月別アーカイブ : 2008年6月

投稿日:2008年06月30日

2008年06月30日

ノーパン喫茶というのがあったっけ。
私も忘れ物癖のおかげで、プール帰りのノーパン率が高くなっているのだ。
しょうがない。
だって忘れてしまったのだから。
いつもプールに出掛ける時、私は水着を最初から着て行く。その時にタオルと新しい下着をカバンに入れて行くのだが、水着に着替えた瞬間に「早くプールに行きたい」気持ちに覆われるらしく、新しくタオルを出したらそれで準備が終わったと勘違いをするパターンが多くなっているのだった。
プールで1時間ちょっとのウォーキングをして、更衣室に戻って来て、さぁ着替えるぞとカバンを開けると「ない!」「忘れた!」ということに初めて気付く。最初に忘れた時はかなりあせったのだが、こう何度も忘れるようになると「またやっちゃったわ」位にしか動じなくなってくるのだ。
これで地下鉄に乗ったら地下鉄風でスカートがめくれて露出痴女になるところだが、住宅街をバイクで走る分には特に支障はなく不便もなかったので「忘れたら忘れたでしょうがない」程度のことになってきたのだった。
「一刻も早く家に帰ろう」と顔を赤らめていた私はどこに・・・。1年も経てばそのまま買い物にスーパーに立ち寄って買い物もしている。レジで後ろに並んでいる人にはそんな私の事情など知るよしもないのだ。
ただ転ばないように。あとは2階に上がるtsutayaには行くのをあきらめるぐらいだ。
ノーパンでお金をもらえるだなんて、すごいことだなぁとあらためて思う。
私がいくらノーパンスーパー、ノーパンバイクをしても、何ら特別なことは起こらない。レジやガソリンスタンドで、いつも至って普通にお金を払う側なのである。


投稿日:2008年06月29日

2008年06月29日

先日、可愛いハンカチを見つけて買おうと思って開いたら、柄にドクロマークがついていた。
ドクロマークがネックとなって、結局その品は買わなかった。残念・・・・可愛いかったのに。
私はドクロ物は身につけないし、一つも持っていない。
ドクロってどうなんだろう。
「幸せを呼ぶドクロ」というのは聞いたことがない。私にとっては縁起の悪いアイテムでしかなく、だいたいドクロなんてものは自分のが一つあれば十分だと思うのだが・・・・。
実家の父が「ワシにかかってくる電話は墓のセールスばっかりなんや」と怒っていた。で、怒っているわりには「しかし、よう知っとるわ。ワシが死にかけの爺さんということを。」と言っていたが、例えば父にドクロマークのついたシャツを贈るとしたら、墓地のセールスの電話と同じニュアンスを受けるだろう。
敬老の日にお姑さんに、ドクロマークのキーホルダーなんぞあげた日には、「あの嫁はこれで早くあの世に行けって、あの世用のキーホルダーをくれよった。」ということにもなりかねん。
ドクロをつけているのは、元気はつらつピチピチの若い人達。下北の路上で座っていても別に発熱もせずにいられる生命体としての強い個体なのだ。
ドクロ指輪をはめ、ドクロパンティを履き、ドクロTシャツを着てドクロマークのキャップを被り、ドクロベルトをする。ドクロバッグを持ってもドクロとは程遠いピチピチ体型で居られる。
一体なんこドクロを持ったら気が済むんですかい。
かつて私にも河原町でウンコ座りをしようとも、別に具合いが悪くならなかった時期があった。生命体としてまだ強かった時期は相当不気味なアイテムを「可愛い!」と言って身につけていたのだ。
だが今はもうだめ。
ドクロを身につけたら、ドクロの呪いにやられそうな気がする。
ドクロは元気人のしるし。
ドクロファッションの良さがさっぱりわからない私なのである。


投稿日:2008年06月28日

2008年06月28日

お店に入って、店員さんに「何かお探しですか」と尋ねられた途端に、私は体がきゅぅううーんと硬くなる。
確かに・・・何かを探しているから店に入ったのだと思う。だがそれはすごくあいまいな感じであって、何かを探しているんだろうがそれが何かも具体的には自分ではわからない。しかも全然切羽つまったものではないので、店員さんから声を掛けられると、急にそれらを整理してキチンとしなくてはいけないような圧迫感に覆われるのだ。
<束縛されたくない>
<まだ野放しにしておいてもらいたい>
付き合っている彼女に結婚のプレッシャーをかけられて、重たくなる男性ってこんな心理状態なんじゃないだろうか。きっと私は店に入った時”まだ落ち着きたくない””まだ責任を取りたくない”状態の男性化しているのである。
店員さんの「何かお探しですか」は、店側の目的をはっきりさせない分逆に重たいセンテンスになっている。だったらいっそのこと単刀直入に「こんにちは!」「あのう・・・。よかったら何か買ってもらえないですか!」ぐらい言ってもらった方が、こっちも「えーっ、今日は無理!」と明るく返せるかもしれない。
私は服や小物は自分で選べる。
家電やパソコンがよくわからなくて選べないので、そういう時にこそ「何かお探しですか」と言われたい。
店に入る時のほとんど、私は何を探しているのかわからない。
ショッピング中の私は「はっきりしない男」になっている時なのだ。


投稿日:2008年06月27日

2008年06月27日

午後、バイクで吉祥寺に出掛けた。
吉祥寺は大好きな街だが、乗り物で行くと困る街。道が不便なだけでなく駐車場とバイク置き場が少ないので、土日の日中は公共の乗り物で行った方が、買い物時間が結果長く取れるのだ。
行くなら平日。が、平日も人気の高い街。残念ながら今日は「ここに止められたらベスト」だったバイク置き場が既に満車だった。
かわりにと駅の反対側のバイク置き場を教えてもらったが、そこも今日は一杯。しょうがなく30分350円のファッションビルのバイク置き場に行ってそこにバイクをとめたのだった。
ふぅ〜っ。
それにしても、今日は暑い。
バイクを置くだけで思ったより時間が掛かったことで、駅ビルに向かって歩きながら「こういうのってちょっとしたタイミングで止められたり、止められなかったりするんだよなぁ」とバイクの件から派生して”タイミングと縁”というテーマについて、私はぼんやりと考えごとをしていた。
駅ビルに着き、通りすがりにある店にそれぞれ吸い込まれ、そして大好きな雑貨屋さんのショーウインドーの前で、これまたディスプレイに吸い寄せられて無防備に眺めていると・・・・
「今日は、暴走族じゃないんだねぇ」
後ろで声がしたので振り向くと、同じ事務所のkazzkiくんのお父さんではないか。メンバーの家に行く時は重装備でバイクに乗って行くので、いつからか「暴走族」と言われるようになったのだが、まさか駅前でバッタリ会うとは。
「あれぇえええーーーっ」
kazzkiくんのお父さんは犬の散歩で井の頭公園に行った帰りだったらしい。
「あはは。そんなに驚かなくても」
「お買物。ゆっくり楽しんで下さいね」
そう言ってkazzkiくんのお父さんは去って行ったのであった。
会話時間、約15秒。
ずっと私は口を開けていたのではなかろうか。
いや・・・驚きますとも。
だって今さっき、「タイミングと縁」について楽しい空想に浸っていたのだ。
こんな大きな街でバッタリ誰かに会うだなんて。
吉祥寺では少し早めのサマーセールが始まっていた。最近は他でもこうしてアーリーサマーセールをやっている。
足を止めれば驚くことはたくさんある。
今年ももう半分が過ぎようとしているのだ。


投稿日:2008年06月26日

2008年06月26日

夜、代官山で西川峰子さんとの食事会があった。
ここは駅から割と近いビルの中にある和食の創作料理のお店で、お酒と食事をゆっくり楽しむような雰囲気の場所だ。
今日は全部で6名。
皆さん、お酒を飲まれる。
お酒が好きな人には「夜はあまり食べない」というイメージがある。最初の頃は驚いた。飲みはじめるとオウムの餌ぐらいの「種モノ」をちょこっとつつく程度。で、ご飯は食べない。私の思う夕飯とはあまりにかけはなれた「夕飯」なので、何かお腹に入れた方がいいのではないかと心配になったりしたのだが、酒のみの人曰く、「量は要らない。美味しいお酒とちょこっとずつ美味しい食べ物があるのがいい」らしい。
今日の宴席は、少なくとも3名は”飲みはじめたら食べない”タイプの「お酒好き」。コース形式で料理が出て来るのだが、ただでさえ食べるのが早い私はこんな場の中では犬の早喰いみたいになって、ちょっぴり恥ずかしいのだ。
家での食事タイムはとても短い。
これでも今日は「場」を見て頑張っているのだが、基本的に机の上に沢山物が乗っていると落ち着かない私は普段の流れがやはり身についているようで、「食べたらさっさと片付けて机の上を拭いて綺麗にしたい」欲がムクムクと沸いて来るのだった。
ゆっくりお酒と食事を楽しむのは、大人の女性のたしなみでもある。
どうしても、それが自分には出来ない。
<テーブルの上をちゃっちゃと片付けたい。>
私は大人の女性でも”おかん系”に行ってしまった。
今日は食事中にワインだけで4本位空いたはず。
私は料理、完食。
2人前ぐらい行けたかもしれない。
だがそれではお行儀が悪いので、我慢した。
それにしても不思議だ。
お酒が好きな人は夜、オウムになる。
「種みたいなもの」だけで他は食べなくなるのである。


投稿日:2008年06月25日

2008年06月25日

今日は目黒で音楽ライターの熊谷美広さんに会った。
通称「クマさん」。ライターのお仕事だけでなく、「jam for joy」という新旧洋邦いろんなジャンルからのカバー曲で構成するライブをプロデュースされている。私も何度か出演させてもらったこの「jam for joy」、ここが縁で知り合ったミュージシャンには、今もいろいろお世話になっているので、私が東京に来て音楽仲間と知り合うきっかけを頂いた場でもあった。
スティービーワンダーの曲を歌ったり、スティングの曲のコーラス隊をやったり・・・。当時弾き語りスタイルでライブをしていた私には有り得なかった「バナナラマ」や「アバ」にもこの一日だけはなれた音楽の仮面舞踏会のような楽しさがあった。
今回「reunion」のライナーノーツをクマさんに書いてもらうので、資料をお渡しするのと共に久しぶりに会ったが、3時間程話をした中今まで聞くことがなかった本業であるライターのお仕事のこと・・・・。ご自身が大事にされているお話を聞くことも少し出来た。
楽器や歌を奏でるだけではない。
音楽に携わる職業ってたくさんあるんだ。
それを知ったのは、自分が音楽に携わる仕事をするようになってからだ。
クマさんは、楽器や歌を奏でる以外の方法で音楽を届ける人。音符以外に大事なものはたくさんある。むしろ最近はそっちの方が多いかもしれないとさえ思う。
音楽に限らず方法というのは、その人が気づけばたくさんのやり方があるのだ。
真ん中に「愛」があるもの同志が手を繋いで輪になるのが、私も好き。
目黒は10年程前にラジオのレギュラーで週に2回程通った街。
駅を降りたら通り道にあるパン屋さんに寄ったあと、いつも真っ直ぐにスタジオに行っていたのでゆっくり歩いたことがなかった。
綺麗な駅ビルが出来ていた。
前からあったかどうかも私にはわからない。
会社帰りの人達や夕飯の買い物をする人達が行き交う。
風が一瞬止まって。
そしてまた動き出したのであった。


投稿日:2008年06月24日

2008年06月24日

東京や近郊の地名で、読み方を間違えて恥ずかしい思いをすることがたまにある。
「登戸」は「のぼりと」と読むのが正解、だが青森県の「八戸」の「はちのへ」とダブってしまい、「のぼりへ」だと思っていた。
「上野毛」は「かみのげ」と読むのを「かみのもう」と読み、「等々力(とどろき)」は人に「たたら」と教えてもらって以来、今でも「たたら」と読みそうになる。「江古田」は、町名上が「えごた」で駅名は「えこだ」。砧(きぬた)も碑文谷(ひもんや)も、学校では習った記憶がない漢字だったので、人の会話の中で覚えた読み方だった。
だが実家のある大阪の方も、初めての人には読めない地名があるらしく、吹田は私にとっては物心ついた時から「すいた」だったが、馴染みのない人からは「ふいた」ですかと尋ねられる。また「枚方(ひらかた)」は「まいかた」と間違われる。
全国の地名はこんな風にその土地をよく知る人なら自然に読めるが、初めての人にとってはどういう読みになるのかと戸惑うものがたくさんあるのだろう。
「今、@@に居るんですけど」
読み仮名がわからずに、ここがどこか伝えられない。
<自分がどこに居るのかがわからない>
地図が読めないだけでなく、漢字も読めない。
漢字一つのことで、大人もこうして新手の迷子になるのである。


投稿日:2008年06月23日

2008年06月23日

「reunion」のレコーディングに参加をしてもらったsmall colorのオオニシユウスケさんのソロライブに行った。
small colorのライブはスライドとのコラボスタイルで、その場で音を重ねてその場で映像を重ねて行くのだが、それらは機械であらかじめ録ったものではなくその日のその場で作られていく。こういうライブが本来「ライブ」と呼べるライブなのだなぁと思うユニットだ。
今日もスライドとのコラボでライブが始まった。
オオニシさんが「ゆる〜い感じ」と称するご自身の音楽は、変にこわばった部分がなく確かに独特のゆる〜い感じがする。他人に緊張感を与えず、その人が自然に素の自分でいられるように対人関係の空気を作れる人というのが居るが、多分それと似た感覚があってこういう懐の広いものはやっぱり好きだなぁと思うのだ。
今日はギターアンプの調子が悪いらしく、途中のMCでそれを知ったが、それまではアンプからノイズ音が出ても私はちっともトラブルだと思っていなかった。
絶対音感のある人の中には、周りの生活音が全て音程に聞こえる人が居るが、耳はさぞかし疲れるだろう。きっと「音」は音程ではなく音楽になって聞こえる時が一番、心地良く揺れることが出来るのだと思う。
ライブ中に後ろで次の出番の人がリズムに合わせてスティックを空で叩く音がした。
横で立って観ていた女性のコップの氷が「カラン」と音を立てた。
それらを「あぁ、いいよ」と中に入れて音楽になる。
受け皿の大きい音楽にあこがれる。
こういうライブが、いいライブだと最近富みに思うようになった。


投稿日:2008年06月22日

2008年06月22日

雨。
「雨降って地固まる。」と言うが、6月は「雨降って雑草伸びる。」月なのだ。
彼等は私が一切世話をしないというのに、ひとりでにすくすくと育ち、特に雨が止んでお日様が差したなと外に出るといつの間にという位大きくなっている。
いつの間に。
家の敷地にある排水口からもシソのようなものが生えて来ていて、去年の秋に枯れるまでほぼ低木と言ってもいい程の背の高さにまで成長した。朝起きたら一番にそちら側のカーテンを開けていたので毎日一番最初に見る我が家の植物は、そのシソもどきの雑草。土もないのに水だけで地下から木みたいなものが生えて来るのは、気持ちが悪かったのだ。
雨が降ると、人々の生活は多少窮屈になる。
傘を持って出なくちゃいけないし、バイクを利用している人なら”今日はバイクでは出られないな”といつもより少し早めに家を出たり、出掛ける予定にしたって場所によっては取りやめになることだってある。
雑草は至ってシンプル。
「オレ達、傘要らず」
「荷物もないしね」
「だいたい、出掛けるってことがないのよ」
「なんか、静かでいいねー。雨の日は」
雨の日、雑草達は思いきり伸びをする。
人でも何でも。
自由になった時に、伸びるものなのだ。
知らず知らずのうちに。
グゥ〜〜ンと成長しているものなのである。


投稿日:2008年06月21日

2008年06月21日

平均身長が高くなっているせいか、ロングスカートやパンツの丈が長過ぎて合わないのだ。先日は試着をしてみたら、ワンブロック分柄の部分が長かった。これじゃ丈を短くすれば”可愛い!”と思った部分がごっそりなくなっちゃうではないか。
私だって元々のデザインで服は着たいのである。
買っていきなり自ら新品を不良品にするというのが、裾を切る行為だと思っているのだ。
ふぅ〜〜っ。
なんだかこの数年で、自分の身長に合わせたらシルエット自体が変わる服が、更に増えたんじゃなかろうか。
学生時代は背の順ではほぼ前から7〜9番目位、真ん中よりちょこっとだけ前という位置にいて、それで成人になったので自分は中背であるという感覚がある。私より背が低かった友だちは私を追い越したということでもなかったので、いくら今の若い子達の背が伸びようと、そんなに丈が長くなれば困る人はまだ相当の数居るんじゃないかと思うのだ。
155センチ辺りの同胞達はどうなのだ。
現状の丈に満足をしているのか。
昔はジーンズの丈はかなり上げたが、それ以外の洋服についてはちょっと高いヒールを履けばそれで解決していたのだ。今は10センチ近く裾上げをして、更にヒールを履いてやっと見た目のバランスが取れるようになる。
が、慣れないヒールは竹馬に乗って歩くようなもの。今度は体のバランスが悪くなるというパターンになっているのだ。そうして、気に入ってはいるもののだんだん普段使いから外れて稼働率も悪くなって行く。
裾を擦る程の長さは、ウエディングドレスの特権だったのに、今や身近な洋服が裾を擦って歩く長さになった。
似合うかどうか以前に・・・。
「こちらは8分丈になっております」
私が履けば9分丈。
中途半端にちんちくりんになった私。
試着室ではバカ殿みたいに裾を擦ってはうなだれている近頃なのである。