月別アーカイブ : 2011年3月

投稿日:2011年03月31日

2011年03月31日

バイクで公園の横の道を走り帰る時に。
桜が咲き始めているのに気がついた。
日が沈んで辺りは薄暗くよくは見えないのだが、でもこの間までの景色とはちょっと違う。
バイクの速度を緩めて間違い探しのように確認をする。
<お久しぶりですね>
桜が咲き始めた。
夕闇の中、少し高い枝にぽつぽつと。
小さな明かりが灯って、春を放ち始めていた。


投稿日:2011年03月29日

2011年03月29日

ダンボと散歩から帰ってきたときのこと。
玄関で犬を先に家に入れて、履いていたショートブーツを脱ごうとした瞬間に左ふくらはぎが思い切りつったのだった。
「ん〜〜〜〜〜〜〜っ」
そのまま玄関にゆっくり倒れ込んで痛みが治まるのを待つことにした。
散歩から帰ってきていつもと私の様子が違うのにダンボも気づいたんだろう。キッチンのドアの方にいつものようにトコトコと走って行ったが振り返って、「あれ?どうしたの?」といった感じで近くまで戻ってきたのだった。
今までに度々、飼い主の危機を飼い犬が救ったという話を聞いたりしてきたなぁ。
お前も私が心配になって近寄ってきてくれたのか。
ありがとうね。いい子だよ。
そう思っていたが、前からダンボには「飼い主を助けたい」という気持ちが皆無だったことをまた今日も知ることとなったのだった。
彼はトコトコ・・・とやって来ました。
そして私のニオイをしばらくクンクンと嗅いだあと、私を踏み越えて玄関近くにある扉側から部屋へと戻って行ったのであった。
私が動かないのでキッチンの扉が開かないと判断し、自力で少し開いている扉の方から自分の部屋に戻るということで、私は途中で落ちている障害物でしかなく、小さく「ダンボ」と呼んでみたがもうそのあとはずっと私は犬に無視をされていたのだった。
時々、オヤツをガツガツ食べているダンボを見て思う。
何かあったら多分私はこのちびこい犬に食われるのだ。
さっきニオイを嗅ぎに来た時に、ちょっとだけ殺気を感じた。
助けるのではなく、まだ食べてはいけないのかどうかを調べに来た感があった。
私は「最後には食べ物として使える」という存在なのであった。


投稿日:2011年03月24日

2011年03月24日

水がないという噂を聞いてはいたが、本当に水が売っていないので驚いているのだ。
こんなところに自動販売機があって誰か買う人がいるのかなぁと思うような、裏道の目立たない場所にある販売機も水だけが売り切れになっていて、気にしてみながら歩いてみたら、見事に自動販売機の水は全て売り切れになっていた。
今回の原発事故の件で、水の安全性について言われるようになってから水が店から消えたが、意外なのは「水を買い占める人の人間性を疑う」というような意見が思ったより多いことだ。まるで水を買い占めて行く人のことを、「クモの糸」というお話の中にある自分一人だけが助かることを考えている主人公のように自分勝手な人間と見ているような感じがするが、私は他人のそういう行為があまり気にならない。
だってこの人達は、恐らく普段から自分や自分の家族の健康を考えて品物を選んでいるわけで、水が安全ではないと知れば安全な水を同じように求めただけのことなのではないか。何か企みを持って買い占めているわけでもないのに、水に手を伸ばせば知らない誰かの目が光っていて”あなた、買い占めする気じゃないでしょうね”というような視線が飛んでいることの方が、私はギスギスしているというか歪んだものがあるように思えてならない。
震災が起きてから、変に罪悪感を持って過ごしている人が多い気がする。そして罪悪感を持って過ごしている人ほど同じように他人も遠慮しながら過ごすことを求めていて、なんだかおかしな感じがすることがある。
今までにも心痛める事件や出来事がたくさんあったはずなのに、何故今回の震災についてだけみんな自粛し優しくなろうとするのだろう。風評被害に遭った地域の食べ物を食べてみせ「私は食べます」「とても美味しいですよ」と言っている人達と、「お国の為に命を捧げることを幸せに思います」と言って死んで行った特攻隊の人達が私にはダブって見える。結局は風評被害もこんな歪みの中から生まれたものなんじゃないのかと私は思うのだ。
テレビでは「決して一人じゃない。みんなで力を合わせて」と言っている。
震災が起きるまでにだって、日本の中にまた一人一人の人生の中に地獄はたくさんあったはずなのだ。それまでは聞かなかった「優しさ」。本当にそんな簡単にそんな言葉を使っていいのだろうか。その優しさはいつ生まれたものなのか。どこまで信用していいのだろうか。
時々からっぽな気持ちで人間を見ている私が居るのだ。


投稿日:2011年03月23日

2011年03月23日

今日はチャカ・カーンの誕生日なのだそうだ。
チャカ・カーンは大学生の時に先輩に教えてもらった女性シンガーで、私がブラックミュージックに心酔するきっかけとなった偉大なアーティストの一人だ。
一番好きなアルバムは「恋のハプニング」というアルバム。1曲目から3曲目までは曲間も含めこの流れで聴きたいと思わせる3曲で、曲と曲の間も休符という音楽になっているところがすごいと感じる。
当時はこのアルバムの中の曲をコピーして弾けるようになることが、ブラックミュージックが好きな人達のちょっとした夢で、なるほどたくさんの大学生バンドがコピーをしていたが、やはり本物とはあきらかに何かが違う難易度の高い演奏力を思い知らされるのだった。
チャカ・カーンの声はものすごく高い音域に行ってもパンチ力がとにかく絶大で、犬の声帯ほど強い声帯を持っているのではないかと思うほどだ。
このアルバムで特にみんながチャレンジしたのが、6曲目に収録されている「チュニジア」、当時はレコード盤で聴いていたから裏返したB面の一曲目だった。針を落とすととても静かなイントロダクションがあり、めずらしくチャカが柔らかく歌い出すのだが・・・・。
これは嵐の前の静けさというもので。
そのあとはひたすら野人のチャカが豪快に歌いまくる。圧倒される一曲だ。
レコーディングの時にアレンジが気に入らないと殴ったりになることもあったらしく、やはり私にとっては野人のイメージしかないのだが・・・・。チャカ・カーンにも赤ちゃんの頃があったのか。
Dear,Chaka Khan, Happy birthday
野人という言い方は音楽に於いての私のとっておきの褒め言葉です。
これからも豪快に歌を歌い続けて下さい。
遠い国に住むあなたのファンより。


投稿日:2011年03月22日

2011年03月22日

最近気になる迷惑メールが来るのだ。
それは「10日でピアノが弾ける」というもので、もう何通も受け取っている。
10日でピアノかぁ・・・。
私はどちらかと言えばメールをもらう前から「ピアノは10日で弾ける」と信じている方なのであまり驚かないのだが、ではどういうことが書いてあるんだろうかと気になってサイトに行ってみたら、意外に似た考えのことが書いてあったので納得をしたのだ。
練習曲や基礎をしっかり積まなければならないのは、音楽コンクールや音大受験をしたり、何か資格を取らないといけない場合で私もいいと思う。だがピアノを習い始めた人達の多くはコンクールには出ないし、音大受験を目標とする人より「ピアノで好きな曲が弾けたら楽しいだろうなぁ」という目標を持っている人の方が人口は多いと私は思っている。
まず好きな曲を一曲弾けるようになる。
その為のヒントや手段を考えるのが先生の仕事。長く音楽に携わってきた人間ならではの、<ここは深く考えたら煮詰まる><ここはこんなに厳密にとらえなくてもいい>など、自分が遠回りをした分のショートカットの仕方を今こそそういう切り口で経験を生かせたらいいなと思うのだ。
10日でピアノは弾けるようになると私も思う。
2小節弾けたら少し嬉しい。
4小節弾けたら、曲っぽくなる。
「ピアノが弾けると嬉しい。」
たったそれだけだが、私はそれが重要だと思う。
私も嬉しかった。そこから全てが始まった。
ただただ、その公式が私は大好きだ。


投稿日:2011年03月21日

2011年03月21日

今年は月曜日に雨の日が多い。
月曜日は外での仕事なので困ることが多く、それで気にして過ごすようになったのだが・・・・。
今日も雨。
カーペンターズの歌にあったなぁ。
雨の日と月曜日は気が塞いでしまう....「雨の日と月曜日は」という曲だ。
それが「雨の日と月曜日」ではなく、「雨の日で月曜日」なのだから、歌詞から行けば2重に塞いでしまうというわけだ。
本当に塞いでしまう。
何故こんなに雨ばかり。
月曜日の生徒さんのうちの誰かが雨女なのではないか。と疑いたくもなる。
雨女は誰だ。
探偵モードな私なのだ。


投稿日:2011年03月20日

2011年03月20日

バイクで出かけると、決まってここで信号待ちをするという交差点がある。
永福町の信号を越えて一つ目の小さな交差点のガードレールのそばには、多分近所の人が植えたんだろう。大きなユキヤナギに育っていて、今は満開の頃を迎えている。
うちで育てているものは、地植えでないこととそれから日当りがあまりよくないのでポツポツと花を咲かせてくれるのがやっとなのだが、ここのユキヤナギはお日様がよく当たるのが一番の理由だと思う。のびのびと枝を広げて、とっても元気に咲いている。
大きな道路脇で排気ガスをたくさん受けているにもかかわらず。
君たちは本当に強いね。
うちのユキヤナギが少し可哀想だ。それなりに大事にしているが、やっぱり自然の環境の方が人間が大事にするよりうんと必要とされているんだなぁと思う。
ここに植え替えてあげたいなぁ。
好きだからという理由で数年前に買ったが、好きというだけでは限界がある。私のところじゃなくても他のところで元気に咲いてくれるのなら、そちらで暮らしてもらうのが一番いいと思うようになった。
今の家に住んでから二階に暮らしていた頃と花のラインナップは随分変わった。
家に帰ったら声がした。
<私が居るじゃない>
うつむき加減のクリスマスローズが花をつけていた。
冬の日の当たらない場所でも育ちそしてやはり春に咲くクリスマスローズ。
春の花が少しずつ花開いて行く。
春にはそういう力がある。
出会いと別れの季節と言われているこの時期だが、この季節が私は大好きになった。


投稿日:2011年03月19日

2011年03月19日

最近、寝ている時によく足がつるのだ。
以前は足の裏がつることが多かったのだが、ここ一週間程はふくらはぎがつるようになり、ある晩は左のふくらはぎがつったかと思うと、次の日は反対側のふくらはぎがつる。
ふくらはぎって足の裏がつるより面積が広いせいか痛いのだ。
またふくらはぎがつったらいやだなと思っていたら・・・。その翌日は左の太ももの裏がつった。体幹部に近づくにつれ痛みが大きいのだ。
「痛ぁ〜〜〜〜っっっ」
あっ、ダンボ。今は私に近づかないで!
最近、下半身筋肉痛。
理由は寝ている時に足がつることによる、のである。


投稿日:2011年03月18日

2011年03月18日

原宿milleのライブに参加をした。
私の記憶が正しいとしたら、吹田のYOUという練習スタジオで橋本仁くんとは初めて会った。当時STYLEというバンドをやっていて彼のボーカル力は当時から素晴らしかった。その後セッションに誘ってもらったり、アースウィンド&ファイターズというアースのコピーバンドに入れてもらったりして、楽しい思い出がいくつもある。
仁ちゃんと一緒にライブをするのは本当に久しぶり。Jam for joyで演歌を歌う仁ちゃんの伴奏をしたが、途中でネタをやったりするので半分笑いが入っていたので真面目に歌い切るバージョンは本当に久しぶりだ。
私は自分の歌う曲以外での演奏を長い間やめていたし、またこうして昔みたいに一緒にリハをしたりライブしたりすることもないと思っていたが、去年ぐらいから何か一緒にしたいねという話だけはしていたのだ。
仁ちゃんは東京に来てからアースやオルケスタ・デ・ラルスというバンドの他にも仮面ライダーシリーズの歌を歌ったり、今は生徒さんもたくさん持っていて、中でも今回私が何より驚いたのはその先生ぶりだった。今日一緒に出演をする舞紀ちゃんと田上くんは仁ちゃんの教え子なのだそうで、「俺な、二人の歌がめっちゃ好きやねん」とまだステージ経験のほとんどない生徒さんを大真面目に”これからきっとどんどん伸びる”と心から信じて、だから一緒に今回この子達とライブしたいねんと言う、私はその言葉に心が動いたのだった。
なんか、いつの間にか大人になったんだなぁ。
舞紀ちゃんと田上くんはこれから音楽を軸にして歩んで行く二人なのだろう。一途に音楽を頑張っている人達が昔の自分たちがダブってきたりして、私もいつの間にか応援したくなっていた。
一生懸命歌おう。
一生懸命弾こう。
出会いの輪がまた一つ広がって行く。
今日は来て頂いたお客さんからも義援金のご協力をたくさん頂いた。田上くんはずっと大事にその募金瓶を手元から離さずにそばに置いていた。
これからいろんなことがあるよ。
いいこともそうでないことも。
だけど人との輪によって、再生することは何度でも出来ると思っている。
また一緒にライブをしようね。
震災という出来事があまりに大き過ぎて、何か行動をしたり考えが浮かぶたびにそこに引っ張られていく自分が居る。自分に何が出来るのか、これという答えもなく結局今の私はモヤモヤ晴れない何かに覆われている。そんな中でふと、人は人と繋がってそうして命ある限り明日に繋いでいく、それを信じることが少し希望の光のように私には思えたのだった。


投稿日:2011年03月17日

2011年03月17日

Sバス停でバスを待っているとやって来るバスは大きくわけて2種類。
ノンステップバスかそうでないかだ。
バスが歩道寄りに止まってくれたら歩道からすんなり乗れるが、歩道から少し離れていると一度車道に降りてからバスに乗り込む形となり、その距離の具合いで乗り込みにくい時もある。ノンステップバスは厳密には一つ段を上がらないといけないので、「ノンステップ」ではないが、それでもこのバスは乗り降りがかなり楽なので、私は空いているバスと同様「当たりのバス」として、やって来たバスがノンステップバスだった時は内心ちょっと嬉しい。
今日来たバスは当たりのバス、ノンステップバスだった。
はずなのだが・・・・。
今日の運転手さんは今まで乗った中でもかなり記憶に残る荒い運転手さんだった。
キキ〜〜〜ッt。
最初にバスが急停車した時は、誰かか何かが急に飛び出してきて急停車せざるを得なかったのだと思った。
車内の人間がかなり前のめりになって危険な状況になったが、怪我人が出るほどではなかったのでそのまままた何事もなくバスは出た。
だがこのバス、乗っているとそのあとも頻繁に急停車をする。原因はこの運転手さんの運転の仕方にあると気づいてからはチェックをするようになったのだ。すると普通に信号が赤になって停車するだけなのに、止まり方がどうも急停車気味になっている。で、走り出したら何を急いでいるのか暴走バスになるので、乗っていて恐怖心が沸いてきた程だ。
みんなしっかりつかまって。
おじいちゃんもおばあちゃんもしっかりつかまって。
下手くそなのか何なのかはわからない。
が、何でこの人はこんな荒い運転なのだ。
中野駅に着くまでバスは荒くれ運転のままだった。
ノンステップバスは必ずしも当たりではない。
ノンステップバスというのなら、運転ももう少し人に優しい運転にしてほしいのである。