月別アーカイブ : 2008年2月

投稿日:2008年02月09日

2008年02月09日

夕方に降り始めた雪は、みるみるうちに積もっていった。
これで積もるまで雪が降ったのは日曜日から数えて3度目。都内でこんなに短いタームで雪が積もるのは、めずらしいんじゃないだろうか。
雪が積もると、地面が白くなるせいか夜が少し明るくなる。
いつもの夜なのに、いつもの夜じゃなくなる。
雪が積もって好きだなと思うところは、雪が音を吸って静かになるところだ。
シンシンと。
秘密を作るのなら、雪の日がいい。
見慣れたタクシーが、雪を乗せて青梅街道を通り過ぎて行く。
東京が知らない街に見えた夜だった。


投稿日:2008年02月08日

2008年02月08日

今回のレコーディングでお願いをしていた岡崎司さんからの音源が届いた。
最近は自宅のパソコンに音楽のデータが送れるようになった。私が最初にバンドで音を出した時のシンセサイザーが単音しか音が鳴らなかったことを思えば恐ろしい進歩だ。”単音しか音が鳴らない”とは「ドミソ」を押さえてもそのうちの一つしか音が鳴らない状態のことで、初期のシンセサイザーはそういうタイプのものが多かった。
圧縮されたデータを解凍すると、”デモ”と”スタンダードミディファイル”、それから”オーディオデータ”と言って、ピアノだけを録音したデータだったり、ベースだけが入ったデータだったりするものがいくつも入っている。
”デモ”をクリックすると曲が流れ出す。これはスケッチみたいなもので、だが一般の人が聴けば”曲”と”デモ”の違いはあまりわからないかもしれない。岡崎さんの”デモ”はとてもスケッチといった感じではなく、限りなく完成されたデモで、私が最初に渡して聴いてもらっていたデモとは全く別の曲になっていて、これがまたすごくかっこいいデモだった。
打ち合わせでは、ギターのリフをいくつか頂くだけという予定だったが、普段プロデュースをしている岡崎さんなので、私のデモを聴いて「だったら、こういうのがいいかもよ」というアイデアが自然に沸くのだ。私は曲の構成をどうしようかなと思って保留にしていたが、岡崎さんのデモのフル構成で構成もとてもよかった。やはり岡崎さんはサウンドプロデューサーなんだなぁとデモを聴きながらあらためて尊敬、再認識することとなった。
エリック・サティのジムノペディ第1番は、今までにピアノ一台だけの演奏で、この曲が名曲であることは十分に証明されている。
既存の曲をカバーをする時には、その曲に対する敬意と遊び心、この二つを以ってのぞみたい。
今は華やかで強いジムノペディにトライしている過程だ。


投稿日:2008年02月07日

2008年02月07日

動物の”すごいな”と思うところの一つは、「好きなものの順番がハッキリしている」という点だ。
我が家の3匹はみんな「好きなもの」から順に食べた。あげるものの種類をかえても、選択肢のパターンをかえてもそれは変わらず、数種類の餌やオヤツが入った餌であったとしても、しっかり選り分けをして順番通りに食べるのだった。
たまたま口に入ったものはそのまま食べるのかと思ったら、それは床に丁寧に除けて、やはり好きなものから食べる。逆に几帳面に見える位なのだ。
動物にも知恵がある。こちらが思っているよりも緻密に駆け引きもするし、考えて得策を選んでいることは彼等にもたくさんある。
でも、食べ物は好きな順というのが動物の法則らしい。
人間だとそんな法則はない。その人の自由となっている部分で、人の数だけ考えがあるということになる。人間ならではの豊かさがここに出ているという風にも考えられるが、最近の私はこの動物側の絶対の法則の方に何か人間が学ぶ大事なヒントが潜んでいる気がしてならないのだ。
それは単に食べ物は好きな順に食べる方がいいだけでは終わらない、別のことに通ずるもの・・・。
一日はその人の選択によって作られる。そして人の一生はその日々の積み重ねで作られる。
ダンボは今日も好きな順に餌を食べた。
何か大きな教えがあるのではないかと、横で私は仁王立ちで凝視する。
犬はその心、知らず。
ダンボは私に餌を取られまいとして、必死で早食いをするのであった。


投稿日:2008年02月06日

2008年02月06日

バイクでよく通る交差点があるのだ。
ちょっと変わったスクランブル交差点になっていて、渡り切るまでの距離が長い箇所が一つあるのだが、それに加えて信号が青の時間が非常に短く、ここは車1台が渡り切るまでに黄色になる状態なのだった。
私もこの交差点をバイクで青で渡れたことが、まだ一度もない。一番先頭で待っていて青になるのと同時に出ても、渡る前に黄色に変わる。何度ここを通ってもあとちょっと時間が足りないのだ。
だーれも青で渡り切れない信号機。
交差点すぐそばには交番があって、巡査がよく立っているのだが、この中途半端な信号機のおかげで、交差点を渡っている運転手はみな心が乱れているのである。
「開かずの踏切り」ならぬ「渡れずの交差点」。
無事に渡るといつもそれで忘れてしまう。
で、またその交差点に来て「あっ」と思う。
昔読んだリプレイという本にちょっと似ている。ある日時に繰り返し主人公が戻ってくるという話。
私の人生はこの交差点が起点になっている気がしてきたのであった。


投稿日:2008年02月05日

2008年02月05日

ダンボちゃん。
ダンボちゃんは、お耳が大きいからダンボという名前になりました。
一日、何回ぐらい私はキミの名前を呼んでいるかな。
キミは、自分の名前が「ダンボ」であることを、覚えましたね。その証拠に「リチャード」と呼ばれても振り向かないし、「バンビ」と呼んでも反応がありません。
ボクの名はダンボ。
そう、よろしい。
とっても素晴らしいです。
時々、ダンボは私の目をジーっと見ていることがある。
RIMG0129.JPG
そんな時は、この犬は何を考えているんだろうと思っていたのだが、そのうちの一つにやっと気付くことが出来た。
”この人は何て名前なんだろう”
私は犬に自分の名前を教えていなかった。
いやぁ〜ね。ダンボちゃんったら。
ジっと見つめちゃって。
うふふっ。
そんなにアタシのこと、好き?
いいや。犬は実際はもっと別の理由でこっちを見ているものなのである。
そのうちの何回かは、「何て、名前なんだろう」。
多分、当たっているだろう。
そして、目をそらした時には「ま、別にいっか」。
動物達は、人間が思っているほど決して飼い主のことがそこまで大好きなわけではないのである。


投稿日:2008年02月04日

2008年02月04日

前の家で使っていた電話の前の持ち主は、「H野」という男だった。
ある頃から度々「H野さんですか?」という間違い電話が掛かってくるようになって不審に思っていたら、ある間違い電話の主によってこの「H野」は消費者金融からお金を借りて逃げた人物であることがわかったのだった。
病院で治療を受けて、治療費も払わずに私んとこの電話番号を書いていて、確信犯で私の電話番号を使っていた。
オー、マイ、ガー!
引っ越しをして、やっとこのハズレ電話番号とおさらばできたと思ったら、新しい電話は「ツーショットテレクラ」に似た番号らしかった。
オー、マイ、ガー!
最初に持った電話番号にも、「今日は楽しかったです」と留守電にメッセージを残すおばあちゃんが居たので、世の中は多分ハズレ電話番号だらけなのだ。
そして、
今の電話番号にまたこの数ヵ月で新規間違い電話が掛かってくるようになったのだった。
「M島さんですか?」
最初は気にしていなかったが、それぞれ主の違う間違い電話が私の忘れた頃に掛かってくる。
間違いだとわかると、私の方が再度電話番号を確認される。
一体「M島」さんは、何をした人なんだろう。前例があるので、「M島」さんは、”何をして逃げた人”なんだろう・・・と考えるようになってきた。
一昨日は男性からの電話だった。
また、間違った相手に電話番号を確認される。
そういうあなたこそ誰なんですか。
「H野」の時も先方は自分の会社名や名前も言わなかったので、思い切って「H野」の時と同じように質問をしてみた。
すると、
相手は@@海上、保険会社の担当の窓口の男性だった。
何かトラブルがあって電話があったのではなく、「M島」さんは10年前にはこの電話番号を使っていて、古い番号だからもしかしたら変わっているかもしれないと思いながら掛けてみたということだった。
よかった。
夜逃げした人ではなかった。
病院代を踏み倒したんでもなかった。
でも、もしもこういう間違い電話が自分と同じ名字だったら会話が成立したりするかもしれないじゃないか。
時々、迷惑。
電話番号上の私は、「H野」という男を匿っている女だったり、ツーショットでいろんなお話をしちゃう!ピチピチHギャルだったり「M島」さんだったりと、数人分の人生を生きている。
テレビ電話だったら、自分はいかにも「H野」という男を匿っているワケ有り疲れた女として、先方のイメージ通りに映るんだろうな、などと思うのであった。


投稿日:2008年02月03日

2008年02月03日

雪。
予約を入れていたので、午後は予定通り美容院に行った。
暖かい店内から窓の方に目をやると、相変わらず雪は降っていて、外は寒そうだなぁと思うのだが、暖かい部屋の中から見る雪景色は、美術館に行って絵画を眺めているような豊かな感じになる。
真っ白の雪には、こげ茶色をした裸の木が似合う。
阿佐ヶ谷の中杉通りはけやき並木が真っ直ぐに続いていて、緑の季節の中杉通りは大きな緑のトンネルになる。そして今の時期は細い裸の木が連なる並木道なのだが、今日は枝に雪が積もって白いトンネルになった。
東京も雪が降れば、雪の似合う街になる。
日曜なのに、街も今日は静かですね。
髪型が変わって真っ直ぐ家に帰る道。
灰色の空が暮れて行けば、足元だけが白く明るい。
見慣れない景色が広がっていた。
今日は東京に雪が積もった日。


投稿日:2008年02月02日

2008年02月02日

明日は節分。
ワンちゃんが鬼のカツラを被っている写真を見つけたが、ウチでは有り得ないのだ。
ダンボは服も脱いでしまうし、首輪も好きじゃない。ダンボが私の目から見ても「今、落ち込んでいる」もしくは「暗い気持ち」なんだとわかるのは、何かを着せられたりつけられたりしている時で、前に犬用の手袋というのをペットショップで見つけて買って帰ったら、手袋をはめられたダンボはみるみる暗い気分になっていったのだ。
イヤなのは十分にわかった。
お風呂に入れた時の暗い顔と同じ顔をするので、多分「被りもの」はお風呂と同じぐらい嫌いなんだろう。
ワンちゃんが鬼のカツラを被っていた写真は、ワンちゃんグッズの紹介だった。節分に合わせてどうぞということなんだろうが、カツラを被ったワンちゃんがよくおとなしくしているなぁというところに目が行く。訓練されたにせよ、随分おとなしいワンちゃんというか大人なワンちゃんだ。
しかし、その鬼のカツラを被ったとしても、明日の節分にワンちゃんが鬼役になることはない。
「鬼は〜外。福は〜内」とやって、足元にはチビ鬼が一緒について回り、部屋に撒いた豆をそのチビ犬が食べるのである。
部屋ん中にずっといる鬼。
キャンキャン鳴く鬼。
飼い主に抱っこされて可愛いがられる鬼。
部屋ん中でプリっとうんちをして、それを拾ってもらえる鬼。
豆をぶつけられない鬼である。
昔、節分の日には一家の「お父さん」は鬼の面を被り鬼役だった。
私の家もそうで、私は父に思い切り豆をぶつけると、なぜかすごく楽しい気分になった。
2008年、明日は節分。
日本の行事もだいぶ変わってきたのである。


投稿日:2008年02月01日

2008年02月01日

朝起きたら体のあちこちが痛かった。
昨日部屋から落ちた時に突作に身をかばったことが、多分原因なのだろう。
去年の11月、入院中の暗い気分だった私に山口晶くんがメールをくれたのだが、そのメールには「僕は、自分の体はきっと自分の味方だと思っているんです」ということが書いてあった。
「あぁ、すごくいい言葉だなぁ」と思ってそれから毎日、しんどい時には呪文のように「私の体は、私の味方」とつぶやいて過ごしたのだった。
自分の体は自分の味方。
すごくいい言葉だと思う。
今日は全身がひどい筋肉痛。
だが、幸せな筋肉痛だ。
私の体は、確かに私の味方だったんだということを感じ、「痛い、痛い」と言いながらも笑みがこぼれるのであった。