たまにテレビで”仕掛けられた「盗聴器」を発見する”プロの取材物をやっている。探知器を部屋の中であっちこっちに向けてその後コンセントの方に向けると器械が反応して、「あった!」「ここだ!」という声がするのだが、私も同じようなことを携帯でやるようになっているのだ。
私は未だにmovaを使っているのだが、そのせいなのかどうなのか、自分の携帯だけ圏外になるケースが増えていて、一人電波が入る所を探して携帯をかざしながらウロウロすることが多くなったのだ。
自分の家でも途中で電話が切れて、家の外で電話をしていることが割とある。渋谷の街中でも圏外になった携帯をかざして歩いていたし、昨日から居るスタジオは他のみんなの携帯は通じているというのに、自分のだけは圏外になっている。私は携帯をかざしながらエレベーターに乗り、一階に着いて更にビルの入口まで行き、それでも圏外のままなので自動ドアを出て外に出て、そこでも電波が入らないので道路に出ているのだ。
「あった!」「ここだ!」
ようやく電波が入った場所は、ちょっと広くなったT字路の辺り・・・・。
いつからmovaは携帯をやめて探知器になったんだろう。
メカは出世魚の逆で、世代交代と共に化石化していく傾向にある。
数年前「すごい!新しくてかっこいいー!」と賞賛を受けた私の携帯は時が流れ、トランシーバー、探知器へと姿をかえて行ったのであった。
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2009年03月30日
D−naughtのレコーディング。
「おはようございます」と挨拶をしてエンジニアの方に家から持って来たハードディスクを渡す。中には家で作って来たデータが入っている。それを取り込んでもらってトラックダウンという作業をしてもらうのだが、私が初めてレコーディングでスタジオに入った頃からは考えられない程、システムは変わったなぁと思う。
かつてはキーボード音源がたくさん運び込まれ、それが約2メートル程の高さに積み上げられているのが、スタジオの風景だった。マニピュレーターという機械専門の人が居て、そのマニピュレーターさんに一音ずつ音色作りをしてもらうのだ。長い時は一つの音色が決まるまで1〜2時間ぐらいかかる。
とにかくレコーディングはスタジオに居る時間が長かった。今はそれらの作業がスタジオに来るまでの作業に出来ることになったので、楽器を持たずにスタジオに来るという回もあって、今日はそのパターンだったのでふと一番初めの頃のことを思い出すと感慨深かったのだ。
エンジニアの方がミックスダウンをしている時間はスタジオの外で仕上がりを待つ。メンバーはスタジオに置いてあるゲームで盛り上がっていた。こういう待ち時間は割とゆる〜く時間が流れるので、みんなリラックスして過ごす時間となっている。
「出来ましたんで、聴いてみて下さい」
スタジオからエンジニアさんが出て来られた時は、「生まれましたよ。元気な男の子です。」と病院で声をかけられる感じに似ているのかもしれない。
耳を澄ませて出来上がったばかりの柔らかい皮膚の曲達を聴く。正直言うとこの最初に音を聴かせてもらう時というのは、自分の耳に自信がないので、耳を立ててチェックしながら聴くというよりも、好きで聴けるかなぁということだけを意識するようになった。
「いいのが出来た」そうメンバーが思えたらそれが何より。私の場合気になった箇所というのは、何年経っても気になってしまうので、そこを出来るだけ汲めたらいいなと思う。あとは”10年経っても自分達の音を好きでいられるように”そのことを考えて意見を出せたらいいなと思っている。
明け方までのレコーディングが少なくなったのも、システムがこうして変わったことが影響しているのだと思う。
とても健全な時間に今日の作業は終了となった。
2009年03月29日
3月29日は、マリモが特別天然記念物に指定された日を記念して「マリモの日」になったのだそうだ。
マリモと言えば、北海道のお土産という連想をするが、阿寒湖だけでなく山梨県の山中湖や滋賀県の琵琶湖にも生息しているのだそうだ。ただ、「マリモ」のイメージの”大きな球状の形をしているもの”は、阿寒湖と青森の小川湖にしか居ないのだそうだ。
友だちが確かビン詰めのマリモを持っていた。
<これ、どうするんだろう。>
と、思いながら見ていたような気がする。
マリモで思い出したが、私は2000年の1月に救急車で病院に運ばれて2週間程、救命救急センター内に居たのだが、この時に変な夢ばかりを見ていて、その中の一つに自分がマリモになった夢というのがあった。夢の中で、私はマリモだった。そして場所は京都だったのだが、とある坂道を楽しく転がっている夢だった。なんでマリモだったのか、不思議な夢だったのだ。
今日はマリモの日。
まさか自分が天然記念物になっているとは知らず、そして自分の日があるとも知らず、今日もマリモは湖の中で静かに過ごしているのである。
2009年03月28日
今年は桜の開花宣言があってからの気温が下がったせいで、あれからも満開にならず桜の季節が結果長くなっている。
本当なら今週末が満開となっていそうだったのだが・・・。
近くの川べりにダンボを連れて行ってみたら、まだほとんどが枝だけの桜で一部しか咲いていない状態だった。桜が咲いていないと人も来ていない。一組数人のグループがブルーシートを敷いてお花見をしていたが、少し寒そうだった。行きは屋台が出ていたが、まだ日が沈んでいないのに私が帰る頃には屋台も今日は終わりの様子。
明日もこの調子だと満開にはならないだろう。
去年は土日が満開で人が沢山訪れていた。
今年は平日が見頃になるかもしれないなぁと思うと少し残念に思えて来たのだった。
前の家もそう、桜の綺麗な場所に住んで私自身変わったことがある。
桜は土日の満開が似合う花。
あと一週間、満開になるのを待っていておくれ。
桜にはわかるかな。
きっと・・・わかっているだろう、人間には7色の曜日があるということを。一年じゅう彼等の方は私達のことを見ているのだから。
では、お願いを聞いてくれるかな。
桜は土日が似合う花。
晴れた土日が似合う花。
2009年03月27日
今朝目が覚めたら喉が痛かった。
鼻水が出たら「花粉症」だとハッキリわかるのだが、毎年私の症状は微妙なラインで「花粉症」だと言い切れないまま時期をなんとか乗り切っているので、この喉の傷みが風邪から来るものなのか花粉症からなのかがわからないのだ。
病院に行ってアレルギーテストを受けると、そこら辺のことはハッキリわかるらしいのだが、取り合えずは「健康体」から少し脱落しそうなこの症状を何とか食い止めよう。
そこで取り合えず、近くの薬局に行ってみたのだった。
花粉症対策コーナーと風邪対策コーナーが丁度隣り同士に並んでいるので、両方を行き来してみる。
薬を前にしてみたら自分の行動が決まると思ったが、薬局でも自分の症状がどちらなのかがわからなくなってしまった。
「風邪」か「花粉」か。
やじろべえのように揺れて、結局「花粉」の薬を購入して帰った。
が、家に帰って花粉症の薬を飲んだら、今度は頭が少し重たくなってきて症状が「風邪」のような気がしてくる。
時期を過ぎてしまうとすっかり忘れてしまうのだが、あぁ・・・去年も確かこうやって5月ぐらいまでグズグズしていたっけ。
「風邪」「花粉」「風邪」「花粉」・・・。
春、私は自分の体で花占いのように「風邪」か「花粉」かを占うようになっているのである。
2009年03月26日
今日の昼にカレーを食べたのに、それを忘れてまた夕飯にカレーを食べていた・・・という、他人の話は聞くが、私の場合それはパンだったりする。昨日は病院の帰りに喫茶店に入ってサンドイッチセットを食べたのだが、食事を終えて店を出て20メートル程先でパン屋さんを見つけ、「あら、パン屋さんだわ。買って帰りましょう」と店内に入ってパンを買っていたのだった。
今、サンドイッチを食べたばかりだということを思い出したのは、パンを買って店を出てから・・・。
<あら・・・そう言えば今>
<私パンを食べたばかりだったわ>
まぁ、いいか。
一日3食”パン”であることも、1ヶ月に何日かあるので、意識して手にしたかしなかったかの違いでしかない。
パンが好き。
焼き立てのパンはささやかな私の幸せの素なのである。
2009年03月25日
外来日。
病院内を歩いていると、頭上で「ウィーン」「ガチャン」という音がした。
院内の天井にはレールがついていて、ミニモノレールのような自動運搬機が行き来をしている。このミニモノレールはカルテなどを運んでいて、モノレールの小型版そのものなのだ。途中方向転換も一人でしながらゆっくりと進んで行く。「賢いなぁ」と感心しつつも、いつも病院内に入った時はモノレールの存在を忘れているので、毎度頭上で「ガチャン」と音がして首をすくめているのだった。
「しゅっぱーつ」
「しんこう」
病院内も忙しく人が動いているが、天井の世界も忙しい。速度はゆっくりでありながらもあちこちで移動している所を見掛ける。いっぱい仕事が詰まっているのだろう。
「ガチャン」「ウィーン」「ゴトゴト」
あら。
モノレールの中で、私のカルテが廊下を歩く私の姿を見つけた。
<急に音がしたんで、首をすくめてビックリしてるわ。>
「あれがね、私なんですよ」
隣りの席に座っていたおばあちゃんに話し掛ける。
「私はもう待ち合い室に着いているみたいだわね」
おばあちゃんカルテはモノレールの進む先の方に目をやって今度はおばあちゃんを発見、私の方を見て笑った。
モノレール、駅に到着。
じゃ、また。
お元気でね、ごきげんよう。
今日も病院にはたくさんの患者さん。
<あそこのベンチが空いているわ>
「ここ、よろしいでしょうか」
「えぇ、どうぞ」
あれ、どこかで会ったことがあったような気がしたけれど。
きっと気のせいね。
笑顔で返事をくれたおばあちゃんの横に、私は腰を掛けたのだった。
2009年03月24日
お二階に住んでいるワンコちゃんは、ミニチュアピンシャーという短毛の小型犬。黒とこげ茶の二匹で、飼い主さんは30歳前後の同棲カップルだ。
上のワンコちゃんは、飼い主さんが居る時は静かなのだが、今年に入ってから一匹の黒い方のワンちゃんが飼い主さんが出掛けて居なくなると、1〜2時間ずーっと吠えるようになってしまった。
本で読んだことがあるのだが、どうやらこの行動は「分離不安」から来るらしい。飼い主さんが居なくなることがストレスとなって、部屋の中で粗そうをしたり物を壊したり、ウンチを食べたりすることが留守番のワンちゃんに起こることがあって、飼い主さんが出て行って1〜2時間吠え続けるということもあるのだそうだ。
おかげで午前中は、最近はずっとワンワン吠える中で過ごす日々となってしまった。
洗濯物を干そうと窓を開けると、窓の所にやって来て激しく吠えられる。いつも黒いワンちゃんが窓の所で仁王立ちをしているのだが、もう一匹も援護にやって来て一緒に吠えるので、洗濯物を干している間じゅうは更にうるさくなる。ダンボが飛び出るのを見ると、それでまた激しく吠える。お昼を過ぎるまではずっとこんな調子なので、この声は他の家にも聞こえているのだと思う。
だが、飼い主さんが家に居る日は静かなのだ。
洗濯物を干そうが、ダンボが遊んでいようが、全く姿も現さない。だからまさか自分の留守中に毎日吠えまくっているなどとは、飼い主さんは思いもしないのだと思う。
「あら、今日は家に居るんですね」
「今日は早く家を出られたんですね」
複雑な感じだが、私は飼い主さんに心の中で話し掛ける毎日となった。
今日はまた朝からワンワンと吠えている。
「もうお仕事に行かれましたね」
お二階のワンちゃんはこうして、お二階の人の暮らしをご近所さんに教えているのであった。
2009年03月23日
「春色の汽車に乗〜って、海に連れて行ってよ〜」
聖子ちゃんの名曲「赤いスイトピー」は、私の乙女心をくすぐる胸キュン曲だった。
<私にもいつかこんな恋愛が待っているんだわ。>
そう信じまだ見ぬ彼氏とのデートを、私はこの歌の中でしていたのだ。
「春色の汽車」は何故か京都の四条大宮と嵐山間を走る嵐電のこと、「海に連れて行ってよ」の海は、嵐電では行けないのだが、歌詞に出て来る「駅のベンチで二人」の駅がやはり嵐電の嵯峨駅のイメージがぴったりだった。
コトコトと走る電車。
歌と同じく線路の脇にスイトピーが咲いていそうな景色の嵐電。
その年の春、私は京都の大学生になる予定だった。
私、もうすぐ彼氏が出来るんだわ!
何の根拠もないが、かなり明確に歌の中の景色が脳裏にはあり、「タバコの匂いのシャツにそっと寄り添うから〜」のシャツの柄は青いチェックで素材はネル、という細かい設定までクッキリあった。
だが、今になって思うのだ。
あの時、あんなにハッキリと彼氏とのデートをイメージ出来たのに、私は肝心の彼氏の「顔」だけが浮かんでいなかった。日差しの柔らかさの加減や、彼氏のしている時計が「SEIKO」のアナログという小物まで決まっていたというのに・・・・。
あれから時は流れ、未だに私は赤いスイトピーを聴くと同じ景色を思い浮かべている。
彼氏の顔だけが浮かばないというのが、何とも寂しい予感なのであった。
2009年03月22日
私の家の辺りは袋小路ですぐが行き止まりになっているので、家の前を通る人は限られているのだ。
宅配の業者さん、郵便局員さん、電気やガスのメーターのチェックに来る人、新聞配達の人・・・。ダンボにとってはこれら仕事で来る人はもちろん、先住のご近所さんも悪人。もっと残念なのは私も一歩家を出たら極悪人になることなのだった。
「ダンボ、私だよ」
多分私だと認識しているはずなのに、牙ムキだしの恐ろしい形相で激高して吠える。敷地内でガラス越しに部屋を覗いていて犬に激しく吠えられている図は、侵入者に対する威嚇そのもので、ちょびっと寂しい。
とにかく誰が前を通っても、ダンボにとっては悪に相当するみたいなのだった。
「ダンボっ、シ〜っ」
たいていはこんな風に注意をする。
が、たまに<いいよ。吠えなさい>と黙認することがある。それはチラシをポストに入れに来る人の時なのだ。
私の家のポストにも2日に一度は何かしらのチラシが入っている。偶然外に出た時にチラシをポストに入れている人に会うことがあるのだが、そんな時にはたいてい私の家のポストにはチラシを入れずに立ち去ってしまう。
勝手にチラシをポストに入れることが、少しうしろめたい行為なのかもしれないなぁ・・と思ったりもするのだが、「ムムム・・・」と思うのはそうではない時のことなのだった。
私の部屋からはカーテン越しに通りの人が見える。誰かに見られているということに気がついていない時に、ポストにチラシを入れた後で辺りの家の様子を伺っているのを目撃したことが度々あるのだ。
<なんでポスト以外の所を覗いているの。>
部屋の中からそぉ〜っと、私も覗く。
私も挙動不審だが、私から見たらやっぱり挙動不審。
少なくともウチには体に比べたら怖い声が出る犬が居る。
<吠えていいんだよ>
<早く>
<いっぱい吠えなさい>
「不審に見える」のは一体どういう点がボーダーラインになるんだろうか。
私も先日、バイクに乗っている所を「バイクひったくり犯」の職務質問を受けたところなのである。