月別アーカイブ : 2009年12月

投稿日:2009年12月20日

2009年12月20日

1904年の今日は、三越がデパート式の営業を始めた日なのだそうだ。
1904年と言えば今から100年とちょっと前のこと。なので、きんさんぎんさんが生まれた頃にはデパートはなかったということになる。印象としてはまだ100年しか経っていないのかぁ・・・と少し意外に思ったが、そんなものなのかもしれない。三越は元は呉服店として始まったので、いきなりデパートが誕生をしたわけではなく、店の新しい形としていろいろな商品を置く形態になっていったのだそうだ。
デパートは幼い頃の私にとって都会の象徴だった。子供の頃は自分一人で行ける場所ではなかったし、なにより母がいつも履かないパンプスを履きお洒落をして出かけることで高級な感じがした。
エレベーターとエスカレーターを初めて見たのもここだ。私はエレベーターとエスカレーター、どっちがどっちの言葉だったか覚えられなかったのと、あとなかなかエスカレーターにはうまく乗れずに苦戦したものだった。
私が好きだった場所はデパートの中にあるレストランだ。入り口のガラスケースに並んでいるメニューが豊富で、それこそその中が百貨店そのもので、<あれもこれも美味しそうだなぁ><その中から好きな物を選べるんだなぁ>と、結局はおこさまランチに落ち着くのだが、”どれでもどうぞお好きなのを”と用意されているところが贅沢だったのだ。
デパートは今も私にとって都会の象徴。
何でも揃う夢の国。
今日のおもちゃ売り場には、子供達に贈るプレゼントを選んでいるサンタさんがたくさんやって来ていることだろう。


投稿日:2009年12月19日

2009年12月19日

最近お気に入りのアイテムが「蒸気でホットアイマスク」シリーズなのだ。若い頃は「疲れ目」「肩こり」ってどんなものなのか知らず、自分には無縁の現象なのだと思っていたが、今では日常的に「疲れ目」「肩こり」を肌身離さず持っているようなものになった。
今の私は「美肌」「たるみやしわに効く」「しみが消える」などよりも、「目元がスッキリする」「肩こりが楽になる」商品の方が心惹かれるので、この蒸気でホットアイマスクも日用品を買いに行ってレジで待っている時に「あら、これっていいわね」と手にしてカゴに入れた品なのだった。
レジ近くに置いてある商品は、私みたいに「あら、こんなのがあるのね」と目に留めてそのままカゴに入れてしまうタイプの客向けにある。しかし、このなんとなくカゴに入れたアイマスクがとってもいいのだ。
お風呂上がりに化粧水をつけて、アイマスクをつけてぼ〜〜〜っとする。
ほんの5〜10分で効果が終わるが、この数分間で一日の疲れが取れるというか、気分的にリセットも出来て、アイマスクを外した時には気持ちが赤ちゃんになっているのだ。
あぁ〜〜、生まれ変わったわ〜。
お肌の生まれ変わりもいいが、心の生まれ変わりの方がもっとエネルギーを自分に蓄えられる気がしている。
蒸気でホットアイマスク、寝る前の私の日課に加わったのだ。


投稿日:2009年12月18日

2009年12月18日

今の家に住んで3年半が過ぎたが、最近裏の家との境界線にある謎の板を発見したのだ。
狭い場所なので、私はここまで入ったことがなく、だが明らかに誰かが何かの理由でここに取り付けたと思われる板だ。斜め裏の家のこの位置に窓があるというのに、雨戸を開けても板で外が見えないようになっているのだった。
itanew.jpg
私の家のこの位置は丁度壁になる。別に板なんてなくてもお互いの家が見えるわけではないのだが・・・・。
不思議なのは、この場合、もしも「やっぱり外から見えるのはいやだわ」と思うとするなら、斜め裏の家の人だろう。だってこちらは壁しかない。あちらに窓があろうとなかろうと何の影響もない。だが、その板はこの家の敷地から打ち付けてあるのだった。
誰が。
何の為に。
わからない。
私が来る前に何かトラブルでもあったのだろうか。この板境界線は見たところ、やはり親しみを感じる存在ではなく、何らかの抗争のニオイがするのだが・・・。過去のこの辺りの人間関係まではわからず、闇の中なのだ。
この板、だが最近困ったことになっている。それは雨風でだいぶ痛んだのか、留めた箇所の一部が破損しているようなのだ。中途半端に外れて中途半端にひっついているおかげで、強い風が吹くと板が揺れて私の家の壁にガツンガツンと当たって来る。
夜中に「ゴン」と音がするのはビックリする。犬も事情がわからないので、このポルターガイスト現象に怖がって吠えるのである。
板を外したい。
あれはあってもなくてもいい板なんじゃないだろうか。
そう、別にあそこでなくていい。
10メートルずらしてこっちについ立てをすれば、朝のアイドリング車の排気ガス攻撃が少し和らぐのではないか。
とにかく修理をしないと、日常的に板が家に当たるので困るのだ。
不動産屋さんに近々電話しよう。
一応、「家の壁が壊れた」と伝えようかと考えているところなのである。


投稿日:2009年12月17日

2009年12月17日

時々私は外出先で、「なんでもうちょっと暖かい格好をして来なかったんだろう」と後悔をすることがある。真冬の思い切り寒い時期になればうんと暖かい格好で外に出るが、それまでのまだ不安定な今位の寒い時期にこの失敗をしてしまうのだ。
<なるべく軽い格好で出かける>というのと、<寒さ対策をしっかりして出かける>の二つを天秤にかけて、今日の運勢を占うかのように天気予報で判断していく。で、外出先で「今日は大正解!」と吉と出たことに喜んだり「途中暑くて上着が荷物になった」と失敗をしたり、「薄着で寒すぎた」反対の失敗もありつつ、厳冬及び猛暑以外のグレーの季節を過ごしているのだった。
今日は1月下旬並みの寒さということなので、今日はジャンパーの上にダウンコートを羽織り、その上に更に中綿コートを着込んでバイクに乗って出かけた。
友人がいつだったか言っていた。
若い時は格好を気にせず、汚い格好をしていても、せいぜい傍目から見れば「汚い若者」にしか見えないが、私達ぐらいの年齢になると、格好を気にせずにいたら、形容しがたい本物のくたびれたおばさんになり侘しさが漂うので、なるべく小綺麗にしているのだと。
それには私も納得する。
しかし今日は悲惨を越えて、おすもうさんの着ぐるみでも着たかのような出で立ちになっていた。
ドスコイドスコイ、おすもうさんが通る。
寒さはしのげるが肩こりがひどくなる寒さ対策なのである。


投稿日:2009年12月16日

2009年12月16日

家に帰る地下鉄の電車の中で、ふと顔を上げたら斜め前に立っている女性の履いてい居るスカートが自分の持っている物と同じであることに気がついた。色も同じ、そのスカートは新宿の百貨店で買ったものだったので、同じ方向の帰りの電車の中で履いている人が居ても、別におかしくはないのだが、それは今日履いて行こうか迷ってやめたスカートだったので、個人的にはちょっぴり驚いたのだ。
2年前にやはり新宿ですれ違った女性が、自分の持っている同じコートを着ていた。その時も私はその日別のコートを着ていたので、まだ一度も「あら、同じ洋服だわ」と互いに驚くことには合ったことがないが、そりゃぁそういうことにだって、そのうちあってもおかしくはないだろう。自分の持っている洋服は他の店でも売られていた商品。なので、自分が最後の一枚を買おうが日本中に同じ服を持っている人は複数人居るわけで、宝くじには当たらなくても同じ服を着ている人に合うことはある。
今日はたまたま自分が見つけた側だった。
でも見つけられる側になることもある。
その時は私の方は気づかないんだろう。
<あ、それ・・・>
<セールで買ったやつですよね>
<すごく安かったやつ>
<ふぅ〜〜ん、それ部屋着じゃなくて・・・>
<お出かけに着てるんだ>
今日、私はそのスカートを履くのをやめて寒さ対策として、しっかり寒さをしのげる格好で出かけた。お洒落というより防寒を軸に着込んで行ったのだったが・・・。
私が同じスカートの女性に目を向けていた時に、同時に私もこんな風に誰かから見られていたかもしれないのである。
「ジロジロ見てるんじゃないわよ」
昔、ヤンキー女は目が合っただけでこのように絡むという習性があった。
相手はちっともケンカを売っていたわけではない。言い訳を言える隙も与えられなかったと思うが、その時彼女は<まぁ!私と同じ服だわ>と思って見ていただけだったかもしれないのである。


投稿日:2009年12月15日

2009年12月15日

バイクを止めて駅に向かって歩いていたら、役者の阿部サダヲさんとすれ違った。
私の住む辺りでも有名人と遭遇することがある。少し前に阿部サダヲさんもこの辺りの人らしいよという話を耳にはしていたが、鳥打ち帽をかぶって手ぶら姿・・・・、とても不審なオーラを放っていたので、テレビで知っている人でなかったなら、「怪しい人物」として記憶に残していたのだ。
テレビでよく見ている人、というのは実際には見ることはないというイメージがある。なので、このようにして不意にすれ違ったり見かけたりすることがあると、私はいつも二度見をしてしまうのだ。見られる側であれば、自分のことを何度も相手が見ることに「芸能人だから自分は見られている」という窮屈な気分になるかもしれない。だが、必ずしもそうではない。例えば今日のケースもそうだ。
まず、ぼ〜っと歩いている時に向こうから歩いて来る阿部サダヲさんを認識する。
<あっ、知っている人だわ>
<しまった。どこで会った人だったかしら。>
<思い出せないわ>
<誰だっけ>
<あっ、阿部サダヲ>
3秒ぐらいの間にこれだけのことが頭を駆け巡ったのだ。この間の私は必死だったと思う。ぼんやり歩いていて突然クイズを出されたようなドキドキ感の中で、私も相当焦ったオーラを放っていたに違いない。
今日みたいにすれ違うまでに思い出せた時はいいのだが、これが思い出せない時もある。
<あっ、知っている人だわ>
<しまった、どこで会ったんだっけ>
<思い出せない・・・>
<でも何度も会った人のような気がする>
<でも、どうしよう。誰だったか思い出せない>
<とりあえず、会釈だけでもしておこう>
と、数秒で思い出せずに会釈をしてしまうこともある。そうして、この他愛な勘違いによって、せっかくの休日を得た有名人に「俺って外に出てもプライベートがないんだ」的窮屈な気分にさせていたりするのだろう。
しかし手ぶらで鳥打ち帽、目的を持って歩いている様子もなく・・・。あの道はよく歩く道だが、トップクラスの挙動不審オーラを放っていた。あれでは恐らくその後も私だけでなく数人にジロジロ見られたであろう阿部サダヲさんであった。


投稿日:2009年12月14日

2009年12月14日

妙な習慣をダンボとの間で作ってしまったのだ。そもそもはお風呂が嫌いなダンボが、必ず私のお風呂タイムの時に何かを察知してベッドの下に逃げて隠れるということが始まりだった。
別にお風呂に入れないってば。
そこまで逃げなくてもいいじゃない。
最初はお風呂場が嫌いなダンボが可笑しかった。私がお風呂に入りに行こうとするとその度に逃げ隠れるので笑っていたが、そのうちに「別にお風呂場は嫌なところじゃないよ」と、少しはそのストレスから解放させてあげたいなという気になってきたのだった。それでオヤツ作戦を立てたのだったが・・・。
オヤツの力はすごい。
オヤツを持って私が風呂場に行くと、その日から私の後を着いて風呂場に来るようになったのだ。
だが、湯船に入れられては大変と警戒心は強く、オヤツは欲しいが風呂場の外でモジモジして待つようになった。
<別にお風呂に入れないって>
少しずつ、少しずつおびき寄せるようにして毎日オヤツで釣っていたら、ようやくお風呂場は嫌いな場所ではなくなり、逃げ隠れることがなくなったのだった。
が、オヤツで一度味をしめたダンボ。
今度はお風呂場に行けばオヤツがもらえると、そんな解釈をするようになってしまったのだった。
そういうつもりではなかったが・・・。
私がお風呂場でくつろいでいるとダンボが顔を覗かせる。
<オヤツ欲しいな>
せっかくお風呂嫌いがなくなったんだから元に戻るよりはいいかと、私もそこら辺が甘く、「じゃぁ、一つだけね」とオヤツをあげてしまう。
「はい。もうおしまい」
そう言うと一旦はトコトコと去って行くのだが、しばらくするとまたやって来る。
<また、欲しいな>
「また来たの?」
犬というのは、「こういう顔をしたら飼い主を落とせる」という感覚を持っているのかもしれない。ここでまた甘い私は「もう、これでおしまい」と言ってまたオヤツをあげてしまうのだった。
「これでおわり」
うん、わかった。
トコトコトコ・・・・
そうしてまた一旦ダンボは去って行くのだが、どういうつもりなのかしばらく時間を置くと、またあらためて出直して来て、それを繰り返すということが彼の新しい行動パターンとなってしまったのだった。
<また、オヤツもらいに行ってこよう>
お風呂場はオヤツをもらうところ。
お風呂嫌いを克服させるつもりだったのが、そう教えてしまった悪い例なのであった。


投稿日:2009年12月13日

2009年12月13日

いつ頃からか、あちこちの店にアロマディフューザーが並ぶようになった。アロマディフューザーは一見小さいランプやガラスの花瓶のような形をしていて、霧が出ているのが一般的なタイプのものだ。東急ハンズでもエレベーターを降りたすぐの所にアロマディフューザーがずらりと並んでいたので、今人気の商品であることがわかる。
お香、アロマライト、サシェ、ポプリ・・・etcと香りものが好きなので、店で最初に見つけた頃から惹かれていたのだ。香りものは既にたくさん持っているが、アロマディフューザーはいい香りが霧になって出て来るというところが他にはない点だ。
この「霧」がなんともホッコリする。
この間、ついにこのアロマディフューザーを買ってから、また香りアイテムが増えて、「どれにしようかな」とアイテムを選ぶのが、ささやかな私の幸せな時なのだ。
男性はこういうアロマ系の香りを「くさい」と言う人が多いらしい。”匂いに癒される”という感覚は女性の方が多くあるのかもしれない。
<おやすみなさい。>
香りが消えた時が、私の毎晩の眠りにつく時だ。


投稿日:2009年12月12日

2009年12月12日

今年は去年よりクリスマスイルミネーションを家の外に飾る家が増えたと思う。店で売っているものも種類が豊富になったし、値段もずいぶん手に入れやすくなった。バス通りに建つ万年イルミネーションの家はすっかりクリスマスブームが去って、あそこの家だけはイルミネーションが点灯しないが、帰り道はどの道を通ってもあったかいイルミネーションが瞬いているので、寒さが和らぐのだ。
しかし、中には「こ、これはやりすぎ・・・」とてんこ盛りイルミネーションの家もある。家にある雑貨を引っ張りだしてきて隙間なく飾った、というような家や、配色や配置が今ひとつクリスマスのムードではなく、夏祭り会場のようなセンスに仕上がってしまったような家・・・。
だが自分の家の敷地いっぱいに飾っている家はまだいい。
最近発見したのが、家の前の電線にも電飾を飾ってそのまま道を挟んだお向かいの家にまでイルミネーションを伸ばしている家だ。
この道はたまに通る道で、12月に入ってから日中は気づかなかったが、夜になるとこのチカチカが瞬いて、普通の道路なのに電線に電飾を這わせているのがそのまま電飾アーチになっているのだった。一般道路で、こんなディズニーランドみたいにしちゃっていいんだろうか。いいんだろうか。いいんだろうか・・・。と、考えていたら道にぶつかりそうになった。
よく「幽霊トンネルでお化けを見てそのままトンネルを出た直後のカーブを曲がり切れずに事故をした」というエピソードを聞くが、クリスマスイルミネーションに誘われてあやうく私も事故をするところだったのだ。
年末になると物騒な事件が多くなる。
イルミネーションを飾っている家とそうでない家、泥棒からすればどちらが入りやすいという傾向があるかもしれない。個人的にはイルミネーションの飾ってある家の方が家人の温かみみたいなものが、家の外にも漂ってきていて悪いことをこの家でするという気持ちが少し減るかもしれないなと想像したりしてみる。
13日の深夜にはふたご座流星群が見える。
地上でも綺麗な星が瞬くこの季節なのだ。


投稿日:2009年12月11日

2009年12月11日

携帯をFOMAに替えて、着ボイスがダウンロード出来るようになったので、今一番お気に入りのブラックマヨネーズの「メールが届いたで!ヒーハー!」をメール着信音にしていたのだが、それはもう早速使わなくなってしまった。
家で「ヒーハー!」と鳴る分にはいいのだが、外でこの着ボイスが鳴ると非常に恥ずかしい気分になることに気づいたからであった。
外に出た時、私は誰かの携帯が鳴るとふとそれを耳に留めている。「あ、@@って曲だわ」「この人はこういう趣味なのかぁ」などなど、すれ違っただけの見知らぬ人であっても、ほんの少しその人の素の部分を見たような、いやもっと言ってしまえば秘密を知ったような生々しい感じさえするのだった。
と、いうことは逆もあり。
と、いうことだ。
「メールが届いたで!ヒーハー!」
<あっ、あっ、私じゃありません。いえ、私のです。あっ、なんでもありません>
別に周りの誰も反応するわけではないのだが、やけに自意識過剰になってしまう。それでマナーモードに切り替えて結局、携帯が鳴っても気がつかないなど本末転倒なことになってしまい、数日ですっかり疲れてしまったのだ。
好きだけど、さよなら。
好きだけど、別れるってこんな感じなのかしら。
さよなら、お気に入りの着ボイス。
私の短い恋はこうして終わったのであった。