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投稿日:2008年01月21日

2008年01月21日

去年の春に買ってきて、秋に完全に枯れ木になってしまったユキヤナギ。
ふと見たら小さな芽が出ていた。
ユキヤナギは桜が咲く少し前に、民家の庭先からこぼれるように咲いている。柳に雪が積もったように柔らかくしなった枝に小花をつける、好きな花の一つだ。
RIMG0035.JPG
実家の門のそばにユキヤナギは植えてあった。子供の頃から花は知っていたが、名前を覚えたのは数年前。
好きな花は育てたくなる。そうやって何度も枯らして失敗しているのだが、ユキヤナギは買ったのが去年が初めてだった。
店の前で買おうかどうしようかと迷った記憶がある。
本当は地面に植えてあげるのがいいのだけれど、ウチでは鉢に植えることになる。花が咲くのは一年に一度。狭い鉢でちゃんと自分に管理が出来るかなぁ。
「頑張って来年も咲かせるからね」
それから、花が終わってからも葉っぱだけのユキヤナギに水をやった。葉っぱは思ったよりも大きくて明るい緑色をしていて、花がなくなっても寂しい感じはそれほどしなかった。
夏になり、枝は買ってきた時よりも立派になり、葉っぱもいい感じで来年はもっと大きくなっているかもしれないなとちょっぴり嬉しかった。
ところが、秋になって少し葉っぱの色が変わってきた。夏、頑張って枯れずにいてくれたのに。それから少しずつ葉っぱが落ちていき、晩秋には一枚も葉っぱは残らずなくなってしまったのだった。
もうちょっとだったのに。
だめにしてしまった。
だが、この数日で枯れ枝に小さな黄緑の芽を出したユキヤナギ。
枯れてからも水をやっていたのがよかったのかな。
よく頑張ったね。
「ウフフ」
「アナタハワタシノコト、チットモシラナインデスネ」
「カレテナカッタンデスヨ」
「オヤスミヲシテイタンデス」
私はユキヤナギを一年中葉っぱをつける常緑樹だと思っていたが、ユキヤナギは秋になれば葉っぱを落とす落葉樹だったのだ。
お水をやるのを、時々忘れてごめんね。
常緑樹には常緑樹の一年が、
そして落葉樹には落葉樹の一年がある。
葉っぱが落ちて何もなくなったように見えた時も、隣りの木を見て、「もう自分はダメかもしれない」と思わないことが花木のすごいところ。
もうすぐだね。
冬の次は春が来る。
私はあなたが咲くのを楽しみにしています。


投稿日:2008年01月20日

2008年01月20日

ジョージ・デュークという人がいる。私が大いに影響を受けたキーボーディストで、この間古いアルバムを聴き直すことがあったが、やっぱりめちゃくちゃかっこいいなと思ったのだ。
クラシックピアノやハモンドオルガンの教則本には載っていない、何奏法と言うのかも知らないが、大阪弁では「ファンキーのカッティング」「16のカッティング」という言い方をしていて、この左手と右手でパーカッシブに伴奏をする演奏を初めて聴いて「なんだかすごい!」とブッ飛んだのが、ジョージ・デューク氏だったのだ。
そんなわけで、ジョージは私のすごく尊敬するミュージシャンだった。
ジョージ・デュークはパパイヤ鈴木を悪人にしたルックスで、だが歌も歌いちょっとハスキーで甘いボーカルで、もう一つのあこがれは透明のアクリルで出来たでっかい特注のシンセサイザーを使っていて、このシンセもまたかっこよかったのだ。
信じるものがあるっていいことだ。ジョージ・デュークを尊敬していた頃の私は、何の悩みもなく「音楽を頑張ろう」と燃えていたのだった。
ジョージ・・・。
ある時、来日をされたジョージ先生のコンサートがあった。大阪厚生年金大ホールで行われたコンサートは、ほぼ満員のお客さんで席は埋まり、あの透明のキーボードも途中で舞台の袖からコロコロと運ばれてきて登場し、私としては大興奮だった。
初めての生ジョージ。
やっぱり天才だわ。
「アーンコール、アーンコール」
ジョージ・・・。
何がお気に召さなかったんでしょうか。
アンコールの声に誘われて、ギタリストのポールジャクソンjrがステージに出て来て演奏を始めたのだが、ジョージがヒールのプロレスラーのように登場して、「アンコール?!ないない。しないよ!」と大きなジェスチャーで演奏を止めてしまったのだった。
”まじ?嘘でしょ”
一瞬会場は凍りつき、
しかしポールジャクソンjrが、”なーんちゃって!”と、客席に向かっておどけたあとでまた弾き始めたので、”あぁ、こういうお芝居風のアンコールだったんだわ”とホッと安心をしたのだ。
すると、ジョージは演奏に割って入って「アンコールはなし!なし!帰るぞ」と、もっとでっかいジェスチャーをしたあと、本当に帰ってしまったのだった。
コンサート、おわり。
こんなの、アリ?
さっきまで機嫌よかったじゃない。
あれ以来、ジョージ・デュークをキーボーディストとして見れなくなった。どうしても悪役のプロレスラーとしての印象が強く思い出されてしまうのだ。
アンコールを一曲していたら、行きたい寿司屋が閉店してしまうからだったのかもしれない。
が、そんな事情は知らない。
とても複雑な存在となった私の憧れのヒトなのである。


投稿日:2008年01月19日

2008年01月19日

私のよく行く3つのスーパーでは、週に1度ないし2度の冷凍食品4割引きセールをやっている。
私が冷凍食品を買う日は、4割引きの日だけ。
それは多くの人がそうしている。
安売りでない日、冷凍食品コーナーで商品を選んでいる人は見事にいない。通路はガランとして、空いている道としてそこを通るが、人気がないので冷気がより広がってその通路は寒いぐらいなのだ。
私達はもうセールの日の4割引き値段が「正規の値段」の感覚になっているので、通常の日には「高くて買えない値段」という見方をしている。もう週に一度のセールの日にしか売れないんだから、どのスーパーも毎日4割引きにしてはどうだろう。そうしたら毎日誰かしらが買うようになって、売り上げが上がるのではないかと思うのだが・・・。
まぁ、よその事情はいい。
私は自分の家の家計のことを心配した方がいいのだ。
今週は水曜日に割引きをやっているサミットストアに行けなかったので、土曜日にやっている西友に行った。
西友さん、こんにちは。
今日は冷凍食品を買いに来ましたよ。
一番奥にある冷凍食品コーナーを見ると、土曜日なのに人が閑散としている。
しまった。土曜日が割引きの日なのは西友ではなかった。土曜日はオリンピックというスーパーだった。
せっかく来たが、冷凍食品は買わなかった。
「安売りではなかった」というのは、もはや「商品が置いていなかった」に等しくなっている。
冷凍食品4割引きの日。
他の日は極端に冷凍食品不買の日。
自然発生的ボイコットになっている。
やはり毎日4割引きになった方が売り上げが上がると、思うのであった。


投稿日:2008年01月18日

2008年01月18日

この2〜3年で、女性のファッションの流行が妙なことになっている。
おばあちゃんがつけているようなネックレス。おばあちゃんが履いているような靴。おだんごヘアと呼ばれている髪型もおばあちゃん。過去自分がお年寄りから「あげる」と言われて困った記憶のあるテイストのものが、今はお洒落なセンスとしていい値段がつけられているのだ。
靴コーナーは、本当にこれが可愛いのかしらと理解出来ないものが溢れていて、おばちゃんの間で流行ったレインシューズと同じ形のものがショートブーツとして、素敵にディスプレイされている。
ブーツもかなり変な形のものが出ているが、これまた最近ちょくちょく見るようになったもので、”らんちゅう”みたいなブーツを発見した。
らんちゅうは金魚のらんちゅう。
顔がブルドッグ以上にボコボコになっている金魚なのだが、らんちゅうブーツも前のスネ部分がボコボコと前にせり出していて、少なくとも5年前にはそんな形の靴は見たこともなかったという妙なシルエットなのだった。
<どこが可愛いのかがわからない>
こう発言すれば、逆にその人がお洒落を”わかっていない”と見なされる傾向にあるファッションの流行。
うーむ。
そもそも、私はらんちゅうの可愛いさがわからない。
とにかく、人面魚はもう古い。
今は魚面靴が都会ではブームみたいなのである。


投稿日:2008年01月17日

2008年01月17日

動物と暮らしている人と一致する話があって、それは一緒に住んでいる動物が、たまに誰も居ない部屋の一点に向かって吠えたり、ジっと見つめていることがあるということなのだ。
まるで人間には見えない何かが、動物には見えているようで、ウチでもたまにそういうことがある。何に反応しているのかと想像が膨らんでしまうので、私も気持ちが悪い。
今日も夜、シンと静かになった頃に突然ダンボがすごい形相である一点を見て吠え出した。私が座っている場所から1メートル程離れた窓に向かって吠えていて、最初は猫なのかなと思ったがそうではないらしい。
「ダンボ、どうしたの」
声を掛けるが、ここが犬と人間のコミュニケーションの取れない所。私にわかる説明がない。
「ガウ、ガウガガウ、ワン、ギャン」
私の斜め前に来て、私を見たりそっちを見たりして激しく吠えるのだが、私にはやはり何で吠えているのかはわからない。ただ、犬の様子に吹き出しをつけるとするなら、私を見ている時は「コイツ誰なんだ」「変なヤツがすぐそばに居るぞ」と警告されている感じがする。そして、問題の箇所を見て吠えている時は、「出ていけ」「侵入者め」という威嚇をしている様子。ダンボの顔が、怒りでかなり人相が悪くなっているので、ちょっと妖怪チックなのがより怖いのだった。
「誰が居るの」
「何が居るの」
もうどうやっても制止がきかない。
「ガウグガウ!ギャオギャオギャン」
「ワオオオオン」
ピタッ。
しばらくすると急にダンボは吠えるのをやめた。
結局何だったのかはわからず、
だが
”居なくなったんだわ”
と、私もなんとなく納得した。
シンとなった部屋で。
ダンボは「ご主人さまを守ったぞ」といった感じで落ち着いてくつろいでいる。キミはスッキリしたようですね。
で、ダンボが追い払った「悪者」って誰なのだ。
余計怖いじゃん。
見えない私は、ダンボの安心をよそに静寂の中より恐怖でいっぱいになったのであった。


投稿日:2008年01月16日

2008年01月16日

しばらくお休みをさせてもらっていたラジオの収録に行った。
3ヶ月ぶりの渋谷の録音スタジオ。エレベーターに乗ったら4の数字を押す。エレベーターを下りて右に行くとスタジオがあって、入り口の自動販売機が目に入ると到着だ。
3ヶ月ぶりのディレクターO氏。それに今日はプロデューサーのK氏も時間を作ってスタジオに来て下さった。
一度も仕事に穴をあけたことがない人がいる。
私は心から尊敬する。
約束を守るために見えない所でその人がした努力は、どれぐらい大きなものかと思う。
kizzna−FMのプロデューサー、Y氏もスタジオに来て下さって、私は久しぶりの再会で「おかえりなさい」とあたたかい言葉を頂いていた。
今の私はまだ、内側に目を向ければアンバランスな自分自身がそこに居て、澱んだ水たまりがどんよりとある。自信をなくした部分や、自分の価値感が信じられなくなっていることや・・・、真面目に考え出したらきりがない。
人からもらう愛情や優しさは、自分がもらったものではなく、十分自分があたたまったらまた誰かに渡して行く預かりものなのだと思う。
「おかえりなさい。」
今は家に帰っても誰にも言われない言葉。
また、再生をしていこう。


投稿日:2008年01月15日

2008年01月15日

夜、父しげおっちに電話をした。一月になってから急に寒くなったので、独り暮らしの老人の父がどうしているかとやはり気になるのだ。
私「もしもし」
父「なんや」
特に用はないのですが、お元気ですかと尋ねると今日はテレビを見ていたようで、元気やという返事が返ってきた。
父「それだけか」
父「それだけで電話してきたんかいな」
秋に家に帰った時に、お世話になっているヘルパーさんと話す機会があって、その時にヘルパーさんは「遠く離れた所に住むお嬢さんと、何を話していいのかわからないみたいですよ」と父のことを教えて下さったが、私はこの心理が今ひとつわからない。
父「ほんで、他に用はないんやな」
連休に孫達が家に来たことを思い出して、一瞬その話題になりかけたが、父は4人の孫達のことも特に「孫」という生き物という風にしか見ていない様子だった。
父「用はほれだけか」
なんでそんなに急いで切ろうとするのですか。
今日はそんな中、意識をして会話を繋げてみた。5回ぐらい父が電話を切ろうとしたところで踏ん張ったのだ。
ガチャン。
通話時間45秒。
しげおっちにはお友達っているのかな。
しりとりをして遊ぼうよと始めて、すぐに「みかん」で終了になったり「にんじん」で終わったりする、そんな感のある父との電話なのである。


投稿日:2008年01月14日

2008年01月14日

今年の新成人が生まれた年に、携帯電話が発売されたのだそうだ。携帯電話は新成人達と同い年、今年で20歳を迎えることになるのだ。
もう20年も経ったのかぁ・・・。
”携帯なんてなかった頃”の話が出来る相手が年々減っていくのかと思うとちょっと寂しい。同じくディスコって言葉ももう通じないんだろう。新しい人達が生まれるのはいいが、同じ話題が出来る人に死んで欲しくないということを近頃は考えるようになってきたのだ。
最初の頃の携帯は、庶民が持てるようなものではなかった。高級車を所有している人が車の中に置いて、カー電話として使っていたので、我が家のカローラにはもちろんついていなかったし、誰それが携帯を持っていると聞くと「すごい!」こととして噂になったものだ。
父、しげおっちは数年前に携帯電話を買ったが、今は全く使っていない。一時期、「頑張って使えるようになったら?」と、メールをマスターしてもらおうとしたが、そのうちに「メール」と単語を口に出すだけで電話を切られるようになって、完全に放棄してしまったのだ。
父のように、20年間携帯がなくても別に困っていない人も居れば、私のように携帯を忘れて外に出るとその日は財布を忘れて出たぐらい落ち着かない人間も居て・・・。
この20年で携帯は進化した。
写真が撮れて、目覚しにもなってくれて、メールが送れて、お財布がわりにもなって、貴重な電話帳でもあり、調べ物も出来て・・・。
人間は成長をして大きくなった。
そして、携帯は成長をして小さくなった。


投稿日:2008年01月13日

2008年01月13日

渋谷のアップルストアにパソコンを修理しに行った。
電源の差し込み口の接触が悪くなっているようなので、電源なのか本体なのかを調べてもらうのと、バッテリーを交換する予定なのだ。事前に電話で訊ねたら、バッテリーは15000円、電源周りは本体の方に問題があれば50000円かかるらしい。痛い出費だがこればかりは「じゃ、やめておきます」とは言えない。おとなしく修理の予約をして、渋谷店に出掛けたのだった。
2階にあるジーニアスバーに行って、名前が呼ばれるまで待つ。ここでは展示品を触ったりしながら、時間をつぶせるようになっている。i−podが見る度に小型化されていて、今日も超薄型のi−podが展示されていた。
どれぐらいかして、自分の名前が呼ばれた。
パソコンを持って、担当の人の所に行って症状を説明すると、電源側の問題なのか本体の方なのかを調べますと言って早速確認作業が始まった。
すると、
しばらくして思わぬ質問をされた。
「お客様・・・・。失礼ですが、この電源はどこで手に入れられましたか」
どこでって。
お宅の店です。銀座店です。
担当の人が言うには、これは私の使っているG4という機種用の電源ではなく、別の機種用の電源なのだそうで、本来60Wだか65Wだかの電源を使わないとけないのを45W電源で使っていたので、バッテリーが充電されない状態になっていたということだった。
え?
私はずっと自分のパソコン用ではない電源を使っていたのですか。
「えーっ」と、声が出たが、向こうの人も驚いていた。
結局、今日はモノがないので、取り寄せてもらうこととなり、バッテリーは恐らくそんなわけでまだ使えるでしょうとバッテリー交換もなくなり、修理代は電源は先方のミスということで結局ゼロということになった。
私はバッテリーが復活をするというシールをバッテリーに貼って、半年ぐらい効果が出るのを待っていたのだ。効き目がなかったんだわとあきらめたのだが、差していた電源が違っていたという意外な結果であった。
しかしそんな違う電源を数年間使い続けていて、本体に影響は出ないのか。
帰り道今度はそっちの方が心配になってきたのであった。


投稿日:2008年01月12日

2008年01月12日

お気に入りのパン屋さんの一軒が、去年のいつ頃だったかにリニューアルをしたのだが、そのリニューアルに個人的にとっても不満を感じているのだ。
まず一つは、戸棚が新しく設置され、重たいアクリルの扉を手前から上に上げて、奥にあるパンを取る方式になったことだ。ここはスーパーの中のパン屋さんなので、スーパーで買い物をしている人も多く、リニューアルによってパン屋さんの中での様子はこんな風になる。
左腕に買い物バッグを下げ、そして左手にトレーを持つ。右手にはトングを持ち、その手でアクリル扉を勢い良く上に上げる。上がったらすかさず右手を中に入れ、アクリル板が閉まらないように右手甲で支えつつ、中のパンを取り出し左手のトレーに上手く乗せる。そうして右手をシュっと手前に引くと、アクリル板がフっと落ちてバタムと扉が閉まる。
なんでこんな不便な扉にしたのだろう。だいたい、ただでさえパン屋さんでは両手が塞がって忙しいというのに・・・。扉をつけるのなら、せめて横にスライドする扉にしてもらえたら、開ける方は全然労力が違ったのだ。
商品を床に落とすこともなく、無事にレジに行くと今度は次のリニューアルが待っている。
お客は会計が済むと、店員さんに「パンの袋詰めはセルフサービスでお願い出来ますか」と言われ、トレーを持って作業台に移動をして袋詰めを自分でするのだ。レジ袋削減といった環境問題に関係するセルフサービスでもなく、単純に店員さんが袋に入れるのをやめてお客さんにやってもらうシステムにかわったというだけ・・・。
財布を出してまたしまって、それで商品の乗ったトレーをまた移動させて・・・。ここまで面倒臭いパン屋さんは初めて、お客の手が2本であるということを完全に忘れたと思われるリニューアルなのだ。
店内のお客さんも、心なしかムっとしながらパンを取り出しているように見える。
そのうち口でパンを掴むお客が出るのではないか。
店長さんも店員さんも、一度お宅の店のお客になってごらんなさいよ。
手が4本ぐらいないと難しいパン屋さんなのである。