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投稿日:2007年09月10日

2007年09月10日

京都ライブ。
昼前にFM京都に行く。ステーションは北山から烏丸に場所が変わったが、個人的にこのアルファステーションに深い愛着がある。一番古くお世話になっている方は、私が大学を卒業して、社会人にもなれずに道端でウンコ座りをしていた頃からになるので、まずステーションのドアを開けると、「あの人は居るだろうか」「この人は今日は来てるかな」と、人の姿を探してしまうのだ。
祐民子ちゃんは新しい場所に移ってからは、来るのが初めてになるのだそうで、つい私も「今日はお友達を連れてきました!」と紹介をしたくなるのだが、考えてみたら今までに祐民子ちゃんもキャンペーンで何度もここを訪れている。私が紹介する必要なんてなかったのだ。
お世話になったいろいろな方との再会が出来た。一人一人、会えるごとに「元気そうでよかった」と嬉しくなった。
番組にゲスト出演後、挨拶をしてステーションを出る。
昼食の店に入ったところで電話が鳴った。
ペットシッターさんからだった。
”なんだか、様子が落ち着いたみたいです”と、先にその言葉をイメージした。そう聞きたくて急いで電話を取ったが、その電話で私はゴン太が亡くなったことを知った。
死んじゃったの?
ゴンちゃん。
なんで。
だって元気にしていたじゃない。
私が出掛ける時には。
おじいちゃんフェレットのゴン太。考えてみればいつ急に亡くなったとしてもおかしくはない。だが、チビ太が亡くなった時のことが自分のものさしとなって、同じようにゴン太もゆっくりさようならの時間をくれると、私は希望も含め信じ込んでいたのだろう。
ごめんね。
痛かったのかな。
苦しかったのかな。
そばに居られなかった。
店に戻ったら、自分の”切り替える”スイッチが効かなくなっていた。ゴン太にごめん、みんなにもごめん、ごめんに覆われてただの私に戻って店の中でワンワン泣いた。
金沢、大阪と二日間のライブがあって、今日は地元である京都では祐民子ちゃんにお礼がしたかった。お礼と言っても何がお礼なのか、そんなものを一つも持っているわけじゃないけれど、気持ちはそうだった。
でも今日のライブを支えてくれたのは、最初から最後まで祐民子ちゃんだった。出だしの3曲は私が一人でステージに立ったが、ステージ上に居なくとも支えてくれたのは祐民子ちゃんだった。
3曲を終えて、ステージに呼び込んだ時、客席には見えなかっただろうこっちを見てくれた目が本当に優しくて心強かった。
個人的には悲しい一日だった。
でもゴンタが亡くなったことは事前に知れてよかった。一飼い主として、連絡をもらえてよかった。
心が揺れたり、心細くなったり、葛藤があったり。
私はやっぱり「働くおとうさん」にはなれないんだ。
いろんな出来事がある。
ライブは生身の人間がその日にその時出来ることを披露する場所。こんな音楽の日もある。
今日は時間を作ってたくさんの人が集まってくれた。
その日のベストを。
祐民子ちゃんがたくさん支えてくれた。
足元がよろけた私をカバーしてくれた。
今日のライブはそうして在った。
ライブの裏側だ。


投稿日:2007年09月09日

2007年09月09日

朝、金沢を後にして大阪に向かう。
さよなら、金沢。3日間で、金沢は愛着のある街に変わった。前にも思ったはずの「また来たい」とは違うもっと想いの強い「また来たい」が自分の中に芽生えて、高速に乗る時なんだかとても後ろ髪を引かれた。
今日は晴れ。暑くなりそうだ。
移動先は、大阪の鶴見区にある「ディスクハウスマイティ」。祐民子ちゃんにとって久しぶりの大阪なのだそうで、開店直後からもう待っていてくれているファンの方がいて、”待っていてくれる人が居る”ということを実感するとやっぱり心強い。
リハーサルを終えると、今日のライブに友情出演で参加してもらう笑福亭銀瓶さんが楽屋を訪ねて来られる。祐民子ちゃんと銀瓶さんはもう数年のお付き合いみたいで、今日の出番前の空気は昨日とはまた違ったリラックスしたムードとなった。
壁には田端義夫さんのサイン色紙が飾ってあった。
「デビュー64年、まだまだこれから」
と、書いてあった。
「ろ、ろくじゅうよねん!?」
祐民子ちゃんと”ひえー”と声を出してビビったのだ。
本番、会場には用意された椅子に座り切れない程のお客さんが待っていてくれた。今日はのっけから「ただいま!」と笑って挨拶をする祐民子ちゃんが印象的だった。
今日のライブはうんと身近な距離。
昨日の澄んだ空気とはうって変わって振れ幅としては真逆、熱い空気の中でのミニライブになった。
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ライブが終わってメールを見たら、フェレットのゴン太の様子がおかしいという連絡がペットシッターさんから残っていた。具合いが悪いので病院に連れて行ったら、点滴後に急変したということだった。
どうしちゃったの。ゴン太。
旅の間、動物達のことはたびたび思い出していた。
元気にしてるかな。
寂しくしていないかな。
普段、頭の切り替えについては意識して心掛けていた。自分のもともとは苦手な項目。だからこそ、そこを注意して「働くおとうさん」のように自分もある時はスッパリ切り離して、目の前にあるものだけに集中をしなくちゃいけないんだと気にしているところがあった。
でも。
気になっていたのなら、空いた時間に「動物達は元気にしていますか」と連絡をして聞けばよかったのだ。ちょっとの時間に。それぐらいの時間なんてどこにでもあった。誰も周りはそんなことをするなと言ってもいないのに、自分で一人決まりごとを作っていたことを後悔した。
今日は大阪からそのまま京都に移動。
出がけに元気にしていたゴン太のことしか、私には印象がない。今危ない状態にあると聞いてもそれが信じられない。
揺れちゃいけない。
でも揺れているじゃないか。
ゴン太、明日には元気になっていて。点滴で驚いてちょっとグッタリしただけだったと、またいつもの間抜けなゴンちゃんに戻ってよ。
ごめんね。
そばに居られなくて。
朝まで眠れなかった。
ホテルに帰り一人になると、パソコンにいくつかのキーワードを入れ、知らない誰かが書いた動物達に起こったケースを検索で探す。そこに居るのはゴン太でもないのに。
考えたってしょうがない。
だけどずっとゴン太のことが消えてくれなかった。


投稿日:2007年09月08日

2007年09月08日

金沢21世紀美術館にてライブ。
ここのホールには、ベーゼンドルファーというピアノが置いてある。私は実はこの”ベーゼン”と呼ばれている名器をまだ一度も弾いたことがない。どんなピアノだろう。昨日尋ねたら「ちょっと鍵盤がかたいかも」ということを聞いてビビった。
”鍵盤がかたい”という表現は、恐らく”重い”ということなのだ。
ホールに入って、早速触らせてもらう。
<どぞ、よろしくお願いします>
「かたい」と聞くと、名前まで「かたく」感じてくる。だが・・・・。
ポロン。
あれ。
ポロポロン。
あれあれ。
私は、ピアノに対しての「ウンチク」や「分析力」をほとんど持っていない。耳もチューニング440と441の差がわからないアバウトな弾き手なのだが、このピアノはそんな私が弾いても「す、すごくいい音・・・」だった。特に高い音域の鍵盤の「鳴り」が、今まで触ったどのピアノにもない私にとっての「いい音」がした。
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どうも今日の調律師の方がすご腕の方らしく、少しお話をさせてもらったが、「タッチ」と「鳴り」を入念に調整してもらったようだった。
スゴク、カンドウシマシター。
ほぼカタコトの日本語で興奮して伝えたら、「このあと、もう少しよくなるよう調整しますよ」と笑っておられてまたビビった。今まで私は調律は音程を合わせる作業だとしか思っていなかった。すごい仕事人の人が居るのだ。
リハーサルが終わって、本番の準備にそれぞれが入る。着替えなどもあるが、本番が始まるまでのステージの裏側の居方はみんなそれぞれで、誰かとヤケに話をしたくなるという人、何か食べないと落ち着かないという人、普段と変わらず過ごせる人、いろいろなタイプがある。私は無口になる方で、静かにしていることが多いが、祝迫さんも祐民子ちゃんも、無口で静かに過ごしていた。
本番は、二人はステージ”上手”から、私は”下手”からの「出」になるので左右に分かれる。出番前、二人と短い挨拶をして奥の通路の方に私だけが行く。
今日のメニューは、ピアノから始まるパターン。
「服部祐民子 歌とリーディング。」
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今までにたくさんの数えきれない程の音楽コンサートやライブが行われてきた。今日も同じ時間にどこかではライブが行われている。そして今日のライブもまた一つのあらたなコンサートになるのだ。
自分の今日の役目は何。
緊張をすると、それを自分に話すようにする。そうするとほんの少し自分自身に冷静さが戻ってくる。
私はアガリ症だ。
祝迫さんがリーディングを始めると、言葉だけでなく祝迫さんの仕事師としての信念みたいなものも空気になって伝わってきた。
調律師の方が、「弾き手の人をひとりぼっちにしないような調整を心掛けています」とリハが終わったらそんな話をしてくれたが、その話が本番になってよくわかったのだ。リハ終わりで調整してもらったピアノは、更に弾きやすくなり、中低域の音が高音域と同じ位良くなっていた。今までにピアノに対して、そんな細かいことまで一度も感じたことのなかった私が、ハッキリわかったのだった。
<すごいね、どんな風に弾いてもいい音がする>
<だから、応援してあげるから、頑張んなさい。>
<あぁ、ありがとう>
ピアノがそばで応援してくれた。
素晴らしい仕事人達がたくさん集まった現場だった。それらを横目で見ながら自分もしっかりやりたいなとあらためて考えた場所だった。
祐民子ちゃんは今日も真っ直ぐ言葉を歌い届ける。
真ん中にあるのは「歌」。
白いホールの中、人がたくさん居る場所なのに空気がどこまでも澄んで見えた。


投稿日:2007年09月07日

2007年09月07日

午前中、金沢に住んでいるMちゃんに会った。
Mちゃんとは東京で知り合ったのだが、仕事で4月からこっちに住んでいて、もし時間が合えば会いたいなと思っていたのだ。Mちゃんはガラスが専門で、今の職場はアートや造形を専門にしている工房に居る。工房を見学させてもらったら、非常に環境が整っていて、全国から集まってきた作家さん達が今日も作品作りを黙々としていた。金沢は本当に文化レベルが高い土地なんだなぁと感じたのだ。
Mちゃんの運転で工房から東山という所に連れていってもらう。ここは観光スポットらしく、通りを見回すと看板が出ていないのだが、格子戸を開けると雑貨屋さんだったりお土産もの屋さんだったりしてお客さんも結構居たので意外な造りのエリアだった。
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路地を入ったところの古民家風のお洒落な喫茶店に行く。時々時計を見ながら、あれやこれやと会話をしたが、まだまだ話したいことがたくさんあって時間が足りなかった。でも会えてよかった。
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午後はまたFM石川で番組ゲストに入れてもらう。この二日で私も感じたが、局の方達が本当にあったかい。そしてパーソナリティの女性陣がみんな感性豊かだ。このことは祐民子ちゃんも同じことを言っていた。
今日も番組宛てには祐民子ちゃんに「おかえり」と迎えるリスナーさん達のメッセージがたくさん届いていた。
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ラジオが終了するとゲネに向かう。金沢スタッフチームと東京スタッフ、リーディングの祝迫さんとこれで全員が揃った。リーディングのきっかけ、照明のきっかけ、ピアノのタイミングにMCの進行、チェック項目が多く私も二重三重にメモを書き込む。
仏頂顔の時の私は、内心「どうしよう、どうしよう」とうろたえている。だって普段家の鍵をなくしたり、買ったばかりの服を落としたり、鞄さえ歩きながら落としているのだ。
<どうしよう、どうしよう>
<いやいや、そんな弱気じゃだめだって>
<そうだわね>
<いや、でもどうしよう>
と、余計なことを頭の中で話しているので、実は現在の段取りの話を聞いていなかったりするのであった。
仏頂顔のまま
<しまった。今話をスルーしちゃったわ>
と、反省をする。
まぁ、いつもの私だ。
ゲネが終わると、みんなで食事に行く。
一緒に食事をするって、多分互いの波長を合わせていく作用がある。祐民子ちゃんとはリハで音を合わせること以外に、そのあと一緒にご飯を食べて普通に会話をしただけで、次の回のリハが前のリハよりもピタっと来たなぁと感じたことが何度もあった。
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みんなが一つの方向に向かっている。
楽しい夕食だった。


投稿日:2007年09月06日

2007年09月06日

金沢出発日。
今朝は朝の5時出発なので、数日前から少しずつ体を朝型に変えようと思っていたが、そんなに簡単に生活のサイクルって変わらない。午前3時頃から無理矢理目を閉じて、1時間半呪文のように「寝なくちゃ」と念じたのが一番不毛な時間の使い方だったのだ。
関越自動車道に乗り、車は高速を走る。関東地方にも台風が向かってきているが、途中車窓から見える景色は台風が思い浮かべられない程、晴れた9月の風景だった。
山を越え、温泉地を越え、田んぼが広がって。
ある場所からススキがたくさん見えるようになる。
”もう、ススキなんだなぁ”と思って眺めていたら、祐民子ちゃんが後ろの席で「ススキ・・」と口にした。祐民子ちゃんも”もう、ススキなんだなぁ”と思っていたのかぁ。
川や鉄道と近づいたり、離れたり。何本川を見たかな。社会の教科書で名前しか見たことがなかった川達。水が浅く大きな石がゴロゴロ見えて、普段の生活では見ない川にだんだん変わっていく。
台風の影響で一部早くも通行止めになっていたので、新潟経由で金沢に入ったが、道中は青空に太陽が射す爽やかな天気だった。
午後一番でFM石川のお昼の番組ゲストに、私もお邪魔させていただく。自分もずっと以前にゲストでお世話になったことがあって、その時はゆっくりする間もなかったが、今回は祐民子ちゃんが局のいろいろな方を紹介してくれる。祐民子ちゃんは番組レギュラーを長い間持っていて、時々私に金沢の話をしてくれていた。人と街のこと、文化の話。生まれ育った街ではないのに、いつも愛着たっぷりに金沢の話を聞かせてくれた。
私もこの街や、ここで暮らす人達と接する機会が出来た。祐民子ちゃんが、この街をどうして好きだと言っていたのか、実際に来てみて初日なりにその言葉が私の中にも実感に変わった気がした。なんだか、友だちから好きな子の話を聞いていて、うんうんと頷いていたのが自分もその子に会って好きになっちゃった、どうしよう。みたいな妙な感覚とダブったのだ。
ホテルにチェックインをして、夜はまた再びFM石川の局入りをする。
道中、ラジオから甲斐名都ちゃんのゲストトークが聞こえてくる。名都ちゃんは私も祐民子ちゃんと去年一緒にライブをさせてもらった。可愛らしい女の子だが同業者として見れば才能溢れる女性だ。毎日すごく忙しく過ごしていて、今に大舞台で活躍すると周りで期待しているが、今後どれだけ彼女がビッグになっても祐民子ちゃんはずっと彼女にとって変わらず必要な人のままの気がするそんな二人の関係で、名都ちゃんはラジオで今日も祐民子ちゃんのことを話していた。
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いい関係なのだ。
夜は最後、甲斐名都ちゃんチームと合流した。名都ちゃんチームは明日朝新潟に移動するらしく、依然多忙なスケジュールだが、みんなで集まれば同業者同士話に花が咲く。音楽系の職種は、こうして夜は楽しく飲んでばかりの派手な仕事に見えることもあるだろうが、かなり肉体的にもキツい仕事だ。
楽しいことで今日を終える。
お互い頑張ろうよ。明日も笑顔でやろう。
それぞれのこと。
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じゃぁまたね。
深夜の金沢の街、手を振って別れたのだった。


投稿日:2007年09月05日

2007年09月05日

家を空ける準備、荷造り、クーラーの修理、他の仕事をして夜は芝居を観に行った。東京ヴォードヴィルショーの山本ふじこさんは数年前に知り合って、以来公演を観せてもらったり、自分のライブに足を運んでもらったりと、出身が同じ大阪ということもあって気付けばスーっと自分が楽に付き合える存在となった人だ。
「すずなり」という下北にある劇場に初めて行く機会をくれたのもふじこさん。以前私は、演劇は素人には敷居の高い少々難しいものというイメージを持っていたが、最初に観に行った公演で「やっぱり芝居は生がいい!」と、考えが一変したのだ。芝居小屋は、肩の力を抜いて娯楽としてそこに座り、いつも通りの自分の感情をそのまま出していい場所なんだと思わせてくれたのが東京ヴォ−ドヴィルショーの芝居だった。
ふじこさんはよく笑う。よく飲むし、とにかく明るい。そして一緒に居るとその場があったかい大きな居心地のいい空間になる。
母性の人。私から見たふじこさんは一言で言えばこんな人だ。人柄もそうだが、その声自体にまず母性があって、なんとも言えない愛ある声をふじこさんはしている。
どんな話なのか、何の役で出るのか、今日も何も前情報をもらわずに行ってきた。
仕掛けもある。ストーリーには伏線がいくつも仕組まれていて、だいぶ経ってから「あぁ、あの時のあれはこう繋がっていたんだ」と思い出すくだりが出てきたり、かと思えば、多くの説明をせずに観客の感じ方にゆだねる「間」の箇所もある。仕掛けも人が作り出したものすごく計算された仕掛けがあったりで、どんどん引っ張られていったのだ。面白かった。なんだかアっという間だった。
ミュージカルや芝居の舞台は、音楽コンサートと違って、演目が終わると出演者全員がもう一度ステージに戻ってきて、観客に”ご挨拶”をする。まず全員で右側の客席に向かって御礼。左側の客席に御礼。最後に正面を向いて全員で御礼。
この時間が好きだ。
会場とステージ上の全員が笑顔になる一時。
他のお客さんと同じように、私も手をパチパチと叩く。
<今、目が合ったかも>
そんなわけはない。でも、こういう時は自意識過剰気味になって、少しドキドキする。
ステージ上、ふじこさんは今日も笑顔だった。
今日も、ふじこさんはたくさんの愛を放っていた。


投稿日:2007年09月04日

2007年09月04日

金沢、大阪、京都のライブ用最終リハーサル。
今回はそれぞれ、曲順が違うといった違いではなく3箇所のライブの温度感が違うので、通しリハーサルもモードをリハ内に変えて進めないといけない。これが思っているより頭の中の整理が大変なのだ。曲中のテンションは同じで、繋げて一本のライブになった時に違う形にするというのは本当に難しい。でもこれがちゃんと出来たらきっと旅の終わりはいい形で迎えられる。
初日の金沢メニューは、リハーサルをやっていても緊張をする。だがステージのど真ん中に立つのはプレッシャーが格段に違う。一番ピリピリとしてもよさそうなのに、こんな時にも「いやん、どうしよ〜〜〜っ」なんてことを祐民子ちゃんは言ったりしない。すごいなぁと思う。
スタジオを出ると外は夜だった。音楽スタジオは窓がない所が多いので、天気や日が沈んだかもわからずに過ごしているが、道路が雨に濡れていてたくさん雨が降ったあとがあった。スタッフの人によるとさっきは激しい雨が降っていたのだそうだ。
「洗濯ものがぁああ・・・」
祐民子ちゃんはガックリしていた。
旅支度や家を空ける準備が私も出来ていない。今日私は洗濯をしそびれて失敗したなぁと思っていたが、結局は頑張って洗濯をした方がうなだれることになるとは。
「そのまま干していたら、また乾くよ」
と、大山氏がなぐさめていた。
確かに。
あぁ、無情。天気はこうして、人の暮らしを時折オセロゲームのように簡単に裏返すのであった。


投稿日:2007年09月03日

2007年09月03日

ラジオの収録で渋谷に行った。
ディレクターのO氏は京都でラジオの仕事をされていたので、打ち合わせの時には京都の話題もよくしているのだ。
私が番組をさせてもらっていた頃にアシスタントで原稿を持って走っていた人達が、今は責任のある位置に就いていたりDJとして番組を持っていたりする。もう随分時間が流れたのだ。
O氏とは、京都のステーションでは会うことはなく、東京で初めてお目にかかった。だが、「ボクも吉川さんの曲、あっちでかけさせてもらってたんですよ」と、O氏に伺って、自分の曲が前からお世話になっていることを知る。前のディレクターのK氏も、加藤紀子ちゃんに書いた曲の話になった時に「よくかけたなぁ」と懐かしそうに笑っていたので、曲というのはこうやって自分が知らない所で人の手によって生かされているんだなぁとあらためて思ったのだ。
レギュラーでお世話になっていた頃は、毎週局の方に通っていたが、「おはようございます」と入って行くと、デスクに積み上げられたCDを前にいつもディレクターさん達は曲を聴いていた。半端じゃない量を毎日のように聴いているので、よく音楽が嫌いにならないなぁと変な心配までしたものだ。
「何か最近いいのってあります?」と新しい作品の情報は、ラジオのディレクターさんに聞くのが一番だった。
O氏と話すと、私も自然に関西弁になる。
たまに私は「全然関西弁が出ないですね」と、人に言われるが、自分ではそんなに意識して関西弁が出ないようにしているわけじゃないので、「えー、そうですか?」と、聞き返してきた。
するとやっぱり全然出ないという風に言われる。
「関西の人と話すとすぐ関西弁になりますよ〜」
そう言って話が終わるパターンなのだが、O氏が相手だと、私は即関西人に戻っているのだろう。
「@@してんねんやんかぁ」
「そうやねんやんかぁ」
語尾がちょこっと甘えたというか間抜けなというか。私の口から頻繁に出るらしい「やんかぁ」は京都寄りでよく使われるかもしれない。
久しぶりの京都やねんやんかぁ。
めっちゃ楽しみにしてんねんやんかぁ。
くしゃみをしているかな。
京都の仲間達は。
よく思い出しているよ。
京都を離れても、京都が大好きな人間がたくさんいることを、私は京都から遠く離れて初めて知った。


投稿日:2007年09月02日

2007年09月02日

午後、服部祐民子ちゃんとのリハーサル。
祐民子ちゃんは、持ち楽器がギター。
私はピアノ。
ライブの構成では、私が祐民子ちゃんの曲を演奏するだけでなく、祐民子ちゃんが私の曲を演奏してくれるものもある。今日は休憩時間に「人の曲って実際に弾いてみると、いろいろ発見があるね」という話になった。
ギターにもピアノにも、楽器の構造上それぞれ手の形が作りやすいコードがあって、またその楽器が自然に次に進めるコードの流れみたいなものがある。私は祐民子ちゃんの曲を弾きながら、「C7sus4」に進むのが新鮮に思っていたが、祐民子ちゃんには私が多用している「B♭M7」が新鮮だと言うのを聞いて、そこから二人で楽器の違いの話になっていく。
コードには、それぞれ代理コードというものがある。コードネームが違っても似た響きになる関係のコードがあるので、今日はそこら辺のすりあわせをする。
「私はいつも、こう弾いてるんだけど」
と、ポロンと鍵盤で和音を弾いて聞いてもらい・・・
「ってことは、こんな響きでいいのかな?」
ポロロン・・・と、ギターでの弾きやすいコードに変えてもらう。
譜面はライブをする時の共通フォーマットとして、必要なものだが、時にかえって音楽をする上で難しくさせる存在になることがある。
私の曲のうち一曲は、祐民子ちゃんにギターとコーラスでサポートしてもらう。
今日の祐民子ちゃんは帽子を少し深めに被った格好。
椅子に座り、ギターをカッティングしながらコーラスを取ってくれるのを歌いながら見れば、なんとなく女性デュオの別のグループをやっているみたいな気分になってきたのだ。
今日は私が先抜け。祐民子ちゃんの個人練習に入るので、お先にとスタジオを出た。
あとは通しリハを残すだけとなった。


投稿日:2007年09月01日

2007年09月01日

今日は法事で築地の本願寺に行った。
祖父と祖母、そして叔母のお父さんの合同法要で、叔母方の私にとって遠い親戚の人達に初めて会ったのだ。
食事会の時に叔母の紹介で、叔母の弟さん一家とはじめましてのご挨拶をする。
叔母の弟さん一家は娘さんが二人、私の従姉弟からすれば従姉妹になるのだが、その場合は「はとこ」同士の関係になるのかどういう繋がりになるのか。結局その席ではみんな「うーん、どうなんでしょうね〜」で終わった。
一時間前までは全くの見ず知らずの間柄。どこかの百貨店で同じ店で服を選んでいたかもしれないなぁ・・などと思ったりする。マクドナルドで後ろに並んでいたかもしれないし、本屋さんのレジで「ちょっと、私の方が先よっ!」と言わんばかりに押し退けていたかもしれない。
甥っこは前に会った時はちびっこだった。一緒にカラオケに行ってその時は「どらえもん」を歌っていたが、今は高校生になり背ははるかに私より高い。甥だって「お久しぶり」と挨拶をするより「はじめまして」の方が感覚としてピッタリ来る。
電車の中で、もしかしたら隣りに座っていたかもしれないな〜。甥は、私が普段渋谷に出る時に乗る電車と同じ路線上に高校がある。
寿司を食べながら従姉弟グループと話をする。
私の家は文化の匂いのしない一般家庭で、一人だけちょっと別の道に進んだ感があったが、こうして集まってみると編集者にライター、翻訳家に建築デザインと文化系の仕事にみんな就いていて、叔父が言うには私の曾祖母の血がこうなったということだった。
ちびっこだった甥も音楽をやっている。今日は「どらえもん」じゃなく、「打ち込み」「データ」「音源ソフト」の話になり、”今度家に遊びにおいでよー”なんて会話になったのが、ちょっと楽しかった。
人類、皆兄弟。
知らない人は、自分が知らないだけで親戚だったりするのか。
帰りの電車の中でそう思い返しながら車内を見回せば、あの人もこの人もと今度はあまりにいっぺんに親戚が増え、キャパオーバーとなり倒れそうになったのであった。