月別アーカイブ : 2009年7月

投稿日:2009年07月11日

2009年07月11日

夕方、ダンボと散歩をして帰って来たら緑地公園の方から蝉の声がしているのに気がついた。
思わず足を止めて、本当にあれが蝉の声なのかを確かめていた。
10分程この辺りを歩いていたのに、気づかなかった。
ダンボは聞こえていたのかなぁ。いつも家では私が聞こえない音も先に気づいてワンワンと吠えているから、耳に届いていないはずがない。
車の音には怖がるのに、蝉の声は怖くないものだとなんとなく知っているんだろう。
ダンボ。
昨日と同じ道で、昨日と同じ景色だけど、昨日と違うのは蝉の声が聞こえてきたことだよ。
自然の声が「夏が来たよ」と言っていた。
”いまごろ、気づいたの?”
足を止めて耳を澄ます私をダンボは見上げる。
夏の夕方の散歩だった。


投稿日:2009年07月10日

2009年07月10日

バイクで渋谷に行く途中のこと、信号待ちの時にでっかいバイクが横に停まった。
んまー。煙草を吸いながらのバイクですか。
ちょっと!危ないじゃない。
だって、あなたのバイクの方が速いわけなので、信号が変わったら私はあなたの後ろを走るんですよ。
火種が飛んで来て服に燃え移ったらどうするの。顔に吸い殻が飛んで来たらどうするの。
どうもせず、あなたは行ってしまいます。
信号待ちの間、すごく怖いおばちゃん視線を送っていたのだが、若者は気付かなかった。そして、しばらく走ったあとで右側に吸い殻を投げ捨てて行ったのだった。
んもう!マナーが悪い!
しばらくカリカリしていたが、やがて気分が穏やかになってきたなと思った頃、今度は信号待ちで隣りに停まった白いバンの助手席の人が煙草を吸っている様子。窓をちょこっと開けて灰を落としていた。
ちょっと!灰皿に捨てなさいよ!
ごっつい睨んでみたが、若干私の位置が後ろで全く気付く様子もなく、吸い殻が飛んで来ないかと冷や冷やしながら運転するハメになった。
んもう!灰皿があるでしょうに。
しばらく腹を立てていたが、そのうちに渋谷に着き、1軒目のバイク駐輪場が空いていたのでラッキー気分になって、さっきのことももう忘れていたのだった。が、今度は交差点ですれ違った人がやはり「ながらタバコ」をしていた。
危ないでしょうが!
今日は煙草のマナーの悪い人の遭遇率が高いのだ。だいたい2週間に1度ぐらいしかこういうことには遭わないのに・・・。
自分の好きにするのはいいのだが、二次的に誰かに被害を及ぼすかもしれない。そうことに対しての配慮が出来ない人を愚かだと思う。タバコだけというそんなに切り替えが上手く行くわけがなく、それは暮らしにも仕事にも同じ配慮のなさが出てしまうはずだ。
しかし本日は、どうも煙草に縁があるらしい。
すっかり煙草のことも忘れて、バイクで家に帰る最後の曲がり角にて。
信号待ちで右折寄りに止まっていたら、前の車の運転席の窓がウィーンと開いて、中から煙草の灰を落とす手が出て来た。
怒りを通り越して、火種の被害に遭わずに家に無事に帰れたことに感謝をしたのであった。


投稿日:2009年07月09日

2009年07月09日

去年植えたブルーベリーの苗。
ブルーベリーは2種類の苗を近くに植えないと、実が成らないのだが、それを去年まで知らずに居たので、前の家では実をつけることが出来なかったのだ。
数年育てて、実が成ってくれたらいいな。
そう思って気長に見ていた。
今年の春、ブルーベリーは小さくて真っ白な花をたくさん咲かせた。ブルーベリーの花を見たのは初めて。花が咲いて喜んでいたら、お世話になっているご婦人に「花の数だけ実が成りますよ」と教えてもらった。
「鳥に食べられないように気をつけて下さいね」
成って、さぁ食べ頃だと思った時に鳥が食べて行ってしまうことがあるらしい。ウチも冬は鳥に花を食べられるので、夏も狙われる可能性大。それから毎日の水やりの時に、悪さをされていないか注意して見るようになったのだ。
最近になって、かたくて小さい実が出来かけていた。
実になろうとしている、子供の実が枝につくようになってから、「もしかしたら収穫が出来るかも」と淡い期待を抱くようになった。
いつ頃、成るのかしら。
ネットで見たら8月頃と書いてある。
よ〜し、ブルーベリーを収穫するぞ。
と、思っていたら・・・。
今朝、ブルーベリーの実が成っているのを見つけた。昨日の水やりの時は、まだそんな気配もなかったのに一晩経ったら色がすっかりついて、私の知っているブルーベリーになっていたのだった。
思わぬブルーベリーの収穫。
枝豆の時は3個しか成らなかったので、一気に豊作と呼んでいいのだ。
tyodai.JPG
ダンボは小ちゃいから、ちょっとだけね。
小さな幸せ、今日は採れたブルーベリーをダンボと分けて頂いた。


投稿日:2009年07月08日

2009年07月08日

最近はプールでウォーキングだけでなく、ちょこっと泳ぎもメニューに入れるようになった。
時々、お父さんと妹とプールにやって来る少年が居る。
多分小学校4年生ぐらいの子なのだが、この子が水ととても相性がよく、フォームはゆったりして急いでいる感じもしないのに、何故か速いのだ。
速い人って居る。
そういう人は水が運んでくれるみたいに、スーっと静かに進んでいく。ここのプールにも、「この人はスイスイ進む人だな」と目を引く人が居て、自分もイメージをしながら同じように泳いでみるのだが、進み具合いはあんな風には出来ない。
少年は泳ぐのが楽しいみたいで、バタフライやクロール、平泳ぎといろんなフォームで行ったり来たりしている。
普通の子とかわらない体格だし、泳ぎ方も至ってノーマル。お父さんの泳ぎは周りの人と差がないのにね。
持って生まれた才能ってあるんだろう。
この子は魚の才能がある子だ。
目の前をスイスイスイと泳いで行く。
時々、このプールに魚の子がやって来る。
知らん顔をしているが、あの男の子が泳ぐのを見るのが楽しい私なのである。


投稿日:2009年07月07日

2009年07月07日

ブーガルでのライブ。
今日はまた初めての場所でライブをさせていただく。
弾き語りでのライブは、生ピアノがやりやすいなぁと最近は思うようになっていて、このブーガルも生ピアノが置いてあるライブハウスだ。以前は自分が気に留めていなかったからかもしれないが、生ピアノを置いている店はそんなに多くなかったような気がする。アトラスというメーカーのピアノで、触ると明るい音色がした。
楽屋のテーブルの隅に、小さな貯金箱が置いてあった。
この店のピアノは、ここにやって来る以前は長い間誰にも弾かれずに眠っていたのだそうだ。ここのお店に来てから、いろんな人に弾いてもらえるようになって急にフル稼働になったからだろう。メンテナンスをしてあげないと、楽器の体が追い付いて行かないので、よかったら募金をお願いしますというメッセージが添えられていた。
眠っていたピアノが、また人に弾かれるようになるというのは、1人のピアノ人としてとても嬉しい。「さわらないで下さい」という看板とロープで大事に展示されているピアノほど、悲しい運命のピアノはない。
今日は七夕。
そして満月の夜。
mangetu.JPG
昨日の天気予報では曇り空だということで、その心づもりでいたが、予想に反して今日は月が見える澄んだ空の七夕となった。
一年に一度しか恋人と会えないのなら、私はどうするかな。
帰り道、満月がまあるく浮かんでいた。
少し雲が横切って、また顔を出したらまあるく大きな満月だった。


投稿日:2009年07月06日

2009年07月06日

近所のサミットスーパーに買い物に行ったら、エレベーターのそばに大きな笹が飾ってあった。
ここ数年で街のあちこちに七夕の飾りを見るようになった。
サミットの笹にはもうたくさんの短冊が下がっていて、女性の文字で「みんなが元気に過ごせますように!」と書いてあったり、これは男の子だろう、「サッカー選手になれますように」と書いてあったりしている。
「おこづかいが100円になりますように」というのを見つけた。
可愛い夢だなぁ。
きっと叶うよ。その夢は。
いつも思うのだが、七夕の笹には、自分が目にする時には既に短冊が下がっている。この願いごとは「いつ、どこで、だれが、どうやって」この笹に掛けることになったんだろう。その場面に遭遇することが出来ないので、笹飾りってちょっと不思議なのだ。
いつの間に!
駅の改札で、商店街の隅で、店の軒下で、デパートの入口で・・・・。でもこれらを目にするとふと心がなごむ。仏頂顔で急いでいたカチンコチンの自分に一瞬綺麗な風が吹く感じがする。
サミットスーパーでは、そばに「ご自由にどうぞ」という箱が置いてあった。そこでは白紙の短冊が用意されていたので、初めて”自分も願いを書いてここに吊せる”という場所を見つけたのだ。
2000年と2001年の入院生活中の七夕に、「早くよくなりますように」と同じ願いを私は書いた。1年目は叶わなかったが、2年目に書いた願いが通じたのだ。そして今は元気に過ごさせてもらっている。
流れ星に願いを掛けるより、七夕の笹に願いを掛ける方がだんぜんよい。
だって私は願いごとを叶えてもらった。
明日は七夕。
笹じゃなくても大丈夫かなぁ。
雨が降ったら叶わないのかなぁ。
いやいや、信じる心が大事、だよね。
部屋のカーテンレールに願いを下げたのだった。


投稿日:2009年07月05日

2009年07月05日

急に思い立って、前から行ってみたかったちひろ美術館に行ってきた。
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いわさきちひろさんの絵を知ったのは、中学生ぐらいの頃だったと思う。淡い色づかいだがハッキリしたイメージが印象的で、昔から今まで変わらず好きな作家さんの一人だ。私自身はあれから年月が流れて、好きなものや尊敬するもの、考え方までが随分変わった。なのに、今もなお作品を観ては「素敵だなぁ」と、初めて感動をした時と同じように思い直す。
午後にふと訪ねてみたら上は60代ぐらい、下は10代ぐらいの人が訪ねてきていて、すぐそばには割と交通量の多い道路が走っているのに、ちょこっと入ったそこは避暑地の素敵な別荘のような佇まいだった。
ここはいわさきちひろさんが最後に暮らした家のあった場所なのだそうだ。展示作品と共に、家の間取り図やアトリエを再現したコーナーがあったりして、本当に人の家に訪ねているような錯覚に陥る。
小さな美術館だが、そこここに少し腰を下ろせる場所が設けられていて、置かれた椅子達がありがたい。気軽に休憩が出来るので、結構椅子に座って休んでゆっくりしている人が居る。置かれている椅子も、いろいろタイプが違っていてそれらが家具のようにも見えるので、ますます誰かの家に来たようなほっこりした気分になる。
chihiro1.JPG
カフェもとても人気のようで、私が入館してから出るまでの間はほぼ満席だった。
「ちひろの言葉」というコーナーがあって、ちひろさんがインタビューか何かで残した言葉だったりするのかもしれない。いくつかの文章が写真と共に展示されていたが、その中の「大人になるということ」というタイトルの文章がとても心に響いた。大人というのはどんな状況であっても、自分の方から一歩前に踏み出して、人を愛せることだというような内容で、「あぁ、そうなんだ。そうだそうだ」と新しい価値観をわかりやすく教えてもらえる一角だった。
ふと急に行きたくなって訪ねたけれど、夏の小旅行のような豊かな時間だった。
優しい空気が流れていた。
またフラっと訪ねたい美術館だった。


投稿日:2009年07月04日

2009年07月04日

秋山エリサちゃんライブ。いつもお世話になっているギターの末松さんがバンマスで声をかけてもらって、今日はパーカッションの山田さんと3人でのアコースティック編成でのサポートだ。
エリサちゃんはミュージカル、そして舞台にドラマと活動を幅広くされている女優さんだ。今回が初めてのソロライブなのだそうだが、ステージに立つということについてはもう若くしてキャリアがあるので、リハーサルの時から立ち姿が綺麗だなぁという風にまず感じた。
今回はカントリーやオールデイズを集めた選曲で、ヨーデルも途中で出て来る。誰の意向でこういう個性的な構成になったのかなぁと思っていたら、彼女と末松さんが打ち合わせを重ねて出した選曲だそうで、ミーティングの中で出てきたアイデアがこうした形になるのが、一番理想なので、やはりその人の好きなものや匂いがどこかに滲み出るということが、個性が自然に出るということなんだなぁと思ったのだ。
エリサちゃんは今、末松くんにギターを習っているのだそうで、「ライブやりたいんですよね」と相談をしたことから、今回のライブの実現に至ったのだそうだ。
”こんなことがしたい”があったら、自分ではその方法がわからなくても、人に話すことはきっといいことなんだと思う。その方法を知っている人に巡り合えば、何かしらのやり方で夢は身近になる。もし、先生が末松くんでなかったら、「いつかやれたらいいですね」という返事でなんとなくの会話だけで、実際には結びつかなかったかもしれない。
少し気持ちを前にして一歩踏み出すことって、夢を叶える大きな力になるんだ。
初めてのソロライブ、エリサちゃんが来てくれるお客さんに感謝を込めて作ろうとしているのが、遠巻きの私にでも感じられた。チケットを買ってもらったその日から、会場までの地図をどうわかりやすく説明したらいいか、頭を悩ませたり、やはりステージの真ん中に立つ人がそういうところまで想いを配れることに対して、私もハっとさせられたし、なんだか見えない気を束ねてもらった感じがする。
人と出会うと、出会いの分学ぶものがある。
私も自分の持ち物を精一杯出して、出会いに飛び込んで行けたらいいなと思った。
お客さんをお迎えする気持ちは、初めてのライブに関係なく、その人の持つ心一つなんだと今日は学んだ。


投稿日:2009年07月03日

2009年07月03日

荻窪のルミネにバイクで買い物に行った。ここは有料ではあるがバイク置き場がある。駐車場はあってもバイクは止められないという所が多い中、バイクを安心して置けるというのは大きい。
でも、もうちょっとバイクをゆっくり置いて買い物が出来たらいいのになぁ・・・といつも思っているのだ。荻窪というのは、都内ではあるが、どちらかと言うと買い物に出掛ける街ではなく暮らす街。茨木や高槻と同じような規模の街なので、地元の人が来るような所なのだ。
だから3000円以上お買い上げの場合は、2時間無料にしてもらいたい。
決して無茶な願いではないと思うのだが・・・。
現行ここは3000円以上買って1時間が無料。2時間止めた場合は、5000円以上買わなきゃならない。しかも2つの隣接したビルの片方でそれだけ買わなくちゃならないので、例えばAビルで2500円分、Bビルで2500円分買ったら全額駐車料金が要るシステムで、個人的には今ひとつ納得が行かないのだ。
なので、ここに来たら無駄な駐車料金を払いたくない一心で、レシート集めに夢中になって、いろいろ買い物をしてしまうという本末転倒な買い物ぶりを発揮してしまうのであった。
今日は駐車料金のことを気にしつつ、しかし買う予定の物があったので、レシートが6000円分ぐらいになり、1時間とちょっと過ぎた辺りで余裕を持って清算所に向かったのだった。
エレベーターを降りたところに、パートのご婦人が座っておられ、駐車場に行く手前で人力清算をするのだが・・・・。
「はい。駐車券1枚」
え!
今日は2枚分もらえるはずなんですけど・・・・。
そう思っていたら、そのおばちゃんは
「ちょっとしか超過していないから、今はまだ1時間分の券で出られますよ」
出口は上にある。
もし出られなかったら、どうするのですか。
というより・・・・
2枚分の駐車券を普通に頂戴よ。
何故、割愛されるのかがわからないが、言い返せる雰囲気ではなかったので、そのまま1枚の券を持って出口に向かったのだった。
出口にて。
「ちょっと超過しているけれど、今日はいいですよ」
ニッコリ笑って送り出された。
むむむむむーーーーー。
前はレシートの額が足りないと言って冷たくされて、今日はこれなのか。
私の方が職務怠慢の罰金を課したい!
バイク置き場はまだまだ少ない。止められるだけで有り難いという所があるので、利用者の方が選べない立場という関係なのである。


投稿日:2009年07月02日

2009年07月02日

代官山「晴れたら空に豆まいて」でライブ。
京都に拾得というライブハウスがある。
私が最初にデモテープを持って行って出演させてもらったライブハウスで、蔵をライブハウスにしたという当時も個性的なライブハウスで、日中でも扉を開けると奥は冷んやりとしていて、そして古い木造の建物の匂いがしていた。
いろんなライブハウスがあるが、「晴れたら空に豆まいて」は、私にとっては拾得とダブるところがあって、「おはようございます」と足を踏み入れた時の冷んやりした空間内の温度と古い木の匂いが、ここでも感じられるのだ。
拾得には「テリーさん」というオーナーさんかブッキングの方が居て、たくさん会話をしたりする人ではなかったが、よくしていただいてかわいがってもらった。やはり晴れたら空に豆まいてにも角野さんというブッキングマネージャーさんがおられて、角野さんは音楽ライターでもある人で、昔からお世話になっている。
ライブハウスには、それぞれブッキングマネージャーさんが居て、お客さんの前に出ることはないが、ライブを作っている軸の人が居る。アコースティックライブを多く開催するライブハウスや、シャンソン中心のハウス、ロックが中心のライブハウス、みんなそこには日々の出演者を束ねる人が居るのだ。
入口で水槽の金魚達がパクパクと水面に向かってやっていた。
以前、ここはイタリアンレストランだったのだそうだ。
だけど、古い蔵を改装して出来た拾得と似た空気がある。
「晴れたら空に豆まいて」だ。