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投稿日:2010年01月11日

2010年01月11日

私の乗っているチョイノリは、ガソリンを入れる蓋を締める時にちょっとしたコツが要るみたいなのだ。
パーツ同士がハマる位置というのがあって、そこにスポっとハメてクルっと45度ぐらい回す。そうすると締まる。慣れた店員さんだと2〜3回位置を確認してすぐ蓋は締まってくれる。慣れない店員さんだと「あれ?」「あれ?」ということになって、先輩に応援に来てもらってそれで上手く締まるのだが・・・・
この間は、多分あれは新人さんなんだと思う。いつものようにガソリンを入れてもらって、蓋を締めてもらう時になって「あれ?」「あれ?」という感じで、そのお兄さんは蓋を締めることが出来ない。
「あれ?締まらない」
こういう時の私は、ちょっとだけ気を遣って自分からアイデアを言わないようにしている。だって向きを何度か変えてトライをすれば、蓋は必ずどこかしら合う場所にハマってくれる。
<少し待とう。いつものように自分でなんとかするか、先輩に手伝ってもらうかしてくれるだろう。>
ところが、この新人くん。
「壊れてる」
と、そのうちに口にしてムキになってガチャガチャとやりだした。
<ちょっと!それじゃ壊れちゃうじゃない!>
そして・・・・周りをキョロキョロしたあとで、今度は思い切り体重を乗せて無理矢理蓋をしようとし始めたのだった。
違う違う、そ〜じゃなくて!
あまりに力づくでやるので、私もとうとう口を開いたのだった。
「えっと、カポっとハメて、それでグルっと回すと締まりますんで」
「え〜!?」
新人くんはもはや熱くなっており、私の意見を聞く様子ではなく、私の言葉をかき消して更に力づくで体重をブンブン乗せていた。
<壊れちゃうじゃないの!>
と、腹が立って来た時に「スポン!」という音がして、蓋は無理矢理締まった。
「締まった!」
お兄さんは言っていたが、若干強引なことをしたという後ろめたさはあったのだろう。周りをキョロキョロして先輩が今の様子を見ていないか窺っているようだった。
「はい、どうぞ」
はい、どうぞじゃないだろう。
今の接客は失格だぞ。
私はその日、急いでいた。
だからそのまま去ったが・・・・
本当はあの時あのガソリンスタンドに居た人間の中で一番怖いのは先輩でもオーナーでもなく・・・私だったのだ。たまたま怒る時間がなかったが、もう少しで「ちょっと。上の人呼んで来てくれる?」と、こわ〜〜い顔で言うところだった。
あれからあのお兄さんに会っていない。
教えてあげればよかったかな。
チョイノリのガソリンの蓋の締め方を間違えて覚えたので、次のチョイノリの人にもやって、それでいつかこっぴどく叱られるのだ。


投稿日:2010年01月10日

2010年01月10日

今月の前半は締め切りのお仕事を頂いているので、メモ書きとCD-Rが机の上にどんどん増えて行く。メモ書きはメモが書いてあるから、何の紙かがわかるのだが、CD-Rはパソコンに取り入れたりそのデータを取り込んだりしているうちに、枚数が複数になっていき、ある時どれがどれなのかがわからなくなってしまうパターンが割とあるのだ。
<あれ、どこ行っちゃったんだろ>
<これとあれ、どっちがどっちだったっけ>
<これは何が入っているのかしら>
てきぱきと仕事をこなす人が居る。
素晴らしい。
振り返ればバイト先でも、私はややトロい方だったと思う。どこのバイトに於いても「この人の手順、素晴らしい!」と尊敬する人が居た。家での作業だと、約束の日に間に合えば途中経過は誰も見ていないので、長年「失敗をして叱られる」ということは免れてきたように思うが、多分私みたいなアシスタントが居たら私だったらクビにするだろう。だいたい、家を出てから忘れ物をしてまた取りに戻る率が3割を越えるうっかり者だ。
何も書いていない中身のわからないCD-Rが溜まって行く。
なので私の休憩時間は、たいていCD-R中身当てクイズの時間になるのである。


投稿日:2010年01月09日

2010年01月09日

土曜日は家でテレビを観るのが好きなのだ。それはテレビ番組があまり変わっていないことも理由の一つ。長い間続いている番組というのはなんとなくこっちにも愛着がある。テレビの中ぐらいはあまり激しい入れ替わりのない状態の方が、私の場合は落ち着いてのどかな気持ちになるのだ。
朝は、「旅サラダ」で温泉やプチ旅行を楽しみ、それからは「ぶらり途中下車の旅」で東京の身近な路線の街を私も一緒に散策をする。昼になったら「メレンゲの気持ち」にチャンネルを合わせ、ゲストトークに「うんうん、そうなの~?」とテレビの前で頷き、後半は石ちゃんの「まいう~~」の笑顔に「私も食べたいわ」とそそられる・・・。
そして日が暮れて雨戸を閉める頃になると「人生の楽園」にチャンネルを合わせる。田舎暮らしはあこがれだが、今や私は近くに大きな病院があるかどうかが自分の住む町の条件から外せなくなってしまったので、山奥で木を切りながら生活をしたり、無人島に渡って一から生活を始めるなんてことは、怖くて出来なくなったのだ。いいなぁ。こういう暮らし。そうねぇ・・・、ピザが焼ける石釜を作りたいわ。で、家具は少しずつ気に入ったものを作り足して行く。つるバラを這わせて、花は絶えないお家にしましょうよ。・・・なので、私はこの番組の間だけ、つかの間想像上の旦那に話しかけて、想像上の田舎暮らしをしているのである。
7時になるとテレビ東京が2時間枠でやっている旅番組にチャンネルをかえる。私はこの温泉宿系の番組を見ながら夕飯を食べるのが、土曜日の中で最も至福の時なのだ。絶景温泉や温泉宿での豪華カニ料理を食べている出演者を見ながら、私は明太子スパゲティを食べていたりするのだが、それは普通にレストランに行って友人がスキーキセットを頼んだのに対して、「私はパスタにするわ」というのと同じなので、全然違和感がない。
そして9時、同じチャンネルの「出没!アド街っく天国」というこれまた東京の町を毎週1つずつ特集する番組があって、それをつけている。この辺になってくると、「へぇ〜、そうなの?」と私はテレビに向かってしゃべりかけている。で、必ず「明日、行ってみようかな」と番組で取り上げられた町に行きたい気分になるのであった。
土曜日のテレビが大好き。
要するに私は「食べる」か「旅する」かどっちかのことやっている番組が大好き。ということなのである。


投稿日:2010年01月08日

2010年01月08日

帰りに百貨店に寄ったら売り場に袴が展示されていた。
もうすぐ成人式だからなんだろう。
私は袴を履いたことが一度もないのだ。振り袖は着た。ウエディングドレスは20代前半に2着着て写真にも残しているので、心残りはないのだが、袴だけは機会を逃してしまったので、未だに袴を見るとあこがれの気持ちがムクムクっと沸いてくる。
凛としていて、でも優雅なところがある袴姿。
あぁ〜あ。一回は着ておけばよかった。
そんな想いがあるので、私は袴を見かけると前で立ち止まって眺めていたりするのだ。
<どうやって履くのかしら>
<これって、風が入ってきてスースーするのかしら>
<トイレは不便じゃないかしら>
履いたことがないので、まず「仕様」についての疑問が浮かび・・・。
<着ておけばよかったわ>
<もう、今更無理よね>
などと考えていると3分ぐらいは経っている。
<ハッ>
ここで夢から覚めるように、通行人の人達のことが視界に入って、そうすると急に”今自分が物欲しそうに袴を眺めていたのを、この人達に見られていた”といった自意識過剰モードになるのであった。
<私が着るんじゃないんですよ>
<娘のです>
可愛いなと思って中に入ったら、10代の子達が来るような店だった時も私はフェロモンならぬ<私は娘の洋服を選びに来ているお母さんなんです>オーラを途中からプンプン出しまくって、そしてなんとかその店を出るまで妙なバランスを取っているのであった。
今や<着たいなぁ>と思っても、着たらコスプレのジャンルに行ってしまう服が増えた。
思春期とはまた違う意味での微妙なお年頃なのである。


投稿日:2010年01月07日

2010年01月07日

新聞を見て、あぁ嬉しいなぁと思う瞬間は、医療関係の新しい発見についての記事を目にした時だ。
そこから実際の治療に至るまでがまた長い道のりになると思うのだが、それまで解明されなかった未知の世界の扉が開くということは、本当に素晴らしい出来事だ。
私の重症筋無力症も、今は治療方法があり決して亡くなる病気ではなくなった。だが昔は呼吸困難で亡くなる患者さんも多く、私が今こうして社会生活に戻れていること自体が魔法をかけてもらっているようなことなのだ。
時々ふと思う。自然の法則に逆らって私は命の続きをもらったのかなぁと。だが、だからこそその分有り難く時間を無駄にせずにいようという気持ちがある。かつては日常でそれを意識出来ること自体なく、無意識に持っているものに対しては考えることもなかったから、日々何かの折りにこのことについては頭をよぎるのだ。多分魔法をもらった人達は、一度はこんな風に何故自分の今があるのかを考えているのだと思う。
大きな発見がその先の道を明るく照らす。
こういうニュースを見つけると、「早く早く」と早く次の一歩に進まないかしらとせっかちな気持ちで記事を読んでしまう。
暗いニュースが多い中、光がそこだけスっと差す発見のニュースだった。


投稿日:2010年01月06日

2010年01月06日

今年は寅年。
そう言えば私はトラにおしっこをひっかけられたことがある。あれは京都の岡崎動物園でのこと。あそこの動物園はフラっと訪ねやすい場所にあるのと、こじんまりした所が「公園にお散歩に行く」感覚になれるので、好きでたまに行っていたのだが、その日はトラの檻の前でトラを見ていたら、トラがこっちに向かってきて「シッ」とおしっこを飛ばしてきたのだった。
煽ったりしていない。トラに話しかけたわけでもないし、騒いだりもしない。ただトラの檻の前に来て「トラだなぁ」と思っていたら、トラにとっては「なんかムカつく」存在だったようで、数人の人が檻の前に居たにもかかわらず、トラは私を標的にしたのだった。
そこの動物園のトラはムカつくとおしっこをひっかけるのだそうだ。どうも私はネコ科の動物にムカつかれるようなのだ。
そんな干支だが、来月ぐらいになったらもう今年が何年だったのか曖昧になっていくのだろう。
干支は今ではお正月にしか用いられない「季語」のような存在となったのだ。


投稿日:2010年01月05日

2010年01月05日

スーパーに買い物に行ったら、エレベーターを降りた所に大きく「今日はいちごの日」と書いたポップが張ってあった。
なるほど、1月5日だから「いちご」なのか。
しかし、なんでそれでいちごが1パック498円なのだ。ゴルフのホールインワンだったらホールインワンを出した人がご祝儀を出す。お誕生会の日にはお誕生日の人がケーキやお寿司の食べ物を用意して友達を招いたりするじゃないか。
私はいちご大好き購買者。いちごが市場に出回る一年の2/3いちごを買い続けているのだから、「いちごの日!」と言うのなら、この日ぐらいいちごを振る舞ってもらいたい。だいたい500円近い値段で「いちごの日!」と言い切られても納得がいかない。それは私からすればちっとも記念日じゃなく、とてもじゃないがいちごに対してお祝いをする気にはなれない。それならば「いちごの日」とせずに「いちごを買って欲しい日」と表記してくれたほうがうんとわかりやすいのだ。
買わないぞ。
今日は買うもんか。
頑なに前を通り過ぎたのだった。
前も夏のある日、タクシーに乗ったら車内に「8月5日はタクシーの日」というのが貼ってあって、<あら、それって今日じゃない?>と偶然タクシーに乗ったことで縁を感じていたのだが、「今日ってタクシーの日なんですね」と運転手さんに話しかけたら「そ〜みたいですねぇ」と他人事な返事が返って来て脱力した。当然そのタクシーの日にタクシーに乗っても何の変化もなく、タクシーの日のいわれについて説明も受けず・・・、だったら私も毎日誕生日だと言おうかと思ったぐらいだった。興味のない乗務員の車へのステッカーを印刷するより乗車した客に配るティシュを作ってくれた方がうんとよかったと思うのだ。
いちごの日にいちごを買わなかった。
498円の値段は、今日は5000円ぐらいの値札に思えたのだ。


投稿日:2010年01月04日

2010年01月04日

2010年、初夢が悪夢だった。
夢の中で私はビルの中に居た。そこで爆発が起き人々が一斉に逃げるのだが、私は出遅れてしまい「あぁ、もう自分はダメだな」と覚悟をしあまりのショックで目が覚めたのだった。こんなに動悸がする状態で目覚めたのは初めて。多分私の脳が「これ以上夢を見させていたらショック死する」と判断したと思われるのだ。
<ゆ、夢だったのかぁ・・・・>
動悸がおさまって、ホっとしてまた眠ったのだが、そこでは次の悪夢が待っていたのだった。
今度の夢では実家近くの住宅街の中に私は居た。亀田くんの家の隣と隣の家で何か事件があったらしい。前を通りがかったら警察の車が止まっていて、どうもそこで猟奇殺人があったようなのだ。近所の人が何人か集まって現場を見ていて、のどかな実家の住宅街でこんなことが起きるだなんて・・・と、初夢はイヤな夢の連続だったのだ。
悪夢は逆にいい夢だと言われることもあるが、ショック状態になって目覚めるというのは健康上あまりよくない。私の脳みそもイタズラが過ぎるなぁと思う。
ダンボと一緒に自転車で近くの八幡宮にお参りに行き、川沿いの道を帰る途中で早くも菜の花が咲いているのを見つけた。
ひょろっと痩せた菜の花。
あれ?なんで?
と、思ったら一本だけでなく数本が咲いていた。
春はまだだよ。今はお正月だよ。
時計は回る。ゆっくり回る。
せっかちはダメですよとおみくじに書いてあった。
今日ぐらいの自転車のスピードで進めたらいいな。
行こう、行こう。
みんなに2010年が始まった。