月別アーカイブ : 2010年4月

投稿日:2010年04月10日

2010年04月10日

今日は暖かい天気のいい日だった。
この時期になると、こういう陽気の日にはプチ衣替えをするのだ。恐らくこの後も寒い日がやって来るのだろうが、それでもさすがに着ないだろうという厚手のセーターをまず、衣替え第一弾として片付ける。こうして2〜3回に分けて様子を見ながら・・・5月の中旬から下旬にかけて最後の衣替えをして衣替え完了としているのだ。
厚手のセーターは着なくなれば引き出しの中をかなり占めてしまう。なので、今日はこれらを片付けて、まず一つ分の引き出しを整理した。
暖かい日は寒い日のことをすっかり忘れてしまう。昨夜、何を食べたかの方が圧倒的に覚えていて、だから今日みたいな日にハンガーに掛かっているセーターを見ると、「何故ここに!」というぐらい冬物の洋服達に違和感を抱いてしまうのだった。
そして秋になった時にも同じ。急にある秋らしい気候の日に夏服に違和感を抱いている。
引き出しにしまい込んでいた夏服達は、考えてみれば半年しか別れていないのに、すごく懐かしい再会に思えてワクワクする気持ちをくれる。タイムカプセルを半年ごとに開けているようなもので、ささやかな楽しいイベントなのだ。
<お前達、ほら出ておいで!>
せっかくのどかに休んでいた夏の服達は、またこの人に着られてビヨ〜〜ンと伸ばされるのか・・・・とうんざりしているかもしれないが・・・・。
<今度は痩せるから!>
確かに仲間のどれぐらいかは無理矢理着られて、一部破けるなどの目に遭ってはいる。
同じ洋服でも体型が変われば洋服のシルエットが変わって、別の服に見えるということを私は経験上知っている。
引き出しの奥の方に、逃げて隠れていた最後の一枚を取り出して、「よ〜し、痩せるぞ!」と新たに決意をしたのであった。


投稿日:2010年04月09日

2010年04月09日

「ワン、ワンワワワワン」
またお二階のワンちゃんが吠えている。
昨日、一昨日と静かだったのは飼い主さんが仕事が休みだったみたいで、それでワンちゃんも吠えることはなかった。不動産屋さんに火曜日に電話をした時には「担当が戻ったら連絡をさせます」と言っていたが、結局あれから私の所には担当の人からの連絡はなかった。だから、上の階の人に近所のおばあさんからの苦情がきているということを不動産屋さんが言ったとは思えない。
たまたま、なのだ。
この二日間が連続して静かに過ごせたのは。
しかし、斜め裏のおばあさんは苦情を私が伝えたので、これから先は平穏な暮らしが出来ると思ったのではないだろうか。
多分、伝わってはいない。
どうしよう。ウチも犬がワンワン吠えているので、お二階さんの所の犬の鳴き声については私自身、寛容でありたい。だいたい、ウチだって、私が居ない時にダンボがずっと吠え続けているかもしれないし、それに飼い主が家に居る時の無駄吠え率は、断然ウチの方が高い。だから犬騒音についてはウチが言える立場じゃないのだ。
「ワンワワワワワン!」「キャンキャンキャン」
今日は若干だがいつもより吠え時間が短かかったので、ホっと胸をなでおろした。
お二階のワンコよ、どうか吠えないでおくれ。
どんより気分で、一日に何度となく空を見上げるような格好で、階下から祈るように見えない2匹のワンコにお願いをし続けた私なのであった。


投稿日:2010年04月08日

2010年04月08日

実家の門を入ったすぐのところに、さるすべりの木がある。
漢字で書くと、「百日紅」。100日ぐらいの間、ピンク色の花が咲くのでこう書くのだそうだ。
幹はすべすべしていて、木登り上手な猿も滑って登れないということろからさるすべりという名前がついた。すべすべの幹が綺麗で、植木に興味がなかった私にもちょっと素敵な木だった。やすりをかけてピカピカに磨いたような光沢が自然な状態である。洗練された木のように思えたし、それだけに「さるすべり」という安易なネーミングが合わないような気もしたのだ。
先日、ふとある家の庭にさるすべりが植えられているのを見つけて、なつかしくなった。あまり一般の家の庭で植えられているところを見ることがなかったので、親しみが湧いてしばらく立ち止まってさるすべりの木を眺めていたほどだ。
この辺りもちょこちょこと古い家屋が取り壊されて更地になり、また新しい家が建てられている。夜に明かりがついているのを見て、「あぁ、もう誰かが住んでいるんだなぁ」と人の住む家になったことを知り、外に居ても新築の匂いがしてきそうな雰囲気がある。
敷地には若い木が植えられていて、大きな台風が来たらポキっと折れちゃうんじゃないかと思うぐらいひ弱に立っているが、この若い木がだんだん育っていって家が古くなるとともに立派な木になっていく。
家にある木は長い年月を経て、いつの間にか思い入れのある木に変わって行く。
子供用の自転車と若い木を見ると、私は実家のさるすべりを思い出す。
家の近くに戻ると、最近建った新しい家に明かりがついていた。
中から多分子供達なんだろう、階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。
この家で君たちは大きくなって行くんだね。
若いオリーブの木が門灯に浮かんで、新しい暮らしの始まりを通りに放っていた。


投稿日:2010年04月07日

2010年04月07日

夜、駅のエレベーターに乗っていると、前に立っている男性が「おえっ」と言った。
この人はさっきからフラフラと歩いていたヒトだ。酔っぱらっているんだなぁと思っていたが、エレベーターに乗っている最中に吐かれては困る。こういう場合後ろに立っている人間にはどういう被害があるんだろう。まぁ何かしらの困った事態になることは必至なので、面倒臭かったが右側からこの男性を追い抜かして離れることにしたのだった。
駅では酔っぱらいを見かけるが、とても迷惑なことがある。
この人達は「おえっ」となってどうしようもなくなった時に、階段のはじっこでゲーゲーやっている。だが、階段のはじっこは私の通り道。手すりが必要な人間にとって、そこは真ん中の道なのだ。反射的に「人の歩かないところに行って吐こう」とほんのちょびっとだけエチケットのような意識が働くんだろうが、あんた。ここも人の歩く道なんですよ。
と、言いたいところだが階段を上っていて「うわ!」と思った時には持ち主はもうそこには居ない。電車の座席ははじっこが人気なのに、電車を降りたらはじっこは人が歩かないと思っている。
階段のはじっこにて。
あとちょっとで上り切れると思った時にゲロを見つけ、足もガクガクになっている頃に手すりから離れて自力で階段を上がる時、私は酔ってもいないのに酔っぱらいのようなフラフラした様子になっている。
手すりを返せ。
吐くまで飲むな。
綱渡り中のやじろべえになりながら、心の中でこう叫んでいるのである。


投稿日:2010年04月06日

2010年04月06日

夕方、雨戸を閉めようとしたらダンボが家の前にピョーンと飛び出て行った。
「こら、ダンボ!」
私も裸足でピョーンと出て行き、ダンボを捕まえたら、お隣のKさんの家に斜め裏のおばあさんがやって来ていた。斜め裏のおばあさんは、恐らく家の境にベニヤ板をつけるのを指示した張本人だ。お年寄りだが、こちらのお年寄りは私の母方の祖母タイプ。怖いものナシの無敵オーラがプンプンと漂っている。
「あ、こんにちは。すみません。犬が出てしまって」
「犬!」
おばあさんは私を見ると、挨拶もなく「犬!」と一言吠えたのだった。
「ず~~っと、鳴いているでしょ。」
おばあさんはKさんの家に、ウチの二階に住む2匹の犬の鳴き声がうるさいので相談をしに来たのだと言う。確かにその時も2匹の犬がキャンキャンと鳴いている最中だった。ここの犬は飼い主さんが居ない時に、一日数回吠え続けていることが多いのだ。私も迷惑に思っていたのだが、ウチも同罪だしと目をつぶってきたのだった。しかし、一回鳴き出すと1時間ぐらい吠えている。しかも2匹なので相当イライラはするのだ。
「だから眠れないの」
「私だけじゃなくて、あちらの家にも具合の悪いおじいさんが居てね」
「私もすごく調子が悪くてね」
でも自分ではクレームをつけたくないらしい。誰かに言って欲しくてKさんの家にやって来ていたと思われる。そこに丁度私が来たみたいなのだった。
「みんなが迷惑しているのよ」
ちょっとこのおばあさんはウチの父とも似ている。そこまで極端な言い方をしなくても事情を伝えられる、と聞きながら冷静に思う自分が居るところなんてそっくりだ。
<でもね、ベニヤ板だってちょっと迷惑でしたよ。>
多分そんなことを言えば父と同じで烈火の如く怒り出されるのだろう。
二階の人はいつも留守。水曜日がお休みみたいなのだが・・・・。
おばあさんは当初Kさんに苦情を言ってもらいたくて、Kさんの家を訪ねたみたいだった。だがそこへ偶然、もっと若い鉄砲玉が現れた。<誰でもいいから私のこの怒りを鎮めなさい>という感じで、そういえば私も会話に無理矢理引き入れられた感じだったのだ。
もろもろ事情は把握した。
<おばあさんが行けば?>
<おばあさん家の家族に行ってもらえば?>
いろいろ思うことはあったが、いつもよくしてもらっているKさんを、ここで助けなくては!と思って、おばあさんに「では、私が不動産屋さんにお伝えしますので」と提案をして納得をしてもらうことにしたのだった。
それからすぐに不動産屋さんに電話をしたのだ。
概要を伝えると今、担当が留守なので担当の者が帰って来たら詳しいお話を伺いに電話をさせますと言っていた。
その日、電話は掛かって来なかった。
ここの不動産屋がまたフォローがテキトーな所なのだ。
急に心細くなってきた。
今日の会話で、おばあさんの部屋から一番近い距離に過ごしている他人は、私であることもわかった。
なんだか気が重い。
ここは一階、それなのに酸素の薄い高山にでも登っているぐらい息苦しいエリアになったのであった。


投稿日:2010年04月05日

2010年04月05日

今年のソメイヨシノは咲きかけて、寒さで一旦動きが止まり、そしてようやく満開になった。
とはいえ、去年のように一斉に満開になる咲き方とはちょっと違っていた。満開にはなったが、少し散った花びらもあるので、花の華やかさは「満開時」は去年の方が華やかだったのだ。桜並木の近くに住むと、満開にもその年によって満開の感じが違うことがわかるようになってきたのだ。
入学式の頃のイラストには、よく桜が背景に描いてある。
だが東京では、入学式の頃にはソメイヨシノは散っているので、こういったイラストのような光景は見られない。どこの街が基準になっているのかなと思っていたのだが・・・・。
今年はギリギリ、桜も咲いていてくれそうだ。
近所の子供が赤ちゃんの時、ベビーカーに乗ってここを散歩していたのを桜達は見ていたのかな?それで、いつかこの子が入学式に上がるのを見てみたいと老いた桜が思ったのだろうか。
桜の咲く入学式。
そんな理由があったのかもしれないから。
記念写真に撮っていつまでも今年の桜が残るといいなと思ったのであった。


投稿日:2010年04月04日

2010年04月04日

大学時代の友人が東京に仕事で来るというので、少し前に夕飯を一緒に食べる約束をした。
東京に来てもう14~5年になるというのに、私は未だに東京のことを知らない。特に宿泊ホテル辺りの銀座は、関西に住んでいた頃から知識は1%上がった程度なのだ。多分Sくんは店なんてどこでもいいやと言うだろうが、そこは仮にも東京人として大人のおもてなしをせねば!と、この一週間はネットと図書館で「銀座」の勉強をしたのだった。
それにしても、お店を決めるのって難しい。昔からこういう役回りは全て誰かにやってもらってそれに甘えてきた。「みんなと会えるなら店はどこでもいい」と思っていたので、幹事さんには気楽に進めてもらっているつもりでいたが、いざ自分が「店はどこでもいいよ」と言われるとなると、「あ、ほんと?じゃ、当日適当に見つけようか」という風には思えないものだ。
てんぷらにしようか、洋食にしようか、鉄板焼きにしようか、居酒屋さんにしようか・・・・。この一週間、ネットと図書館で「銀座」をキーワードに店探しで大いにあっちこっち揺れたのだ。
私が調べた銀座のお店は日曜日は定休日のお店が意外に多かった。
いつかテレビで美味しそうなおでん屋さんの紹介をしていたなと思って、調べたらその店はお休み、他にも気になる店をチェックしたのだが、閉店時間が早かったり定休日だったりで、店だけでなく開店時間との照らし合わせもちょびっと苦戦する。
結局、田舎者として初心に戻り、最終的に「東京の夜景が見えて」「店がいろいろある」「東京っぽいところ」で”自分検索”をしてヒットしたカレッタ汐留の上の階のダイニングバーを予約してようやく落ち着いたのだった。
汐留駅で下車するのは初めて。かつて汐留ピットという大きいライブハウスがあって、勢いのあるバンドはそこで演奏をしてメジャーになっていった憧れの場所だった。もう今はそのハコもなくなり、高層ビルがたくさん建って再開発されたが、それでも「汐留」という響きには、なつかしくキュンとするものがある。
それにしても、東京に来た友人とご飯を食べる時、つくづく自分が東京人ではないことを思い知る。
今日も「会えてよかった」と思う前に、「無事に約束の場所に着けてよかった」と、ホっとした。この先も東京での自分の自信のあるおすすめコースは唯一、「吉祥寺で私の好きな店ツアー」、吉祥寺の自分の好きな雑貨屋さんとケーキ屋さんを回るコースだけだなと思うのであった。


投稿日:2010年04月03日

2010年04月03日

ドラマーの臼井かつみちゃんの家で、お花見のご飯会があるので遊びに行った。
かつみちゃんは料理が得意なのだ。たまに友人達を招いてご飯会を開いているそうなのだが、その料理はみんなから評判が高い。私も前に呼んでもらったが、やはりコース料理みたいに次から次へといろんな料理が出てきて感動したのだ。部屋で一緒におしゃべりをしていると思っていたら、いつの間にかキッチンでちょこちょこっと何かを作っている。テーブルの上の料理の進み具合を見ながら、次の料理のタイミングを見計らっているのだ。創作料理から鴨なんばんまで本当に美味しく、
私にしたら、こんな食事はどこか旅行に行った先でいただくような特別なものなのだが、かつみちゃんは普段も食事は時間をかけて、あれこれ作りながら進めているのだそうだ。
「またあのお店に行きたい」
例えば、私の場合四谷のエリーゼという洋食屋さんがそういう店だったりするのだが、それと同じぐらい「かつみちゃん家に行って、また手料理が食べたい」と思う。
今日はかつみちゃんのやっているバンドのメンバーの人達や、かつみちゃんが一緒にお仕事をしているアーティストさんやミュージシャンの人達が入れ替わり立ち替わりやってきていて、新しく友達になった人達も増えた。普段私は飲み会や会合に縁がなく、こういう場所で音楽仲間と一緒に過ごすことがほとんどないので、新鮮だったのだ。いや、それ以上に<ミュージシャンの人達がいっぱい居る!>と、自分が異業種の人達と接点を持ったようなそれぐらいの感覚さえあったのだ。
人が気さくに集まって来る家は明るくていいなと思う。私もかつみちゃんの家は、訪ねやすい。美味しい料理は勿論だが、やはりそれと人柄なんだと思う。
今日はダイエット休止。
逆に毎日こんな夕食タイムを送りたいとさえ思ったほどだ。
やっぱり料理は上手な方が絶対にいい。
今日はつくづく思ったのであった。


投稿日:2010年04月02日

2010年04月02日

秋山エリサちゃんのライブで中目黒に行く。
中目黒へは渋谷で乗り換えて、東急東横線という電車に乗るのだが、あまり乗る路線ではないので新鮮だ。渋谷駅の改札を入ると「みなとみらい線直通/元町・中華街行き」と列車案内が出ているのでこのままフラっと横浜に行きたい!気分にかなり覆われる。
桜もようやく開き、中目黒の辺りは目黒川沿いの桜が綺麗な頃。
駅の改札を出て、ライブハウスの「楽屋」に向かう。ここは前にtomocaちゃんのライブを観に来たことがあった。グランドピアノが置いてあったのでいつかここで演奏出来たらいいなぁと思っていたのだ。去年の9月に指が上手く動かなくなって、一旦良くなったかなと思ったらやはり本調子ではなく、2月3月はライブもお休みにさせてもらっていたのだが、ようやく以前の感じが戻ってきた。結局原因がわからないままだったし、一時はいろいろ考えたが、この間のリハーサルでみんなで音を出したら、「あぁ、やっぱり音楽が一番私は得意なことだったんだ」とあらためて思えた。今日はまた新しい気持ちで一年生のように臨めるような気がする。
エリサちゃんも、今日は始めてギターの弾き語りをする。4月のはじめにふさわしい「新しい試み」だ。ギターの末松氏にギターを習うようになって、ライブがしたいなぁと相談をしたところから、エリサちゃんのライブは実現に向けて走り出した。
宇野千代さんの著書で、「人生は行動すること」「頭で考えているだけでは、何もしないのと同じ」という名言が最近ヤケに頭の中を巡っているが、エリサちゃんの行動力は自然に周りの人を動かす力がある。
リハーサルが終わって、ライブが始まるまでの短い間、近くの商店街を探検した。ピアノで参加する時の私は、ほとんどアガることがない。その日のライブに自分のMCがあるかないかで、個人的に荷の重さが全然違うのだと思う。器屋さんに行って小鉢を買おうかしら・・・など、知らない街をエンジョイしたのだ。
この数ヶ月、ピアノが遠いところにあった。
なんで弾けなくなっちゃったんだろうと考えたり、そこから目をそらしたり。
でも春がまたやってきたのかなぁ。
理由はわからないが指がまた自由に動くようになった。
だから今日は久しぶりに、前みたいに思い切り行こう。
春のうららかなライブの一日だった。


投稿日:2010年04月01日

2010年04月01日

エレベーターの中では、時々プチ険悪ムードになることがある。
それはエレベーターの開延長ボタンをめぐってなのだが・・・。
偶然自分の乗った位置の関係で、「開」ボタンを押すハメになった人が、降りる時には意地でも先に降りてやるという怒りにも似たオーラを放っていることがあるのだ。
気持ちはわかる。
さんざん「開」のボタンを押して、じゃぁ閉めますよと「閉」のボタンを押そうとしたら、「あー、乗せて頂戴」と言って滑り込みセーフの人が駆け込んで来る。そこでまた「開」のボタンを押し直し、ようやく「閉」のボタンを押したと思ったら、閉まる直前に更に滑り込みの人が外からボタンを押してまたエレベーターのドアが開く。
<セーフ、乗れてラッキー!>
その人は自分のラッキーに気を取られているので、やはり「閉」ボタンはドア付近のボタン押し係の人の役目になっているのだ。
みんなでありがとうと一言言えば、車内は和むと思うのだが、そういうこともないのでボタンを押していた人は、その短い時間に心が少しささくれる。
<次、ドアが開いたら今度こそ知らない!>
エレベーターが着くと一番先に降りて行くという光景を、もう何度私は見たことだろうか。
今日の人も相当カリカリきていたみたいだった。
ゲートが開くと同時に出走するレース馬のように、エレベーターの扉が開くと一番に疾走して行ったのであった。