先週、車を買うことに決めて、もう購入手続きを終えたのだが、お盆辺りまでは父には言わないでおこうと思っていた。
何か私が新しいことをしようとする場合、それを直前に知ると父は必ずネガティブな話ばかりを並べて私に説教をするのだ。もう決めたことに対して、実行する直前や何かにエラくネガティブなことを言われるのは、それこそ聞いていて気分が悪くなる。昔から吉川家の両親共、私への注意や説教は本当に私を心配しているというより、娘を心配したり不安に思ったりするストレスを抱え切れなくなって「心配」と題した自分たちにのしかかる重圧を諸悪の根源である娘に説教に変えてぶちまけるタイプであった。
大人になった今はそれが分析出来るようになったので、もう最近は事後報告することにしたのだ。
手術や入院、海外旅行もぜーんぶ事後報告。
妹は事後報告どころか情報全般を自ら与えないので、まだ私の方が風通しはよい。
のだが。
困ったことに今日は電話がかかってきて、会話の流れで「ほんで車はどないなったんや」と不意をつかれて訊かれてしまった。
私は嘘がつけないタイプなのだ。
嘘をつかなければならない場合はコミュニケーション自体を取らずに済む方法を取るので、直接訊ねられたら隠せずに本当のことを言ってしまうのだった。
「車、買いましたよ」
この本当のことを吐いてしまったばかりに、また私は父からネガティブ話を延々と聞かされることになってしまった。
「買うたんなら、気をつけて運転せなあかんで」
買うたんなら、もうその一言しかないんじゃないのか?
父はそれが違う。
「ほんまに買うてしもたんか!」
裏切り者のように言うが、そもそも父が正月に車を買えと説いていたんじゃないか。
そしていつものネガティブ説法へと移行していく。
まるで、免許の更新に行った時に車の教習ビデオの恐ろしい事故の映像ばかりを見せられ、”もう車に乗るの、やめようかな・・・”と、急に車の運転をするのが怖くなって心細くなるあの気持ちにまで父は私を追い込むのである。
そこまで言わなくてもいいじゃないの。
ネガティブ思考にすぐに行ってしまう人が私は嫌いなのだ。いいや、子供の頃から両親からのネガティブ説法に耐え過ぎて本当にお腹いっぱいで1ミリたりとももう受け付けたくなくなっているのだ。
そのパンパンになったところにまだ押し込んで来るか・・・。
今日はめずらしく反論をした。
「お父さんの考えはネガティブの度が過ぎていて、それじゃぁなんにも出来なくなっちゃうじゃない!」
父はこの言葉をきっかけにむっちゃくちゃ怒り、逆ギレをした挙げ句「へい!ほな悪いこと言いましたわな!すんまへんでしたわ!」と怒鳴ってそれで電話は終わった。
もう、なんでこんなことになるの・・・。
スニッカーズのコマーシャルでピアノを叩きまくっている内田裕也を見て、誰かに似ているなぁと思っていたら、あれで頭がハゲだったら顔もオーラもしげおっちにそっくりだ。
あの人も大変そうな人だわねぇ。
知り合い程度なら笑えるが家族だったら大変なヒトっている。内田裕也さんには申し訳ないが。
しかし、なんで車を買ったら”私が死亡事故のひき逃げ犯になる”と決めつけてしまうんだろう。よくわからん。というか、発想があんまりだ。
しばらく腹を立てていたが、ふと”ワシは今年こそ死ぬと思うからな”と正月に宣言していたことを思い出した。
そうやな。ワシも今年こそは死ぬかもしれへんわね。
妹は「そんなん、もう毎年言うてんで」と笑っているが、そこがもう一つ妹のようになれない生真面目な姉なのである。
また・・・、折れとこか・・・。
「もしもし」
電話をかけて「さっきはごめんね」と伝えて、それからは私は父から好きなだけネガティブ説法を受け、それでようやく解放されたのであった。
こんなに暗い説法を私は子供の頃から聞かされ続けて、よくぞこんなに明るい人間になれたもんだわ。
もう・・海外旅行のことは絶対に言わないぞ。
事後報告、もしくは何も報告をしないのがやはり絶対によいと確信したのであった。