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投稿日:2007年02月28日

2007年02月28日

どうやら水曜日は、2階の住人の一人が休みみたいなのだ。
出掛けないのかなぁ。
時折り外に出てみるが、自転車は置いたまま・・・。
家でのデモ録音の時は、ヘッドフォンを使う。家でもレコーディングの時と同じようにして、マイクを立ててヘッドフォンから聞こえて来るオケに乗って歌う。だから外にはこの歌の部分だけが聞こえている状態、ということになるのである。
本気歌いなので、鼻歌とはちょっと念が違ってくる。日常生活のエリアで人の熱唱を聞くと言えば、カラオケになるんだろうが、それでもあれにはオケが付いている。エコーなしの生歌熱唱は、かなり遭遇率は低く、かつ遭遇して「お!いいな!」という率も恐らく低いのだ。
普段なるべく目立たないようにと、暮らしぶりには気を使っている。ミュージシャンは入居審査でもいい顔をされないので、やはりコソコソとしてしまうのだ。それに、生歌熱唱が恥ずかしいというのが入り混じってしまうところもまだ自分にはある。
ごめんなさいね。おやすみのところ。
最初は弱気モードで「小さい声で歌おう」とか、「なるべく短時間で」などといった邪念が入るのだが、これがヘッドフォンをつけて作業を始めると単純モードに突入して、「あ、今のもう一回」「も〜一回だけ」「いや、あと一回だけ」と、ここが普通の民家であることを忘れて本気歌いを千本ノックしてしまうのであった。
「よ〜し。オッケー」
ヘッドフォンを外したら、またシーーンとした静寂が広がった。結局3時間位、本気歌いとアーウーコーラスをやっていた。
かすかに2階では人が居る気配。
げげ・・。
私なら休みの日に3時間もがなられると迷惑だ。
すみません。
でも、終了いたしました。
”ピンポーン”
「ね!新曲、どう思う〜?」
もう、ヤケクソでこんな風に聞きに行こうか。
お2階さんは、一番に新曲を聴いてくれた人なのである。


投稿日:2007年02月27日

2007年02月27日

この2週間は、提出曲を書く期間だった。曲と歌詞をセットでというのは久しぶり、しかも私はかなり時間がかかるのだ。
今回は”サビの出だしのメロディと歌詞を同時に作ろう。”と決めたが、これが全然出来なかった。ノートには単語がどんどん書かれていくのに、自分の合格文が出ない。うーん、うーん。・・・・・。あら、いつの間にか寝ちゃってたわ。どうしましょう。
時計が4時。となっていると、夕方の4時なのか明け方の4時なのかがわからなかったりする。曲作り中はかなり深い睡眠に入っているのだ。
はぁ〜〜〜っ。
やっぱり、1番の出だしからにしようか。当初の組み立てを変えてトライする。1番がダメとなると2番に移行する。「そうだ、2番からの方が作りやすいかも!」
そして挫折。
でも細切れに文章だけはたくさんノートに書いてあって、一応曲になるだけの文章はあるので、ここで一旦つなげてみる。
30点。
なんとなく1曲が完成し、見直してみて「ダメ」がハッキリすると愕然とする。
不安・・・・。
これだけ日数を費やして、こんな状態にしか出来なかった自分に自信喪失となる。
どうしよう。
30点しか出せないってことなんだろうか。
今、0曲ってことか。
どうしよう。
今まで何してたんだろう。
・・・・・。
そうだ、だったら一から書き直そう!
何故、これだけ粘って出来なかったのが、白紙にしたら出来ると考えるのかはわからない。が、また新曲に新たにトライするという行動を私はしがちなのだ。
そして、挫折。
どうしよう。
0曲のまま来てしまった。
あと何日。
そして、元の30点仕上がり作品に戻って、書き直しにしがみついて粘るのであった。
う〜〜ん。う〜〜ん。
それから数日。
ヤッター。
なんか、多分コレで出来た!
出来ると、急に楽天モードになり、それまでの日にちをウンコな感じで過ごしていたこともキレイさっぱり忘れ、また何で仕上がったのかも同時に感触がなくなっているのだった。
みんな、どうやって曲を作っているのかなぁ。
私は見た目、寝転ぶお地蔵さんだ。
今日と明日で2曲のデモを作る。
これで機械が壊れたりするということがないように。
曲作りは毎回綱渡り。余裕で曲が出来たという経験を一回でいいからしてみたいのである。


投稿日:2007年02月26日

2007年02月26日

この一年で、随分一人で出掛けることが出来るようになった。
バスに乗る。
電車に乗る。
みんなが日常生活で普通にやっていることが、自分の日常にも戻って来たら、だいぶ体力がつくだろう。
街に出ること=筋トレ。
外=フィットネスクラブ。
そして、本当に体力が随分ついたと思う。
バスに乗り込む時には、”今から、バスに乗ります”と心ん中で号令をかける。あの高くて狭いステップを上がったり下りたりするのが上手に出来るようになること。それが”バス訓練”だったが、もうノンステップバス以外のヤツが来ても平気なのだ。一番後ろの座席は酔うというのは昔からなので、合格。
電車は地下鉄が訓練度としては上がる。地下鉄は健康な人用に出来ているので、ここはかなり鍛えられる。この階段をのぼった方がいいか、それともうーんと先にあるエレベーターまで行くか。これには毎回立ち止まって迷うのだ。だってどちらも楽じゃない。
地下鉄はしんどい。でもこれはみんなだってしんどいんじゃないのか。乗客達は地下鉄構内でうっぷんを腹に溜めずにもっと「あ〜、しんど」とか「むっちゃ、遠いやん」と、口にすればいいのだ。文句も言わず黙って歩くので、地下鉄側は構内の乗客サービス向上にあまり必死にならないで済んでいるのである。
こうして、ちょこっとずつステップアップをはかってはいるのだが、今もトライする気になれないのが、山手線だ。山手線だけは怖い。何が元であんなに殺気立っているのか諸悪の根元がわからないものだから、山手線に乗り込む人々も自衛に必死、なので乗り継ぎルートは山手線は使わないようにしているのだ。
でも今日は携帯に入れている”えきスパート”でルートを調べたら、3つ出て来た3つ共が山手線を使わないといけない表示になっていた。
しかも選択は新宿駅か渋谷駅のどちらか。
結局渋谷から乗ったが、やはり山手線。
<お、降ります〜〜>
もう乗らないぞと思って帰って来たのだった。
山手線=阪神高速環状線。
<あれ〜〜、下ります〜〜、たすけて〜〜>
大阪では、よく守口の方からエントリーしていたが、本線に合流するのにビビり、本線に入れたら今度は下り口で下りられずに、高速をもう一周するというのが定番だった。
東西両横綱。
日本2大最高峰。
確かに”街に出る=筋トレ”を積んではおりますが、別に私はトップを目指しているわけではございません。
特殊な技が必要なので、一生生活圏からはずしたい峰なのだ。


投稿日:2007年02月25日

2007年02月25日

ただいま。
一日、家を空けていたせいか、めずらしく、いつもは熟睡中のイタチのゴン太が起きてきてくれた。
あらあら、お迎えしてくれるのかい。
いいこだね。嬉しいよ。
というか、
起きれるんじゃん。
奥のドアを開けると、やはり。
犬の糞だらけであった。
ダンボは一日に多い時で、6回もウンチをする。一日一回の決められた量のエサしかあげていないのに、どうしてこんなにお通じがいいのかと思うが、今日も帰ったらトイレ付近に5箇所に糞がしてあって、まずそれを片付ける。
ごめんよ、する場所がもうなかったのか。
ダンボも寂しかったんだろう。よく、帰っても暖房をつけるまで知らんぷりをして布団の中から出て来ないことがあるが、今日はダンボも歓迎してくれた。私はいつも2匹を可愛がっているつもりだが、動物には無視をされる傾向にあるのだ。
2匹共が「おかえり」とやって来てくれた。
今日はダンボの誕生日。
ダンボは4歳になった。
「ダンボちゃん、おたんじょうびおめでとう」
ゴンちゃんにも話してみた。
「今日はダンボのおたんじょうびなんだよ」
2匹共、反応なし。
どうでもいいよね。
CD棚には亡くなったチビ太のお骨。
3匹と暮らすことで、”無防備な心”でいられる時間をたくさんもらった。
心を開け放つと、嬉しいとか悲しいとか寂しいとかが、ものすごく直に肌に来る。
人間の大人同士が、なかなか無防備な関係になれないのは、「悲しい」や「寂しい」がどれだけ悲しいことか、どれだけ寂しいことかを知っているから、だから何かあってもあまり悲しくならないように、あまり寂しくならないようにと、自分に”ガワ”を着せて行ってしまうからなんだろう。
どっちがいいのかな。
嬉しいをたくさん感じられるのと。
悲しいや寂しいを少なくするのと。
ダンボちゃん、おめでとう。
いや、「いつもありがとう」の方がわかりやすいかな。”ありがとう”は、オヤツがもらえる言葉だと、ダンボは思っている。
狭い一角にイタチと犬と私が集まって。
嬉しい時は、とびきり嬉しい。
動物との暮らしは、それを教えてくれた。


投稿日:2007年02月24日

2007年02月24日

今日は那須にある西川峰子さんのご自宅を訪ねた。去年レコーディングをした曲が4月に発売となって、発売日には発売記念ライブがあるのだ。
その制作は始まっていて、ライブメンバーが全員決まり、先週は西川さんとの打ち合わせがあった。今回は那須のご自宅で過去のステージのビデオを見たり、実際に歌ってもらってキー確認をしたりする一泊二日の那須合宿なのだ。
「ヤッホー!那須高原!」
いや、今日はそんな気分にはなれない。演歌のライブは初仕事。しかも初めてのバンマス、バンドリーダーなのである。メンバーの皆さんは数々の音楽現場に立つ、百戦錬磨のベテランなのに対して、私は人のライブで仕切ったことは一度もなく、デカいコンサートツアーに参加したことも一回もない。言わば私は摂政制度で言う子供の殿様と同じなのだ。
今回メンバーに電話をした時にも「わたくし、この度バンマスを務めさせていただくことになりましたー!」と言うと、全員が「あはは、わはは〜〜!」と笑っていた。なので今この頼りないバンマス、少しでも成長をしておかねばならない。今日だってその為に那須に勉強に来たのである。
さようなら。りんどう湖さん、手作りハム屋さん、ハーブのお店さん。今日は遊びに来たのではないの。
雑貨屋さんやピザ屋さんが遠く小さくなって行った。
西川さんのご自宅は、テレビで見たことがある。建てたばかりの白い豪邸が洪水で流されたとワイドショーでやっていたが、テレビの中の人は遠い人であり、そこに自分が行くとは思ってもいなかった。だいたい私は、西川さんのことを、去年お目にかかるまでは、「西川峰子」と呼び捨てであった。
今日訪ねたのは、洪水で流されたあとに再度建てられた2度目の豪邸、これもワイドショーで見たことがあったが、あの時テレビに映っていたワンコ達が本当に居た。
「こんにちは」
ワンちゃん達は私達を悪者と判断したらしい。ドーベルマンだったら襲われていただろうが、シーズーはフレンドリーな犬種なので、どの仔にも噛まれることはなかったのでよかったのだ。
西川さんのお家は、確かに白亜の豪邸だったが、テレビで見るのとは印象が違っていた。植物や花が置かれ、それが買って来てポンと置かれたというのではなく、水をやり太陽の光を当てて育てられて家の中にあるといった感じで、花や木が好きで飾っている家独特の”生活する花木”の家だったので、たいそう広い家だったにもかかわらず、どこかほっこりするムードがあった。
ビデオ勉強会や、音合わせなどもあり、お仕事の時間もあったが、西川さんが用意して下さった何品もの手料理はとても美味しかった。お目にかかると何かしら仕事以外のお話もしてもらうが、前に「口から入るものは大事なのよ。手料理は気持ちがこもっているものだから、こういうものを食べるのは体にとって大きいことよ」という話を聞いてから、食に対する意識が自分も変わってきた。今日は西川流ハンバーグのレシピを教えてもらった。
広い家だった。
私だったら、一人でここに住むのは寂しくなるだろうなぁと思う位の広さだったが、掘りごたつの部屋には旦那さまの写真が飾ってあり、なくなったワンちゃん一匹のお骨と写真、その横には花が供えてあった。
目にしたもの、会話の中から、少しでも西川さんの人物像を感じて帰りたい。バンマス歴はないが、自分なりの音楽の組み立て方はある。NGに関してはハッキリと線引きは持っている。一緒に歌を支える人は、西川さんの繊細な”人の部分”も説明なしに嗅ぎ取れる人がいい。今度のメンバーは、とてもいいメンバーだ。
ライブ作りはもう始まっている。
失敗は怖いけれど、頑張ろう。
自分の思う「上質」にはこだわりたい。
星が綺麗な空だった。
学生の頃のサークルの合宿を思い出した。


投稿日:2007年02月23日

2007年02月23日

旧友、”なっちゃん”に会った。
”なっちゃん”は、ナスノミツルと言って、京都で一緒に音楽をやっていた当時の仲間だ。東京に出た少ない上京組の一人で、ベーシストとしてB#のライブやレコーディングにも参加してもらったり、なっちゃんの結婚がきっかけで「誓いのヴェール」という曲が出来たりしたのだ。
独自でやっている音楽や活動がちょっと個性的で尖ったいかつい感じなのと、見た目も少し渋い、コワいミュージシャン風なので、もし東京で出会っていたら、こんなにフランクにはなれなかっただろう。
その後、なっちゃんは井上陽水さんやDAPAMPなどのツアーに参加したりしていたが、ついこの間種ともこさんのアルバムのレコーディングに参加していることを知り、種さんがなっちゃんとの再会を繋いでくれたのだった。
懐かしい。
京都ではシュワルツというバンドを一緒にやっていた。当時キャプテンレコードといういかついバンドが集まっていたインディーズレーベルがあって、その「kyoto summit」というオムニバス盤に、シュワルツは2曲参加している。京都ではたくさんバンドに参加させてもらったが、最後はこのシュワルツとB#の二つで活動をした。ジャンルは違っていたがとても魅力的な音楽チームで、なっちゃんのベースはコード進行に合わせずにワンコードリフを延々弾くのがかっこいい。
「ここは、音が当たっているけれどオーケーにしよう」
ピアノ教育で育った私が、”やや不協”の響きが、決して音を間違えたものではなく、これもいいなという音楽解釈を持てるようになったのは、シュワルツに参加したからだ。
なっちゃんとは同い年。
いつまでも同級生みたいな感覚だ。
「みっきんに名前が似た子と一緒に仕事をしてて、その子に会う度にみっきんのことを思い出してたんよ。みっきんに何もしてあげれへんかったから、その子との仕事を一生懸命やろうと思ってやってた」
意外な話を聞いた。こんなに気やすい仲なんだから、思い出してくれていたのならもっと軽く連絡をくれればよかったのに。
まぁいいのだ。たまに自分のことを思い出してくれていたのかぁ・・・と思うと嬉しかった。聞かなければ、そういうことは知らないままだったから知れてよかった。
夕方、今度ライブに行く約束をして、高円寺駅でなっちゃんと別れた。
今日はこれからレコーディングだと言っていた。
”忙しい”と聞くと、いろいろ私は遠慮してしまう方なのだが・・・・。
「また、一緒にやろうよ!」
なっちゃんは私が”また一緒にやろうよ”と、ラフに誘える数少ないミュージシャン仲間なのだ。


投稿日:2007年02月22日

2007年02月22日

晶くんのライブ。
今日はイベントで、たくさんアーティストが出演する中のトップバッターだ。
私はイベントのトップというのは、あまり好きじゃなかった。その出番に気持ちの照準を合わせるということが、単純に苦手だったからだ。だが晶くんは、まっさらな場所にまず一投目を投げるというトップバッターは結構好きなんだと言う。
トップに出て行くのが好きな人はあまり知らないので、こんな話を聞くのは新鮮だ。
今日は3曲、演奏をする。
会場に着くと、晶くんと「天井が高くて気持ちいいね」と、短い会話をする。私はいつも「お腹が空いた」と言って、晶くんの前で何か食べている。他の出演者がリハーサルをしているのを、私はお弁当を食べながら、晶くんは煙草を吸って、二人無言で眺めるといういつもの「入り」の風景だ。
お客さんと近い距離というのもいいが、広い場所も私は好きだ。声がスーッと、遠くまでのびやかに飛んで行くというイメージがある。晶くんは場所が大きくなっても委縮しないという安心感があるので、私もいつもと違ったスペースは「楽しみ」になる。
そして今日はもう一つ、今回のイベントの出演者の名前を見て<もし、機会があったら声をかけてみよう>と、思う人が居た。
樋口了一さんだ。
でも、チャンスがなかったらやめておこう。
もう10年以上前にFM京都で数回ゲストに遊びに来てもらったりしたことがあったが、覚えてはもらっていないんじゃないかという気持ちの方が強い。私は大学4年間でゼミの先生に、最後まで「吉田さん」と呼ばれていたのだ。音楽の仕事に就いてからも「印象が薄い」と言われたことは何度かあるので、「お久しぶりです!」と声をかけるのはとても勇気が要る。
だが大人数が振り分けられた楽屋が偶然一緒になり、今日はその機会があった。一緒に生演奏をしたことは、私の方が思い出せず、「中野に住んでませんでした?」「練馬じゃなかったです?」と、話していくうちに思い出すことがポロポロと出て来た。当時の話を出来る人が今も居るって嬉しいことだなと思った。
リハが終われば、トップバッターは出番がすぐにやって来る。数組が出演する場合は逆リハと言って、出順の反対にリハが進行するので、最後にリハをしてそのまま本番を迎える。
さぁ、行きますよ。
晶くんと演奏をする時は不思議とアガらなくなった。自分のライブの時には、ここでこう心が乱れるというパターンがあったりするのだが、それが不思議とないのだ。迷いが消えてスっと音楽の中に入って行ける。
3曲、のびやかに出来たらいいな。
「詰めたら4曲出来ると思うよー」と、最後のリハで言った時に晶くんが「いえ、今回はこの3曲にします」とキッパリ言っていたことを思い出す。
帰りの車の中で、「今日はコンテストに出た時に友だちになったtajaの奈穂さんと戸田和雅子さんに久々に会えたんですよ〜」と、晶くんは嬉しそうに話していた。
そう、また会えるのは嬉しいね。
樋口さんと出会った頃の私は、ハンドマイクでステージの上を走っていたっけ。
野外ステージは、まだ晶くんと一緒に演ったことがなかった。
いつか野外で演奏してみたいな。
都会のキラキラを背に。
音楽は、音と人でつながっているものなんだなぁ・・・と、追い越して行く景色を眺めながら思ったのだった。


投稿日:2007年02月21日

2007年02月21日

ラジオの収録で渋谷に行った。
収録スタジオは、渋谷駅から徒歩5分の距離にあるのだが、収録の日は家を1時間半前に出るのだ。
まず、玄関の鍵を締めてバス通りに向かう。一度、忘れ物を取りに帰ったが、乗る予定のバスに乗って10分程で駅に着く。
駅には改札に降りるエレベーターがある。昔は「遅いエレベーター」という認識しかなかったのであまり使わなかったが、今はエレベーターで改札に降り、切符を買ってホーム階にエレベーターを使って上がる。ノロい上に閉まる寸前に誰かがボタンを押して乗って来るので、たいてい電車一台見送るが、ここは各駅停車の駅でやって来る電車にはだいたい座れるのだ。
今のうちに、急行に乗換えた時の為の”座り溜め”をする。ラッシュ時でなくても、急行車内はなかなか手ごわいのだ。身をかたくして筋肉で跳ね返せねば、人がわんさか押して来る。
いざ、乗り込まん。
私もエントリーします。
このおしくらまんじゅう場の中へ。
カチカチの体で急行に乗ると、今日は奇跡的に座れた。あら、ラッキー。ここで座って行けるだなんて。
よし、休もう。
ここで体力チャージ。
本も読まない。メールもしない。
目をつぶってお地蔵さんになるのが、一番よい。
すると、電車がお風呂の中に思えてくるのだ。
渋谷駅、到着。
改札に出るまで、行進しているみたいに人がザクザクと改札を目指して急ぎ足で行くので、この流れをかわしてちょこっとズレた場所で歩く。しょうがないがタンが吐いてある所は比較的人が少ない。タンに滑らなければ安全でよし。
次に地上に降りるエスカレーターに乗る。
地上に降りて右手に見えるのが、246と呼ばれている大きな道路で、本日の難所はこの「246越え」なのだ。地元高槻でさえ、駅から西武百貨店の2階にそのまま行ける通路があるというのに、このでっかい街渋谷ではこの246という道路を渡るのに、どうも駅からは一旦地上に下りてこの歩道橋を上る以外に方法はないみたいで、これが一気にキツい修行となるのだ。
階段を上って、「上に着いた!」と思う。だが、歩道橋はビミョーに坂になっている気がする。それに、この歩道橋は下を通る車の影響か、橋が揺れているのだ。高所が怖い私には、この”高い所で揺れる”現象が怖くてたまらない。
ヒーフーハーフー。
チビチビと歩き、階段を降りたらスターバックスが「ようこそ」と呼んでいた。ここで10〜15分の休憩。今日は1階の席が空いていた。
今日、何しに来たんだろう。
この辺りのドトールや喫茶店で、そう言えばよくうなだれている。
はぁ〜〜〜〜っ。
私はこの歩道橋を渋谷マウンテンと呼ばせてもらう。
昔、谷だったこの辺り。
今は山がいっぱいそびえ立っているのである。


投稿日:2007年02月20日

2007年02月20日

家に帰って来たら、部屋の蛍光燈の一本が切れ、一本がチカチカと切れかかっていた。
よかった。今日は機材を外に持って出ていたので、機材と共に家まで送ってもらい、丁度会社のY氏が部屋に荷物を運んでくれている時にそのことに気がついたので、蛍光燈をかえてもらって、事無きを得たのだ。
ほっ。とっても助かりました。
天井の電気は、どこも支えがない状態で脚立の上で背伸びをしながら両手を上に上げて電球のつけかえをする。体にどこも不具合いがなかった頃でも、私に難易度の高い作業だったのだ。去年の11月だったか12月だったかには、”切れかけ蛍光燈”をかえるのにトライしたが苦戦した挙げ句、結局自分では出来なかった。
数日間、チカチカに慣れようとしたが、かなり高度な修行であった。チカチカの中では気が散って何も出来なかった。
電気が切れる時期は、「せ〜の!」と示し合わせたかのように、いっぺんに切れる。現在、他には洗面所の蛍光燈がチカチカ状態で、トイレの電球は切れている。さすがにY氏にあそこもここもついでにかえて欲しいとまでは頼めなかったのだ。
今、我が家は暗いウチ。
それにしても・・。
もしも、私が結婚をしていたら・・・。
きっと電気が切れた時だけは、旦那の応援をするのだろう。普段、腐りかけのものを夕飯に出していることや、日曜に家に居るのを「うっとおしい!」と邪険にしていたことを、脚立か椅子のはじっこを持ちながら、一瞬”悪いことをしたなぁ”と反省をし、電球替え用員としてこの人は大事な人だったんだわと、旦那を見上げながら思い、”明日の夕飯はお刺身を買ってあげよう”などと、考えているのであろう。
電球は一斉に切れる。
電化製品も、壊れる時にはだいたい同じ時期に壊れ、音楽機材も一つが壊れたら他のも壊れる。
今は洗濯機と電子レンジの調子がおかしく、かといってつぶれた訳ではないので、騙し騙し使っている状態なのだ。機材でもパソコンとキーボード2つとインターフェイスが、これも時々エラーを起こすのでヒヤリとする。
”一斉に買いかえ”になるのだろうか。
川沿いの道には、梅が一斉に咲き、
そしてもうすぐ一斉に桜が咲く。
みなさん「一斉」なんですね。
部屋のチカチカは解消されたが、頭ん中のエマージェンシーランプが点滅をしている。
どんより。
電気製品貧乏になる日は近いのである。


投稿日:2007年02月19日

2007年02月19日

「せっせっせ〜のよいよいよい!」
の続きは、私が子供の頃は「み〜かん〜の花が、さ〜いて〜いる〜」だった。
二人一組で友だちと遊んだのがこの遊びで、誰にどう教えてもらったのかはわからないが、私の周りは全員コレをマスターしていて、残った課題はどれだけ速いスピードで二人共間違えずに一曲を振り付けつきで出来るかということだったのだ。
燃えたなぁと思う。天然腹話術のような子供声で、私も嬉々としてやっていたのだ。
「歌って踊る」「振り付け」の原点が、あの「み〜かん〜の花が〜」だった。その後今度はみんな、ピンクレディに夢中になって覚えたのであった。
先日、下北沢を歩いていて、その「せっせっせ〜のよいよいよい!」を久々に聞いた。
一人は幼稚園の制服を着ていて、頭には帽子ではなく今流行りの洒落たヘルメットを被っていて、遊んでいたのは女の子二人組だった。
”この歌、まだあるんだわ”
丁度、「せっせっせ〜のよいよいよい!」と言った所に通り掛かったので、思わず耳を引かれた。が、その次が「み〜かん〜の花が〜」ではない別の歌になっていたのだった。
角を曲がったので、自分もよく聞き取れなかった。
何て歌ったのかが気になる。
「何て歌ったのか教えて!」と、心はちびっこに戻り好奇心でいっぱいになったが、引き返すのをすごく我慢したのだ。遊んでいたら知らないおばさんが声を掛けてきたと言って、女の子達は怖がるだろう。そして、ビビって遊びを中断して黙ってしまうか逃げて行くかで、結局何て歌ったのかは聞けずに終わるのだ。
何て歌ったんだろう。
全く違う曲になっていた。
振り付けも変わったのかな。
ピンクレディは覚えないんだろう。
あこがれるのはかっこいいダンサー達の踊り。
でも原点は同じか。
「せっせっせ〜のよいよいよい!」
忘れたことはたくさんあるというのに、今でも私は、この曲なら振り付けつきで全部出来るのだ。