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投稿日:2008年02月29日

2008年02月29日

楽器屋さんや練習スタジオの掲示板には、よくメンバー募集の紙が張ってある。
「ボーカル募集」
「当方、ベーシスト。加入バンドを探しています」
「完全プロ指向です」
私も過去に、ボーカル募集の張り紙を張らせてもらったことがあった。あれから随分年月は経ったというのに、内容的には自分がバンドで頑張っていた時とほぼ変わっていないのだ。
が、ここは東京。
スタジオミュージシャンやツアーミュージシャンの大半が東京在住なので、「ローディ募集」「アシスタント募集」など関西では数の少なかった張り紙が、ここ東京では多くなる。
今日は某練習スタジオに「ドラマーのアシスタント募集」の張り紙が張ってあった。
ドラマーのアシスタントの仕事の内容は、主に機材を運んだりセットをしたり、あと本番中にトラブルがないかチェックをしてもし何かあればフォローに回る。こんなところがだいたいの基本のお仕事なのだが、そのアシスタント募集の紙を読むと、その仕事内容のところには「機材のメンテナンス、セッティング、プロの技を盗むこと」とあったのだった。
3番目の「プロの技を盗む」は、決して仕事内容には含まれてはいないと思うのだが・・・。
多分、この張り紙を書いたのは、ドラマーの現アシスタントなんだろう。何かしらの理由があってやめることになり、自分がやめた後にアシスタントについてくれる人を探しているということで、そんなこともせずに突然やめる人だっているのだから、この張り紙の主はなかなか責任感のある人物だと思う。
でも、ちょっぴり惜しい。
仕事内容を正しく理解していない。
なので、この人は恐らくたまにトンマな失敗をしていたのではないか。だって、ミュージシャンの人達はアシスタントがついて必ずしも助かるというわけではない。アシスタントによっては失敗のフォロー量が異常に多くなる場合もあり、飲み会の席でたまに聞く話で、聞く側としては相当笑えるエピソードなのだが、当の本人にとっては本気で重たい時があるはずなのだ。
このドラマーの人も、飲み会の席で愚痴を言っていたのかもしれない。
それはお気の毒に・・・。
だが、新しいアシスタントの人が今度やってくることになったとしても・・・・。
この張り紙を見た人がまた応募をしてくるのである。
「プロの技を盗むのが自分の仕事」だと最初から思っている。
何かと勘違いな行動をしそうである。
「ふ〜〜。ちょっと疲れたから、缶コーヒーでも買って来てよ」
悪びれずに小銭をドラマーに渡しているアシスタント君を思い浮かべたのであった。


投稿日:2008年02月28日

2008年02月28日

レコーディングでお世話になっている古川昌義さんの家に、ビオラを録音で行った。
私の家から古川さんの家までは、電車で行くと大廻りになる。なので今日はチョイノリで行くことにしたのだが、途中私の苦手なエリアを通らなければならず、地図であんなに行き方をシミュレーションしたにもかかわらず、今日も世田谷区に入るとまたもや方向を見失ったのだった。
私の体内にある磁石は、”メイドイン関西”。大阪や京都、滋賀の道にはなかなか上手く働いてくれていた。関西では方角を見失うということはあまりなかったので、「だいたいあっちの方」でその場所に辿り着けていたのだ。
ところが、私は東京に来てからすっかり方向音痴になった。東京ではそのやり方で道を走ると、あっという間に方角がわからなくなり、「ここは一体どこなんでしょうか」現象に見舞われるのである。
特に世田谷区は磁石がきかない。世田谷区こそ、日本の魔のバミューダトライアングルなのではなかろうか。
途中で何人かの宇宙人が方角を教えてくれたので、なんとか古川さんの家に着けた。
録音は2時間程で非常にスムーズに進んで終了。オーボエのtomocaさんのプレイに三木章子さんのビオラが乗って、とてもいい形になった。
「お疲れさまでした〜」
そう言って別れたが、本当のお疲れはこの行き帰りの道・・・。
帰り道は今度は口頭で古川さんにかなりいい指導をしてもらったが、最初の3分順調に走ってまたもやバミューダ世田谷で迷いに迷った。
真っ直ぐに走っているつもりが、同じ駅に3度も着くという魔の地帯。
”メイドイン関西”の磁石では対応が出来ない東京の道なのだ。


投稿日:2008年02月27日

2008年02月27日

また、丁寧なアイスの注意書きを見つけた。
以前に、「木の棒であそぶと危険ですのでおやめください」と書いてあるのを見つけて、小さな子供が読んでも肝心の「危険」の漢字が読めないんじゃないだろうかと思ったが、今日の注意書きには「冷凍庫から取り出した直後に食べると、製品が口元に張り付くことがありますのでご注意ください」とあった。
こんなに丁寧な注意書きを見つけたら、逆にこちらの姑根性に火がつくではないか。
だったら、「冷凍庫から取り出した直後に食べると、製品が差し歯を折ることがございますのでご注意ください」も載せた方がいい。
「冷凍庫から取り出した直後に食べると、こめかみが痛くなることがございますが、あまり長引くようであれば医師にご相談ください」だって書いておいてほしいし、「冷凍庫から取り出した直後に製品を見ると、白い湯気のようなものが漂っていますが、これは冷気ですので特にご心配は要りません」もあった方がいい。
製品が唇に張り付く人よりも、歯にしみる人の方が人口が多そうに思えるので、知覚過敏の消費者への注意書きだって必要になって来るだろう。
「本製品は人間用なので、動物には与えないでください」
「電子レンジでは決してあたためないでください」
「お弁当のおかずには出来ませんので、ご注意ください」
「本品にアタリ、ハズレはございません。当社の名前を語ってお客様の口座番号を聞き出すというようなことは一切ございません」
「食品ですので、湯舟には入れないでください」
製品が口元に張り付くのと同等以上のリスクは、結構あると思う。
私は製品を食べ終わったあとに、口元に”名残り”をつけていることが多く、目下のところそれが一番の心配ごとなのだ。
「本製品をお召し上がりになったあと、鏡で口元をご覧ください。たまにコーティングのチョコレートがついていることがございますので、ご注意ください」
今日も、私の口元にはチョコレートがベットリとついていたのであった。


投稿日:2008年02月26日

2008年02月26日

ハモンドオルガンの音源ソフトが届いた。
今はディスクをインストールしてパソコンで音を出す方法が、主流になりつつあって、今日届いたのはハモンドオルガンの名器と呼ばれているB3という機種の音を再現したソフト。3万円台で手に入るが、こういうものがなかった頃、B3は数百万する手の届かない楽器だったのだ。
私は高校1年生から4〜5年、ハモンドオルガンを習っていた。
その時買ってもらって家にあったのが70万円強の機種だったが、エレクトーンのように講師の級があって、4級以上の資格を取るには、その上の機種を買ってその機種クラスでしか出来ない技術をマスターしなくちゃいけなかった。
5級まで夢中になって練習したが、4級を受ける為のその上の楽器は150万円だか120万円だかするもので、何回楽器屋さんに足を運んでもその機種を買う為の方法が思いつかず、「音大は無理ですよ」とピアノの先生に言われた時よりも、あの時は大きな挫折感を味わってハモンドオルガンから遠ざかったのだ。
とにかく私が学生だった頃、楽器は何でも高かった。20万円台が自分のバイトで手が届くラインで、だがいいな、欲しいなと思うのはみんな一台100万円や200万円するものだった。
が、それらの機種も今はソフトになって5万円以内で買えるようになった。
ハモンドオルガンのソフトをインストールして、音を出してみる。
何回も何回も店に見に行ってはうなだれて帰った、あの楽器と同じ音がした。
コリ・・。
トゥル〜。
”あきらめた”は、きっと”フタをしていた”だけなんだろう。
フタが開いたら、「やっぱり好きだった」を確認するのだ。
ハモンドオルガンは”昔とっても好きだった人”。
やっぱり、好きだったな・・・。
キュンと恋の音が鳴った。


投稿日:2008年02月25日

2008年02月25日

ダンボは、今日で5歳になった。
ダンボは生後半年で私の元にやってきたので、ダンボとは4年半一緒に暮らしている。
最初は同居人が他に2人、フェレットが2匹いる家だった。それから引っ越しをしてフェレット2匹との暮らしになり、チビ太が亡くなって、そしてゴン太も亡くなってとうとう1人と1匹になった。
だがダンボはそれがいいらしい。
今はオールエリアがダンボの物になった。
本当のお母さんはどこに居るんだろうね。
ダンボの物を買いに行き、品を選んでいる時の私はいつもちょっぴり嬉しい。
これ、喜ぶかな。
これはきっと食べないな。
これ、似合いそう。
冷静に考えて、他に可愛い犬がたくさんいるのはわかっているけれど、私には世の中で一番可愛い犬だ。
お誕生日おめでとうと言ったら、きょとんとしていた。
お耳が大きいからダンボにしたんだよ。
尻尾をフリフリ。
オヤツをもらえてよかったね。
喜んだり、怖がったり、エラそうにしたり、
お前はとってもわかりやすい。
今日が何の日か、何月なのか、何曜日なのか、何も知らないけれど。
少し前に植えたピンク色のデイジーが、いつの間にか花を沢山咲かせた。
春になったらもう少し遠くまで探検に行こうよ。
新しい一年、キミが元気で過ごせますように。
私がニコニコしていたら、自分が何かいいことをしたと思っている。
私のひだまりくん。
ダンボ、お誕生日おめでとう。


投稿日:2008年02月24日

2008年02月24日

同じ事務所のDーnaughtのライブの打ち合わせに出掛けた。
Dーnaughtは3月とそれから5月にワンマンライブを控えている。一緒にステージに立って演奏をするわけではないが、音源作りや裏の作業面でもう少し深く関わることになりそうで、自分にとってもこれは音楽制作の勉強をさせてもらういい機会なのだ。
正しいかどうかはわからなくても、自分の信じている考えを思い切って口にして行けたらいいなと思う。
メンバーを見ていると、20代の頃の自分とダブる部分がある。やりたいこととやり方がわからないことが同じぐらいあって、早く大人になって電車の吊り皮につかまってみたい子供のようなあの感じが、彼等と話しているとふと蘇ったりするのだ。
明日になればまた一日年を取るのに、大人でありながら子供のように明日になると背が伸びているかもしれないと思っている。
似た感覚があるから、多分言いやすい。
真面目に走ったが、私はたくさん失敗をしたし、馬鹿な遠回りもいっぱいした。成功って何なのかは言えないけれど、これをやったら痛い失敗をするよということは伝えたい。こういう考え方をするとよくない方向に行くよということは言えると思う。
だから自分のした失敗をたくさん話したい。
それでも失敗はするだろうから、せめて馬鹿な失敗を一つでも減らせたらいいなと思うのだ。
20代の頃、私は音楽に対する自分の想いを上手く言葉にすることが出来なかった。熱い気持ちで溢れていたのに、出来なかった。
今は時々ふと熱く語っていることがある。
失敗がその人の信念を作っていくのかもしれないなぁ・・・とも思う。
キャシーズソングにお世話になってから12年程になって、私は今や一番の古株となった。
失敗を恐れない。
ここの仲間達はみんなそんな所がある。そして実直な人達だ。
私も思い切りやるのが好きだ。
やるとなったら締め切りも大好きだ。
よーしと燃えてくる。
打ち合わせが終わったらすぐに帰ろうと思ったが、久しぶりに3軒目まで行った夜となった。


投稿日:2008年02月23日

2008年02月23日

ウチの辺りには「イッツ・ア・スモール・ワールド」を鳴らしながら過ぎていく移動販売車と「北風小僧のかんたろう」を鳴らしながら過ぎていく移動販売車がやって来る。多分、灯油の販売車なのだと思うがその姿を見たことはなかったのだった。
こういう移動販売の車がメロディを鳴らしてやって来ると、不思議なことに一瞬にして私の頭ん中は、その移動販売車に支配されるのだ。
洗濯物を取り込みながら、「トゥルルールールー、ルルルールール」が、頭の中に広がる。録音作業中もそう、文章を書いていてもそう、何をしても一度耳に入って来たら、その音が聞こえなくなるまで耳が追って確認をしているので、その間の私は移動販売車の音楽を聴いく以外何もしていないのであった。
「イッツ・ア・スモール・ワールド」は、まだそれでも主張は少ない。問題は「北風小僧のかんたろう」の方なのだ。
「きったかぜ〜、小僧のかーんたろう〜」と歌付きで流れているので、「かーんたろう〜」というくだりが聞こえて来ると、「かんたろ〜!」の後追いの部分を一緒に頭の中の私が歌ってしまうのだった。
いわゆるリピート・アフター・ミー形式の歌。
「かんたろ〜」は不意に私の部屋にやってきては占拠して、丁度私がノって来た頃に去って行く。
灯油が必要なくなる頃まで、かんたろ〜は北風に乗って不定期にやって来る。
東京は、今日春一番が吹いた。
春一番が吹く日は、私はいつもその時には「今日はやけに風が強い日だなぁ」と思うだけで、それが春一番であるかもしれないことについては、気付かない。
かんたろうがやって来るのも、あと数える位になるかもしれないなぁ。
春はすぐそこに。
今年も準備が出来たよ。
もうすぐ会いに行くから、待っていてねと。
冷たい風が吹いて行ったけれど、
そう言えば今日、お天気は柔らかく笑っていた。


投稿日:2008年02月22日

2008年02月22日

いつ頃からか、風邪や胃腸炎は治るまでに日数がかかるようになった。
昔は風邪なら一日か二日で治るものだという認識があったが、今は一週間ぐらいスッキリしない状態が続くようで、今年の風邪は治ったあとも咳が続く型があるらしい。
今日も私は胃腸炎でグッタリしている。
今回の場合、最初腸に来てその後腸がちょっと楽になったなと思ったら胃に来たパターンだ。だが私は、毎日外出をしたら帰って来てうがい手洗いをしているし、生ものも口にしない。勿論拾い食いもしていないのに、一体いつどこでどうやってウイルスが入ったのかと思うのだ。
ベースの植田氏に用があって電話をしたら、「胃腸炎にトンカツは絶対に良くない」ことを聞いた。以前、うえだっちの奥さんが胃腸炎でダウンした時、”なんか、良くなった”頃にトンカツが食べたくなったらしく、トンカツを食べに行ったら次の日、それが元で入院になったというのだ。
恐るべし、トンカツ。
あなどれじ、トンカツ。
トンカツで入院したと知ったら、火曜日に親身になって診てくれたT先生に何と言えばいいのか。
入院にならなくて本当によかった。
あやうく、トンカツが凶器になるところだった。
トンカツは元気な時に食べるのがいい。
一種のバロメーターってことか。
従って、
トンカツを食べて次の日が元気であれば、その人は「割と元気」ということなのである。


投稿日:2008年02月21日

2008年02月21日

朝起きたら、また胃腸炎になっていた。
しんどい。
昨日の朝、治ったのは夢だったんだろうか。いいや、夢ではなく、昨日は確かに良くなって、そうしてもう一度悪くなったのだ。
恐らく・・・。
ぶりかえした原因は多分あれ、スタジオで食べたトンカツ弁当だと思われる。別に傷んだトンカツなのではなく、いきなりトンカツを食べたのがいけなかった。
ベッドの上で唸りながら、後悔をする。
本当に何故、トンカツ弁当なんか・・・。
食べちゃったんだろう。
本当に何故、トンカツ弁当なんか・・・。
Y氏は私にくれたんだろう。
・・・・。
一昨日。
私が胃腸炎でグッタリしていることを知ったY氏は非常に親切であった。ポカリスエットにおかゆ、果物にヨーグルトなどの”胃に優しい”差し入れをいろいろ買って家に訪ねてくれて、そのまま病院にも連れて行ってくれたのだ。
「いろいろ、ほんとすみません」と、小さくなっていると、「多分明日はいくらか良くなっていると思うよ。レコーディングまでに楽になるといいね。」と、言ってくれたのだった。
本当にいい人だ。
とても良くしてもらった。
そして、昨日目覚めた時には「無事、復活致しました!」と一番に報告をした。そのことをY氏もとても喜んでくれたのだった。
それが。
昨日のレコーディングの夕飯のお弁当の調達をしてくれたY氏。2種類のお弁当を買ってきてくれて、自分で選べるようにはなっていたのだが、丁度その時の私はちょっと集中モードにあって、「食べ物」のことについて考える脳みそスペースがない時間帯だったのだった。
「はい」
お弁当を渡されて受け取ってそのまま開けて、他のことを考えながらトンカツ弁当を食べていたら、誰かに「あれ、胃が痛いのにトンカツ弁当なんて食べて大丈夫?」と聞かれ、ハッと我に返った。
まるで催眠術にかかったいたみたいに、目が覚めたら目の前に二切れ食べたあとのトンカツ弁当があった。
「あ!」
トンカツ弁当を「はい!」と私に渡したのは、昨日「胃に優しい物を」とあれほどの心遣いをくれたY氏だった。レコーディングを応援してくれたのかもしれないが、私は受験生でなく、ただの胃腸炎上がりの病人なのである。
とにかく今日はまた、グッタリしている。
いい人だったY氏。
「また、胃腸炎になっちゃったみたいなんです」
と、報告をしたが・・・。
「あ、ほんと」
Y氏はレコーディングが終わったら、もう私の具合いについて興味がないようであった。


投稿日:2008年02月20日

2008年02月20日

朝起きたら胃腸炎が治っていた。
今日は終日スタジオでのレコーディング、昨日はとてもじゃないけれど明日までには良くならないだろうと思っていたので、出掛けられて本当によかった。
今日、録音をするのは「アニーローリー」ともう一曲は一分程のインタールード。アニーローリーは同じ事務所のSHIMEさんに歌ってもらう。間奏曲は山口晶くんにハーモニカを自由に吹いてもらって、こちらはライブ一発録りが録れたらいいなと思っているのだ。
SHIMEさんとの最初の打ち合わせは去年の8月、私の入院で随分予定が伸びてしまったが、ようやく実現した。
まだデビューしたばかりの頃、ディレクターのK氏が私に歌を歌う人には2種類のタイプがあると教えて下さった。一つはシンガーソングライター。自分の想いや考えを歌にしてそれを伝えようとする者。もう一つはボーカリストと呼ばれるタイプで、自分の声を媒体としてその歌を歌い届けようとする者。
K氏は”どちらも素晴らしい”と話した。その話は、今の自分の音楽観に大きく影響を与えたと思う。
「アニーローリー」はメロディを聴けば、多分多くの人が「あぁ、あの曲か」と思い出せる曲だ。だが私の中のイメージは、長年「オルゴールで聞いたような、なんとなく可愛い曲」でしかなく、ただの知っている曲のうちの一曲だった。
元はスコットランド民謡で、兵士が口ずさんでいた身近な曲だったそうだが、私は歌詞がついているものを聞かなかった。歌詞があることも知らなかったぐらいだ。
特別な思い入れがあったわけでもない曲が、ある日から気になる存在になってきた。この曲をSHIMEさんが歌ったら・・・と想像をしたら、「アニーローリー」が知っている曲から名曲になったのだった。
エレクトリックバイオリンに武藤祐生さん、ベースに植田博之氏、そしてピアノ。今日はポップスの名曲としての「アニーローリー」が録れたと思う。ハートフルなアニーローリーを、まず私が大好きになった。
後半は山口晶くんにスタジオに来てもらった。
何度も一緒に音を出した晶くんだが、私の作品作りに参加をしてもらう立場は初めてで、そういう意味では初顔合わせになる。
晶くんには、参加をしてもらおうと思っていた。
今回のアルバムは、私にとって久しぶり8年ぶりになるもので、タイトルは「reunion」。その予定だ。
リユニオン。
私はまた音楽に会えました。
仲間に会えました。
みんなに会えました。
また音楽の場所に戻してくれた一人が晶くんだ。
みんな誰もが自分を続けている。
私も自分を続けている。
また会えることは素晴らしい。
自分を続けていれば、きっとまた会える。
きっと、何かしら叶うものがある。
一曲も歌詞を書いていないアルバムだが、このアルバムにはそんな想いが詰まっている。
晶くんのライブでは、以前からハーモニカの演奏がすごくいいなということを感じていた。体に染み込んでいるのか、特に「ヨダカの星」の前に吹くライブでのハーモニカは毎回ピンと張った空気を作っていた。
今日の晶くんはハーモニカのプレイヤー。
歌も歌わない。ギターも弾かない。
いつの間にか、「いつものあの感じで」とリクエストが出来る仲になった。
曲が揃うごとに前に録音をした曲達が、それぞれまた活きてきている。このアルバムはいい作品になると思う。樹木の持つ大きな「気」を個人的に感じ、参加してもらった人達の力をまたあらためて再確認しているのだ。
今日の2曲、とてもいいレコーディングになった。