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投稿日:2013年02月28日

2013年02月28日

今年も確定申告の頃になった。

去年税務署に行った時には、提出だけかと思っていたらそのままe-Taxのコーナーに誘導をされて、入力を教えてもらってそれから来年度からはネットで申告が出来る手続きまでをすることになったのだ。あの時はエラく時間を取られて、わけもわからずに誘導をされて気づけばe-Taxでの申告を勉強させられていたことにちょびっと怒っていたが、おかげで今年はe-Taxを活用してネットでの確定申告を終えられる。

税務署から届いた通知にもそう書いてある。

だから今年は申告書の書類を送りませんでしたと。

これがうちの父だったらめっちゃ怒っているであろう。

だって一年も経てばまたやり方がわからなくなっているだろうし、それにこういうインターネットものは慣れていないと何かしら記入漏れを指摘されたりで、差し戻しを繰り返す。誰かがちょこっとヒントをくれて救ってくれるという場面もないので、父が暴れるほどではないが私だってイヤなのだ。だけど、私も世の中の流れについていきたい。父のように「ワシにはちっともわからん!」で終わりにしてしまうにはまだ若すぎるわけで、自分が困らない程度に一般的な用事はネットで出来る社会人枠にいたいのである。

そこで今年はe-Taxでの確定申告をするつもりで、税務署のサイトを覗きに行くことにしたのだった。

ところが。

ホームページに行ってみると、e-Taxで申請をするにはパソコンのosが私の使っているmacだと古いらしい。推奨環境から外れていきなり原始人になった気分になるのだった。他の項目を見てみたが、税務署サイト内における私のパソコンは軒並み推奨環境枠から落ちて居たので軽くショックを受けたのだ。

まぁ、でも推奨環境はあくまで推奨なわけで。

私だって、最新とは言わないがそんなに古いパソコンを使っているわけじゃない。

それに去年私はもうレクチャーを受けているし、実際にその場でe-Tax申請をしたんですよ。

一応何か方法はあるんじゃないかと税務署に電話をしてみる。

すると。

「なんとかお使いのmacのバージョンをですね。10.6に上げてはもらえないでしょうか」という返事だった。

そんなもん。これ以上上げられないパソコンを使っているのだから、なんとか上げたくても上がらない。うちの子のせいじゃないんですよ!

結局、私のパソコンでは途中まで進むことが出来ても最後の方になって進まなくなってしまう可能性があるらしく、例年通り書類を手書きで書いて提出する方法しかないと説明を受けたのだった。

「では、恐れ入りますが近いうちに書類一式を送らせて頂きますので」

「はい、よろしくお願い致します」

たまに自分のパソコンが推奨環境から落ちていることがある。

ついこの間「私のパソコン、すごい!最新だわ〜」と感動したと思ったのに。

あれからさほど時は流れていないと思うのだが・・・。古いmacを使っていた友人が買い替えによって一気に最新人類になり、「あら、遅れてるわね」と今度は笑われている。

終わらないパソコンじゃんけんは続く。

買い替えるまで私は原始人として生きて行くのである。


投稿日:2013年02月27日

2013年02月27日

今の家は結露がひどく、内側のレースカーテンの裾がカビていて気になっていた。

”黒い点々”は洗っても消えず、衣料用の漂白剤につけてもダメ。買い直そうかと思ったが一つの窓のカーテンは結構気に入っていて代わりになるものがまだ見つからない。下半分を切ってそこに新しい生地を縫おうかと生地を買ってきたのだった。

しかしカーテンをリフォームするのは大変なのだ。布地が大きいので場所を取るし、作業も手間がかかる。なので今ひとつすぐに手がけようという気になれないでいたのだった。

何かいい方法はないかしら。

ネットで検索をしてみると、「カビキラー」が思わぬ効果を出してくれたとのこと。衣料用の漂白剤でびくともしなかったカビが、本当に効くのかしらと半信半疑だったが、試したみたという女性たちの書き込みが「ダメもとでやってみたら、真っ白になったんです!」「ダメだったら捨てるつもりで思い切ってやってみました!」といった驚きの誤算の連続だったので、私もカビキラーを「ダメもとで」やってみることにしたのだった。

すると。

大きな窓に吊るしていた2枚のカーテンが、カビキラーを1本分使ってシュシュして1時間放置したら・・・。

すごい。

見事に真っ白、買った時の綺麗な状態に戻ったのだった。

カビキラー、すごい。

本当に綺麗になったわ。

感動をして次の日、またカビキラーを一本買ってもう一つの窓に掛かっていたカーテンにやってみた。

すると。

やっぱりすごい。

真っ白です!

うっかりしていた。

もう一つの窓のレースカーテンは裾に刺繍が施してあったのを・・・。

おかげで刺繍の色がムラになり、綺麗になったが汚いカーテンになってしまった。

まぁ、ダメもとでやったのだもの。

一勝一敗だけどよしとしよう。

カビキラーは本当にカビに効くのである。


投稿日:2013年02月26日

2013年02月26日

深夜の情報テレビで「工場地帯の夜景」を紹介していた。

こっちでは京浜工業地帯の辺りの工場の明かりが綺麗なんだそうで、デートスポットになっているということは前から聞いていたのだが、杉並からは車でないと行けない距離なのでテレビの中で見るだけなのだ。

が、私も大阪に住んでいた時に工場地帯の夜景にハマって何度か観に行ったことがあった。

大阪のやはり港の方にあったところで、たまたまドライブをして迷い込んだら日常生活にはないような機械めいた建物ばかりが建つエリアだった。もう今から20年も前のことだったが、素敵な夜景スポットとしてお気に入りの場所になったのだ。

あれは何と言う場所だったのか。

ビリージョエルのPVの「アレンタウン」を想像させるものがあったので、彼氏と私はそこを「アレンタウン」と呼んでいた。

関西に住んでいた頃はよく夜景を観に出掛けたなぁ。

伊丹の飛行場の滑走路のそばも綺麗だったし、神戸はあちこちにいいスポットがあった。

工場地帯の夜景は独特の世界がある。

綺麗な夜景には流行り廃りがない。

あぁ、これでまた車が欲しいなと思うのである。


投稿日:2013年02月25日

2013年02月25日

先日、叔母が電話で「結婚はなるべくしない方がいい」と言っていたエピソードで、旦那さんのトイレでのおしっこのはみ出しもストレスの一つだということをあれからたまに思い出していたのだが、よく考えてみたら私も毎日”はみ出しおしっこ”の片付けをしていることに気がついた。

ダンボちゃんのトイレは今おしっこシートを7枚敷いている状況なのだ。

小型犬にどうして7枚もおしっこシートが必要なのか私も腑に落ちないのだが、最初は1枚だったのが彼の”はみ出し”によって、どんどん枚数が増えて現在の7枚になってしまった。

「おしっこはここ!」

家にやって来て多分初日におしっこの場所を覚えたはずの賢いワンコちゃんだったのだが・・・・。

ダンボは最初はしゃがんでおしっこをしていたのだが、青年になってからオス独特の足上げおしっこスタイルを覚えてしまったのだった。去勢をしたら治る犬も居るそうだが、ダンボの場合は治らなかった。

おしっこの際、ダンボは教えられたシートの上にはちゃんと行くのだ。

ところがそのあと、どっちの足を上げるかなど微妙な身体の向きでシートの真ん中に立っていても「失敗」することが多くなって行ったのだった。

おしっこシートが2枚になり、3枚になり、壁などにも貼付けて最終的に7枚にまでなって、ダンボのトイレは今では要塞のように立派な部屋のようになっている。

にもかかわらず未だにおしっこがはみ出ているのだった。

ヤケ酒ならぬ、ヤケしっこ。

というのは、外に猫ちゃんが居て、家の中で「ワンワン!」吠えて戦ったものの、ダンボとしてはスッキリしない終わり方をした時なんぞは、怒りをおしっこで表現するときがあり、そんな時の飛距離が遠かったりする。

「あ!そっちの足を上げないで」

「あ!そっちに向いちゃだめ」

と、言っているのだが、やはり犬の頭では「シートの上に行って用を足す」ことまでがせいぜいの理解力のようで、私はしょっちゅうダンボのはみ出しおしっこの処理をしているのだった。

そうねぇ。

可愛いダンボだから「もうっ!ダンボ!」ぐらいで済んでいるんだわ。

これが人間だとしたら・・・。

私も叔母のようにひどくストレスに思うようになるに違いない。

ダンボは今日で10歳のお誕生日を迎えた。

こんなに一緒に長く暮らして鬱陶しいだなんてただの一回も思ったことがない。

ダンボにはたまに鬱陶しがられながらも・・・。

はみ出ししっこやはみ出しうんちを拾いながらも、手の平に伝わる生暖かさに<あったかいというのは生きている証拠だわ>と変な充実感を覚えている。

出来るだけ長く一緒に暮らしたいのだ。


投稿日:2013年02月23日

2013年02月23日

まだまだ寒い毎日が続く。

原付で出掛ける時の格好はかなりの重装備で、貼るカイロもミニサイズの物を3つ貼付けているのだが、それでも日によっては外気にかじかんでしまうことはよくあった。

寒い。

防寒具だけではもうダメなのかなぁ。

やっぱり車が欲しいなぁ。

冬の原付は寒さが厳しい。

そう思って我慢するばかりだったのだが・・・。

イヤーマフラーをしたら寒さがしのげるということがわかった。

ついこの間まで、耳は年中冷たくていいもの、いいや冷たくしておいたぐらいがいいと思っていた。だって熱いものに触れたら、まず耳たぶを触りなさいと子供の頃に教えてもらっていたし、だから耳はあたたかくしてはいけないと逆に思っていたので「防寒」対策は何もしていなかったのだ。

ところが試しにイヤーマフラーを買ってつけてみたら・・・。

それまでの防寒仕様で何ら問題なく外気に震えることなく移動が出来ると知ったのだった。

イヤーマフラー、素晴らしい!

イヤーマフラー、万歳!

と、愛用していたのだったが・・・、

なくしものの多い私のことである。ある日どこでどうしちゃったのか、イヤーマフラーをどこかでなくしたようなのだ。

思い当たる所は全部訊ねてみた。

が、見つからない。

そうこうしているうちにイヤーマフラーなしの外出がキツくなってきた。

新しいのを買ってようやくこれでまた寒さに凍えなくて済むわと思ったところに、仕事場に忘れて帰っていたことが判明したのだった。

イヤーマフラーは寒さに意外に効果がある。

快適な冬ライフ。

でもやっぱり二つはいらない品物だなと思うのであった。


投稿日:2013年02月19日

2013年02月19日

渋谷区文化総合センター大和田伝承ホールにて、遠藤周作生誕90年記念「神田蘭 わたしが・棄てた・女」の講談公演の本番日。

渋谷の駅から246号線を渡った坂の上にあるのがこの伝承ホールで、遠藤周作さんのこの「わたしが・棄てた・女」の作品に偶然なのだがこの辺りの場所が出てくる。なので昔はどんな景観だったのかなと思い浮かべてみる。多分ずいぶん景色の変わったエリアの一つなのだろう。

会場の伝承ホールは花道や桟敷席などもある。まだ新しいホールなので新しいホールの匂いがしていい「気」が漂っているなぁと、なんとなくだが感じた。

楽屋に入って仕込みを待つ。舞台の作り物がその場で作られる音がして、それが出来上がると音出しのリハーサルへと移って行く。モニターの音チェックをして蘭さんの台詞の聞こえ具合を調整してもらう。バンドを始めた若かりし頃はリハーサルと言えば「本番前にもう一回練習が出来る時間」という認識だったなぁ。とにかく確認やチェック事項に終われて本番前にもう一回練習が出来るなんてことは今ではなくなった。

細かい段取りや部分的な変更などをまたメモしたりして、リハーサルが終わる頃にはすっかり本番を迎えるだけの準備がちゃんと出来たように思う。

蘭さんがリハーサル終わりで全員を集めて、軽くお話があってそしていよいよ本番の時間となった。

いつも出番前には<今までしっかり練習をしてきたのだから、あとはやるだけ。大丈夫。>と自分を励ます。とある先輩にそうやって緊張を静めてきたとお話を伺ってから、出番前にはそうやって自分自身に話しかけてきた。今日も同じ。いつものようにやればいいだけだと幕が開く瞬間にもう一度こころを静めた。

蘭さんの公演を楽しみに来られたお客さんがたくさん、溢れんばかりの満員御礼だった。

始まったら前に進むのみ。

前に進む勇気を私はいつもこういう現場で教えられてきた。

それがいつしか自分の生き方の教えとなって、今でも教えられている。

目の前にあるものに足を踏み出した方がいい、踏み出すべき時はある。お客さんをお迎えする時がその時なのだと思う。

蘭さんとは今回初めてご一緒させていただいたが、思い切って足を踏み出していくその姿に男前なかっこよささえ感じる、なんだかまた教えられるものがある出会いだった。


投稿日:2013年02月16日

2013年02月16日

父に電話をした。

「はいもしもし吉川ですが」

というのが電話に出た時のいつもの父の第一声だ。

それに対して

「あ、もしもし?・・・わたし」

と、言うのが私で、みきですと名乗る前に父は私だと気づくので「あぁ、あんたか」と返事が返って来るというのがいつものパターンなのだ。

が、今日は「あ、もしもし?・・・わたし」と言ったら父は慌てて「あぁっ!すんまへん。どうもすんませんでしたっ!」とデカい声で言うではないか。

「へっ?」

「えろうすんまへんでした!」

父は誰からの電話だと思っているんだろう。

「あの、みきですけども」

と、念を押してみた。

「なんか届いとったわ!すんまへん!」

めずらしい。私だとわかっていて「すんまへん」と言えるだなんて。逆に驚いたのだ。

「なんか届いとった」の「なんか」はバレンタインデーのチョコレートのことで、う〜〜んと昔、若かりし頃、余った義理チョコをしげおっちにあげたら仏壇にお供えをしたまま夏になっても食べることがなく、私がだんだん気になってきてしまって食べてしまったということがあった。

<この人は女の人からチョコレートをもらえるタイプじゃないわ>とあらためて思って父のことが可哀想に思えて来て以来、バレンタインデーには父にチョコレートを渡してきた。

いつもなら「なんか届いたわ」と、たにんごとのように電話をして来る父。それが、今年は電話もかけて来なかった。

「今年こそ、ワシは死ぬと思うからな」と、正月に宣言されていたので、また入院でもしちゃったのかもしれないと心配になって生存確認の電話をしてみたのだった。

元気でいることがわかればそれでいい。

「今な」

「?」

「うどん食べてるねん」

父はちょこっと自分がやましい気持ちを抱えている時、サービス精神で何かしゃべろうとするのでおかしい。

「ヘルパーさんにな、作ってもろたうどん今食ってたんや」

「あ、そう!?」

ちょびっと沈黙があり。

「なんか・・・」

「はい?」

「高島屋の紙袋が届いとったわ」

チョコレートは高島屋のオンラインショップで購入したものである。

時々、猪突猛進型の父がつたない感じになることがあり、このときばかりは父のことがおかしく思えてくる。

「誰か来た?ちえちゃんとか」

「来えへんよ」

隣町に住んでいる妹一家からはやはり何のアクションもない様子だった。そこで、めげない父は「チョコレート、来たから遊びにけえへんか」と孫に電話したらしい。

「誰もけえへんかったわ」

「あ、そう」

「みんな忙しいらしいわ」

ちょっと可哀想になった。でもまぁいいじゃない。私がその分イベントごとは忘れないようにするから。

心の中でつぶやていたら・・・。

「ほやから、昨日と今日とでヘルパーさんと消化した」

と、しげおっちは言うとった。

そんなに急いで食べなくてもいいし、それに”消化した”って・・・送り主に対して言うにはちょっとおかしな日本語だと思うのだが・・・。

まぁいいか。

初めてチョコレートをもらった時、仏壇にお供えをしてもったいなくて食べられなかった父はあれから「すぐに消化する」までに成長した。

ええんか悪いんかようわからんのだが、これもなんでもない幸せのカケラなのだと思うのであった。


投稿日:2013年02月15日

2013年02月15日

原付で走っていたら、プリン屋さんの車を見つけた。

車の後ろに「@@プリン」と印字がしてある。白い軽自動車で、それは会社の営業で使われるようなお洒落でも何でもない車だ。

しばらく後ろを走ることになったので、このプリン屋さんについて考えてみる。

”こんなに美味しそうに見えないプリン屋さんもめずらしいわ”

”もうちょっと、可愛いペイントとか、他にないのかしら”

”どこのプリン屋さんなのか聞いたことない名前だけど”

”美味しいのかしら”

と、ちょっとこのプリン屋さんについて心配になったのだが、車がそのまま右折をするために止まって私が追い抜くこととなった。

車体の横には「@@プリント」と会社名があった。

「え!」

プ、プリント!?印刷会社かいな!!

車の後ろの「ト」が一文字消えていたのを私がそのまま受け取って「プリン屋」さんだと勘違いをしたことがそれでわかったのだった。

印刷会社なら、あの白い軽自動車は納得出来る。

ぬぉおおお。

あの「ト」を消した誰かさん。

私の勘違いを知ったら、手を叩いて「わー!騙されよった〜」と喜ぶんだろうな。

見事に騙された私なのであった。


投稿日:2013年02月13日

2013年02月13日

今日も神田蘭さんの公演の稽古。

今日は2部の内容が中心になってくる様子。長年の音楽生活の流れに慣れているせいか、やっぱり自分自身の立ち上がりが遅い気がする。まず初回は音鳴らし、一巡通してから二巡目に細かく詰めて、最後に通しをしてその回を録音するという長年の音楽人タイムスケジュールが身体に染み付いているのが、稽古中のちょっとした時に感じるのだ。いつもリハーサルは録音をするが、最後の通しの回を録音する習慣がついているせいか稽古が始まった時の録音をし忘れる。

稽古は始まったらすぐ録音をした方がいい。というのがわかった。細かい変更がその都度あって、それは譜面上にはないニュアンスだったりするのでその前後の会話を録音しておいたほうが、あとで家に帰った時に復習がしやすいのだ。

物作りは奥が深いものなのだなぁと蘭さんの公演に携わることで、あたらしい発見があり、それは緊張感があれどとても楽しい作業だ。

今のうちに感じられるものを感じ取って、本番に照準を合わせて行きたい。

蘭さんを見ていると勝負師に見える瞬間がある。物作りをしている人の勝負師の顔が私は好きなのだ。思い切って一歩前に踏み出す、風を切るあの感じ。自分の中の見えないものとの勝負。そういう勝負の姿が私自身が物作りをする人に興味を抱くところだ。

明日の稽古が終わったら、私が参加出来る稽古は残すことろあと一回。

私も心は燃えてきている。


投稿日:2013年02月11日

2013年02月11日

ボディケアせっけんのDoveのコマーシャルをテレビで見た。

気づけばもう長い間、Doveもコマーシャルで見るようになったが、商品が出始めた頃私も宣伝を見て”今までにはなかったうるおいが感じられるのではないかしら”と使ってみた記憶がある。

その後長い入院になってしまい、お肌のうるおいどころではなくなってしまった。

二度目の手術後、外科病棟の個室で毎日を過ごしていた頃は具合もかなり悪くて、呼吸器は外れたものの、呼吸が浅いことを知らせるアラームがしょっちゅう鳴っては看護師さんに「頑張ってもっと息を吸って!」と声をかけられていたものだ。

頑張って息をしているのだが、呼吸が浅くて追いつかなかった。寝返りも打てずにただ一日中ベッドに寝た状態で息も絶え絶えなんとかその日を送ることの繰り返しだった頃だった。

寝た切り患者は看護師さんにとってはあまり気を使わなくていい存在らしい。言葉も話せずただ息をしているだけのように見える存在だったので、ぞんざいに接する人も居たし、いじわるをする人も居た。かと思えば、まるで私が病人ではないかのように普通に話をしてくれる人も居て、その看護師さんはその中の一人だった。

ある時点滴をつけかえたりしながら、返事も出来ない私に「ダブの宣伝、見てるとね。使い心地が気になっちゃうんですよね〜。使ってみたことあります?」なんて訊ねられた。もちろん会話は成立していない。表情が少し変わるのを見て彼女が判断するしかコミュニケーションはなかったのだが、それでもそんな風に接してもらったことが少なくともその時間私を病人であることを忘れさせてくれた。

「今日、帰りに買ってみようかな」

そうか。今は一緒にこの病室に居るけれどこの人は仕事が終わったら外の世界に帰って行くんだなぁ。

その時に既に私は病院に搬送されてから半年近く経っていて、病院の周りの景色がどんな景色なのかもわからないまま外の世界と離れた毎日を送っていた。そしてまさかそれから更に1年半外の世界に触れることも出来ずに過ごすことになろうとは、その時は思ってもいなかったのだが。

Doveのコマーシャルを見るとふと彼女を思い出す。

使い心地、よかったよ。と、あの時答えられなかったけれど。

私ももう彼女の名前を忘れてしまった。

彼女ももうあの大学病院には居ないだろう。それにそんな会話をしたことさえ、覚えているとは思えない。

だけど時々私は思い出している。

忘れてしまうことは沢山あるのに、たまに何でこんなことをいつまでも記憶の片隅に置いておくのだろうと疑問に思うようなささいな日常の断片をいつまでも覚えて思い出したりすることがある。

Doveのコマーシャルが続く限り私の思い出は褪せないんだろうなと思うのだった。