月別アーカイブ : 2010年6月

投稿日:2010年06月20日

2010年06月20日

父の日。
父の日のプレゼントを何か送ろうと思っていたが、少し前に送ったものを「うちにあってもしょうがないしヘルパーさんにあげた」と言われたことで、結局”贈り物”はやめることにして電話をかけることにした。
「もしもし」
「あ〜、なんや」
「父の日、おめでとうございます」
「それで電話してきたんかいな」
「はい、そうです」
「それだけやな」
「はい」
「ほな、切るで」
私の一番古い記憶にある父の日のプレゼントは、父の似顔絵だ。四角い輪郭の顔にヒゲの点々を描き、ちょっと奥目の感じに苦労をしたが、頭の禿げ具合は母が笑うほどよく描けていたようで、父はこんな変な顔じゃないと言いながら受け取ってくれたようなそんな情景がぼんやり残っているのだ。
その似顔絵は印鑑や書類などが入っている食器棚の引き出しに入れられ、長くそこに入っていたっけ。
初めて買ったプレゼントは、ネクタイピンだった。
私としては奮発して、センスのいい品物を選んだつもりでいたが、父は喜んで受け取ってくれたにもかかわらず、またもや印鑑などが入っている食器棚の引き出しに入れられたまま、ずっと引き出しの中に転がっていたのだ。
「今、ワシテレビ見とんねん」
別に物もいらない、電話もいらない、興味があるのは「ワシ」のことだけ。
私は普通のサラリーマン家庭で育ったと思っていた。個性的な家だとは一度も思ったことはなかった。
しかし両親と離れて暮らし、その年月を重ねるほど、自分は変わった両親のもとで育ったんだなぁと思うようになった。


投稿日:2010年06月19日

2010年06月19日

今日は、ダンボの肝臓の数値の定期検査とワクチン接種で病院に連れて行った。
去年の冬、ダンボの調子がどうもあまり良くないので以前通っていた動物病院に度々連れて行ったのだが、「ただの食べ過ぎです」と言われていたことがあった。「やっぱり調子が良くないんです」と行った何回目かには「飼い主さん、あまり神経質にならない方がいいですよ」とたしなめられ、だがそれでもやっぱりそうではない気がしてならず、考えた末、前から評判がいいと聞いていたこの病院に来たのが最初だった。
ダンボは検査をしたら肝臓の数値がとても悪くなっていて、2桁で正常値の数値が1000という程まで数値が悪化していることがわかった。一時ダンボはひどく弱っていた。あんなに具合の悪い姿は見たことがなかった。
診察室で先生のお話を聞きながら「私が泣いてはダメ」と精一杯気を張っていたが、家に帰るとふとしたことで涙が出てしまう毎日を私は送っていたのだった。
あれから1年半になろうとしている。
ダンボは私の朝ご飯が終わると、「次はボクがご飯!」と飛び跳ねる。洗濯機の止まる「カチ」という音を聞いて、「ワン!」と洗濯が終わったことを教えてくれる。夕方、お散歩に行く?と尋ねると嬉しくてタコ踊りをして私を笑わせる。
ダンボは元気にしてもらえた。
A病院で診てもらったおかげだ。
お世話になったH先生のおかげだ。
ダンボは診察台に乗るといつも「大嫌い!」と先生から全力で逃げるのだが、ダンボ、ダンボが元気になれたのはここで先生が悪いところを見つけてくれたからなんだよ。
先月、検診に来た時に先生が今月いっぱいでここをお辞めになることを知った。お引っ越しをされて、通い切れなくなったのだそうだ。私としてはもうダンボはずっとH先生に診てもらおうと思っていただけに、残念なお知らせだった。
「血液検査の結果ですが、今回も正常値で安定していますね」
「お薬をやめてから半年ぐらいになるので、この数値で保てれば状態はいいですよ」
「これからは半年に一度の検査で様子を見ましょう。」
ダンボは今日も、「大嫌い!」と先生に反抗をしている。
ダンボ、先生がダンボのしんどいのを助けてくれたんだよ。ダンボが自然に元気になったんじゃないんだよ。
深々と頭を下げる私に、いつも先生は笑う。
H先生の後ろに、引き継ぎの先生だと思われる女医さんが立っていた。ワクチンを打ってもらって診察が終わると、新しい先生を紹介された。
「先生、本当にお世話になりどうもありがとうございました」
感謝を込めてお辞儀をしたら、その格好がやっぱり大げさに見えるのか先生は今日も笑っておられた。
ダンボの元気な姿にはH先生の姿がある。
ダンボが元気になってから、ダンボとの「今」を悔いなく過ごそうとより意識をするようになった。
寝る時にダンボが隣りでひっついて寝ていると、あたたかいダンボの体温が伝わって来て、私はその時に幸せな気分で一杯になる。
病院を変えなければどうなっていただろう。
ちょっとした緩みで命を失うことがあり、信念が救う命があるのだと思った。
診察室を出る時、先生はまた笑ったけれど。
もう一度ダンボを抱いて深々とお辞儀をしたのだった。


投稿日:2010年06月18日

2010年06月18日

7月に長年の音楽仲間の黒川あっちゃんとライブをするので、先日選曲の打ち合わせをしてから、京都でバンドを頑張っていた頃のことをよく思い出すようになった。
忘れていたことがたくさんあったなぁと思い出す。あの頃は音楽が好きで、音楽のことばかり考えていて、だけどしくみや方法でわからないことがたくさんあった。
でもあのわからなくてもどかしかった頃に、一生懸命工夫をしたり方法を考えたりしたことは、必要なことだったと今なら思える。とにかく若い頃は近道を探すことに一生懸命だった。時々「これって意味のない時間にしちゃっているだけかも・・・」と焦ったが、知らなかったことを少しずつ修得している充実した時間にこそ、そういう思いにかられるのかもしれない。
出会ったのが拾得という蔵を改造したライブハウスで、多分実家の私の部屋には、まだ大学の頃のスケジュール帳が残っているはずなのだ。あっちゃんの連絡先を書いたページが私の記憶にはある。ライブハウスに出始めた頃で、次回の対バンの人の連絡先を確か拾得のテリーさんに教えてもらったか何かで手帳に書いた、それが古い思い出の中から思い出せるのだ。
その後オリジナル曲も増えた。初期の頃のCDは京都のライブハウスでやっていた曲が多く、今度のライブでは個人的にやりたい曲が複数あって選曲がまだ決まらない。
一緒にライブはやっていたのに、一緒に演奏をするのが今度が初めてになる。
もしかしたら私自身があの頃に忘れて置いて来てしまったものを、見つけられるかもしれない。
昔話を聴きながら一緒に時間を旅してもらえたらいいな。
「今」の浅草で、遠い日の京都をワープしてちょこっと旅をする。夜のハトバスツアーみたいなライブに出来たらいいなと思っているのだ。


投稿日:2010年06月17日

2010年06月17日

ここ数日間で迷惑メールがまた増えた。
突然何故?
朝起きてメールチェックをするとtwitterとskypeの文字の迷惑メールがズラ〜っと並んでいる。私はtwitterをやっていない。だから逆にtwitterのことを知らないので知人が自分のtwitterを見に来てねとメールを送ったのかなと思って、何度か見に行ったのだ。
すると、どうやら私の知っている人がメールをくれたのではないなというのがわかる。
またメールに戻るとtwitterからのメールが、ダダダ〜っと受信箱に入って来るのだった。
そんなにつぶやかれても困る。
知らない人であっても興味深い話をしてくれるのならいいが、恐らくその確率は低いのだ。
迷惑メールに指定しても、何度でも受信箱に入ってくるこのtwitterとskypeメール。
私もこれを機会にtwitterを始めようか。
まず第一声はtwitterの迷惑メールにうんざりしていますとつぶやきたいのだ。


投稿日:2010年06月16日

2010年06月16日

前から気になっていた雑貨屋さんに入った時のこと。
店には2種類あって、それは出やすい店と出にくい店のどちらかということだ。
この雑貨屋さんはガラス扉ではあるが、一見出にくそうな店だったので、中に入ったことはなかった。
だが、外に置いてある雑貨のテイストは私の好みのものだったので、今日は贈り物を探しているということもあったので、思い切って中に入ってみたのだった。
出にくそうな店に入る時は、ここで買い物をしようといういくらかの意思があるわけなので、今日は今までとは違う。なんとなく中に入ってみたいという気持ちよりも、もう少しはっきりした理由があると、どんな店でも入れるものだなぁと思ったのだったが・・・。
せっかく入った店内、今度は「これが素敵だわ」と贈り物に選びたい品物が見つからない。
グルっと一周。
狭い店内なのですぐに品物は見てしまえる。
店の中にお客は私一人。お店の人は「いらっしゃいませ〜」と明るく声を掛けるわけでもなく、かといって雑な感じでもない。お客さんをそっとしておこうという気遣いが感じられてそれが余計に出にくくさせていたのだった。
そこへ救世主現る。
ここの店は少しさびれた場所にあるので、フラっと店に入って来る人が少ないと思われていて、それもあって今までフラっと入れずにいたのだったが、店内にフラっと若い女の子が入って来たのだった。
<チャンス!>
心理的には、新しいお客さんが入って来たら出やすいというのがある。
今が一番出やすい状況だと思った私は少しずつ入り口方面に向かっていたのだ。
が・・・・。
後から入って来た女の子は、早い判断をしたのか無情にもササっと私が出るより先に店を出て行ってしまった。
あ、うー。
店内は曇り空。
ようやく店を出たのだが、<ありがとうございました〜>とも言われなかった。
<いらっしゃいませ>も<ありがとうございました>も言われなかったのだから、こんなに気を遣うこともなかったんじゃないか。
そもそも、勝手に店側に気を遣っていたのは私か。
雑貨屋で一人相撲を取っていた私なのであった。


投稿日:2010年06月15日

2010年06月15日

バイクで図書館に行く途中、数軒の家が植木の剪定を終えた所だった。
植木の剪定は数軒まとめて同じ植木屋さんがやるのだろうか。実家ではそうだったなぁと思い出したのだが、これが今までの中でも一番「カッチリ」した角刈りになっていたので、ちょっと笑えたのだ。
それは少し前にテレビで見た、理容師さんの技術を競う大会で見た角刈りと同じだった。
数軒の家の垣根の木がズラ〜っと角刈りに・・・・。
「まさかこんなに短くなっちゃうなんて、思わなかった」
かつて前髪を短くされてうなだれたことが私にもあったが、この植木達の場合は「まさか、こんなに直角にされるだなんて、思わなかった」といったところだろうか。
ここまで直角にしなくってもよかったと私も思う。
まぁ、また伸びるよ。
お揃いの直角の木々が初々しかった。
私も髪が伸び放題。
そろそろカットに行かなくちゃ。
6月は伸びる季節なのだ。


投稿日:2010年06月14日

2010年06月14日

新聞を読んでいたら、のぞき目的でベランダに忍び込んだ男が逮捕されたという記事があった。
犯人の男は自分の部屋のあるアパートの3階自室ベランダづたいに2部屋隣りの短大生のベランダに侵入したらしい。その部屋の短大生が追いかけて最終的に近くを巡回していたパトカーに「泥棒!捕まえて!」と叫んで御用となったのだが・・・・。
捕まった男は35歳の市の職員で、担当課では主任を勤める普段社会人として部下もいるような人間なのだ。仕事中にきっとそんな浮ついた様子などはなかったのだと思う。多分、周りの人だって「え!あの人が?」というぐらい驚いただろう。
隣りの部屋は素通りしたということなので、もしここに住んでいたのが女性だったら、それもまた少し微妙なトコロだ。しっかり好みがあってそこに向かって壁を這って行くだなんて・・・・。
猫が求愛に外に出かけるのと同じような感覚で、この男はベランダを越えて気になる女性の部屋をのぞきに行ってしまった。
あかんやろ。
なんて馬鹿なことをするんだろうと女性の私はあきれる。
昔男子達が言っていたような「透明人間になったら、お風呂をのぞきたい!」という夢そのまんま、透明人間になった気分でスパイダーマンのように壁を這って進んで、最後この男は痴漢として逮捕されてしまった。
透明人間になったら、やっぱりろくなことはしないのだ。
特に男性は透明人間になってはいけない。
透明じゃなくなったら、恐らく多くの人は痴漢になって逮捕されるのだ。


投稿日:2010年06月13日

2010年06月13日

あじさいが咲く頃となった。
バス通りに出る手前の家の垣根には大きな青いあじさいがこぼれそうに咲いている。私の家にも一昨年あじさいを買ったが、植え替えをサボったせいだと思う。葉っぱは茂っているのに花がとても小さくしか咲いてくれず、しっかりした土に植えてあげないと花もさすがに自分の力だけでは咲くことが出来ないよと不服そうだ。
花の形も大きくわけて、「グー」「チョキ」「パー」がある。
と、個人的に分類している。
あじさいは「グー」だ。チューリップは先が割れているから「チョキ」。ひまわりは手のひらを開いたような花の開き方をするから「パー」。花もジャンケンのように回る。チョキのチューリップが春に咲いて、グーを出したあじさいが次に咲く。
ひまわりが「パー」を出すと、あじさいが「参りました」と言って身を引く。
ひまわりの次はまたチョキを出す花が咲いて・・・それはやっぱり花びらの先が割れているコスモスなのかな?などと考えてみた。
自然はうまく出来ている。
世の中もうまく出来ている。
好きか嫌いかはともかく、似た構造で回っているのだと思う。
五日市街道のガードレール沿いから、あじさい達が青いグーを出していた。
電車のレール沿いにも、あじさい達がグーを出している。
今、花達はグーの季節だ。


投稿日:2010年06月12日

2010年06月12日

テレビをつけていると、BGMに「A列車で行こう」が流れていた。
A列車で行こうは、原題は『Take the ‘A’ Train』。ジャズのスタンダードナンバーなので、タイトルは知らなくても曲は聴いたことがある人は多いと思う。
私は高校生から大学の中盤までハモンドオルガンを習っていた。この曲とはハモンドオルガンの練習曲として出会ったのだが、この軽快な曲にすぐに心を奪われてレパートリーにしたいと練習をしたものだ。
が、この曲はある日を境に私にとって「大好きな曲」から「気分の悪くなる曲」に変わってしまったのだ。
それは、ハモンドオルガンの発表会がきっかけだった。
発表会は大阪の今のメルパルクホールであって、帰りは母と妹と3人で大阪で外食をして帰ることになったのだった。普段街に出ることはあまりない親子だったので、大阪で外食というのは割とめずらしいイベントで、その日は串カツ屋さんに入って仲良く夕食を食べて終わったいい一日となった。
のだが・・・・。
次の日。私はひどい胃腸炎になって、丸二日胃腸炎特有の症状で苦しい思いをした。具合が悪くなったのは私だけだったので、食中毒ではなく私の体が弱っていて胃腸炎を起こしたと思われるのだが、二日間吐き続けこのままもう食事がとれなくなるのかもしれないと思うほど、胃腸は拒絶反応を続けたのだった。
その二日間ずっと頭に鳴り続けていたのが、前日の発表会で聴いた「A列車で行こう」。「やっぱりいい曲だなぁ」「私も弾けるようになりたいなぁ」と思って聴いていたのが、胃腸炎で具合の悪い時のお供の曲となり、それが結果印象として残ってしまったようなのだ。
あの胃腸炎を境に私は「どんなにしんどくなっても吐かない」と決心して、次に胃腸炎になるまで本当に10数年吐かずに過ごした。それほどその二日間はキツい時間だったのだ。
「A列車で行こう」を聴くと、串かつ屋〜胃腸炎になった時のことが蘇る。
<胃薬、飲んでおこうかなぁ>
どの胃腸薬のCMよりも、「A列車で行こう」の曲の方が、胃薬を常備しなくっちゃという風に煽られる私なのだ。


投稿日:2010年06月11日

2010年06月11日

よくバイクで通る道に気になる看板がある。
そこは一階に貸店舗がある建物で上階はマンションになっているのだが、表札が店舗サイズの看板になっていて変に目立つので、信号待ちの時にはよく目が行ってしまうのだった。
結構お洒落な外観の建物なのだが、看板が大雑把なのがアンバランスな感じなのだ。ビル自体にも店舗用のような看板がついているのだが、気になるのがマンションの入り口のところに掲げられている雑居ビルにありがちな店舗用看板のようなもの。しかも色は白で、よく壁に吊るしてマジックで繰り返し書いては消し使うあの白盤と同じようなものなのだ。
<仮りの表札なのかなぁ>
正しくは表札なのか、看板なのかもわからない。
でも、しっかり取り付けられていて仮りのものではなさそうだった。
それにしても一つの枠が大き過ぎる。今私が使っている15インチのノートパソコンの画面のサイズはあるだろう。そこに入居者と思われる名字が書いてある。お洒落な字体ではないので、もし本当にこれが表札だとしたら、私ならちょっと恥ずかしい。だって追い越し車線で信号待ちをしていても、名字がはっきり読めるぐらいヤケに名前がでっかいのだ。
店舗なのか住居なのか・・・・・。
看板と表札の違いについてもわからなくなる、ここは謎の建物なのだ。