昨夜の打ち上げでたった2杯チューハイを飲んだだけだったのに、今日は夕方を過ぎても二日酔いでグッタリしていたのだ。
おまけに雪が積もって外に出るとすごく寒いではないか。
本当はこんな日は家で過ごせたらいいのだが、歯科医院の予約があったので、夕方には高円寺駅前に行き、そして帰り道はなんとなく商店街をブラっと歩いているうちにバスにもタクシーにも乗れない中途半端な場所まで来てしまっていた。
丁度そのあたりまで来て、二日酔いがさめないのも加えて疲れてグッタリしてきた。
失敗したなぁ。
寒いなぁ・・・・。
雪は商店街の道にも残った状態で、たまにツルんと滑るので歩くのも緊張するのだ。途中スーパーを見つけたので寄り道をしたので、ちょっとした荷物が更に負荷となって足もどんどん重たくなって行った。
青梅街道まで出たらタクシーに乗って帰ろう。
あとちょっと。頑張れ頑張れ。
そう言い聞かせてヨボヨボになりながらもようやく青梅街道に辿り着いたら、もう日は暮れて辺りも暗くなってきていた。
しばらく待っていたら向こう側から横断歩道を渡って来るカップルが居た。さっきスーパーで見かけた二人組。彼らも結構重たい荷物を持っているなぁ・・・と思っていたら、横断歩道を渡るとタクシー待ちをしている私の前に立ってやっと来たタクシーを捕まえて先に乗り込んだのだった。
え!それちょっと強引じゃない?
気づかなかったとは言わせない。
腹が立って「先に待っていたのに!」と口に出したが完全に無視をされて、そうしてタクシーは去って行ってしまった。
タクシーは丁度勤務交代の時間帯。すぐに来ると思っていたタクシーはその後つかまらず、グッタリしているのと寒いのとタクシーを横取りされたことが急に身にしみてきて心がささくれて、とってもブルーな気分になってきた。
なんなのよぉ。寒いじゃないのよぉ。
その後もタクシーは来ない。ブーツに雪が染みて来て足がかじかむと侘しくなってきた。
今日は最悪だ。
仏頂面で青梅街道の遠くを恨めしそうに見ていたら、さっき近くに停車していた車が用事を終えたか何かで動き出した。
私、邪魔ですかっ。
ここに立っていても邪魔じゃないわよねっ。
助手席の初老の男性が窓を開けて私に話しかけようとしているように見えたので、退いてと言われるのかと思ったのだが、それは思ってもみない内容だったのだ。
「どちらまで行かれるんですか」
え?
運転席には奥さんと思われる60代ぐらいのご婦人。
「さっきからずっと待っていたでしょう。よければ送りますよ」
初老の男性と奥さんは私がタクシー待ちをしていたことも、その後タクシーを横から乗られてしまったことも、そのあとずっとまた待っていたことも一部始終を見ていて、それで可哀想に思って声をかけてくれたというのだ。
どちらに行かれるんですか。
遠回りになってしまうのではないかと逆に心配になって、今度は私が同じことを尋ねたが二人は答えてくれなかった。ついでだからと笑って教えてくれなかったのは、やはり私の家の方に車を走らせるのは遠回りになるからだったのだと思う。
そして私は家のすぐ近くの自動販売機のところまで、このご夫妻の車で送ってもらった。
有り難うございますと何度も頭を下げて、そうして車が信号を曲がるまで見送ると、さっきまであんなにささくれていた気持ちがぽかぽかとあったまっていた。寒い外気もひんやりとした澄んだ空気に思えて、最悪な気分はもうどこにもなくなっていた。
親切にしてもらった。
幸せな気分に包まれて家の角を曲がったら、お向かいのおじさんだろう。私の家の玄関部分が綺麗に雪かきがしてあって、雪のない道を家まで作っておいてくれたのだった。
思わぬ一日ってあるんだなぁ。
鍵を開けて玄関を入ると、つい30分前の私とは思えないほどあったかい気分で満たされていたのだった。
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2012年02月28日
Angerikoちゃんのアルバム「Love hate me」発売記念ライブ。
リコちゃんと知り合ったのは数年前。カバー曲ばかりをセッションするjam for joyというイベントだ。それからイベントの中で一緒に演奏をする機会があってその後彼女のライブに参加したりしながら、少しずつ作品作りにも携わらせてもらうようになった。
とにかく彼女はミュージシャン仲間が多い。しかも幅広い年代でしかも素晴らしい人達ばかり。とにかく顔が広いのだが、音楽関係だけでなく異業種の友達も沢山いる。なんでこんなに友達が多いのかと言えば、例えば夜結構遅くに会ってもそのあとリコちゃんはまたそのあとにいつも予定を持っている。
行き急いでいるんじゃないかと思うほど一日に沢山の予定をこなし、沢山の人に会いに出掛けて行っている。どこからそのエネルギーが沸いて来るのかと思う程、私が知っているのは元気オーラ満開のリコちゃんだ。
ちょっとやんちゃで無防備な子供。天真爛漫って彼女の為にある言葉なんだろう。私もこのちょっと鉄砲玉みたいな年の離れた妹が可愛くてしょうがない。みんなに愛される理由はまっすぐで優しい心が真ん中にあるのがみんなにわかるからなんだろう。
鹿児島から出て来て最初は友達が出来なかった頃もあったと思う。
でも背伸びしたり虚勢を張ったりせず、ちょっと不器用ながらも誠実に頑張ってきたのだ。きっと。
たまに落ち込んだり、もうだめだと不安で一杯になったりしながらも、お日様が出る方へ顔を上げてそうして長い月日を経て、都会で小さなひまわりはいつの間にしっかり根っこを張った。
何枚目のアルバム?って聞いたらこれが初めてのアルバムだった。
リコちゃんが大好きな人達が今日は集まってくれたね。
目一杯私も演奏するぞ。
リコちゃん、初めてのアルバム発売おめでとう。
私も東京で友達が出来るとは思えなかった遠い桜の季節を思い出したのだった。
2012年02月27日
リハ帰りに急にご飯が食べたくなった。
どこか美味しそうなお店はないかしら。と、思っていたら大戸屋を発見した。
うーん。どうしようかなぁ。
私は一人で吉野家に入れない。王将にも一人で入れないし、松屋にも入れない。男性が一人で可愛いカフェに入りにくいのと同じぐらい、知らないおっさんとカウンターで隣りになってご飯を食べるということが出来ないのだ。恥ずかしいというのもある。今更私が「恥ずかしい」と言うこと自体おかしな話なのだが、その他にはおっさんは食べ終わったあとでげっぷをしたり鼻をかんだりするので汚いというイメージもある。私が臭いおばちゃんかどうかはさておき、そういう理由から一人でも入れるラインのギリギリの線にあるのがこの大戸屋なのだ。
過去に食べたものでもう一度食べたい定食があるわけでもない。また店舗が必ず地下か2階に上がった所という「階段」があるのが、私には少々辛い。何より一人で食べている見知らぬおっさんがやはり多いので、相席になる率を考えると見つけたは見つけたが消極的な候補であった。
でも。
今日はなんだかとってもお腹が空いていた。
少し周りをキョロキョロしてみた後に・・・・
考えるのをやめて地下にある店舗へ入って行ったのだった。
すると。
この店舗、まだ新しいのかとても綺麗ではないか。
しかも女性客が思ったより多いのに気がついた。
<臭そうなおっさんがあんまり居ない!>
そう思うと急に気分が軽くなってきた。
注文を取りに来てもらい、ランチセットというような名前がついていた定食を頼んだら、これがすんごく美味しかった。
うっそぉおおおお。
前からこうでしたっけ。
先入観って恐ろしい。
急に、大戸屋が大好きになった。
「もっと大戸屋のことを知りたい!」
家に帰り興奮したままホームページを閲覧しておった。
また来たいわ。
明日も来たいわ。
とってもおいしゅうございました。
2012年02月26日
私は昔から保護シールを「ペリッ」と剥がすのが好きだ。
例えば何かを購入する。
するとまず保護シールや保護フィルムを剥がしたい。そうすれば買ったものが実際に稼働する感じがしてくる、というか気を使わずにガンガン使えるという距離になる気がする。というのもある。
だからペリペリ剥がす。
メリメリ剥がす。
あぁーっ。すっきりする。
シールがなくなるとピカピカの本体が見える。
これが爽快なのだ。
ところが。
自分の持ち物でない場合、これがはがゆい存在となるのである。
今レッスンで生徒さんを教えているスタジオのエアコンのリモコン。この液晶窓のところに貼ってある保護フィルムが、すこ〜し角っこが剥がれていて、実はもう随分前から気になっているのだ。
いい感じで角っこがめくれている。
それが”めくってもいいよ”と誘っているようでもある。
めくりたいですよ。私だって。
土日にこのスタジオを使用する時に、私としてはかなりめくりたい衝動を押さえているのである。
ほんの1秒でペロっと剥がせるような保護シール。
まぁ、剥がれかけの保護シールを剥がしたとしても別に問題にはならないとは思う。だが、他の曜日にここを使っている人もきっとこの「ペロン」と剥がれそうになっている状況を知ってなおかつ誰も剥がさないのだから、私もなんだか触らない方がいいのかしら?と踏みとどまってしまうのだった。
あぁああああっ。なんか中途半端で落ち着かない。もう誰かめくってはくれないか。
保護シール問題については私は「白黒」ハッキリつけたい方なのである。
なんて悩ましい。
レッスンの空き時間、私はリモコンを見つめて毎度剥がれかけたシールについて悶々としているのである。
2012年02月25日
ダンボは家にやって来た日、”耳の大きいバンビ”みたいだなぁと思ったことから、名前を「ダンボ」にするか「バンビ」にするか迷ったのだ。
結局彼の名前は「ダンボ」となった。
今は「バンビ!」と呼んでも反応がないので、何となく響きが似ていると私は思うのだがダンボにはちゃんと区別がついているのだろう。
しかし、ニックネームが「みきちゃん→みっきん」と少し形が変わって行くように、ダンボも「ダンくん」「ダンちゃん」「ダンたん」など変化形の呼び名をいくつも持つようになり、だんだん「にゃんぼ」「にゃーちゃん」と離れて行き、私は最近家に帰ったら玄関で靴を脱ぎながら「ダンボ〜!ニャー太郎!ただいま〜〜」とご機嫌に声を上げていて、ダンボは今は「ニャー太郎」も自分の呼び名であることを自覚しているのだ。
ニャー太郎は今日で9歳になった。
もっと私に指導力があれば、ピンポンが鳴った時の興奮癖も外を歩くネコちゃんへ吠えるのもきっと直せただろうし、なによりもうちょっと社会性のあるワンコになれる可能性は大いにあったと思う。だが、それも含めて私と共に過ごしているということなので、せめてなるべくストレスのない楽しい日々を送らせてあげたい。
何のかけひきも。
何の深読みも。
何の遠回りもなく。
大好きだよといっぱい伝えて過ごすのだ。
きっとお前が居なくなったら、私は抜け殻になってしまうだろう。
私の為の私の願いは、君と出来るだけ長く一緒に過ごせること。
ただ居てくれるだけで、私の毎日を明るくしてくれる。
君に出会えてほんとうによかった。
ありがとうダンボ、お誕生日おめでとう。
2012年02月24日
区の乳がん検診を受けに行った。先日は子宮がん検診に行った。自分では何処も悪いという自覚もないのに、検診に行くのはやはりドキドキする。
<何処か悪いところが見つかったらどうしよう。>
例えそうであったとしても早期発見が出来、検診を受けるということは自分自身にとってよいことのはずなのに、今は自覚症状がないのだから、このまま平穏に過ごしていたい。現実を知るのが怖いという意識が働いてしまう。
行くの、やだなぁ。
でもなぁ。
行かなきゃなぁ。
マンモグラフィーは痛いと聞く。前に検診を受けた時にはそんなに痛い印象はなかったのだが・・・・。
名前を呼ばれて検査室に入る。
しくみは片方ずつの胸をレントゲン台に乗せ、身長を計る時みたいに上から板のようなものが降りて来るのだが、記憶と違ってキョーレツに痛いではないか。
<いっ、いたぁあああい・・・>
我慢、我慢。
<つ、つぶれるぅううう>
片胸で既に痛さで涙が出てきた。
むぎゅぅ〜〜っと挟まれるのだ。このまま胸がつぶれるんじゃないか。いや、この圧迫が原因で悪くなかったものも悪くなるんじゃないかという程の痛みだった。あまりの痛さに最後は笑いそうになってしまった位なのだ。
「はい、ではもう片方に行きますね。痛いですよね。頑張って下さいね」
半分で帰るわけにはいかんだろう。
むぎゅぅうう〜〜。
<いったぁあああああああ〜っ>
涙が出た。
すごーく痛かった。
が、これぐらいの検査がすごく痛く感じられるようになる程、私は病院生活から遠のいたってことか。
そうだ。こんな一瞬で終わる激痛の検査など何でもない程、過去恐ろしく痛い思いをいっぱいしたではないか。あの痛みを忘れて今すごく痛がっている自分はとても幸せなのだ。と、涙を流しながらちょびっと幸せも感じたのだった。
検査が終わると診察室のある階へ移動をして、触診を受ける。担当の先生は女医さんだったが、私は先生が女医さんでもそうでなくても全然気にならない。そういう所は平気、信頼出来る診察をしてもらえたらそれが一番有り難い。
結果は後日、郵送で送られて来る。このあいだと同じだ。先日の子宮がん検診の結果も郵送で送られてきた。封を開けるのが怖かった。異常なしと書いてある欄を見たら、<ありがとうございます>と心の中でお礼を言い頭を下げてホっと胸を撫で下ろした。
受付で支払いを終えて帰る時、さっきも一緒になった女性が診察を待っていた。
どうしようかな。
一瞬考えたが、前を通る時に会釈をしたら女性も会釈を返してくれた。
知らない女性だったけれど、
<お互い、検診を受けてまた元気に過ごしたいですね>
会釈はその会話になっていたと思う。
彼女も私も今度はどこかのスーパーで、お互いもういつか会ったことなど思いもせずにすれ違えたらいいな。
そう思いながらエレベーターのボタンを押したのだった。
2012年02月23日
最近、スーパーに行くとよく買うお菓子がある。
ラムネだ。
結構長いことラムネを買うことがなかったのだが、またいろんなタイプのラムネ菓子を見つけては買って帰るので、家にはラムネ菓子が常備されている状況になっているのだ。
最初のラムネの思い出は「クッピーラムネ」。
森の動物のイラストのパッケージで、中に入っているラムネの中でもピンク色のを大事に食べていたっけ。当時色からイチゴ味だと勝手に決めつけていたが、遠足のおやつのラインナップに必ず入れていたのがこのクッピーラムネだった。
今もクッピーラムネは売っているが、私の行く買い物エリアでは見かけない。ラムネソーダの瓶の形をしたラムネはどの店にも置いてあるので、これを買ったり、色とりどりのセロファンで包まれた袋入りのラムネを見つけたら買ったりしている。セロファンを開ける時の「メリメリ」という音が「ラムネ」らしくで好きだ。
どれだけ砂糖が入っているのかは知らないが。
私の毎日にラムネが戻ってきた。
ちびっこのお菓子コーナーで、さも子供に買う為に選んでいる風に自分の為のラムネを物色している私なのである。
2012年02月22日
歯医者さんに行った。
歯医者さんでは、先生や衛生士さんに声を掛けられた時に口が開いていると上手く返事が出来ない。開いた口のまま「ふぁい、ふぉーでふね」など相づちを打ってみるのだが、ふと<この相づちというのは、もしかしたら必要がないものなのかもしれない>と途中で思い直して、返事をしないパターンにしてみたりと、行く度に同じ流れを繰り返すばかりでちっとも自分自身の対応が定まらないのだ。
今日は「歌は歌ってるの」と尋ねられた。
この場合は返事をするパターンだろう。
「ふぁい」
と返事をする。
すると先生、「声がよく出そうだよねぇ。」
のあとに続いて「オペラ体型だし」と言葉を付けたのだった。
「ぅえ?」
オペラ体型ってどういう体型なのでしょうか。
それは、定かではないが「太っている」ということなのではないのかと一瞬思ったが、まぁいい。仰向けになって口を開けた状態でしゃべるのはやっぱり無理があるのだ。
今日の先生は機嫌がよかった。音楽話を続けたあとで「で、オペラやってんでしょ」ともう一度尋ねられたので、「いぇ、ほっふすれす」と答えたのだった。
「え!そうだったの」
しばらくの沈黙のあと、先生は「オペラ体型だなんて言って失礼しました」と言ったのだった。
謝るのってどういう意味なのだ。
私はMサイズ。
イメージ的にはポップス体型なのだと自分では思っているのである。
2012年02月20日
父に電話をした。
お正月に帰った時には私が帰るという日に父は京都に行きたがっていたっけ。それで無理矢理風邪をひいてしんどい私の予定を「京都にワシと行く」予定に強引に変えようとしたのを発端に最後はケンカになったのだ。
来月、ライブで京都に行くからその次の日なら京都を一緒にまわれるよ。
そう電話をしたのだったが・・・。
「京都ぉおお〜?そんなん、ワシ行かへんわ」
あっさり断られた。
あれ?京都に行きたかったんじゃなかったの?
お正月にあんなに駄々をこねたのに?
行けなくなったとわかった時には、地団駄を踏んで怒り狂っていたというのに?
というか、興奮しすぎて「お前のせいでワシは調子が悪くなった!」「責任取れ!」とまで叫んどった。
よくわからない。
急に京都に行けなくなったことで、私には理解出来ないぐらいの激怒と罵声。あまりの突拍子のなさにあっけに取られたが・・・・
今度は全く「京都」に興味をなくしておった。
「ワシ」は、私にもよくわからないが風見鶏のように風向きが変われば「ワシ」の意見は変わり、そしてその時のタイミングで「ワシが一番いいと思うこと」に同意せねばならんのが、ようわからん吉川家の法則なのである。
あっ、そうですか。
電話を切った。
むか〜し、むかし。
私は子供の頃に両親の態度が変わることについて、丁度眉村卓のSF小説にハマッていたこともあり、”今目の前に居るのは、宇宙人がお母さんのフリをしている偽物の人物かもしれない”などと密かに注意深く観察をしたりもしていた。
ある意味宇宙人と言える。
私は大人になってから、「よくこの変わった両親から常識を学んだ割りには、まぁまぁ普通の大人になれた方だよなぁ」と度々奇跡について思うのである。
2012年02月19日
ネットサーフィンって・・・。
私もネットサーファーなのだろう。
というか、
気が散りやすいのである。
広告バナーにつられてよく遠出をしてしまう。
特にお部屋探し系のバナーには本当によくつられている。
今年、更新だからなぁ。ちょっとは現実味があることだしなぁ。
で、本格的に部屋探しをして寝る時間がいつも遅くなっていたりするのだった。
いい所があったら引っ越しをしようとは思っている。でも今の部屋も割と気に入っている。なんといってもちょっとした庭があるのがいいし、あと原付を屋根の下に簡単に止めておける。
なのに、
何を真剣に部屋探しをしているのだろう。
何回見ていますか。
何時間見ていますか。
軽い気持ちで眺めるつもりで目が血走るのはおかしいでしょう。
お部屋探し系のバナーにはなにかある。
私の時間を奪っていく何かがある。
私のお肌をシワシワにする何かがある。