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投稿日:2010年06月10日

2010年06月10日

ダンボを連れて、近くの緑道にピクニックに行った。
緑が綺麗になってきたので、どこかに出かけたいなと思っていたのだ。いろいろ日帰りで行ける場所を考えていたが、ダンボと一緒に出かける一番いい場所がすぐ近くの森のような緑道だということに気がついた。
ピクニックシートと数冊の本、ダンボのおやつと私のお弁当を持って徒歩5分。もう森に着いた。木陰のベンチにシートを敷いて、早速くつろぐ。風が吹くと木漏れ日が揺れて綺麗な影絵を作る。
川沿いの道は比較的見通しがいいけれど、少し奥に行くと森のようなエリアがあって、今日はそっちに行ってみる。少しひんやりとしていて、いい「気」がこのエリアにあるなという感じがする。特に大きな木はいい「気」を放っているのだそうだ。
ジっと座っていると、日中でも散歩をしている人やジョギングをしている人が結構前を通っていくのがわかる。緑の多いところは、人々が元気を作りに、元気をもらいに来る場所なのだ。
ダンボは長時間の外にちょっと嫌気がさすかなと思っていたが、意外にもピクニックを楽しんでいたようで、枯れ葉の地面の匂いを嗅いだり、本を読んでいるそばでつくろいだりしてリラックスしていたようだった。
約2時間をここで過ごしたが、とてもリフレッシュ出来たいい時間だった。
また来ようね。
ダンボも尻尾をフリフリしながら帰り道を歩いた。
徒歩5分で、私は森の妖精になりました。
今、流行の森ガールデビューも兼ねたピクニックとなった。


投稿日:2010年06月09日

2010年06月09日

今日はノースリーブで出かけても大丈夫かなぁ。
だいたい薄手の長袖の羽織ものを荷物の中に入れて、寒かったら羽織るようにして過ごしているので、冷房が効いた場所でも屋外でも気温差で困るということはないのだが、今日は荷物を少なくしたかったので、上着を置いて行くことにしたのだった。
時々、読みが外れて失敗することはある。
上着を持って来ればよかった・・・と寒さに震えることや、逆に今日は荷物になっただけだったなぁと一度も着ないまま終わったり・・・。
でも街に出た時の人々の服装を見て、それが基準となって「今日はコレで行けそうだわ」と安心することもある。
今日はとっても不安になったのだ。
駅で早速、黒いタイツの女性を見かけた。その時は、<タイツですかぁ?>という目で見ていたのだったが・・・。
電車に乗ったら、黒タイツの女性がまた居るではないか。
私はノースリーブに素足にサンダル。これで今は寒くなく丁度いいのだが、黒いタイツを履いている人が数人居るのが気になる。
更に電車が行くと、今度上着を羽織っている人がやや多めになってきた。車内は春先のような装いの人達が目につく。
今日、このあとすごく寒くなると天気予報で言っていたかしら。
人数が増えるとちょっと自信がなくなってきた。
電車を降り、エレベーターに乗ろうと歩いていたら、前方に白いニットのカーディガンを羽織っている女性が居るではないか。このニットのカーディガンは3月の暖かい日に着ていそうな、そんな物だ。ウチはもう衣替えで仕舞ったような冬用のカーディガン。
<今日は、このあと寒くなるんでしょうか>
結果として、ノースリーブで丁度よく過ごせたのだったが・・・。
何故、あの人達はタイツを履いていたんだろう。
何故、ニットを着込んでいたんだろう。
深く考えるのはやめよう。
今日出会った冬服の人達はみんなあのあと南半球の寒い国へ旅行に行ったと思うことにして納得をしたのであった。


投稿日:2010年06月08日

2010年06月08日

ダンボと散歩から帰って来て家の前に居たら、斜め前の家のおじさんが自転車で帰って来た。
「おいっ。元気かっ」
おじさんはダンボを見かけるといつもダンボに声を掛けてくれる。引っ越して来た時は無愛想な感じの人だったが、後に単に照れ屋だったということがわかって、今はおじさんともよく話をする。
おじさんは、時々うちに遊びに来る猫のキエちゃんの家のおじさんだ。
「おいっ、シロ!」
キエちゃんの姿を見つけるとおじさんはキエちゃんに声を掛けていた。
<今・・・シロって言わなかった?>
まだキエちゃんが子猫だった頃、ここの家の息子さんに名前を尋ねたら「キエ」と教えてくれたのだ。めずらしい名前だったので、もう一度聞き直してみたが「キエ」だったと思う。だが、キエちゃんは私が「キエちゃん」と呼んでも返事をしない。もしかして「キエ」という名前じゃないのかもしれないと思ったりもしていたのだったが・・・・。
「あの子は名前は何っていうんですか?」
おじさんに尋ねたら「シロだよ」と言っていた。そしてもう一匹がクロ。シロは最近赤ちゃんを産んで、今家の中は子猫達とシロとクロでものすごくにぎやかなのだそうだ。
「おいっ、ジャンボ!」
この辺でダンボは「ジャンボ」と名前を間違えて覚えられてしまった。近所のKさんが間違えて覚えたのがきっかけで、ダンボは「ジャンボ」だという風に伝わったらしい。ジャンボでもダンボでもたいして違わないし、いいかと思っていたが、今日はおじさんに尋ねられたのだった。
「なんで、ジャンボはジャンボなの」
「どこがジャンボなんだい?」
こんな質問をされたら私もいよいよ、ジャンボではなく「ダンボ」の名前の由来を話さなくちゃならないのだ。
「あーそう!お前、ダンボだったのか」
そういえば、私はおじさんの名字も知らない。おじさんも私の名前を知らないだろう。
最近、日がすっかり長くなった。
「じゃぁ、ダンボまたな」
照れ屋のおじさんが好きだ。
どこかの家から魚を焼く匂いが漂う夕暮れだった。


投稿日:2010年06月07日

2010年06月07日

先日、「あっ、もしかして・・・おめでたですか?」と声を掛けられた。
いいえ、おめでたではありません。
「あっ、服が、ワンピースがゆったりして見えたから・・・」
しまった!という顔で訂正をされたが、いいえ、わたくしは別に気にしていません。このように声を掛けられたのは、もう何度目かになります。一度は電車の中で席を譲られて、後に引けなくなって妊婦のフリをして座らせていただきました。
別に直接声は掛けられなかったというだけで、妊婦さんだと思ってみられているということもあり得る。
<あの人、妊婦期間が長くないかしら?>
妊婦に間違われる原因は服のせいなのか、体型のせいなのか・・・・、大人は本当のことを言ってはくれないのだ。
それに比べ、子供はストレートである。
これまた先日、幼稚園の女の子をお迎えに行って少しの間預かったのだが、その女の子の幼稚園の友達の男の子から「あっ、おばあちゃん?」と言われたのだった。
別におばあちゃんでもいいのだが、「おばあちゃん」という単語で呼ばれたのは生まれて初めてだったので、衝撃的であった。
私はまだ厳密には嫁入り前の娘なのです。
「写真写りが悪くって・・・」
写真写りの悪い人は、実物に会えばよし。実物に会えば誤解が解けるということは羨ましい限りなのだ。
幼稚園のその女の子にも言われた。
「なんでパパがいないの?」
「ひとりぼっちで住んでて、可哀想」
みなさん、どうもありがとうございます。
私はいろんな風に他人様の目に映っているのである。


投稿日:2010年06月06日

2010年06月06日

仕事に行く時に通る道がある。ここら辺はお洒落な店が多く、そこに居るお客さんも「何の仕事をしている人なんだろう?」というオーラを放っている人が多い地域なのだが、その流行っている店の一つに気になる店名の店があった。
いつもお客さんで賑わっているのだが、店の名前が「腸炎」と書いてある。
「腸炎?」
食べ物屋さんなのに、ずいぶんタブーな店の名前だなぁと思っていた。
先月から毎週土曜日にこの道を通るようになったので、「今日も腸炎にお客さんは来ているのかしら?」と私にとっては、他のどのお洒落な店よりも気になる店になっていたのだった。
オレンジ色の看板の「腸炎」
私はこんな名前は悪趣味でイヤだわ。
と、思って再度見てみたら・・・・、
太い字で少しデザインされたフォントになっていて見間違えていたが、店の名前は「腸炎」ではなく「陽炎」だった。
「腸炎」でオレンジ色の看板だと、辛いものを食べてお腹を壊したという連想をしていたが、オレンジ色の看板で「陽炎」だとエネルギーが湧いて来る感じがして、一気に店の印象が変わったのだ。
一人勘違いをしていただけだったが、一字違いで印象ってこんなに変わる。
しかし、字体が若干勘違いを起こさせるようなものであることは、店名がわかった今でも否めない。
「陽炎」「腸炎」「陽炎」「腸炎」・・・・。
視力テストを看板でやっている感じになり、
まさしく看板が陽炎<かげろう>になってにじんでいたのであった。


投稿日:2010年06月05日

2010年06月05日

最近、昆虫を食するのが流行つつあるのだそうだ。
育てたり、標本にするのではないらしい。昆虫料理試食会なるものが先日開かれたそうで、まぁ「イナゴ」や「カエル」も食べられていたりするので、昆虫も「カリカリ」していて歯ごたえが案外いいのかもしれないが・・・・。
やっぱり私はこのテの食べ物はダメなのだ。
「カイコさなぎとチリビーンズミックス煮」
「スズメバチ幼虫のドリア」
「ツムギアリのポテトサラダ」
定期的にこんな風に昆虫を料理して試食会を行っている会だそうで、ネーミングだけをぼんやり見たら美味しそうなフレンチレストランのメニューみたいだが、文字にフォーカスを合わせてみると「幼虫!?」「アリ?」「カイコ!」という単語がしっかり入っているのが見える。
お、おえ~~~っ。
正直な感想は、私はおえ~~~~っ、だ。
カナブンのような「カリカリ」ではなく、イモムシの「プチっ」とした食感だと想像しただけで、もう気分がかなり悪くなって来る。
昆虫を食す人達は、真面目に昆虫を食材として考えておられるようで、「楽しい昆虫料理」という昆虫料理の本まで出版されている。だから、密かに「昆虫って美味しい」と思い始めている人が増えているのかもしれないのだ。
私からすれば「サザエ」や「アワビ」など”海の生き物”にしか見えないものが一般的な食材となっている。個人的には「何故ここに並んでいるの?」と不審に思ってももうこれらは「食材」として何の疑問も持たれずにスーパーに並んでいる。
じゃぁ”草むらの生き物” だってだんだん認知されて来れば「食材」として捉えられるようになるかもしれないのだ。
えぇええええ~~~。
カナブンの煮物が給食で出たりするのかもしれない。
イモムシクリームのコロネパンなんていうのがパン屋さんに並ぶかもしれない。
うーーーー。
気が重い。とっても重い。
そしていつか昆虫料理は居酒屋の人気メニューになる。
かつて「一回でいいから、食べてみなさいよ。騙されたと思って」と、食べ物だと認めていない納豆やウニを食べるハメになったのと同じように、「人生変わるから!」とよくわからない押しを受けてイモムシドリアを不幸な表情で試食している自分の姿が浮かぶのであった。


投稿日:2010年06月04日

2010年06月04日

D−naughtライブにサポートで参加をする。
ライブサポートの中でも体力の消耗が激しいのがD-naughtのライブなのだ。今回はツインキーボードとベースという3人が楽器サポートになるので、編成も少し人数が多いバージョンだ。
リハーサルが終わると時間があったので、近くのミッドタウンに行ってベンチに座って風を仰いだ。都会でも緑や空間の広い場所を感じられる場所があって、しばらくそこに身を置くとリラックスが出来るので、今日は空いた時間をほとんどここで過ごした。
ジっとしていると、周りの少しの変化がよく見えるんだなぁ。
子供がお母さんの気を惹こうといたずらをする所。
あの人は、今座る場所を探しているのかな。
鳥が飛んで行った。
待ち合わせの友達がやっと来たね。
風が少し冷たくなって、ゆっくり辺りが暗く夜へと変わって行った。
夜の六本木は私は馴染みがない。背の高い黒人の男性をよく見るし、いろんな国籍の人達が歩いていて、どこかの国にやってきたような錯覚を覚えるし、勝手がよくわからない街なのだ。
「そろそろ行こうかな」
六本木は昼と夜の顔が随分違う。
ミッドタウンを出たら、さっき座って眺めた景色とは全く別の六本木に街は変わっていた。


投稿日:2010年06月03日

2010年06月03日

京都で青春時代を送っていた頃、好きな洋食店の一つにT’s Rocketという店があった。場所は烏丸丸太町をちょこっと下がった所にあって、ビルの一階で営業をしていた。烏丸丸太町近辺はどちらかと言えば京都の人が暮らすエリアで、買い物客や観光客が訪れるような所でもないので、比較的店もない場所だったのだが、ここの店はいつもお客さんで賑わっていたのだ。
メンチカツやハンバーグなど、定番の洋食がメニューにあって、ちょっとお洒落なビストロといった店の雰囲気。当時の私には安い!という店ではなかったが、とにかく美味しい店だったので、時々ここに来たくなって訪ねたものだった。
が、ある日、行ってみると店がなくなっていた。そこは確か後にホテルが出来たのでビル自体が立ち退きになって店舗が出なくてはいけなくなったのかもしれかったのだが、移転先が書いてあるわけでなく、ただ空っぽになった店の跡があるだけだった。
とても流行っていた店だったので、どこかに移転したのだと思ったが結局わからずじまい、店のシェフかオーナーかはまだ若い男性で美味しいお店だったのになぁと今でもたまにふと思い出すことがある。
ゆで卵がメンチカツの中に入ったスコッチエッグは、この店で知った。
検索をしても同じ店名ではやっぱり今も探せない。
美味しい洋食の店。
どこかでやっていたら、また行ってみたいのだ。


投稿日:2010年06月02日

2010年06月02日

以前、腕時計はメンズタイプの大きめのものが好きでつけていたが、ある頃からレディスウォッチの細身タイプのものに好みが変わった。
ここ10年ぐらいはベルトも細く、文字盤も小さいブレスレットタイプの時計をずっとしていたが、先日久しぶりに新しい腕時計を購入した。
SUUNTOというメーカーのアウトドア指向のもので、しかも文字盤がデジタルの時計なので、デジタル時計は学生の頃以来になるんじゃなかろうか。
学生の頃はアナログ時計とデジタルをちょこちょこと変えながら使っていたので、文字盤が変わったらしばらく馴染まなくて違和感があったのだが、その感覚でいたら今度はデジタルに変えても即馴染んで違和感がなかったことに逆に驚いたのだ。
多分、それは日常生活の中でデジタル表示の時計に慣れていたということからなのだと思う。パソコンの時計もデジタルだし、携帯もデジタル。駅での時刻表時もそう言えば私の利用する3つの路線は全てデジタル。私が学生の頃はまだデジタル表示で時刻を示すものが今よりずっと少なかった頃だったので、頭の切り替えが出来ていなかったのだと思うが、今は街の至るところでデジタル時計を見ているので頭の中がバイリンになったんだなぁとわかったのだ。
夜の9時は、だから21時という表示をしないとちょっと混乱する。なので、新しい腕時計は24時間表示に使い方を変えて、それをすればもう何も不便を感じることはなくなった。
それどころか、今度は逆に文字盤に変えた時の方が違和感を感じるようになるかもしれない。
そっかぁ・・・・・。
時刻はデジタルで表示される時代に変わったのだ。


投稿日:2010年06月01日

2010年06月01日

今日は父の誕生日。プレゼントを送っていなかったので、連絡だけでもと思って電話をかけた。
「もしもし、あ。お父さん?」
「へい。なんや」
電話の向こうでテレビが流れている。この間電話をした時も、「今テレビ、見とんねん」で通話時間が5秒ぐらいだった。テレビを見ている時は電話が短いのだ。私がセールスの電話を断る時の通話時間より短い時があって、電話を切ったあとに、「父親って娘が好きなはずなんだけどなぁ」と不思議気分に包まれる時があるのだ。
「お誕生日、おめでとうございます」
父は今朝目覚めた時に、自分の誕生日であることを覚えていたんだろう。
「ワシが何歳になったんか、あんたは知ってんのか」
テストを出してきた。
父は昭和3年生まれ。82歳か83歳になったんだと思うが咄嗟に計算が出来なくて、「えっと、82歳か83歳です」と答えたのだが・・・・
父にとっては82歳も83歳も同じなようで、当たりともはずれとも言われずにその会話は答えを教えてもらえないまま唐突に終わったのだった。
「今日な」
父はまた別の話がしたいらしい。
「近所のコーエンに行ってきてん」
近所のコーエンとは日用雑貨などを売っている国道沿いの店なのだが、そこに父は行ったらしい。
「スクラッチくじ、買ったら」
「700円儲ってん!」
最後の方で当たりが出たらしく、全然当たらない状況で最後にポロっと当たりが続いたという頃合いがよかったせいかエラく上機嫌だった。
「誕生日に当たったわ」
勝ったと言っても2000円分のくじを買って、2700円になったというささやかな勝ちだったのだが、吉野家の牛丼を二杯私が父におごるより、スクラッチくじで700円勝った方が喜びは大きいのだなと思った。
私の財布にもスクラッチくじの当たり券が入っている。こちらは700円なので、私は負けで親子で計算をすれば負けているのだが、今日はめでたい日なので余計なことは言わずにおいた。
しかし長いこと私も父を見てきたが、700円の勝ちであんなに喜ぶような父ではない。
親子でスクラッチくじにハマっているとは知らなかった。
<当たってよかったね>
父も相当いつも当たっていないんだなということが感じられたのであった。