五十川さんのお通夜に参列をしに、京都に行った。
日帰りで京都に行くのは初めてだ。
去年は一度も帰らなかった。本当なら秋に一度行く予定だったが、体調が悪くなってそれはなくなった。今年はどこかのタイミングで行こうと思っていたが、まさかこんな形で京都に行くことになるとは思わなかった。
久しぶりに乗った新幹線の窓の外の景色。
思い立てばいつでも行ける、本当はこんなに近い距離だった。
東京からも音楽仲間や先輩達が向かっていて、私は京都駅で森俊之夫妻と松井敬治くんと合流をする。森くんは、私が初めてキーボードでツアーデビューをして、その時に一緒に回ったキーボーディストだ。そのツアーは五十川さんが声をかけてくれた仕事で、森くんも当時はまだ東京に出る前だった。敬治くんはアウルの元ベーシスト。ベースとドラムはバンド上での夫婦みたいなもの。五十川さんとはライブ、レコーディングと数えきれないほどのあ、うんの思い出があるのだと思う。
「あ~、みっきん。@@は知ってたっけ?」
五十川さんは会話の中でよく”誰か”のことを口にした。
「え、知らないです」
大抵私は知らないと答える。すると「あ~、そしたら今度紹介するわ」と言って、その人のことをよく話してくれたのだ。居ない所でその人のことを嬉しそうに褒める。それで、その話を聞いて自分も興味が沸いてきて会ってみたいなと思う、いつもそのパターンだった。
本当に沢山の人を五十川さんから紹介してもらった。
自分のネットワークを人に惜しまずにどんどんあげる人だった。
沢山の人が弔問に訪れていた。
アウルのげんたくん、保さん、ぺっぺいくん、マネージャーの千秋ちゃんの姿を探す。五十川さんとはほとんど家族のようなつながりがあった人達だ。気丈に振る舞っていたが、げんたくんはなんとか立ってそこに居る感じで、何て声をかけていいかわからなかった。
「お久しぶりです。」
こんなところでまた久しく会っていなかった人達との思わぬ再会をする。
通夜が始まり、お経が始まる。
めずらしく、ここの会場は若いお坊さんがお経を読むんだなぁ。と、思っていた。お経を読んでいるのはまだ若い男女の僧侶2人で、こういう人はどこから来るんだろうと思っていたら、お経が終わると女性の方がマイクを握った。2人は五十川さんが生前親しくしていたお寺の方で、亡くなる3日前に自分の葬式ではお経を読んで欲しいと頼まれたということをそのあとの話で知ったのだった。
「五十川さんは日頃から、自分は影の存在になりたいと言っておられました。」
五十川さん、そんな風に思っていたんだ。
もしも私がそれを目標にしていたとしたら・・・・、自分でそう目指していても、一年のうちのどれぐらいか、心が弱った時にふと「影なんてあってもなくてもどっちでもいいんじゃないだろうか」と自分の存在についてやるせない気持ちに覆われていただろう。
ギター、スチールギター、ドラムとサポートの役目をする楽器を選んだ五十川さんだったが、もしかしたら「俺って何だろう」と思う瞬間は、なかっただろうか。
どうだっただろう。
あなたが居てくれて本当によかった。
あなたのおかげでとても救われました。
あなたと出会えたことに感謝しています。
今日、こんなに沢山の人が五十川さんを偲んでここにやって来たことを五十川さんは知らない。魂がどこかで見ているかもしれないが、それでも生前の五十川さんは知らない。やっぱりどれだけ口が下手でも、「あなたの存在が私にとってとても大きな喜びをくれたんです」ということは、直接言える時に言わなくちゃいけないとあらためて思ったのだった。
今日はまだ言い足りなかったお礼を五十川さんに伝えに、みんな集まって来た。
棺の中で目を閉じている五十川さんに、私もお礼を言う。
力むことのない生き方をしていた人だったのに、病気はどういうことが理由で身体を蝕んで行くんだろう。ますますわからなくなった。
でも人生には終わりがあるんですね。
小さく痩せていた姿だったけれど、会いに来れてよかった。
お礼の気持ちがどうか届きますように。
私も沢山、頂きました。
五十川さん、どうもありがとうございました。