せていて、自分のリサイタルの話が出来てチラシを渡せるお客がいれば・・と宣伝の機会を狙っているのだろう。
タクシーを降りてからうなだれた。
私も近々ライブを控えているというのに、運ちゃんの方がよっぽど押しが強く私は「わたしの話」を一つも出来ないばかりか宣伝を一つも出来なかった。
今日のタクシーの売り上げより、宣伝カーとして走っているのならそれはそれですごいのだ。
広告タクシーは行く。
次の宣伝相手を見つけに夜の闇へと消えて行ったのであった。